『暗黒ひんにう同盟 邂逅編〜後編2〜』 byウェイン姐さん


 (…これが、見たかったんだよねぇ…)
 顔にはおくびにも出さずにほくそ笑むシャーロウ。
 あのすました顔が葛藤に歪むのが見たかったのだ。
 おとなしそうな振る舞いが演技なのは話してみてわかった。
 そして、すぐに思った。
 あの仮面を剥がしてみたい、と。
 さながら純朴な処女を堕とす時のような悪趣味な情動。
 さながら玩具をねだる子供のような無垢な願望。
 だが止められない、止める気もない。
 これは本能なのだ。
 曲げる事など出来ぬ己の習性。
 獲物が眼前にあって狩らない蠍などいない。
 たとえその場所が底の見えぬ河の真っ直中であり、自分の足場は直下の獲物のみ。
 ソレをすれば自らも溺死するとしても…やはり蠍は獲物を狩るだろう。
 止める事など出来ないのだ、それが狩人の本能。
 (…なんてね、そんなに大層なモノじゃないんだけどね)
 昔聞いた蠍の御伽話を思い出しながら心中で苦笑。
 別にそんな立派なモノではないが、やはり人が嫌がる顔を見るのはいい。
 それに、つまらない体裁など取っ払った素の状態でのメラノーマとの会話をしてみたかったのも事実。
 だからみえみえの挑発で煽ってみたのだ。
「…さて、じゃあ…何をしようか?」
 カードを繰りながら、愛想よく笑顔で聞いてみる。
 我ながらうさん臭い笑みだ。
「誰もカードに付き合うなんて言ってませんが?」
 待っていたのは突き放すかのようなにべもない返事。
「…おや?そうだったかな?」
 わざとらしく首を傾げてみる。
「まあ、盗賊の方は記憶力が必要だと思っていましたのに…実際はそうでもないんですね?」
 口調こそ今までとは変わらないものの、まるで毒物でも混入したかのごとき物言い。
 こちらを見る目付きの冷ややかさたるや屠殺場に送られて行く家畜でも見ているかのようだ。
 しかし、その冷ややかな視線がシャーロウには実に心地よい。
 (…おや、僕は実はマゾだったのかな?)
 無論そんなことはない、単にこのメラノーマの変わり様が心底愉快なだけだ。
「…うん?僕の覚えている範囲内ではキミはまだ明確に拒否をしていなかったと思うけど?」
「そうだったかしら?」
「…うん、ま…僕の頼りない記憶力だと…だけどね」
 そう言ってつまらなそうに肩をすくめる。
 が、無視。
「ならはっきりと、お断りだわ」
 冷たい表情のまま言い捨て、二杯目のオレンジジュースをこくこくと飲み始める。
「…おや、なんともつれないねぇ…ほら、ポーカーなんてどうかな?
 負けた方が一つだけ言う事を聞く…なんて面白いね?」
 そう言いながら再びカードを繰り始める。
「やらない、と言ってるんです…それに」
 一息に残りのオレンジジュースを飲み終え、こちらを見据える。
「そんな条件でサマ師と勝負する程、酔狂でも無謀でもありませんから」

 おや、と。
 一瞬、ほんの一瞬だけその言葉に気を取られる。
 その瞬間、僅かに動きを止めた右手の上に冷たい感触。
 見ればそこには小さなナイフが添えられていた。
 少しでも動けばカードごと手を切り裂かれそうだ。
 構えているのはメラノーマではない、当然だ、届く間合いではない。
 はたして、そこにあったのは一体の虚ろな目をしたサルっぽい人形であった。
 人形は、我はこの一刀に賭ける修羅とか言わんがばかりにシャーロウにナイフを構えていた。
 人形と目が合った、いや合ってしまった。
 やあ、なんぞと言うがごとくサル人形が片手を挙げて気さくに挨拶してくる…無論、人形故に声は出ないが なんかそんな空気。
 不意に謎のサル人形に刃物を突き付けられながら挨拶されるというあまりの超展開に流石のシャーロウも呆気にとられる。
 だが、三秒足らずで状況を認識。
 (…ああ、これが例の…MMR<サルマワシ>…)
