『SOLD OUT』
 たった一枚の紙切れの、ただ一句が、一つの現実を突きつける。
「嘘……嘘……」
 探索役を請け負っていたが故に、運悪くハイウェイマンズギルドの広報誌を真っ先に見つけてしまったウィルカが膝からくずおれる。
「嘘だよ……こんなの嘘だよ!」
 取り乱すウィルカの横で、半エルフの魔法剣士――ムーンストナが壁に拳を打ち付ける。
「ギルドの奴らめ……」
 その肩が震えているのは怒りのせいか、それとも過去に自分も陵辱された恐怖のせいか。
「これが……犠牲の上に、立つと言うことなのか……?」
 少し離れたところに立ち尽くすフランム。俯いているために表情は伺えないが、拳は蒼白になるほどに強く握られている。
 張り紙に描かれた少女を助けるために雇われたはずの傭兵は打ちひしがれる彼女らに声をかけることも出来ず、ただ時間だけが過ぎていく。

 その日、『黒騎士』アリスがハイウェイマンズギルドの性奴として売り払われてしまった事が、様々な形で冒険者達に伝えられていった。



 『ドワ―フの酒蔵亭』。少し前までは騒がしいほどの活気に満ちていた冒険者の店は、その日は見る影も無かった。
 カチャカチャと食器の触れ合う音だけが、静まり返った店内に響く。
 たまに窓際で何かの記録を付けている少女――パーラの「わわっ」とか「きゃあっ」とか、そんな小さな声が聞こえるだけで、会話らしい会話もない。
 店内に人が居ないわけではない。一時帰還してきた者が、ある者は体を休め、ある者は散り散りになってしまった仲間の代わりを集う意思を見せている。
 しかし、ここ数日竜神の迷宮で連続して起きた出来事は、彼女達に様々な変化を与えていた。
「……ごちそう様」
「ちょっと、またそんなに残して!」
 朝食を半分以上も残したままウィルカが匙を置き、ムーンストナがそれを咎める。冒険者としての経験が長い分、半エルフの少女はまだ気丈を保つことが出来ていた。
「食欲、無いから……」
「無くても! ちゃんと食べないと体を壊……さないのかもしれないけど、それでもちゃんと食べないと」
 不老不死であるウィルカは、少し食事の量が減ったところで大事にならないことを身をもって知っている。しかし、咎める理由は健康の問題だけではない。
「今日も、夢、見て……。たくさんの男の人に囲まれて、誰か助けを呼んでいて……でも、私はそこに居なくて」
 それは実際には見ていない光景。しかし、強い念は現実以上にリアルな夢を見せることが多々ある。
「私があの時、戻るなんて言わなかったら……」
「ウィルカ、そなたが――」
 今まで黙って様子を見ていた、フランムが耐えかねて何か言おうとする。が、
「ばっかみたい」
 遠くの卓からぼそりと聞こえてきた、決して大きくは無い声に遮られる。
「いい子ちゃんぶって、後悔して見せて。本当は何を考えているんだか知らないけど」
 声の主は、銀髪のやや拗ねた表情の少女――フェリル。
 以前は共に卓を囲むこともあった仲だが、迷宮での出来事が彼女を変えていた。
「違う……」
 掠れるような声で、言い返すウィルカ。
 傍らでムーンストナが、コップの水面が揺れている事にふと気が付く。
「違わないじゃない。自分達だけ逃げ帰って――」
「違うよ!」
 ガタンッ。
 ガシャァン。
「きゃあぁっ!?」
 大きく椅子を引く音、何か陶器が割れる音、誰かの悲鳴が重なる。
 陶器の音は窓際に置いてあった植木鉢が砕けたものらしい。代りに、冗談のように根が肥大した観葉植物がそこに横たわっている。
 悲鳴は窓際にいたパーラのもの。鉢が割れたことに驚いたらしく、一人でどたばたしている。
 そして椅子を引いた音はウィルカが勢い良く立ち上がった事によるもの。
「逃げ帰ったんじゃないよ! 私は、安全を考えて――」
「本気で間に合うと思ったわけ? 自分が捕まりたくなかっただけじゃないの?」
「それは――」
 ガタガタガタと店全体が小さく振動を始める。
「それは何よ。言いたいことがあるならはっきり言えばいいじゃない」
 揺れが大きくなる。
「ちょっと、ウィルカ!」
 自然ならざる地震の原因が、ウィルカの力の箍が外れていることだと気が付いたフランムとムーンストナが止めに入ろうとする。
