「こいつが今日の収穫分です。ご確認を」
ハイウェイマンズギルドが冒険者から奪った装備は、一度ギルドボ自ら目を通すのがルールである。
「ふーん、おっ!この鎌、恐らく呪われてやがるな。
 いかにも『たくさんの血を吸ってきました』って色してやがる。
 これは、いい金になるはずだ。
 おい、足下見られて、安く買い叩かれんなよ!」
「はっ!」
価値のある品物をバカな部下が無駄にしないように、こうして鑑定しているのである。
「あとは…、んぁ?この剣どっかで見たような…」
「どれでしょうか?」
「これだよ。どっかで見たような気がするんだが…」
剣を手に取り、首を傾げるギルドボ。
「おい!どんなヤツが持ってた?」
「さっきの鎌を持ってた女と一緒のパーティーにいたやたら無口な女が…」
「無口な女ねぇ…、うーん、どうも思い出せねぇ」
下っ端が、怪訝そうな顔で表情をうかがう。
「お頭、それ見るからに安物の剣ですぜ。随分古いものですし、そんな高い値が付くとは…」
「うるせぇ!こいつが安物だってことぐらい判ってらぁ!ただ、どうにも引っかかるんだよなぁ…」
怒鳴られてすごすご帰ろうとする下っ端の背中に、もう一度怒鳴りつけるギルドボ。
「おい!まだ行くな!これからその女を拷問して確かめるぞ!」
「いやぁ、それが仲間の忍びが助けに来やがりまして…」
「逃がしたってのか!全くお前らってヤツは…」
顔を真っ赤にして怒るギルドボの手から、説教が長くなることを予想したならず者の一人がその剣を抜き取ると、他の収穫と共にいそいそと商人のもとへ運んで行った。



前線にある砦の一室で、ひげ面の竜騎士が落ち着かない様子で、意味も無く歩き回っている。
「おい、どんな具合だ『一刀の大火』?」
突如、しっかりと掛けておいたはずの鍵が外され、一人の密偵が入ってきた。
「なんだ、お前か…。それと、その名前で呼ぶな!」
「その名前で呼ぶなって言われても、『兄弟』とまで言ってた剣の片方を、休暇中に無くすようじゃなぁ」
クククと絵に描いたような皮肉な笑い方をする密偵。
憮然とした顔になると、椅子に座り、ため息をつく竜騎士。
「それで、今日の報告は…」
「なぁ、そのもう一方の剣、いい加減捨てちまったらどうだ?
 相方も失ったことだし、訓練学校入りたてで買った安物の剣なんざ…」
「 ホ ウ コ ク ! 」
少し肩をすくめると、「はいはい判りましたよ」と言った顔で、密偵はやっと本題に移った。
「とりあえず、戦況報告から」
「どうせまた、こちらの不利を知らせる報告だろう」
「まあ、お察しの通りだ」
淡々と、普段通りに報告を進める密偵。
隣国の動向、自国の経済情勢、龍神の迷宮問題に関する進展など、一通りのことを伝える。
「まあ、こんなところさね」
「いい報告は一つもなしか…」
天井を見上げて、ため息を付く竜騎士。
「いや、『ドワーフの酒蔵亭』で期間限定『ロブスターワイン』が定価の二割引ってのがあったぞ」
密偵を睨みつけると、またわざとらしくため息をつく。
「帰れ」
「あっ!そうだ、まだ取って置きの情報があるんだが…」
「いいから、かえ……れ?」
下らない話にいつまでも付き合ってられんとばかりに、冷たく向けた視線の先に映ったのは、懐かしい一本の剣だった。
「へへ、わざわざ見付けて来てやったんだぜ」
「おい、お前いったい何処でそれを!?」
椅子から飛び上がるように立ち上がり、密偵の手から剣をひったくる。
「そこまで喜んでもらえるなら、俺も探して来たかいがあるって…」
「何処で見付けた!」
竜騎士は、まるで信じられないという顔つきで、その剣をじっと見つめていた。
ただならぬ様子に圧倒され、答える密偵。
「く、クルルミク城下町の、『鬼殺し』って武器屋だ」
「そうか」
ただそれだけ言うと、竜騎士はいきなり部屋を飛び出して行った。
「お、おい!何処行くんだよ!おい、ちょっと待てよアンタレス!」
慌てて追いかける密偵。
「はぁ、家族を失って落ち込んでるようだったんで、無理矢理休暇とらせたのは確かに俺だが、こんなになって帰って来るとは、ホント聞いてないぜ…」