 メラノーマは呪いの人形を所持しており、戦闘では魔術の他に、その人形を操り変幻自在の攻撃を繰り出すという。
 ――傀儡繰りの淑女<マーダーズマリオネットレイド>ともMMR<サルマワシ>とも言われる能力。
 所謂使い魔の様なものと考えていたが…。
 (…いやはや、百聞は一見に…とはいうけど)
 その辺の使い魔とは比較にもならないフレキシブルな行動、正確にナイフを寸止めする精密動作。
 そしてなによりその隠密性。
 いかな不意を突いたとはいえ、気配察知に長けたシャーロウに気付かれる事なく接近するなど一流どころの盗賊とて簡単に出来る事ではない。
 (…人形だから…気がないんだねぇ、きっと)
 分析しつつシャーロウはもう一つの事について考える。
「…ところで、いきなり人をサマ師呼ばわりとは…ひどいね?」
 サル人形に促され、カードをテーブルに置きながらシャーロウは問い掛ける。
「あら、違うのかしら?」
「…さて、どうだろうね?」
 逆に問い返され、シャーロウは軽く溜め息。
「そう…なら」
 メラノーマは目の前に置かれたカードに手を伸ばし、一枚ずつめくっていく。
 カードはスペードの1から始まりKまで、続いてハート ダイヤ クラブと順に1からKの並びであった。
「あれだけ散々カードを繰っておきながら、こんな並びなのは偶然なんですね?」
 最後の一枚をめくり終え、メラノーマは可憐に微笑む…もっとも目は笑っていないが。
 (…やれやれ、まいったねぇ…これで三人目か、この街は鬼門かな?)
 そんなメラノーマにシャーロウは内心感嘆。
 今までサマを言及された事が無かった訳ではないが、ゲームを始める前に指摘されたのは今回含めて三回目…いずれもこのクルルミクでの事だ。
 一度目は…あの素晴らしくいい眼をした賢者、シャル。
 二度目は…あの道化を演じていた神官戦士、フリーデリケ。

 そして、これで三度目。
「…ふぅ、しかしひどいな…いきなり刃物を突き付けるなんて」
 降参、とでも言いたげに右手を軽く上げるシャーロウ。
「あら、私は慈悲深いつもりでしたけど?」
 微笑を浮かべたままメラノーマは首を傾げる。
「…そうかい?」
「ええ」
 直後、サル人形の腕が閃き、シャーロウの左手のすぐ横にナイフを突き立てる。
「指を切断しなかっただけ…ね?」
「…なるほど、確かに寛大な処置だねぇ」
 シャーロウも顔色ひとつ変えずにくっくっと笑う。
 それを見たメラノーマは一つ溜め息。
 三杯目のオレンジジュースを頼みながらぽつりと呟く。
「一回だけなら…いいわ」
「…いいのかい?」
 確かめる様に問い掛けるシャーロウ。
「ええ、ただし…あなたは配られるまで一切カードに触らない事」
「…おや、君がカードを配るのかい?」
 君だって何かするんじゃないのかな?カナ?
 とか言いたそうな顔でシャーロウが聞く。
「そこまで図々しくありません」
 と、言いながら周囲を見渡す。
 ふと、端の方に座っていた少女が目に入った。
「あの、そこのあなた」
 猫被りモードで少女―確かパーラと言ったか―に話しかける。
「え、私ですか?」
 いきなり話を振られて慌てるパーラ。
「ええ、申し訳ないのですが、このカードをお願いできるでしょうか?」
 そう言ってカードを差し出すメラノーマ。
「…今からポーカーをするから、さ…ディーラーを頼めるかな?」
 ウインクをしつつ補足するシャーロウ。
「はあ…えーと、カードを切ってからお二人に配ればいいんですよね?」
 おずおずとカードを受け取るパーラ。
「…うん、ま…気楽にいいよ?」
 ひらひらと手を振りつつメラノーマに向き直る。
 そして、拙いながらもシャッフルし、カードが二人に配られた。
 シャーロウ一瞬だけほんの僅かに渋い顔をするが、メラノーマの視線を感じたのか瞬時に普段のニヤニヤ笑いに戻る。
「…さて、一回とは言ったけど…分けだった時はどうするんだい?」
 覗き込むように見ながらメラノーマに聞く。