 カウンターの奥ではマスターが食器が割れないように右往左往し、パーラは叫びながら机の下に避難を完了する。
「自分達だけで助かって、落ち込んで見せれば同情してもらえるとでも思ってるの?」
「違うよ! 私、そんなことなんて考えていない!」
「ふん。助けてもらいたかった人を助けにいけなかったくせに」
「―――!」
 揺れが一段と酷くなる。何かに捕まっていなければ、立つこともままならない。
「落ち着きなって、店を壊すつもり!?」
 ムーンストナが声を張り上げるが揺れは収まらない。
「私は――」
 ウィルカ自身、落ち着かなければいけないことは分かっている。だが、普段なら簡単であるはずのことが今は出来ない。
 力はさらに膨れ上がり――
「愚か者が!」
 フランムの右手が振り払われ、パンと乾いた音が鳴る。
 途端、揺れは止み、ウィルカは頬を押えながら糸の切れた人形のようにへたり込む。
「フェリルも、いたずらに刺激するような発言は止めてもらいたい」
「……ふんっ」
 剣幕に圧されたかそれとも別の理由か、フェリルは踵を返すとさっさと宿の二階へと上がっていく。
 店内ではマスターが割れてしまった食器にため息をつき、パーラがおっかなビックリ机の下から這い出してくる。
「……強く、打ちすぎたか?」
 右手を擦りながら、動かないウィルカに声をかけるフランム。ウィルカはそれに言葉は返さず、だだっ子のように首を振る。
「先ほどは言い損ねてしまったがな。ウィルカよ、そなたの判断が間違っていたなどと考え込まぬ方が良い。私とムーンストナは救出を主張したがな、あの人数だ返り討ちにあっていたかも知れぬ。私たち二人を救ったのだと、そうは考えられぬか」
「……」
 ウィルカがただ黙って首を見て、フランムは嘆息し席に戻る。
 店内を、気まずい沈黙が支配する。
「ウェーイ、ただいま帰ってきたですよー」
 その重い空気を盛大に破壊しながら、大柄なエルフ――フリーデリケの率いるパーティーが店にやってくる。
「オヨヨィ? 何だか空気が重いですよ。何かあったのですか」
 フリーデリケの耳には、ここ数日の出来事はまだ入ってきていないらしい。
「……少し、外の空気に当たってくるよ」
 そういい残し、ウィルカはフリーデリケの脇を抜けとぼとぼ外出する。
「ウェー? 何があったのかさっさと説明するですよ、ペ」
「分かった。分かったからばーさんはちょっとこっちに来なさい」
「さっさとするですよー。0.5秒で」
 ウィルカを見送りながら何度目かの嘆息をするムーンストナとフランムの近くを騒がしく通り過ぎながら店の奥へ行くフリーデリケ。
 彼女のおかげで、重たい空気だけはいくらか和らいで来ているように感じる。
「分からなくもないんだけどね」
 ムーンストナが独り言のように、ぼそりと話し出す。
「私達みたいなのは、生きている時間の割に親しい人が少ない事が多いんだ。疎ましがられるって事もあるけど、それ以上に自分で壁を作ってしまってね」
 私達――つまり、普通の人間とは違う存在。
 半エルフのムーンストナと、神の力で不老不死になってしまったウィルカとでは元々の境遇は異なる。しかし、差別や偏見を受けて生きていたと言う点は一致しているであろう。
「あの子、人懐こそうな見た目の割に自分から壁を越えていくのは苦手そうだし」
「そういうものか。お主は辛くはないのか?」
「私はこういうことも始めてじゃないしね。嫌な言い方だけど、慣れてる。そういうアンタこそどうなのよ」
「わたしか?」
 表情を悟られぬよう、顔を伏せ気味にしながらフランムは言葉を続ける。
「辛くないはずがなかろう。だが、わたしにはまだ成さねばならぬことがある」
「ふーん。アンタ、冒険者に向いてるよ」
「……そうでもない」
と、自重気味に呟きながら立ち上がる。
「わたしも外の空気を吸ってくる。昼までには戻ってくるつもりだ」
 そう言い残してフランムも店から出て行く。
 後に一人残されたムーンストナはちらっと店の奥の巨大エルフに目を向ける。
「な、なんだってーー!! コンナトコロデ、コドモタチニイワナイ!(エルフ訛)」
 どうやらここ数日の事情を聞かされたらしく急にドタバタし始める様子を眺めながら、ムーンストナは一人呟いた。
「私みたいには、なって欲しくないんだけどね」



