「奴だ、青いのが来たぞぉっ!」  戦場に響くグラッセン軍司令官の怒号。  敵の接近を知らせ陣形を立て直すはずのそれは、およそ半数の兵士を浮き足立たせる結 果となった。  残る半数は様々な種類の弓を構え、迫り来る敵に向かって狙いを定める。  夕焼けで紅く染まる空。  その遥か上空から一直線に、落下するように突っ込んでくる蒼い鱗の飛竜。 「撃て、撃てぇっ! 撃ち落とせぇっ!!!」  上空目掛けて一斉に放たれる矢の雨。  それと同時に、飛竜は翼を畳んで落下するように急降下し、地面ギリギリで翼を開くと、 その勢いを殺す事無く滑空をして陣のど真ん中目掛けて突っ込んでくる。  矢の雨を尻目に、翼の陰から突き出された巨大な刃が、兵士達の眼前に迫ってくる。  辛うじて届いたいくつかの矢も、竜の横頭部から騎乗者までを覆う巨大な盾に阻まれて、 虚しく弾き散らされるだけであった。  まるで竜の牙を思わせる鋸状の刃は、飛竜の速度と合わさって、兵士達は触れた瞬簡に 盾や鎧ごと真っ二つに切り裂かれていく。  陣形は兵士ごと真っ二つに切り裂かれ、恐慌状態になった兵士達は混乱と共に逃げ惑う。  青い飛竜に乗った騎士は、陣を切り裂いた巨大な斬馬刀を振り上げ、崩壊した敵部隊を 指し示す。  それと同時に湧き上がる、歓声混じりの気合の声。  空を、地上を駆ける竜に率いられ、士気が満ち溢れたクルルミク軍の兵士達が、グラッ セン軍を蹴散らしていく。  一方的な様相となった戦場を空から見下ろしながら、蒼い飛竜の騎士――シュリは兜を 脱いで大きく息を吐く。 「グラッセンも、無駄な戦をどれほど繰り返せば満足するのだろうか……」  追い散らされ逃げ惑うグラッセン軍の兵士と、踏み荒らされた数々の亡骸。  その一人一人に、友が、仲間が、家族がいる事を想像し、軽い自己嫌悪に苛まされる。 「……私に出来る事など……私の手の届く範囲など、たかが知れている……か」  軽く頭を振り大きく息を吸うと、シュリは声を張り上げる。 「総員撤収! 深追いはするな! 次の侵攻を防ぐ備えを万全に整えよ!」  グラッセンが戦の不利と無益さを悟り、次の侵攻など起こらなければいいのに。  そんな事を考えながら、シュリはクルルミク王国の城下町に向け、飛竜を駆る。  先の戦で共に出陣し、そのままワイズマン討伐の仲間として戦ったクラウとリラ。  龍神の迷宮で捕らわれた二人の安否が気掛かりで仕方なかった。 「……あの二人は私などよりも遥かに強い。宝嬢も相当な実力者……きっと既に別の仲間 を迎えて、迷宮の探索を続けているのだろう……」  いつもと変わらない、夕闇が押し迫る空。  それが何故か、不安となって胸に染み込んでくるような、そんな感覚だった。  龍神の迷宮、地下一階。  モンスターもならず者の数も大した事はない、安全圏と呼ばれる範囲の個所だ。  前を歩く三人の傭兵の背中を見ながら、宝はやや焦りの見える様子で、斬馬刀をぶんぶ んと振り回している。 「急ごうよーもっと急ごうよー。僕様ちゃんが、りっちゃんとくーちゃんを助けなきゃい けないんだよー?」 「そう急くな嬢ちゃん。罠に引っ掛かったりして嬢ちゃんの身に何かあっちゃ、それこそ 元も子も無ぇ」  宝の前、斬馬刀の射程圏外を歩く傭兵が、無骨なヘルメット越しに、諭すような優しい 口調で語る。 「盗賊も僧侶もいない、ギリギリの面子なんだ。罠やモンスターの妙な攻撃が、即致命傷 になりかねねぇ」 「それに……あの『戦姫』クラウや、鳴り物入りで竜騎士団にスカウトされたリラが捕ま るような状況だからな……最悪の状況は覚悟しとけよ」  前を歩いているもう一人の傭兵が、だるそうな声を上げる。 「俺らじゃ歯が立たねぇ可能性がでかい。捕まってる連中を助けたら、てめーらだけで逃 げる算段立てとけ」 「それって、僕様ちゃんは信用されてないって事ー?」  ぷうと頬を膨らませる宝の頭に、皮手袋に包まれた大きな手が乗せられて、ぐりぐりと 頭を撫でる。 「逆だ。姉ちゃんらを救出できたとして、俺らは自分が生き残るだけで精一杯になるかも しれねぇ。