『永い旅路』



「んー……」
 空を見上げ、目の前に視線を戻し、もう一度空を見上げて少し悩む。
 今自分がいる場所はクルルミクへと続く山道。地図だけで見れば、半日も歩けば山を越えられると思われる距離。
 そして太陽の位置は、昼を過ぎているとはいえまだ高い。
 自分の故郷は山の上にあって生活の中で山道を歩くことは当然だったし、旅の経験ももう何十年にもなる。
 しかし、目の前には今までに同じ道を通った旅人達が何度も休憩に使ったと思われる跡。
「うーん……」
 きゅぅ〜〜〜。
 また視線を休憩の跡地に戻した時に、小さくお腹が鳴った。
「あぅ……。空腹には勝てないよね、やっぱり」
 そう言い訳するように呟くと、少女は野営の準備に取り掛かった。

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 自分が今持っている地図のギリギリ端っこ。そこの山奥にある集落が私の故郷。
 集落って言ってもそんなにちっちゃいものじゃなくって、大昔にはその場所に国を作っていたって言われている。
 国が滅びた後に、その周りにばらばらに住んでいた人達がみんなで協力しようって集まったのが集落の始まりだって教わった。
 とにかくその集落は大きくって、近くの国と戦争になったことも……これはまだ後の話。
 そこでは天の父神様と大地の母神様を祀っていて、その夫婦神に仕える神官様や巫女達が中心になって生活をしていた。
 私はその巫女に最年少で選ばれたらしい。らしいって言うのは、私が生まれる前のことは知らないから。
 その選ばれた理由が、一つは呪術の才能があったから。これには私も少し自信がある。
 もう一つが、私が人に好かれやすい才能を持っているから。これは、説明されてもよく分からなかった。
 確か、私が聞いたことがあるのは「見ていると和む」「子犬みたいで可愛い」って理由。これはちょっと嬉しかったかな。誉められているってすぐに分かったし、可愛いって言われて嫌な気になる女の子なんていないと思うから。
 その他には「からかうと楽しい」「ついいじめたくなる」これは……正直、誉められているのかよく分からなかった。確かに、イタズラされることは多かったような気がする。でも本気で嫌がらせしているんじゃないって分かっていたし、私もあまり嫌じゃなかった。だからって、いじめられるのが当たり前になって欲しくなかったからその度に怒って見せてたけど、今思い出すと役に立ってなかったどころか逆効果だったような気もしてくる。なんでだろう。
 とにかく、私は巫女として先輩達と一緒に、短い間だったけど集落のみんなのために働いていた。
 お仕事は色々あったけど、巫女だけのお仕事は母神様が豊穣を司っているからそのお手伝いの農作業。
 それと、巫女は呪術が使えるから大地や植物を祝福したり、怪我や病気の治療をすること。
 あともう一つ……これは、私にはまだ早いからってお仕事を回されなかったけど。その……豊穣だから、子沢山で……男の人との、性行為。
 私はまだしたことないんだけど、神殿にいた頃はあちこちから話が聞こえてきて、それで知識だけ増えて……あぅ、もうこのことは考えるのヤメッ。
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 ひゅんっと、ただの雑草のはずのものが鞭のようにしなり、野ウサギを絡め取る。
「足元におわします母神様に願い奉る。今、貴女の子の一人、その命を安らかに絶たんと願うことの由を聞き届け、貴女の冷たく厳しき御力をお与え下さいと畏み申す」
 そう祈りを捧げると、絡み付いた草から逃れようと足掻いていたウサギが眠ったように動かなくなる。
 母神は大地に訪れる冬の厳しさも司る。それは、大地に住む生き物を容赦無く殺す力として顕れ、少女はその呪術をも使いこなすことができた。
「ごめんね。せめて美味しく料理するから」
 小動物を殺すことに心が痛むこともあるが、故郷にいた頃は狩猟が生活の支えの一つだったこともあり、ある程度は割り切ってしまえる。美味しく料理して残さず食べてしまうことが、自分を生かすために死んでいった命に対する礼儀である。
「そういえば……」
 火を起こす用意をしながら、ふと旅に出たばかりのことを思い出す。