「タンちゃんは残念だったけど、とにかく他に一緒に言ってくれる人を探さなくちゃ」
「そうだな、良さそうな者は――」
 ウィルカとフランム、始めは二人でパーティーを組み始めていた。
 仲の良かった半獣人の賢者は術師が固まることを危惧して同行を断り、他に誰か居ないかと店を見渡した時、
「見ぃつけたーっ!」
と、突然声を掛けられた。
「ひゃあっ!?」
 驚き振り返ると、そこには黒衣に身を包んだ少女が嬉々として立っていた。身形からして迷宮から帰ってきて間もないのだろう。
「あんた達魔法使うんでしょ? で、見たところまだ誰とも組んでいないみたいだけど」
「そ、そうだが――」
「なら決定! あんた達アタシのパーティーに入りなさいよ。あ、当然リーダーはアタシだけどね」
 こちらが面食らっているうちにどんどんと一人で話を進めていく黒衣の少女。
「……(どうしよう?)」
「……(わたしは別に構わぬが)」
「じゃ、じゃあ一緒に……あれ?」
 視線でやり取りし、返事を返そうと振り返るともうそこには少女の姿はない。
「おーい、そこのエルフ? それともハーフエルフ? あんたが4人目ね」
 どうやら、返事も待たずに残り一人の勧誘に向かっていったらしい。一人の魔法剣士と一方的に話をつけているところだった。
「忙しない奴だな」
「そ、そうだね……」

 ――これが最初の出会いだっけ。



「へぇ、あんたがあの噂の。神様の力を持ってるなんて、本当なの?」
「え、ええ……まあ……」
 軽い自己紹介の後、アリスが真っ先に返した言葉がそれだった。
「ふーん。そうは見えないけど……」
「……」
 自分を観察する視線が何だか居心地悪く、ウィルカがちょっと目を逸らした、その直後、
「えい!」
 ペシン。
「あぅっ!?」
 電光石火のデコピンが飛んできた。不老不死だって痛いものは痛い。
「うぅ〜〜〜。いきなり、何を――」
 標的にされたウィルカはおでこを押え涙目になりながら、抗議をしようと恨めしげな視線を向け、
「どうだ! 神様なんかよりアタシの方が強い」
「……」
そして唖然とした。
 今まで怖がられることや物珍しがられることはあっても、こんな反応をされたことは一度もない。
「……ぷっ」
 目の前の自信満々の姿に、ウィルカはなぜか笑いがこみ上げてきた。
「あは、あはははっ」
「わ、笑うなー」
 笑われることはアリスにとっても予想外だったのか、少し慌てだす。
 しかし、笑いは当分止まらなかった。

 ――私とは全然違った。



「ねえ、アリスちゃん」
「……」
「……?」
「ムーンストナ、ちょっといい?」
 アリスはウィルカの呼びかけには答えず、なぜか横のハーフエルフの方に声を掛ける。
「なによ、アリス」
「フランムも」
「なんだというのだ、アリス」
「で、ウィルカ」
そして順に、名前を呼んでいく。
「なあに、アリスちゃん」
「……」
 沈黙の後。
「何か落ち着かないのよねーっ、そのちゃん付け!」
「え、え、そうかな?」
「呼び方一つで……くだらん」
 フランムは早々に興味を失い、一歩下がった態度を取った。
「へぇー? そうなんだアリスちゃん」
「そこ、ワザワザ言わない!」
 一方、ムーンストナはにやにやと笑い、ここぞとばかりにアリスをからかいだした。
「とーにーかーくー。アタシの事は呼び捨てで。そっちの方が慣れてるし」
 ビシッと指を突きつけ、そう忠告するアリス。
「は、はい。えーっと……アリス……ちゃん?」
 そしてその格好のまま肩をこけさせるアリス。
「だって、呼び捨てなんて今までした事ないし、急には無理だよー」
「分かった、分かった。段々でいいから」
「う、うん。それでね、さっきの――」
「話なんだけどねー。アリスちゃん」
「あんたはちゃんと呼び捨てで!」
「全く、くだらん事にこだわる」
 茶化すムーンストナに、突っ込むアリス。フランムも引いた態度とはいえ、口元が笑っていた。