そうなりゃ……竜騎士サマがたを護るのは嬢ちゃんだ。そこんとこは覚えとけ」 「むー、頭やめー! 言ってる事が難しくてイマイチわかんないしー!」 「……簡単に言やぁ、頑張れってこった」  じゃれあう二人を尻目に、先頭を歩いていた傭兵が足を止める。 「その心配はいらなくなりそうだな」  先頭を歩いていた傭兵の視線の先、薄汚れた迷宮の壁。  幾重にも重ね張りされた、ハイウェイマンズギルドの広報紙の一番上に、真新しいものが 貼り付けられていた。  苦痛に顔を歪め、嬲りものにされている女性の絵姿には『SOLD OUT(売り切れ)』 の文字が大きく上書きされていた。 「りっちゃん……くーちゃん……」  ギルドニュースには、さも楽しそうに二人の陵辱の様がじっくりたっぷりと綴られており、 その最後はこのような一文で締められていた。 『クルルミクの正義の象徴竜騎士様とやらもこうなっては形無しである。ザマーねえぜ!』 「仕方ねぇ……嬢ちゃん、戻――」  凄まじい爆音。  叩き付けられた宝の巨大な斬馬刀が、ハイウェイマンズギルドの広報紙を壁ごと吹き飛 ばした。  流石に壁を貫通するような事は無かったものの、人間一人が潜れるほどの大穴が開いて おり、そこにあった広報紙などは完全に跡形も無くなっていた。 「嬢ちゃん、落ち着け……売っ払われちまったら、俺達じゃどうしようもない」 「昨日売られたばっかりなんでしょ!? 追っ掛けて取り戻そうよ!」 「よっぽどの情報源がなきゃ、足取りなんざ掴めねぇ……竜騎士団にでも報告して、後は そっちに任せた方がいい」 「うっさい! 助けるったら助けるの! りっちゃんやくーちゃんに酷い事した奴らは、 全部ぜーんぶ僕様ちゃんがやっつけるんだー!」  涙目で叫ぶ宝の頭を、また大きな手がぐりぐりと撫でる。  さっきほどの力は篭ってはおらず、気だるそうな言葉もない。 「子供じゃないんだから、そんな事で誤魔化されないぞー!」 「誤魔化すつもりは無ぇよ。今の嬢ちゃんに出来る事ぁ、この事実を早急に持って帰る事 だ。それこそ、本当の手遅れになる前にな」  先頭を歩いていた傭兵がそう告げる。 「嬢ちゃんが落ち着けば、それだけ早く情報を伝えられる。それが今できる最善手ってこった」 「うぐ……」  宝は言葉を飲み込むと、ぐすと鼻を鳴らして顔を上げる。 「戻る……しーちゃんが帰ってきてたら、この事を教えてあげなきゃ」  傭兵達は顔を見合わせ頷き合うと、宝と共に迷宮の入り口へと引き返して行った。  いつもの喧騒に満ちたドワーフの酒蔵亭。 「戻ったのか。あちこちと大変なものだな、竜騎士様は」 「名簿管理の手間をお掛けして申し訳ありません……リラ殿、クラウ殿、宝嬢は戻ってこ られましたか?」  いつものように、あまり愛想のないペペの言葉。  シュリは苦笑を浮かべながら、リラ、クラウ、宝の所在を尋ねる。 「まだ戻ってきちゃいない。昨日潜ったばかりだ、心配なのは判るが急くな」 「そう……ですか。それでは、手の空いている冒険者の方は」 「ついさっき、全部出払ったところだ」  ペペが親指で示した先には、楽しそうに談笑するティーチとルビエラ、眠そうにぼんや りとしているクォー、そして。 「お先」  シュリの内情を知ってか知らずか、薄い笑みを浮かべて軽く手を振るエメラーダ。  一行はクォーに率いられ店を出ていき、それと入れ替わりに傭兵の一団が入ってくる。  先頭に立っていた傭兵は、兜を脱ぐと真っ直ぐにペペに向かって歩いていく。  一言、二言、言葉を交わすうちに、ペペの表情が曇っていき。  静かに冒険者の名簿を開くと、いくつかの個所にペンを走らせる。 「おめーのせいじゃねえ、あんまり気にすんな。どうしようもない事なんて世の中腐るほ どあんだからよ」 「こんな時ゃ、とりあえずてめーが生き延びる事だけ考えてろ。俺らァ、いつもそうしてる」 「力だけじゃどうにもならんこともある、ってこった。後で悲しむのが嫌なら、仲間は慎 重に選びなお嬢ちゃん」  三人の傭兵達から、三者三様の言葉を掛けられながら。 