 メラノーマはカードに目を落とし、寸分も表情を変えない。
「当然一回は一回…それで終わりです」
 そんな二人にパーラが首を傾げる。
「あれ?そういえば負けた方はどうなるんですか?」
 言われて二人は顔を見合わせる。
 迂闊にもソレを決めるのを忘れていた。
「…うん、イイところに気がついたね?」
 シャーロウが人差し指を立てて微笑む。
「…実は僕が買ったら彼女とベットイン出来るんだけど、彼女が勝つと僕は彼女にべろちゅーされてしまうのさ」
 いきなり澱みなく嘘八百を垂れ流すシャーロウ。
「ええっ!お二人はそんな仲だったんですか!?」
「…おっと、うっかりバラしてしまったね?他の人にはナイショだよ?」
 くすくすと笑いながらウインクする。
「大丈夫です!私、口は堅いですから!ミューイさんにも黙ってます!」
 頬を赤く染めながらも鼻息荒く頷くパーラ。
 というかなぜミューイなのかと。
 大スクープとか三角関係とかぶつぶつと呟くパーラを無視してメラノーマは視線でシャーロウを促す。
「…ん?それじゃ、勝負…かい?」
「ええ」
 そう言って自分のカードをオープンにするメラノーマ。
 ハート、スペード、クラブのKとクラブの8にハートの4。
 役はKのスリーカード。
「…これは、強いね?」
「ふふん、そうでしょう?」
 シャーロウは珍しく眉を顰めて呻く様に呟く。
 メラノーマも一発勝負でイイ手が出て機嫌がいいのか珍しく嬉しそうだ、なんか鼻歌とか出てる。
 対するシャーロウは対称的に陰気な溜め息を一つ。
「…じゃ、僕の方は…」
 シャーロウは自らのカードも捲る様にメラノーマに促し、メラノーマが五枚のカードを裏返す。
 だが、それを見てメラノーマの顔が僅かに引きつる。
 出てきたのはハートの10、クラブのJ、同じくQ、ダイヤのK、そしてスペードのA…ストレートだ。
 当然役としてはスリーカードより強い。
「…おや?どうやら勝負は僕の勝ちだね?」
 途端にいかにもしてやったりな笑みを浮かべるシャーロウ。
 くっくっと楽しげに嗤うシャーロウを見ながらメラノーマは黙り込む。
 サマだろうか?しかし、宣言通りシャーロウはカードに触れていない。
 いかにあの黒いあくまでも触れずしてカードに細工は出来るはずもない。
 サル人形<ダカルバジン>からも確認していたが、間違いなく怪しい行動はなかった。
 ならば本当にただの偶然だろうか?あの表情はフェイクなのか?
「シャーロウさん!すごいですね!」
 必死に思案に暮れるメラノーマをよそにパーラがシャーロウの腕に抱き付く。
 (………いちゃつくなら後にしろって感じで…)
 そこまで考えて、はたと気付く。
 (待って、そもそもこの二人は元々知り合い?)
 そうだ、この飲んだくれなら酒場の人間と顔見知りでもおかしくはない。
 顔を上げて二人の方をみる。
「シャーロウさんの言う通りやってみたら、簡単に好きなカードを配れる様になりましたよ」
 ギシリとメラノーマが動きを止める。
 待て、今なんて言ったかこの天災ドジッ娘。
「…フフ、あの手のテクはコツを掴めば簡単だからね?」
 何のテクだ、ナニを教えたかこの黒いあくまは。
「………お待ちなさい」
 地獄の底から響くような恐ろしい声音に、思わずパーラが一歩下がる。
 知るか、無視。
「…?…どうしたのかな?」
 何か不思議なものでも見るように怪訝な顔のシャーロウ。
 言いたい事はわかってるだろうに…一々こっちにスリーカード入れる細かい演出といい悉くが憎たらしい。
「やってくれたわね…!」
 あらん限りの恨みの念を込めて睨み付けてみるが。
 案の定、シャーロウには効いていない、横のパーラが怯えるだけだ。
 というかシャーロウ、怯えたパーラを抱き締めてたりしている。
 ええい、その「役得」とか言いたそうなニヤけ顔が腹が立つ。
「…おや、ひょっとして『今更ながらサマに気が付いたからさっきのはやっぱりナシでお願いできるかしら〜』…とか?」