ここは、龍神の迷宮地下5階。
一人の少女が地底湖の前で力なく座り込んでいる。
(せっかく…逃げたのに…)
ならず者達の魔の手から、一度目は助けられ、二度目は隙をついて自力で逃げ出し、なんとか今まで貞操を守ってきた。
が、その度ごとに、この地底湖が彼女の行く手を遮る。
(どう…しよう…?)
剣は奪われ、鎧も無く、服は破かれ、マントも剥ぎ取られた。
淀んだ空気、届かぬ日光、死者の腐敗臭、冷たい壁、飢餓、疲労、不安、焦燥。
皮肉な事に、この呪わしい湖のおかげで、喉の乾きだけは抑えられたが、この迷宮がそれ以上のものを与えてくれることは無かった。
正直、捕まったほうがいいような気もした、捕まれば少なくとも生きながらえることは出来る。
(でも…)
奴隷として生きることと、この迷宮で惨めに死ぬこと。
その両方を天秤にかけたとき、どちらがマシかなど、正常な思考力を欠いた今の彼女に、判断することは出来なかった。
結論が出ないまま時間だけがすぎ、ならず者達の行動時間が迫ってくる。
「ガルルルルル……」
背後からか、獣のうなり声が聞こえてきた。
(モン…スター…?)
振り向いた少女の視線を、黄土色の影が横切り、すぐさま柱の影に隠れる。
赤い目と、大きな牙、白く豊かな尻尾が見えたような気がした。
「オマエ…屍肉喰らい共の仲間か?」
獣が喋った?だが、よく聞けば人の声帯が獣の様なうなり声を上げているだけだ。
よく判らないが、『屍肉喰らい』という単語の陰鬱な響きから、ここは否定しておいたほうがいいだろうと、首を横に振る。
フンフンという鼻息の音が聞こえ、その声の正体が姿を表す。
「匂い違う。でも、ヤツラの匂いも少しする。オマエも逃げたのか?」
目の前にしてみれば、何ということは無い。
獣の皮を被った、自分とそう変わらない年頃の少女だった。
「自分、キララ。オマエは?」
「…ジキル」
「わかった。ジキル、キララ、一緒に逃げる」



「この剣を、どうやって手に入れた?」
武器屋『鬼殺し』のカウンターで、店主がアンタレスに剣先を突きつけられ、審問されている。
「そ、そんな、旦那、これだけの数の剣を扱ってるんだ、いちいち誰が売りに来たかなんて」
外では、先程の密偵が野次馬の整理である。
「はいはい!危ないよー。下がって、下がって。
 なぁ、アンタレス!何もそいつが悪いって決まったわけじゃないんだ。もう少し落ち着いて…」
「本当に、覚えてないのか!」
剣が喉元1cmのところまで迫る。
「ひぃ!そ、そうだ、それを売りに来たやつは、確か、ス、スキンヘッドのあんちゃんだったような…」
店主の顎と足は、ガタガタと震えていた。
「そうか…」
剣を鞘にしまい、あごひげを撫でて考え込むアンタレス。
「あぁ、あと…」
「何だ!」
今度は胸ぐらを掴まれる店主。
「い、いや、そいつが一緒に、真っ赤な気味の悪い大鎌も買ってくれって。
 いかにも呪われてるものだったんで、断ったんですが…」
「赤い大鎌?ああ、それなら知ってるぜ」
密偵が声を上げる。
「教会の連中が雇ってる殺し屋どもの中に、『死神神官』ってのがいて、そいつが使ってるもんだ。
 たしか今は、ワイズナー討伐の方に駆り出されてるはずなんだが、そいつが売りに出されてるとなると…」
「本当か!?」
窓から身を乗り出して、密偵に確かめるアンタレス。
「ああ、俺の情報網を舐めんな」
「店主、迷惑をかけたな。これは礼だ」
緊張が解け、へなへなとへたり込んでいる店主に金貨を一枚投げてよこすと、アンタレスは店を後にした。