「また会えてよかった……手は足りているか?」 「……あ」  声を掛けてきたシュリに、宝は思わず言葉に詰まる。  さしたる被害のない傭兵の面々、そして傍目にも判るほどに気落ちした宝の様子。  結果がどうであったのかは、すぐに察しがついた。 「……え? ……嘘、だ……そんな事が……」 「しーちゃん……ごめんね」  思わず口をついて出た言葉に、宝はがっくりと項垂れる。 「いや、済まない……君の責任じゃない、引き返す判断をしたのは私だ……救出が間に合 わなかった責任は、私にある」  シュリはそう言って、宝の小柄な身体をぎゅっと抱き締める。  その身体から伝わるのは、温もりと、震え。 「しーちゃん?」 「……何故……あの二人が先に……私なんかより……ずっと有能で……才能もあって…… 未来もあって……彼女達だけじゃない……何人もの女性が……あの迷宮で未来を失った……」  声が震え、嗚咽が混じり。  見上げる宝の顔に、ぽつぽつと涙の粒が落ちる。 「この国の問題なのに……巻き込んで……辛い思いをさせて……すまない……」 「しーちゃん……僕様ちゃん達で、りっちゃんとくーちゃんを助けれない?」  宝はシュリの背中に手を回し、ぎゅっと抱き返しながら呟いた。 「マスターが、しばらくは人手が足りなくて迷宮には入れないかもって。傭兵のおっちゃん はさ、竜騎士団に頼んだ方がいいって言ってたけど、どうせ待ってるだけならさー」  何もしないで待つのは辛いから。 「……そう……だな……竜騎士団に報告を済ませたら……迷宮に入れない日は、出来る限 り動こう……僅かな可能性でも……何もしないよりは」  片手で顔を覆い、シュリは宝から身体を離す。 「出来るだけの事はやろう……僅かでも可能性があるのなら」 「さーて、そこのおっちゃん達」 「幾分か聞きたい事がある。素直に話せば、その命ぐらいは駄賃にくれてやる」  薄汚れた路地裏の一角にある小汚い広場で、十数人の男達が二人の女性に『囲まれて』 いた。  女達の持つ巨大な得物が、がっちりと行く手を塞いでいるのだ。 「この中に、ハイウェイマンズギルドの性奴売買に関わった者はいるか?」  女の片方――シュリの言葉に、男達が下卑た笑い声を上げる。 「なんだぁ? そんなもん知ってどうするつもりだ?」 「教えてやったっていいぞ? これから嬲りもんにして売り飛ばしてやるから、その目で 確かめてこいよ」  その言葉に、もう一人――宝は得物の斬馬刀を担ぎ直す。 「もちっと素直に教えてくれたらさー。僕様ちゃん達も、ちょっとは優しくしてあげるぞー?」 「なんだ、嬢ちゃん達……俺達に優しーくご奉仕でもしてくれんのか?」 「バカみてぇにでかい得物担ぎやがって。虚仮脅しにも程度ってもんがあるだろ」  全く態度を変える様子もなく、逆に刃物や鈍器を抜く男達。  シュリと宝は顔を見合わせて、軽く溜息を吐く。 「知ってそうな奴だけ見抜くというのは」 「流石の僕様ちゃんでも無理だねー」  二人同時の、一閃。  身の丈以上の斬馬刀が、男達を薙ぎ払う。  一瞬で振り抜かれた二つの鉄塊は、そのほぼ全員をただの肉塊へと変貌させた。  斬るというよりも砕くといった方が正しいであろう圧倒的な暴力の前に、たった一人生 き残った男はただ呆然と立ち尽くす。 「……今……何……え?」  風を切り裂く勢いで、巨大な質量が男に迫る。  それだけの大きさと勢いのものが、丁度男の首を挟み込む形でぴたりと静止する。 「さて……何か言いたい事はあるか?」 「言いたい事があるなら、聞いてあげなくもないよー?」  その言葉に、男は震えるように首を小刻みに左右に振る。 「知らねぇんだ……マジでだよ……幹部クラスの奴か……専門の部署の奴しか……」 「じゃあ、そういう幹部の人って何処にいるのかなー?」 「い、いや……因縁がある女冒険者を追い回してるのがほとんどだし……」 「そうか」  シュリが、斬馬刀を男の首から離す。  それに倣うように、宝もまた刃を退けた。 「殺さ……ないの……か……?」 「私達の知りたい事を、お前は知らないという答えを得た。