『白竜将』ディアーナ、『銀竜』クレール、『戦姫』クラウ。  二つ名で呼ばれてはいないものの、彼女らに迫る実力を持った、シュリ、エルタニン、 ダイアナ。  現在の竜騎士団において、特に目立つ実力を持っている女性がこの6人である。  ただ、その才能はといえば、ディアーナを除けば平均的な冒険者程度、シュリに至って は人並み以下であり、才能が溢れて零れんばかりのディアーナとて、竜騎士団の頂点に上 り詰めるまでの期間が人並み外れており、そういう意味では実力のために費やされた努力 の量では、引けを取る事はないだろう。  そんなクルルミク竜騎士団の女性達ではあるが。  粒揃いの美女であり、相応の名声もありながら――何故か、揃いも揃って未婚の処女で ある。  貴族、官僚、大商人、時には地方の王族からすら声が掛かる事すらあるというのに、結 婚はおろか浮いた噂の一つも流れてこない。  努力家で生真面目で公正で正義感が強く、かといって差別的な態度は欠片も見せない彼 女達は、日々を共に過ごす竜騎士団の男性諸氏は元より、部隊の違う騎士団や近衛兵団、 城内回りの衛兵や下働きに至るまで、広く人気を集めていた。  当然ながら好意を寄せる者も多いが、彼女達には全くと言っていいほど隙がない。  執務中は話し掛ける事すら憚られるような、ぴしりと張り詰めた空気。  訓練中に至っては、近付けば足腰が立たなくなるまで鍛え上げられる予感が、ひしひし と伝わってくる。  ある男がそんな状況を打破しようと目論んだのは、数名の新人竜騎士を迎え入れたある 日の事だった。 「入隊の歓迎会みたいなのを催してみたいんですが」  訓練後の湯浴みを終えた六人の女性竜騎士に、男は遠慮がちにそう告げた。 「戦線は現在安定しており、ここ数日は最前線でも動きはないだろうと報告が上がってま す。新人達との相互理解のためにも許可をいただければ」  ディアーナは艶のある唇に指を当ててしばし堅実に思考した後、微笑を浮かべて彼の意 見を承認した。 「そうね……理解を深め信頼を築くのは良い事だと思うわ。流石に当直の者の参加は許可 できないけど、開催に関しては羽目を外さない程度になら、ね」 「そういえば、ディアーナ様達の当直日は……」 「あら……今晩だと、丁度全員が外れてるわね」  女性陣を見渡して、記憶にある当直表と照らし合わせたディアーナは、やや驚きの混じっ た声を上げる。 (当たり前だ……この日を狙って新人の入隊日まで調節したんだ! 計画通り!)  心の中でガッツポーズを取りつつ、男はそんな様子を微塵も見せずに、にこやかに言葉 を続ける。 「歓迎会や交流会はたまに開催されてますが、当直や自主訓練、残務整理とかで参加され た事はほとんどないでしょう。たまにはどうです、部下との交流という事で」 (雑務は数日掛けて、今日だけは軽い量になるよう手を回してある! 当直は言わずもが な、部下との交流という建前があれば、面倒見の良いこの女性達は断れないはず!)  女性陣は互いに顔を見合わせると、やや真面目な顔で頷きあう。 「確かに、訓練や職務の場以外では、あまり交流を持った事は無かったな。こういう場を 設けるのも良い事だとは思う」 「皆は竜騎士団でも高い立場にいるだろう。たまには仕事を離れて話を聞いてみるのもい いんじゃないだろうか」  クレールとエルタニンは堅実な意見で参加の意を表す。 「羽目を外し過ぎないようにな。私がそうなりそうだったら、誰か止めてくれる事を期待 しよう」  クラウは大胆に参加の意を表す。 「アルコールは苦手で……それでも良ければ」 「騒がしいのは少々、な……控え目な場であれば」  シュリとダイアナは、無難な意見で参加の意を表す。 「たまにはこんな日があってもいいんじゃないかしら。