 ――楽しかったな。



「うーん。アタシにはボロい紙切れにしか見えないけど。ムーンストナ、分からない?」
「どれ? あー、地図っぽく見えるけど……」
「何か拾ったの?」
 前を行く二人が額を寄せ集めているところを、ウィルカがひょいと覗き込んだ。
「あ。これなら、わかるよ。迷宮の地図じゃないかな。ここがこうで……」
 紙に書かれた複雑な線を読み解いていく。ウィルカの言う通り、確かにそれは迷宮の地図だった。
「やるじゃない、ウィルカ」
「えへへ……」
 感心するアリスに、誉められて少し喜ぶウィルカ。
「そっか、長生きしてる分色々知ってるわけね」
「……」
 同じく人よりは長く生きているはずのムーンストナが少し渋い顔をした。
「じゃあ、これからこういうのはあんたに任せるわ。お宝と罠と、要するに探索役ね」
「うん、分かっ……って、今さらっと罠って言ったよね!?」
「色々知ってるんでしょ?」
「罠までは知らないよー!」
 だがウィルカの抗議は、アリスには笑って流された。
「大丈夫大丈夫。アタシが大丈夫って言うんだから大丈夫だって。ほらあそこ、早速頼むわよ」
と、ウィルカが身に付けている地を摺るほどに長いマフラーを素早く手繰り寄せ、怪しそうな場所まで引きずりだした。
「ちょっ、引っ張るのは……首っ、絞まっ……」
 ちなみに、不老不死でも息が出来ないと苦しい。
「あー、やっぱりあれって……」
「引っ張りたくなるのだな……」
 そんなドタバタを見ながら、ムーンストナとフランムがぼそりと呟いた。

 ――戻りたい。



「そろそろ、一度戻った方がいいと思うんだけど」
「そう?」
 地下4階へと続く階段の前、ウィルカが帰還を提案するがアリスは渋い表情をしていた。
「さっき締め上げたならず者の話じゃ、もう6階にいる人もいるって言うじゃない。出遅れるのって好きじゃないのよね」
「でもそれは、罠で……」
「まあまあ」
 言い争いに発展する前に、ムーンストナが忠誠に割って入った。
「フランム、保存食はあとどれくらい残ってたんだっけ?」
「うむ。およそ3日程だな」
「じゃあ、あと1階進んだら戻ろう。アリスだって飢え死には馬鹿らしいでしょ」
「うーん。じゃあ、あと1階だけなら……」
「仕方ないわねー。それで手を打つわ」
 二人とも渋々ながら納得をし、探索を再会する事にした。
「心配しなくたって、アタシが大丈夫って言ってるんだから大丈夫よ。さあ、行くわよー!」
と、素早くマフラーを手繰り寄せ、
「え、待っ……だから、引っ張るのは……あ、え? きゃあああーーーーーーー!?」
 ガン! ゴン! ガン! メキッ! グシャ!
「下り階段は……」
「危険だな……」

 ――この時、もっと強く主張しておけばよかった。



「あーヤダヤダ。力馬鹿が頭数揃えたって、このアタシに勝てるわけないのに」
「無駄口は消耗を早めるよ」
 アリスとムーンストナ、二人が向かい合っていたのは大勢のならず者達。ざっと300人近いだろうか、よく一つの部屋に入っていたと感心できるほどの量だ。
 すでに十数人程切り捨ててはいたもののまるで焼け石に水。
 そしてまた、ならず者達が突撃をしてきた。
「このっ」
「くっ」
 何人かが人数の利を生かし、包囲してしまおうと回り込んできた。
「危ない!」
「『煉獄の火をここに。全てを燃やし尽くせ』!」
 しかし彼らは、床材ごと巻上げられた土砂に流され、業火に焼かれて倒された。
「サンキュー!」
 ムーンストナが、礼を言いながら小規模な魔法で目の前のならず者をまとめて倒した。
「ひゅっ―――」
 アリスは礼の言葉こそなかったが、ならず者を切り倒しながら背中越しに親指を立てて応えた。
 今の攻防で倒れたならず者は約20人。
 また、倍以上の数でならず者が突撃をしてきた。