「放せ!がうっ!がるるる、がぁっ!」
手枷を填められ、天井から吊るされているキララ。
必死に威嚇の声を上げているが、それを取り囲むならず者たちはニタニタ笑いながら眺めている。
「ほんと、可愛い子犬ちゃんだぜ。ほら、楽しい調教の時間でちゅよー」
男が近づくと、それに噛み付こうとするが、ぶら下げられた状態では到底届かない。
「おおっと、あぶねぇ!前からは危険だなぁ。おい、後ろのお前!たっぷりかわいがってやれ」
「へへ、了解…悪い子には、イタいイタいお仕置きをさせてあげまちょうねー」
醜悪な男性器が、キララの秘裂にゆっくりと挿し込まれる。
「がぅっ、がぅぅぅっっ!っく、ぅあぅぅぅぅぅぅ…っ!!」

「まったく、あんな凶暴そうなやつのどこがいいんだか…」
ジキルを壁際まで追いつめたならず者たちの一人が、ボソリとつぶやいた。
「それに比べてこっちのお嬢ちゃんは、おとなしいもんよ。
 ま、少しぐらい悲鳴でも上げてもらった方が、俺たちも興奮するんだが、下手に暴れられるよりはマシだな」
ジキルは、少しでも胸と秘部を隠す様に腕で抑えながら、ガタガタと震えている。
「ん?この首輪、よく見たらなかなか良い皮で出来て…イデッ!」
首輪に伸びて来た手に、思いっきり噛み付く。
これだけは、これだけは、取られたくなかった。
「チィー!なんだよ、この女もまだ抵抗しやがるじゃねえか。
 このっ!アマッ!いい加減!観念しやがれ!」
腹部を何度も蹴られる。
「かふっ…!けほっ…けほっ…」
「おいおい、そんなもんにしとけよ。せっかくの白い肌なんだ、青アザなんて作っちゃあ勿体ねぇ。
 それに、時間ならまだたっぷりあるんだ。きっちり調教して、堕としちまえば、フェラでもなんでもしてくれるさ」



アンタレスは、クルルミク城内を早足で歩いている。
「おっ、アンタレス!こないだ送った、『スーパー竜鞍シリーズ・痔プリベンター参式改〜この春あなたに送る、桃のような綺麗なお尻〜』の使い心地は…」
素っ頓狂な声を掛けてきたフランツという竜騎士上がりのハーフエルフ貴族の首を掴むと、壁に貼付けにするように押さえ込むアンタレス。
真っ直ぐ射殺すような視線。完全に目が据わっている。
「あんたを探していた」
戦場ですら中々お目に掛かれない『本気な』と書いて『マジな』と読む目つきである。
「そ、そうかい、あんたのこういう乱暴なところは大好きだが、そのむさ苦しいひげ面だけはどうも…」
手に更に力がこもる。
「無駄話はいい。竜騎士の迷宮に挑戦している冒険者のリストを見せろ」
意識が飛びかけたところで手を離され、荒い呼吸をするフランツ。
「ハァ…ハァ…、それは…構わないが…、大量…過ぎて…とても一人じゃ…」
「ある女の子の分だけでいい」
「へ…へぇ…、あんたにも…そう言う趣味が…」
フランツは最後まで言う前に、壁にめり込んでいた。
「ジキルという冒険者を探している」
「あ、ああ、ジキルね…。捕縛されたり、救出されたり、最近まで一番危ない線にいた冒険者の一人だから、よく覚えてるよ」
壁の粉にまみれて真っ白になった服をはたきながら、フランツが言う。
「だが、昨日ついに捕まって、即日調教完了。売り飛ばされたみたいだね」
「なんだと!」
フランツは表情を変えることもなく、涼しげである。
その二枚目なところがまた、冷たい雰囲気を醸し出していた。
「はっきり言ってね、こうも捕縛者が出る現状ではいちいち感傷的にもなってられないんだよ」
「ルートを言え!」
もの凄い剣幕で迫る。
「は?」
「販売ルートを言えと言っている!」
「なんだ買いたいのなら最初からそう………、すまない言い過ぎた」
アンタレスの怒りの表情の頬を、一本の光の筋が落ちて行くのを見て、フランツは自分の態度を詫びた。
「私自身は詳しいことは知らん。だが、他の貴族連中には、詳しい連中がいるはずだ。
 それも、詳し過ぎる程にな」
フランツの話を、苦虫を噛み潰したような表情で聞くアンタレス。
視線を合わせないのは、泣いてる姿を見せるのが嫌だからであろう。
「今ならまだ、間に合うはずだよ。…急いだほうがいい」