 挑発するように身を乗りだして訊いてくる。
 声帯模写まで出来るのかご丁寧にメラノーマそっくりの声。
 キモいから体をくねらせるな。
 ふきだしの外に`ビキビキッ`とか`!?`とか出そうな一触即発な雰囲気だったが、メラノーマは頭を振って冷静に深呼吸。
「まあ、そんなこと気付かなかったこちらの不覚ですわ」
 なんとか平静を装い笑顔で応じるが、全然成功していない、だってパーラとかこっち見ながら涙目だ。
「…じゃ、罰ゲームだね?」
 慰めるようにパーラの頭を撫でながら満面の笑みでこちらに向き直るシャーロウ。
 だから二人でストロベリったピンク空間を展開するな。
「……で、私は何をすればいいのかしら?」
 諦めた様に半ば脱力しながら問う。
「…ん?だから僕が勝ったから約束通りベットイン」
「私は何をすればいいのかしら?」
 有無を言わさぬ迫力でもう一度問う。
「…むう、冗談が通じないねぇ」
「もう少しレベルの高い冗談を言えば考えてもいいわ」
 冷たく切り返すメラノーマ。
「ちなみに持ち合わせもあまりありません、高額な物を要求しても無意味ですのであしからず」
 前もって釘をさす。
 む、とかシャーロウが漏らす。
 やる気だったのか、この女は何を買わす気だったのか。
 シャーロウはしばらく目を閉じて考え込む。
 どうでもいいが抱え込んだ天災ドジッ娘はいい加減離せ。
「…ん、それじゃ君には酒をご馳走になろうかな?」
「え?」
 意外な申し出に思わず聞き返すメラノーマ。
 どれほどの無理難題を言われるかと身構えていたら…酒?
 とりあえず三杯目のオレンジジュースを注文しつつ確認。
「それは…酌をしろ、という事かしら?それともやたらと高級酒?」
「…ん?いやいや、そんな事はないさ…銘柄だって勝手に決めてもらって結構」
 意図が読めない…ならば何が目的、というか何を企んでいるのか。
 そう考えているとシャーロウが嘘臭いくらい爽やかな笑みを浮かべる。
「…フフ、別に何かを企んでいるわけじゃないさ、単に口移しで飲ませてくれればそれで構わないよ?」
 不意の一撃に思わずメラノーマは飲んでいたオレンジジュースを盛大に吹き出した。
 不意打ちだった。
 認めよう、確かに不意打ちだった。
 しかし、よもや自分が飲んでいたモノを噴くとは…。
 むせて咳き込みながら自分自身に憤る、くやしい…でも咳き込んじゃう!。
 けほけほとむせ返り涙目になりながらもシャーロウを睨み付けるメラノーマ。
「………やると思ってる…の?」
「…そうは言ってもねぇ…最初の約束も無し、お金がかかるモノはイヤ、キスだってしたくない…」
 一つ一つ指折りながらニヤニヤとするシャーロウ。
「…はたして、どんな罰ゲームならキミは満足するんだろうねぇ」
 くっくっと嗤う。
 メラノーマはテーブルを叩き、立ち上がる。
「そもそも!」
 怒鳴りかけて、さすがに周囲を気にして座り直す。
「……そもそも、そんな罰ゲームをやる事に同意した覚えはありません!!」
 若干小声で文句。
「でも、メラノーマさん、さっきは罰ゲームって言われた時は何するのかみたいな事を言ってたような…」
 パーラが突っ込む。
 ちちぃ!このドジッ娘め!余計な事をっ!!。
 石になれ!とかそんなプレッシャーを込めてパーラをガン睨み。
 ひぃ!とか言ってシャーロウの背後に隠れるパーラ。
「…はっはっは、パーラも…そんなに痛いトコを突いたらメラノーマが可哀相じゃあないか」
 うるさいうるさいうるさい。
 上から視点で哀れむな。
 いつの間にか名前を呼び捨てにするな。
 いい加減ドジッ娘と抱き合うのやめろ。
 あとドジッ娘も迂闊な事言ってメラノーマさんを傷つけたかも…みたいな顔するな。
「…ま、要はアレだ…悔し紛れに思わず嘘ついちゃっただけって事だよね?」
 シャーロウは幼い子供を説得する大人のように優しげに問い掛ける。