「最初は大変だったよね、火の起こし方も分からなかったもん」
 始めは野営の知識もほとんど無く、狩りも男性の仕事だったため全く上手くいかず、かろうじて食べられる植物を見分けることが出来たので最初の村につくまではそれで食いつなぐのが精一杯だった。
 一年かけて一人旅が可能なだけの知識をつけて、呪術を使って狩りをすることを思いつき今の基礎が出来上がった。
「あれから、私も大分変わったよね。多分」
 残念なことに外見は全く変わらなかったが、内面は大分変わったと感じていた。
 旅に慣れた事もそうだし、なにより独り言が増えた。
 そしてもう一つ、山道を行くと故郷を思い出して考え込むことが多くなった。

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 ある時、戦争が起こった。戦争って言うほど大したものじゃないと思うけれど、他に説明が出来ないから戦争って言うことにしている。
 原因は石っころ。川岸まで行けばいくらでも落ちていた、ちょっと日の光を反射するだけの石が集落の外では貴重なものだったらしい。
 たまたま集落に旅人が訪れたことがあって、その旅人が持ち帰った話がきっかけみなったって話を後で聞いた。
 旅人に悪気が合ったわけじゃないと思うから恨んではいないんだけど、もしあの旅人が居なかったら私の人生はどうなってたのかなって、たまに考えることもある。
 それで戦争なんだけど、最初から勝てるわけが無かったんだ。
 集落は崖や森で囲まれていて、外から大勢で攻めるのは難しいっていうのは後で知ったんだけど、そのおかげでそれまで争いも無かったし、戦争も最初のころは五分五分だった。
 でも、そのせいで狩り以外の戦い方なんて覚えている人は居なくなってたし、外の世界の道具は知らないうちに凄く進歩していた。
 崖の下からでも人を殺せちゃうような器械仕掛けの弓とか、木を簡単に切り倒しちゃうような丈夫な斧とか。
 どんどん攻め込まれていって、私の知り合いもたくさん犠牲になって……。
 いよいよダメかもって時に、神官長様が一大決心をした。それが、今の私に繋がるんだけど……。
 なんでも、集落が昔国だった時に、神様の力を体に降ろして国の危機を救ったって言う話があったらしい。
 もうそれしか手段はないって、そしてそれが出切るのは私だけだって頼まれて、凄く悩んだけど私は了解した。
 みんなを、故郷を守りたいって思ったから。
 上手くいくかどうかも分からなかったんだけど、運良く神様を降ろすことに成功して、私も戦争に出ていった。
 そこで人が殺されるところを始めて見て、私も始めて人を殺した。
 最初は心がどうかなりそうだったけど、だんだん慣れていって、慣れていくことが凄く怖かった。
 攻めてきた全員人を追い返した後は、難しい話はよく分からないんだけど、取引をしたらしい。
 石っころを差し出す代りに自分達の生活を保護してもらうって。
 私の体もいつまで持つか分からなかったし、これは正しい判断だったって思う。
 それから、集落の暮らしがだんだん変わっていった。つまり、外と交流を持つようになったっていうこと。
 旅の中でたまに、集落の話を聞くことがある。
 私が今でも着ている民族衣装は、知っている人には凄く目立つらしい。
 そうだよね、こんな長いマフラーなんて他に見たこと無いし。
 それで聞こえてくる話によると、今でも石っころは人気なんだって。
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 食事を終えれば、辺りは既に暗くなりかけていた。
「そうだ。寝る場所を作らなくちゃ」
 そう呟くと、少女は辺りを見回す。
 少し道から離れた林の奥に丁度良さそうな木々が生えているのを見つけ、そちらに向かう。
「……」
 軽く意識を集中させると、周りから枝や蔦が集まり天蓋付のハンモックのようなものが作られる。
 少女の呪術は本来、祈りによって母神の力を借り、大地やそれに属するものに影響を与えるものである。
 力がその身に宿っているのであれば、力を借りる必要も無く祈りの言葉も必要ない。
 彼女は、それこそ手足のように大地や木々を操る事すら可能なのである。