 ――もっと、力があったら。



「『猛々しき竜の息吹よ、有象無象を焼き払え』!」
 広範囲に灼熱の炎を撒き、フランムがならず者の包囲を突破する。
「くっ、なんという数だ」
 振り返るフランムの横を木の根が鞭のように鋭く走り、
「―――ぷはぁっ」
強化された根で自分自身を巻上げて、強引にウィルカが包囲から抜けてきた。
「みんなは! 大丈夫!?」
 仲間の安否を気遣いながら、ならず者数人の足元を陥没させ動きを止めた。
 その向こうを、数人の男に追われながらムーンストナが走ってきた。
「アリスがまだ!」
 振り向き様に魔法を放ち、追ってきた男を葬った。
「厳しいね。あいつは魔法が使えない」
 確かに、パーティーの中で唯一アリスだけが魔法を使えなかった。
 それは中距離から遠距離に掛けての有効な攻撃手段に欠ける事を指す。
 通常の戦闘であれば絶対の自信を持った剣技のみで渡り合えない事もないが、牽制の手段を持たない事は撤退戦において致命的であった。
「全く、虫みたいに湧いてくるわね!」
 ムーンストナが駆けてきた場所よりももう少し奥、通路が狭まっているところでアリスはならず者を撃退していた。
 ここであればいくら人数の利があっても一度に向かってこれる数は限られていた。それは逆に、この場所を維持して戦わなければ多くの敵を相手にしなければならなくなるということでもあった。
「アリスちゃ―――きゃっ!?」
 援護に駆けつけようとするが、投げ出されてきたならず者の遺体に躓き歩みが止まる。
「大丈夫よ! こんな奴らすぐに片付けちゃうって」
「お主一人では!」
「アタシが大丈夫って言うんだから大丈夫! だからちゃんと迎えに来てよね!」
 アリスがカタナを構えなおし、ぐっと足に力を込めた。
「馬鹿、よせっ」
「それじゃ、ま、軽く大怪我して帰ってもらいましょうか!」
 そう叫ぶと、単身ならず者の群れに突撃を始めた。
 勢いに圧されたならず者達がわずかに撤退するが、すぐにまた通路に溢れ返り、黒騎士の姿は見えなくなった。
「ホンッッット、数ばっかり! 卑怯よ、コノっ!!」

 ――それが、最後に聞いた言葉だった。



「どうして、すぐに助けに行かなかったんだろう」
 町外れの端の欄干に寄りかかり、ウィルカは自問する。
「フェリルちゃんの言う通りなのかな。私は、自分が……」
 フランムは自分を気遣ってくれたが、それでも後悔は消えない。
 何度も同じ問いを繰り替えし、何度も同じ後悔をし、後悔しか出来ない自分が何度でも嫌になってくる。
「私は、どうしたら……」
 揺れる水面に跳ね返る夕日に目を細め、また同じ考えを繰り返し――
「オゥ林田!(エルフ訛)」
 ドンッ。
「きゃあぁあぁっ!?」
 突然の大声と背中の衝撃で、一瞬川に落ちてしまうかと思い慌てて手すりにしがみつく。
「ふ、フリーデリケさん……?」
 声の主は良く見知った、巨大なエルフだった。
「いやー、探したんですよー。フランムちゃんにも手を焼いたですし、おかげでこんな時間になっちゃたさー」
 気さくに話し掛けながら、フリーデリケ自信も欄干に寄りかかる。
 ミシミシと少し嫌な音がしたが、さすがにこの程度では壊れないらしい。
「ウィルカちゃん、まるで捨て犬のような顔でしたよ」
「そう……ですか?」
「そうそう、ソウタ。そのままじゃ誰かに拾われちゃいますよー。残念なことに私の家はペット禁止なのだけどね」
 言いながら、フリーデリケはウィルカの顔を覗き込む。
「うーん、悩んでいる顔ですねー。悲しかったり、責任感じてたりで、何したらいいのか分からないって感じの顔をしてマスヨ」
「うん……」
「でっもー。それは本当は違うって、おバアちゃんは考えているのです」
「え……」
「誰かに背中を押してもらうのを待ってるだけなんですよ、きっと。でもおバアちゃんが押しちゃったら、捨て犬のままになっちゃいますから。ウィルカちゃんはもっとこうですねー、ガンガンいこうぜー、みたいな」
「そうなの、かな……」
「まあ、そんな簡単なことじゃないから憧れちゃうんですよねー。さーて、次はフェリルちゃんの番ですよー」
 そこまで言ってから、フリーデリケはうーんと伸びをしながら欄干から身を起こし、
「って、あー!! 宿屋じゃないですかー!? やっちまったぜ、最初に話しておけばよかったじゃねえかー!」
大騒ぎしながら信じられない速度で走り去っていく。
「……」
 フリーデリケの言葉を反芻する。
 背中を押してもらいたい。それは確かにそうだろう。
 じゃあ、何をしたらいいのかは分かっている? それは――
「そうなの、かな。分かんないよ」
 また気持ちが沈みかける。本当は分かっている。でも、自信がない。