 ひくっ、と表情を凍り付かせるメラノーマ。
「…いやいやいいよ、ごめんね?負け惜しみを本気にしちゃった僕の方が大人気なかったし」
 あんまりにもみえみえで、今日びそんなんじゃ頭の悪いならず者だって引っ掛かりゃしないだろう。
 そんな感じに程度の低い挑発だった。
 だが、メラノーマは肩をビクリと震わせる。
 そして、ゆら〜り と幽鬼のように立ち上がる。
「銘柄……好きなのでいいのよね…?」
 と、あろうことか自ら酒の銘柄を調べていく。
 鬼気迫る声はまさに鬼哭(鬼だって涙目で逃げ出す的な意味で)
「マスター…この<底無し>…というのを」
「…ん?聞いた事無い銘柄だね?」
 怪訝な顔のシャーロウ。
「知らないわよそんなの、何でもいいんでしょ?」
 それはそうだ。
 …しかし、どこかで聞いた名だ…はて、あれはいつだったか…。
「ほらよ、注文の<底無し>だ」
 シャーロウの考えを遮るように ドン!と重厚な音を立ててテーブルに酒瓶が置かれる。
 どうでもいいが、その乱暴な置き方はマスターとしてどうか。
 大きさはさほどではなく、物々しい名前とは裏腹にいたってシンプルな瓶だ。
 まだ封を開けていない、シャーロウは興味深げに眺めた後、おもむろに蓋を開ける。
 すると、かなりキツい…しかし深く芳醇な香りが漂う。
「…へぇ、これは…いいねぇ当たりかな?」
 軽く口笛を鳴らすシャーロウ。
「一口で…いいのね?」
 グラスを手にシャーロウを睨むメラノーマ。
「…そうだね、グラス一杯分と言いたいトコだけど…いいよ一口で」
 無理にハードル上げて拒否られてもたまらない。
 またキレるところを見たいのも事実だが無理はするまい。
「………ちっ、何してるのよ…さっさと注ぎなさい」
 苛立たしげにメラノーマがグラスを突き出し催促する。
 死ぬほど嫌なんだから速く終わらせろと目が雄弁に語っていた。
「…はいはい、フフ…そんなに僕に口移しが待ち遠し…………おや?」
 珍しく困惑の表情を浮かべるシャーロウ。
「どうしたのかしら、こっちはこんな茶番なんて一秒でも早く終わらせたいの…焦らしてないで早く注ぎなさいよ」
 そうは言うが…注げないのだ。
 中身は入っている、封を開けたばかりの新品なのだ、確かにボトルの中で波打っている。
 なのにボトルを傾けても何も出てこないのだ。
 中を覗き込むが、トリックボトルによくある「二重構造で中は空洞」といったオチもないようだ。
 第一、持った感覚からいっても中味は入っているはずだ。
「あら、注ぐ気がないなら…罰ゲームはこれで終わりかしら?」
 ふふんとメラノーマ。
 この反応…どうやらコレがどんな物か知っていたらしい。
 …となると、さっきまでの態度もプラフ…。
 なるほど、ハメられたという事か。
 シャーロウは思わず苦笑。
「お前さんも引っ掛かったか」
 カウンターで呵々とマスターが笑う。
 このおやぢ、知ってて黙ってたか。
 苦虫を噛み潰したような顔のシャーロウ。
「そう睨むな…だが、まさかお前さんまでこいつに引っ掛かるとは思わんかったよ」
 いいモノが見れた、と愉快そうに笑うマスター。
 ああ…今、思い出した。
 コレはあの女…背徳の賢者 シャルの仕業だ。
 確かあれは何日か前に見た…マスターとシャルが話をしていた時だ。
 僅かに拾い聞きしたその会話の端に<底無し>の名前があったのだ。
 あの賢者が関わっているならば、この無駄に凝った玩具も納得できる。
 冷静に観察するとわかる。
 架空水銀を利用した重量配分によって、手に持った際の違和感を消去。
 外側や上から見ても並列多重発動した幻影符術でカバー。
 おまけにボトルの内側には化学練成系の秘薬である愁露灰が塗られており。
 底の部分には錬金系の稀少触媒の白香石まで埋め込んである。
 この二つは単独でも儀式用の高級香料として使用されるが、一定の割合で掛け合わせる事で「対神獣」クラスの酒香材に使われるんだった。