 それでもたまに祈りの言葉を口にする理由は、単に癖が出てしまうことがあること、口にした方が呪術の結果をイメージしやすいこと、そして母神に対して礼儀が必要な時があることである。
「ん、我ながら上出来だよ」
 ハンモックの上に荷物を持ち上げ、寝転がる。
 蔦と葉っぱの重ね具合が絶妙で、ふかふかで気持ちいい。
 周りを他の枝や葉で覆えば、容易にカモフラージュが可能で危険度も低い。
「んー……。ちょっと早いけど、おやすみ……」

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 異変に気が付いたのは、戦争が終わってすぐのことだった。
 料理当番の時に、手が滑って指の先を切ってしまったことがあった。慌てて指を咥えて、口から離したときにはもう傷が塞がっていた。
 呪術の力も、ずっと強いままだった。
 その頃はまだ、ちょっと不思議だねって言っているだけで済んでいたんだけど……。
 半年ぐらいして、全然体が成長していないことに気が付いた。
 私はちょっと成長が遅れていて、戦争が起きる少し前にようやく背が伸び始めてきたし、胸も膨らんで来たかなっていう所だった。
 普通はそこからある程度まで成長していくものなんだけど、それがぴったりと止まっていたんだ。
 よく言う、不老不死って体になっちゃったらしい。
 神官長様は、神様の力を降ろした副作用なんじゃないかって言っていたけれど、でも重要なことはそんなことじゃなかった。
 体が成長しないってことが分かってからしばらくして、みんなの態度が変わってきたことの方が重要だったんだ。
 段々みんなが余所余所しくなっていった。私の体が原因なんだってことはすぐに分かったんだけれど、どうしょうもなかった。
 それからすぐに、みんなの感情が爆発した。
 その時までみんなに嫌われていることは感付いていても、どんな感情を持たれているかなんて全然分からなかった。
 恐怖、だったらしい。
 みんなと同じ姿をしているのに、みんなと違う不老不死。そんな自分と違うものに対する恐怖。
 それと私が自分達とは違う存在って分かると、強い力に対する恐怖も沸いてきたらしい。
 色々なことを言われたけれど、もうほとんど覚えていない。
 ただ一つ覚えているのは「化け物」っていう、凄く単純な言葉。
 私はすぐに、逃げるように旅に出た。
 旅に出てからも大変だったよ。
 体が全然成長しないのは相変わらずで、20年を超えた辺りから数えるのを止めたけれど、もう集落で私のことを知っている人は生きていないんだろうなってぐらいは時間がたったと思う。
 成長しない体のせいで、長い間同じ場所に居つづけることも出来なくなっちゃった。
 成長しきっていればもっと長い間誤魔化すことも出来たと思うけど、私の背格好じゃ一年ぐらいで不思議に思われちゃう。
 うっかり力の加減を間違えて使ってしまった呪術のせいで注目されてしまい、村に居れなくなってしまった事もある。……これは私が悪いんだけど。
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 林を抜けてしまえば、もうクルルミクはすぐそこだった。今までの旅路からすれば目と鼻の先と言ってもいい。
「今まで都会に行くのは止めてて良かったよ。同じ背格好でも怪しまれなくて済むもん」
 実は一部の村では、年を取らない旅人や怪奇蔦女等、都市伝説のように噂だけが飛び交っていることもあるのだが、本人はそれを知らない。
「龍神の迷宮に、ワイズマンだっけ。何が待ってるのかな……」
 今までずっと当ての無い旅を続けていた彼女が、クルルミクを目指していたのは理由がある。
 ワイズマンと名乗る魔術師に占領されてしまった神聖なる迷宮。事態を解決するためにクルルミクが出した冒険者を集めるふれ。
 遠く離れた地にいてそのふれを知り、同時にクルルミクの治安の悪化を知った。
 放って置いてはいけないと思った。だからこうして、冒険者として名乗りをあげるためにやってきた。
「……行ってみなくちゃわからないよね」
 深く考えることは止め、クルルミクに向けた最後の道のりを歩き出す。
 この先何が起こるか、それは神にだって分からないことなのかもしれない。