むしろ、あなた達のためになりそ うなぐらいだと、私は思うけれどもね」  全員の参加表明を確認し、ディアーナは幹事になるであろう男に微笑を向ける。 「それでは、私服に着替えてから向かわせていただきます。どちらに向かえばいいのかしら?」 「王城の広間を一つ、押さえてあります。開催は参加者が集まり次第、夜半前には閉会の 予定です。安全は確認してるとはいえ、万が一にも備えられるようには、と」 「その気構えは合格だけれど……となると、手配は随分前からしていたのね。私の許可が 下りなかったら、どうするつもりだったのかしら?」 「私は皆様を信頼していましたので。部下の提案を無下にされるような方ではないと」  幹事を務めるであろう発案者の男は、そう言ってに深々と頭を下げた。  そんなやり取りがあったのが、およそ二時間前の事。  歓迎会として集まった同僚諸氏は、ある意味真面目に新人と交流を深める者もいれば、 別の目的――幹事の男のような、普段は高嶺の花である女性陣にお近づきになろうという 目論見の者が入り混じる。  そこへ、非番や休憩の他部隊の者――当然ながら新人よりも女性陣目当てだったりする 連中が混じってきたりするものだから、混沌は加速の一途を辿っている。  何かと下心のある連中は、挨拶代わりに酒を勧めてきたりするのだが、社交慣れしてい るクレールやクラウは、中身の入ったグラスを手元に置いてあり、余計な量を注がせよう とはしない。  ディアーナ、エルタニンは人並みに飲んではいるようではあるが、あまり顔色が変わっ ている様子もなく。  シュリとダイアナは、どれだけ勧められても丁重に断るばかりで酒に口を付けようとは しない。 (流石にガードが固いか……この状況をどう打破する)  幾人もの男が同じ思考を巡らせているのは、それぞれが発する空気でわかっていた。  それぞれの策がぶつかり合えば、失敗の確率は上がるか、相乗効果でより効果的に発揮 されるか。  表立って相談するわけにもいかず、視線だけを交わしあい、虎視眈々と機会を待つ。  一般的な女性と比べてガードが固いとはいえ、職務中の彼女達に比べれば段違いに緩い。  普段は強固な鎧や礼服に覆われている彼女達の身体は、簡素な私服で飾られている。  服装そのものには華やかさがないものの、シンプルな造型はボディラインを如実に浮き 上がらせ、その下を想像するのは容易な事であった。  既にそれだけで満足して、妄想を肴に酒を交し合っている一団もいるほどだ。  だが、そこで止まらない者とて当然いる。  騎士とて男だ、男ならやってやれだ。  そう決意した矢先に、新人の中で年長の男がディアーナに近付いてきた。  切っ掛けになるなら何でもいい、やれるか新人といった好奇の視線が集中する。  酒のせいで滑りが良くなった舌は、一頻りの挨拶から軽い歓談を経て美辞麗句が流れ出 すまで、さほど時間を要しなかった。  潔癖で生真面目な女性陣も、宴の席で誉められれば悪い気はせず、酒気以外でやや頬を 染めたり、表情が柔らかくなったりといった様子が見受けられた。  だが、調子に乗った彼は引き際を心得ていなかった。  新兵にありがちな単独先行に、周囲の友軍が気付いた時にはもう手遅れであった。 「もうお付き合いしている男性はいらっしゃるのですか? 既に家庭をお持ちであれば、 失礼なお話でし――」  それまで和やかだった雰囲気はどこへやら。  クレール、ダイアナの表情は重苦しく落ち込み、クラウ、エルタニンは我関せずといっ た様子で、何時の間にか一団から距離をおき、シュリは新人の不幸を嘆くように哀れみの 表情で溜息を吐いていた。 「――たか……って、なんか空気が重いっていうか、一体何が」  笑顔のまま冷や汗を浮かばせた新人騎士の手にしていたグラスが、ぱんと爆ぜた。 「うわぁっ!?」  突然の出来事に、新人騎士は悲鳴を上げて手にしたグラスの残骸を取り落とす。  