「ほれ、これが今日の分だ」
「へっへっへ、毎度毎度ご苦労さん」
今日も奴隷商人の元へ、新しい商品が送られてくる。
「競りは明日だ。ギルドボさんも見に来るのかい?」
「さあな?ウチのボスは、ギルドにいない間何やってるのか全くわからねぇってんで、有名なんだ」
「そうかい、残念だよ。さぞかし儲かってるんだろうにねぇ」
そして、付け加えるように言う。
「まあ、あんたら下っ端の給金じゃあ、性奴隷なんて値の張るもの買えやしないだろうが、見るだけはタダだ。
 ギャラリーが少しぐらいいた方が、盛り上がって値段もつり上がるから、暇だったら来ておくれよ」
世間話もそこそこに、届いた女達の品定めを始める商人。
檻にランプを近づける。
「ふーん、こちらさん、獣人の血が入ってるのかい?」
「いいや違う。情報によると獣人に育てられた、普通の人間らしい」
配達係は、タバコに火を付けながら答えた。
「ほう…それはそれは。
 野生児が好みなくせして、いざ獣人を買ってみると、匂いが気になるだの言う輩が多いから、これはいいかもねぇ」
そして、次の檻に移る。
「これは、大人しそうなお嬢さんだこと」
「ああ、ジキルって言うらしい」
男は、タバコの煙で綺麗な円を作ろうとしているようだが、うまくいかないようだ。
「この首輪は、お前さん方が付けたのかい?」
「いいや、そういうわけじゃないんだが、外そうとすると噛み付くんでね」
「おや、悪い子だねぇ。でも、首輪が付いてたところで嫌がる連中なんていないだろうから、大丈夫さね。
 さて、今日の代金の方は、と…」
檻から顔を上げると、所持金を確かめるように、商人は懐から取り出した金貨袋を覗き込んだ。



奴隷競売会場の地下室のボルテージは、ピークを過ぎやや落ち着いたものになっていた。
「さて、次が本日最後の商品でございます。
 ハイウェイマンズギルドの、『墜ちたる冒険者』シリーズがお好きな方は、ぜひご注目下さい。
 雪の様に白い肌に、透き通るような金の髪、何もかも見透かすような瞳と、スレンダーな無駄の無い体。
 スラム街が生み出したとは到底思えない、精巧なガラス細工のような一品。
 さあ、ご紹介しましょう!ジキル嬢の登場です!」
ステージの幕が上がり、彼女の姿が見えた瞬間、貴族たちが陣取っている特等席のあたりあたりから、場の雰囲気に到底似つかわしくない言葉が飛んだ。

「オレンジ!」

一斉にざわつく場内。
「な…、オレンジだって!」
「ちっ!なんてこった」
「面白くねぇ」
「最後の最後でケチがついちまったぜ」
皆が一斉に帰りだす。
オークションを取り仕切っていた司会者も、慌てた様子でジキルを袖に戻す。
ざわつく中、空気の読めないヤツが何か値段を言っていたようだが、司会がそれを取り合う様子もない。
結局そんな連中も、仲間に取り押さえられて、競売場からは、人っ子一人いなくなった。
何が何だか判らぬまま、ジキルはそのまま牢に返され、結局誰にも買われずにすんだ。