 ――ぐすぐすしてると、置いてっちゃうわよ。

 声が聞こえた気がした。
 はっと、振り返る。しかし、声の主がそこにいるわけはない。分かっている。
「おーい、おいてっちゃうぞー!」
「あーん、お兄ちゃん、まってよー」
 代りに、幼い兄妹がウィルカの脇を駆け抜けていく。どんどんと先を走っていく兄に、必死についていく妹。
「聞き違い、かあ……。ダメだな、私」
 なんとなく、その兄妹を視線で追いかける。二人はどんどんと遠ざかっていき、
「まって、って、キャー!」
妹の方が足を縺れさせて転んだ。どこか擦りむいたのか、倒れたまま立ち上がろうとせずに泣き始める。
「ヒック、ヒック……ぐす。お兄ちゃん、まってよー」
「まったく、お前なー」
 流石に妹が心配になったか、兄が引き返してくる。
 立ち上がらせて貰おうというのか、妹が兄へ手を伸ばすが兄はその手を掴まない。
「お前なー、ひとりで立てなかったら、オレがいなくなったらどうするんだよ」
「お兄ちゃん、いなくなるの? やだよー、うわーん」
「た、たとえばの話だって!」
「グス、グス。じゃあ、お兄ちゃんさがす」
「すっげー遠くに行っちゃうかもしれないんだぞ」
「それでも、さがすもん」
「こわいお化けにつかまってるかも」
「じゃあ、お化けをやっつける!」
「泣いてたらお化けに勝てないぞ」
「な、ないてなんかないもん!」
 ごしごしと、涙を拭い出す。
「お化け倒すんだったら、ひとりで立てるよなー?」
「立つもん!」
 危なげなく立ち上がる。妹のその様子を見て、兄はしてやったりと言った感じで笑う。
「じゃあ、いくぞ。ぐずぐずするなよー!」
「あーん、まってってばー」
 そうして、また走っていく二人。
 ウィルカはその二人の背中を、憑き物が落ちたような顔で見送っていた。



「ウキャー! ヒドォオヂョクテルトヴットバスゾー!(エルフ訛)」
 宿に戻ったウィルカを出迎えたのは、そんな奇声だった。
「あ、荒れてるね……」
「まあ、ねー」
 思わずたじろぐウィルカをムーンストナが見つけ、ちょいちょいと手招きする。
「アンタ遅かったわね。まあ予想通りだけど。で、大丈夫なの?」
「う、うん……。なんとか、朝よりは」
 ムーンストナの卓にはフランムと、もう一人フリーデリケパーティーに所属する盗賊――ラフィニアが居た。
「早速なんだけど、これ。二人にはもう見てもらったんだけど」
 そう言って、ラフィニアが卓の上に置かれた物を指す。
「これって……」
「やっぱり、そうだよね。ギルドの人達が落してったんだけど、見覚えがあったから」
 そこにあったのは、アリスの得物であったはずのカタナ。
 珍しいものなので見間違える事はないが、その刀身はかつて見たときのような微妙な反りではなく、中ほどで酷く折れ曲がっている。
「多分、力任せに振り回して使い物にならなくしたんでしょうね」
 呆れたようにムーンストナが呟く。
「これあたし達には必要のないものだし、どうするかは任せるよ。じゃあね」
 そういうとラフィニアは奥で暴れているフリーデリケの方に向かう。無駄ではあるだろうが、止めに入るつもりらしい。
「さて……」
 フランムとムーンストナの視線がウィルカに集まる。
「え、えっと……」
 その視線に思わずたじろぐ。
「……」
 二人は言葉を発しない。ただ黙ってウィルカを視線で刺す。
「これって……貰っても、いいのかな?」
 それでも何とか言葉を返す。
「いいんじゃないの。形見分けなんて普通にあることだし」
 よく言った、そう視線で語りながらムーンストナは言葉を続ける。
「ま、身元がはっきりしてるからそこに送るってのもありだけど」
「うぅー。そう言われると凄くワガママを言ってる気になってくるよー」
「いいじゃん。ワガママで」
 ムーンストナがクスっと笑い、横のフランムに促す視線を送る。
「わ、わたしは詳しくは言えないがな、背負っていくものが違うから気にせずとも良い。ウィルカの好きにするのが良かろう」
 フランムはぷいと視線を外しながら、突き放すように話す。
「うん。じゃあ、私が預かるね」
 ウィルカはそう呟くと、カタナの柄にそっと手を置いた。