私達に牙を剥く意思が無いの であれば、無駄に命を散らす必要はない……行こう、宝」 「あいよ、しーちゃん。次だよ、次ー」  路地裏の奥へと消えていく二人の背を見送りながら、男はその場にへたり込む。 「はは……ははは……助かった……助かっ――」  安堵の表情を浮かべた男の頭部が、見えない何かの力で地面に叩き付けられて、潰れ爆 ぜた。 「ナニヲシテマスカ、キミ。一人ダカラッテ命乞イトカ、ブッチャケアリエナイデショ」  あまりにも勝手な言い分が、物言わぬ骸に吐き捨てられる。  そこに立っていたのは、喉に禍々しい魔法陣の刺青をした、一人の少年だった。  半開きの口は全く動く事なく、ただ喉の奥にあるもう一つの口から声を出しているよう な、そんなくぐもった声を響かせている。 「チョットサボッテル間ニ、女冒険者大集合トカナニソレ。早ク教エテヨ……ドレダケ見 逃シタノサ、モウ」  少年はガラス玉のような瞳で、シュリと宝が去っていった路地を見詰めると、表情一つ 変わらないまま不気味な笑い声だけを漏らす。 「ゲブブブブブブ……アレハ良イナァ。彼女達ガ恥辱ト屈辱ニ歪ミ壊レル様ヲ見タイナァ。 何モカモヲ奪ワレテ踏ミニジラレテ、絶望ノ果テニ魂ノ一欠ケラマデ砕カレルノヲ……見 タイナァ」 「スロウトぼっちゃん、何やってんですか。ギルドボの旦那に呼ばれてるってのに……う わ、なんすかコレ、ぼっちゃんが殺ったんすか?」  少年――スロウトを追い掛けてきたらしい中年の男が、非難めいた声を上げる。  スロウトはというと、そ知らぬ顔でそっぽを向いて、口笛なんぞを吹いていたりする。 「失礼ナ、ボクジャナイヨ。ソレヨリサ、馬鹿ミタイニデカイ武器ヲ使ウ小サイ女ガ二人、 冒険者りすとニイルカナ? 片方ハめがねナンダケド」 「なんすか、突然……えーと、こないだランキングに入ってたのにそんなのがいやしたが。 こいつっすか?」  差し出されたギルド広報誌の、ギルドランキングに記載されたシュリと宝の似顔絵を確 認して、スロウトはがくがくと身体を震わせる。 「嬉しそうですね、ぼっちゃん」  傍から見れば、妙な毒でも盛られて痙攣してるようにしか見えない様子に、中年の男は 意外そうな表情を浮かべる。 「目標ガアルッテ素晴ラシイネ。人生ニ張リト潤イガ出ルッテモノダ」 「ぼっちゃんは普段からもう少しやる気出しましょうよ。一月近くサボって何やってたん ですか……そのうち、ギルドからも追い出されやすぜ?」 「ソレハ困ル。ボク一人ジャ、強イ女冒険者ガ堕チテイク様ナンテ観察スル事ガ出来ナイ ジャナイカ」 「だったら少しは真面目に、ギルドボの旦那の回す仕事をこなしましょうよ。ならず者集 団ったって、結局のところは『働かざるもの喰うべからず』ってなもんなんですから」 「ハイハイ、ソレジャアサッサトとらっぷ倉庫ニデモ行コウヨ、モウ」  軽い足取りで、深い闇の蟠る迷宮の中へ身を躍らせ――すぐに出てくるスロウト。 「ナンカもんすたー増エテナイ? アト、ショボイとらっぷモ」  ずぶ濡れで頭にバナナの皮をへばりつかせ、ついでに剥がして持ってきたらしい警告ポ スターを手に、批難の声を上げるスロウト。 「モンスターは知らないっすけど、トラップはとにかく増やせって命令があったって伝え たじゃないですかい。話ちゃんと聞いてて下さいよ」 「ソンナ事、言ッテタッケ?」 「迎えに行った時に、いの一番に言いやした。ぼっちゃんが作ってる魔法トラップ、そろ そろ在庫尽きやすぜ」 「生体専用てれぽーたートカ、ばーじんすたなートカ、割ト微妙ナとらっぷモ?」 「自分で作っといて微妙とか言わないで下さい。むしろ想定外の効果を発揮してます、あれ」 「世ノ中、何ガ役ニ立ツカワカラナイモノダネ」 「ぼっちゃんの存在自体がそんなもんです。それじゃあさっさと行きますよ。裏道案内す るからはぐれないでくださいよ?」 「ハーイ」  中年の男は、肩を竦めるスロウトの頭からバナナの皮を剥がして捨てると、スロウトの 手を引いて改めて迷宮の闇の中へと消えていった。