目の前に立つディアーナの笑顔は、先程までと何一つ変わらない。  だが、空間そのものを震わせようかという圧倒的な威圧感は、まるで巨竜が見下ろすか のようであり。 「申し訳ありませんでした」  何が逆鱗に触れたかも解らないまま、とりあえず土下座する新人くんであった。  何が起きたか解らず、ぽかんとしている新人諸氏を、クラウがちょいちょいと手招きする。 「悪い事は言わん、これだけは肝に銘じておけ。『婚期』『年増』『行き遅れ』……この 三つ及びそれに類する言葉は、ディアーナ殿の前では口にするな。理由は……わかるな?」  まるで戦場で生死を賭けた作戦を伝えるかのような真剣な眼差しに、新人達はただ頷く しかなかった。 「あと、クレール殿とダイアナ殿にもこの手の言葉は控えろ。戦でもあれば気持ちは切り 替わるだろうが、平時だと半日は凹んで使い物にならなくなる」  ついでにとエルタニンがつけた補足に、新人の一人がふと疑問符を浮かべる。 「あの……シュリ殿は?」 「シュリ殿は、正直よくわからん。その手の言葉ではダメージを受けてる様子はないな、 そういえば」 「まあ、だからといって先程の禁句が、女性に対して失礼ではあるだろう事は理解できる だろう。女性に好意を抱いているのならば、遠回しに心の隙を突くような策を弄して攻め るよりは、正面から愛の言葉で斬り込んだ方が良いに決まっている」  クラウはそう言うと、手にしたグラスに口を付け、僅かに酒の香りが漂う吐息が漏れる。 「もっとも、斬り掛かるに足る実力がなければ、返り討ちに遭う覚悟はしておくべきだろ うが、な?」  彼女達を囲む騎士達は、誰一人としてそのような実力も覚悟も持ち合わせていなかった ようだ。 「クレール殿、ダイアナ殿……顔色が優れないようだが」 「いや、大丈夫だ。気にするほどの事じゃない。相手に恵まれていないだけなんだ、ああ、 そうだとも。口を開けば家柄自慢のぼんぼん貴族どもなど、相手になど……」 「家柄とか以前に私は女性としてどうなのだろう……いや、それ以前に竜騎士として…… 騎竜を失うような竜騎士が、殿方と付き合ったところで上手くなんて……」 「い、いや、二人とも微妙に深みにはまってないか? こういった宴の席だ、あまり沈み 込むのも」  シュリは慌てて周囲を見回すと、手近にあった酒瓶を手に取り、それぞれのグラスに注ぐ。 「安易に酒に頼るというのもアレだが、あまり気落ちし過ぎるのも良い事ではない。少し ぐらい羽目を外すぐらいで丁度良いと思うのだ、二人とも」  そう言って、勧めたからにはと自分もとりあえずグラスに口をつけたシュリだったが。  一口目が喉を通り過ぎた瞬間に、喉から顔中に染み渡るように熱が広がっていく感覚だった。  香りが鼻腔をくすぐると同時に、胃にまで達した熱が全身へと広がり、その熱が呼び水 となって身体が酒を要求してくるかのようだった。  軽く一口だけで済ませて気落ちした二人を盛り上げるつもりだったのが、何時の間にか グラスは空になり。  どぷどぷと景気のいい音と共に空になったグラスに酒が注がれ、ごっごっごっという豪 快な音と共にそれは喉の奥へと消えていく。  異変に気付いたクレールとダイアナが顔を上げると、そこには――完全に目が据わった シュリが、二人を睨み付けていた。 「あ、あの……」 「……シュリ殿?」 「二人とも、そこに座れっ!」 「「はいっ!」」  思わず声を揃えて正座するクレールとダイアナ。 「二人とも、細かい事で必要以上にうじうじと! そのような心構えで竜騎士など勤まる と思っているのか! そもそもだな……!」  絡み酒だ。  しかも説教癖だ。  宴の席でもまず酒を飲む姿を見せた事のないシュリは、とんでもなく酒に弱いか、妙な 酒癖でもあるのかと勘繰られていたのだが、どうやら後者であったようだ。  