 だが、ここいら全部調達しようと思えば、魔術協会の研究チームの年間予算でも賄いきれないのではなかろうか。
 たかだかサプライズアイテムごときに採算度外視でここまでやるのは…なるほど、かの背徳の賢者以外に有り得まい。
「あらあら、酒を注ぐ気がないなら、もう罰ゲームは無し…と思っていいのね」
 今までの鬱憤をはらすかの如く嬉しそうに宣うメラノーマ。
 もう頬とか緩みっ放しだし、興奮のせいか顔全体がほんのりと桜色だ。
 更には手を口に当ててほほほとか言って微笑んでいた。
「…ふう、仕方ないね?」
 シャーロウ残念そうに静かに立ち上がる。
 そのままどっか逝ってしまえ、地獄とか。
 …そう思っていると、おもむろにシャーロウが間合いを詰める。
 反応する暇もなく一瞬でメラノーマの眼前に。
 そのままシャーロウの顔が視界いっぱいに広がり…。
 唇に何かが触れる感触。
 何が起きたかを理解する間も無く口腔内に何かが侵入。
 ソレはそのまま淫らに蠢き回りメラノーマを蹂躙する。
 …と、そこで激しく突き飛ばされ、シャーロウがメラノーマから離れる。
 口許から一筋血が垂れてるのは舌を噛み切られたからか。
 しかし、意に介する様子もなくニヤリと笑う。
「…本邦初公開、シャーロウちゅー(ガード不可)」
 くっくっと嗤いながら言い放つシャーロウ。
 対するメラノーマは、顔を真っ赤に染めている。
「……な…にを…」
 息も絶え絶えな感じなメラノーマ。
 べ、別に今ので感じてるわけじゃないんだからっ!単に驚いただけだもんっ!カン違いしないでよねっ!。
 そんな事を目で訴える。
「…クク、ウブなネンネじゃあるまいし…そぉ照れなくていいじゃないか」
 実に邪悪な顔で笑うシャーロウ。
 確かに…処女だというのであらばともかく。
 今まで幾人もの―それこそ数えるのも億劫な程の男に抱かれてきた自分ではないか。
 同性は初めてとはいえキス一つにここまで取り乱す理由もないはずだ。
 だが…だが…ソレをこの女に言われると無性に怒りが…!。
「誰が照れているのかしら……それより今のは一体何のつもり?」
 ああ、怒りって臨界点超えたら醒めていくんだなぁ…。
 ぼんやりとそんな事を考えるメラノーマ。
 さっきのような引きつった笑いではない、実にイイ笑顔を浮かべている。
「…おや?僕は酒がないみたいだから、そこだけ省いて口移しをしただけだよ?」
 それが何か?とか言うのかごとく首を傾げるシャーロウ。
 そぉいう事を言うかこの女は。
「詭弁にすらなってない気もするわね」
「…いやいや、ミルクティーを頼んだら『ミルクが切れているので紅茶でよろしいですか?』とかあるじゃないか…アレと似たノリで、さ」
「暴論にすらなってない気がするのは錯覚かしら?」
「…そうじゃないかな?疲れてるのさ、きっとね」
「それはきっとこんなところで低俗な話なんてしていたからね」
「…それはいけないねぇ、急いで休んだ方がいいんじゃないかな?添い寝してあげてもいいよ?」
「ふん、そのまま寝込んでしまいそうだわ」
「…その時は僕が優しく看病してあげるよ」
「それこそ死んだ方がマシね」
「…じゃあ喪主は僕がしてあげるよ?碑文は『サルマワシここに眠る』でいいかな?」
「意地でもアンタより先に死ぬものですか」
 限り無い勢いで不毛な会話を続けていた二人だが、突然シャーロウが立ち上がる。
「…!何かしら…!?」
「や、愛の語らいの時間は終わりって事さ…残念ながらね」
 そう言って早々に立ち去ろうとする。
 慌てて立ち上がるメラノーマ。
「ま、待ちなさい!何を勝手な……」
「…おや、別れを惜しむ乙女心はわかるけど…」
「だ…誰もそんな事言ってないわ!」
 第一欠片ほども惜しんでない…はずなのだが。
 自分でも何故引き止めたのか分からないが…。


後編3に続く…→