その夜、混乱して眠れずにいたジキルの前に、一人の男が現れた。
「…?」
見覚えのある、ひげ面の男。
「…セラ…トナさん!?」
端からみてもそれと判る、嬉しそうな表情。
ジキルの最上級の感情表現だった。
「すまないねぇ、ジキルちゃん。こんどは、助けに来るのが遅れちゃって…」
申し訳なさそうな顔で、セラトナが言った。
「あっ…!」
急に何かを思い出したのか、暗い顔になるジキル。
「どうしたの?」
「…剣、…盗られ…」
「大丈夫よ、俺が見付けて来たから」
どこからか、アンタレスお付きの密偵もやって来ていた。
「それにしても、セラトナだって?くっくっく…下手な偽名もあったもんだ」
「…誰?」
セラトナの顔を見て、首を傾げるジキル。
「ん、ああこいつは…」
「俺は『二刀の大火』の三本目の刀こと…」
「…二刀!?」
ジキルは、驚いたのか少しだけ目を見開く。
密偵に冷たい一瞥をなげかけると、すぐに暖かい目に戻ってセラトナが答えた。
「ゴメンね、おじさん嘘ついてたんだ」
「じゃあ……、偉い人?」
「いんや、『元』偉い人。今回の件で貴族から追い立てられ、竜騎士資格剥奪されちゃったからこの人。
 おかげさまで、こっちまで職失っちまったよ」
手をひらひらさせ、金がないことをアピールしながら、密偵が勝手に笑いながら答えた。
「ところでジキルちゃん、そのベルトに書いてある名前で気付かなかったの?」
セラトナは、ジキルの首輪を指差して不思議そうに聞いた。
「…?」
そう、彼としては、このベルトを置いていくことで、自らの正体を明かしたつもりだったのだ。
これには、自分が竜騎士団に所属していることが、はっきり書かれている。
どうか、戦争が終わり、自分が自由に動けるようになるまで待ってて下さい、というメッセージが、そのベルトには託されていた。
「…読めない…」
「え?」
密偵があきれて口を挟む。
「ちょっと大将、スラムの人間の識字率が何%かご存知で?」
「そ、そうか…、じゃあもしかして、ジキルちゃんのお母さん、また男に騙されたなんて思ってたり…」
コクンと頷くジキル。
セラトナは、昔と少しも変わらず「まいったなぁ」という顔で苦笑した。



竜一匹に三人が乗り、クルルミク城下町を離れて行く。
「…いいの?」
振り落とされないように、セラトナの背中にしがみつきながら、ジキルは尋ねた。
「竜騎士じゃないのに竜使ってること?一匹の竜に三人も乗ってること?」
ビュービューという風の音に負けないように、声を張り上げるセラトナ。
「…両方」
ジキルの小さい声は、直接は聞こえなかったが、唇の動きで何を言っているか判った。
「もう、随分ルール違反してるんだから、毒食わば皿までってね」
セラトナがいたずらっぽくウィンクすると、ジキルは少し考えてから、やっぱり嬉しそうに頷いた。



Fin



「すまねぇ、今日は一人も堕とせなかったんだ…」
またギルドの下っ端が、奴隷商人のもとに来ていた。
商人は、ゆったりとした椅子に掛け、葉巻の煙をくゆらせている。
「まあ、しかたないさ。そういう時もある」
下っ端は、尋ねようか尋ねまいか迷っているようだったが、疑問を抑えきれずに質問した。
「なあ、俺、昨日見に行ったんだが、あの騒ぎは何だったんだ?」
商人は口惜しそうにいった。
「ああ、『オレンジ』かい?」
「そう、『オレンジ』」
商人は二本目の葉巻を取り出すと、端をカットしながらいった。
「ウチの商売は、顧客の安全管理にも、細心の注意を払ってる。
 やばい連中が追っかけてる女を、皆が買わないようにってんで、王国の貴族連中が情報を流してくれてるんだ」
「それで?」
その様子にワンテンポ遅れて気付いた下っ端は、慌ててマッチの火をつけると、葉巻に近づける。
「だが時々、即日墜ちで、すぐオークションだと、情報が間に合わないことがあるんだ。
 そんな時、やつらが『オレンジ』っていって、その場で知らせてくれるのさ。
 もっとも、昨日は状況が違ったみたいで、脅されたとかなんとか言ってたが…」
葉巻を回してまんべんなく火をつけると、商人はまた椅子に深く掛け直して、煙の香りを楽しみ始めた。
「…なんで『オレンジ』なんだ?」
「さあね、なんでも『全力で見逃せ』って意味らしいが、詳しいことはなんとも」
眉間に皺を寄せ、難しい顔でしばらく考え込んでいた下っ端だったが、結局よく理解できなかった。
「よく判んねえが、勉強になったよ。今度ボスに怒られたとき、『オレンジ』って言ってみるわ」
「おう、頑張れよ!これは選別だ」
商人は立ち上がって、下っ端の胸ポケットに葉巻を一本突っ込むと、彼の肩を軽くポンポンと二回叩いてから、寝室に入っていった。