延々と続く説教に、止めようとする者を次々と巻き込んで、加速度的に説教の輪が広がっ ていく。  中には「もっと罵って下さい」などと、自主的に説教の輪に加わる物好きもいたようだが。  ついでに酒瓶も次々と空にされ、その足元には既に三つほどの酒瓶が転がっていた。  広間の一角は既にシュリの説教部屋と化しており、迂闊に近付けば巻き込まれるのは目 に見えている。 「しゅ、シュリ殿……こういった宴の席で説教というのも……」 「あぁ? 私の話が……聞けないというのかっ!」  続いた説教にやや冷静さを取り戻したクレールが、なんとかこの酔っ払いを止めようと 立ち上がったが。 「……っ!?」  立ち上がりかけたところを逆に襟を掴まれて引き上げられ、腕を掴まれたかと思うと足 を払われ、綺麗に弧を描いてぶん投げられた。  そのままだったら背中から落とされていたであろうが、クレールは軽く身体を半回転さ せると、綺麗に衝撃を殺して足から着地していた。 「酔ってタガが外れてるのか……遠慮がまるで感じられないな」 「何だ、その態度は……私と、やろうと?」 「流石に悪酔いが過ぎるようなのでな。今日はそろそろお休みしておくべきだろう、シュリ殿?」  戦場では、ありとあらゆる状況が想定される。  竜から落ちる事もあれば、武器を失う事もあろうだろう。  そんな状況でも戦えるように、素手での戦闘技術を磨くのは当然の事である。  きゅっと床を踏む音が聞こえたと思った瞬間、クレールの拳がシュリの頬を掠める。  上半身を捻るようにして避けた体勢から、真下から突き上げるようにクレールの顎目掛 けてシュリの拳が飛ぶ。  拳を引き戻し上体を反らせてそれを避けると、ややバランスの崩れたシュリの身体を押 さえ込もうと身構えた、瞬間。  シュリの手が、クレールの長い髪の掴んでいた。 「ぐっ!?」  バランスを崩して引き倒されかけたところへ、追い討ちの足払いが飛んで来る。  片足を打ち払われたものの、髪を掴んだ手を振り解くと、二、三歩ほど間合いを取りな がら体勢を立て直す。 「流石……やるものだ……」  シュリは手近なテーブルからグラスを掴むと、その中身を一気に呷り、色がつきそうな ほど酒臭い息を吐く。 「クルルミク王国の竜騎士として、それだけの力があって、何を恥じる必要があるのだ!  嫁の貰い手がないだの、行き遅れだの、ドラゴンも跨いで通るだの、そんな言葉の一つ や二つで気落ちしていては――」  シュリの言葉は、あまりにも鋭い打撃音で遮られた。  勢い良く吹っ飛んだシュリは、テーブルの一つを巻き込んで派手に転がったところで、 目を回して動かなくなった。  その拳を放った人物は、ぱんぱんと手を叩いて、あくまでにこやかに宴の終わりを告げ るのであった。  その時、現場に居合わせた騎士達は後に語る。 「どう考えたって、攻撃が届く距離じゃなかったよな?」 「野次馬に囲まれてただろう、あそこ」 「そもそも、シュリ殿の方なんか見てなかったぞ、あの人」 「シュリ殿が吹っ飛んでから、音が聞こえたんだよ。あの拳は音よりも早かったってわけだ」  今回の歓迎会は、ある意味で新人騎士達には良い経験になった事であろう。  やってはいけない事がある。  言ってはいけない言葉がある。  逆らってはいけない者がいる。  そして、勇名を轟かせる彼女達も、なんだかんだで繊細な女性であるという事を。  逆鱗に触れなければ良い上官であり同僚である彼女達を、どうやって落とすか日々思案 するような連中は、当然ながら反省の予知もなく次の機会を虎視眈々と狙っているのだが。  王国の平和と彼女達の婚期がいつの日か訪れる事を願――あ、ディアーナさん、ちょっ と、語り部を殴るのはダメだってば、笑顔が怖いって、歯が折れると喋れなくなっちゃう から顔はだめ――(鈍い音)