 最後のキャンプだった日。
「は? アタシみたいになりたいって?」
 アリスの問いに、ウィルカは無言で大きく頷く事で答えた。
「無理ね」
「即答!?」
 それは、見張りを交代する時に少しだけ交わした会話だった。
「だって、アタシはアタシでウィルカはウィルカじゃない」
 さも当然、そんな表情だった。
「アタシに言わせてみれば、ウィルカは少し自分を否定しすぎてるのよ。アタシはアタシの全てに自信を持っているわけ、分かる?」
「うん、それは分かっているんだけど……」
「何ていうか、あんた素直よねー」
「そうかな?」
「うん。顔に出てるわよ」
「ええーっ!?」
 ウィルカは慌てて自分の顔をぺたぺたと触った。
「あっははは。嘘」
「え、ええーっ!?」
「ま、あんたはあんた自身を目指せばいいのよ。そういうこと。じゃね、見張りよろしく」

 ――私自身、か。



「う〜! リーダー遅いよー!」
 頭の上で耳をくるくると回し、軽装に身を包んだ獣人の少女――マリルが不満そうに唸る。
「まさか、迷っているのではあるまいな。付き添った方が良かったのではないか?」
 フランムが呆れた調子を含んだ声で言う。
「いや、いくら今まで行った事ないからって、そんな事はないと思うけど」
 もしもの可能性を考えたムーンストナが不安そうに呟く。
「って、来た来た」
「ひぃひぃ……お、お待たせー……」
 走ってきたのか、相当息を切らして駆け寄ってくるウィルカ。
「ごめん……ちょっと迷っちゃって……」
 その言葉に、一同が揃って呆れ顔をする。
「全く。大体お主は武器など使わぬであろう」
「それはそうだけど。でも、刃物は魔除けのお守りにもなるんだよ」
「で、それ?」
 ムーンストナがウィルカの腰に据えられた短刀を指す。
「うん。直すのは無理だって」
 カタナは多少の曲がりであれば自然に治ってしまうほどの展性を持っているが、一度大きく曲がってしまうと曲がり癖が付いてしまう。そうなるといくら伸ばしてところで元通りにはならない。それを直そうと思うのなら一度素材まで戻した上で打ち直すしかないのだが、そんな技術を持つ鍛冶屋はクルルミクには存在しなかった。
「ほんとに迷ったんだけどね。東の国でもこういうことはするって言うから」
 ウィルカはその短刀を鞘ごと引き抜き、見せる。
「でも残りもちゃんと取ってあるよ。出来れば元に戻したいからね」
 使い物にならなくなったカタナをもう一度使うための方法としてもう一つ、切っ先から無事な部分までを折り、違う刃物として活用することがある。
「元に、か。ウィルカ、お主――」
「大丈夫。フランムちゃんが心配するような事は何もないよ」
「なら良いのだが……」
「う〜〜! 早く行こうよー!」
 一人、会話に入れないマリルが不満そうに急かす。
「あ、そうだね」
 あせあせとウィルカが3人を仕切る位置に立つ。
「えーっと、頼りないリーダーだと思うけど、よろしくお願いします。ワイズマンを倒しに行こう!」
 檄を飛ばすと迷宮の入り口へと向き合い、短刀を腰に据えなおす。この元の持ち主は、まだどこかで生きているはずだ。だから、今は手がかりも何もないけれど、
「それで、それから――」
 続く言葉は3人には聞こえないように呟き、迷宮へと踏み出していった。