黒い請負人と賢者の墓標 1


ある人は言った
「君は奇跡の子だ」

ある人は言った
「お前は災厄を呼ぶ鬼子だ」

どっちが正解なんてわからない
…どちらが間違っているかなんてわからない

「シャーロウ!右だ!」
「…わかってるさ」
鬱蒼と茂る森に、注意を促す声が鋭く響く
返事をするよりも早くシャーロウの手で銀光が閃いた
銀光は声の指摘に従うかのように右方の暗がりに疾り
「ぐぁっ!」
短い呻き声と共に崩れ落ちる影
黒装束に身を包み、ナイフを構えた暗殺者
「無用の心配だったか」
大して心配する風でもなく淡々と言うのは黒髪の軽戦士、レイラ・シュヴァイツァー
右手に刀を隙無く構えたまま、シャーロウに近寄る
「…いやいや、助かったよ…今ので僕からレイラへの好感度はうなぎ登りさ」
「来る」
シャーロウの軽口を遮って短く告げ、二人の横を駆け抜ける影が一つ
ハーフエルフの拳士、エルザ・クラウンである
エルザの向かった先、倒れ伏した暗殺者の屍を乗り越え現れたのは、同じような格好の三人の黒装束
内一人の暗殺者が、迫るエルザにカウンター気味にナイフで斬りかかる
エルザは突き出されるナイフを左手で捌きつつ、更に踏み込み震脚、右肘を鳩尾に打ち込む
鈍い音を立てて吹き飛ぶ暗殺者、受け身すら取れずに地面へと転がっていった
苦悶の声もなく、一撃で意識を刈り取る強烈な肘打
見事な技に一瞬足を止める残り二人の暗殺者
が、その内一人の喉元にシャーロウのナイフが突きたった
「…油断大敵…だよ?」
ウインクをしながらクスクスと嗤う
残りの一人は思わぬ不意打ちに舌打ち一つして、後方に退こうとする
「やらせん…!」
言葉と共に、猛然と追走するレイラ
立ち並ぶ木々など存在しないかのごときそのスピードに、目に見えて狼狽する暗殺者
慌てて更に距離を取らんと大きく跳び去ろうとするが
「…残念、二手分遅かったね」
シャーロウの非情な宣告が、暗殺者の聞いたこの世で最後の言葉となった

最初に魔術書を読んだのは六才の頃だった
父が商談のために隣りの街まで出掛けていたので、母と共に図書館へ行ったのだ
そこで趣味の恋愛小説を読み耽る母を尻目に、図書館の奥をうろついていたら
魔術書の写本を保管している一角に迷い込んでしまった
何気なく一冊を手に取り、開いてみたのだが…
無論解読など出来るはずも無く、読む事が出来た部分は一割にも満たなかった
だがしかし、理解った
読む事も満足に出来ないはずの魔術書の内容が不思議に理解出来たのだ
その事を疑問にも思わずに次々に魔術書を開き、読破していった
四冊目を読み終わり、五冊目に手を伸ばした時に、背後から声を掛けられた
「君は…そこに書いてある物が読めるのですか?」
振り向くと、温和そうな老人が立っていた
略式だが、賢者の位階を示す徽章とローブを纏っている
「読めないけど理解ります」
素直にそう告げると、老賢者は眉を顰めた
「読めない…けど……?」
それが僕と老賢者、イスルギー・パージェスとの出会いだった

「…しかし、アレだね…話が違うってヤツだ」
焚き火の前で誰にともなくボヤくシャーロウ
左右にいたエルザとレイラが、何気なくシャーロウを見る
「…いや、ね…僕の場合は最初の依頼は森を横断するのに魔物がいるから護衛を…って話だったんだよね」
同じような依頼内容だったらしく、二人も普通に頷く
そこで二人を見ながら肩を竦めるシャーロウ
「…ところが実際にはどうだい?」
舞台上の役者のようにオーバーアクション気味に両手を広げる
「…確かに魔物はいたさ…でもならず者に傭兵…さっきなんて暗殺者だよ?」
ねぇ、と一旦言葉を切る
視線の向かう先は焚き火を挟んだ反対側
童顔の線の細い青年
今回の三人の依頼人である若き賢者フェリオール・ヴィゼットだ
「その…確かに依頼が食い違っていたのは事実です、詫びて済む問題ではありませんが皆さんにはすまないと思ってます」
フェリオールはシャーロウの言葉に申し訳なさそうな表情で頭を下げる
シャーロウとしては単に暇潰しも兼ねて適当に言っているだけなのだろうが向こうは依頼内容に対する詰問と感じたらしい
責任感が強いのか腰が低いのか単に気が弱いのか
(…律義な依頼主殿だな)
その程度の事など変更の一言で済ませばいいものを
この後のシャーロウの行動を予想し、レイラは口には出さずに胸中にて依頼主に同情する
案の定シャーロウは嫌らしい笑顔を浮かべてフェリオールに迫る
「…いやいや、簡単に言ってくれるけどこっちにも準備とかあるんだけどねぇ…
ああ、別に君にどうこうしてもらおうとは思ってないし、謝罪してもらおうとも思ってないけどね…意味ないし」
その言葉にますます恐縮するフェリオール
更にシャーロウが口を開こうとするが
「いいじゃない」
黙っていたエルザが口を挟んだ
先程から黙ったままだったエルザの発言にシャーロウとレイラも思わずエルザに注目する
「どうせ私達は雇われの身、依頼主が『それでも進め』と言えばそれに従うだけでしょ」
違う?と、二人に問う
シャーロウは苦笑しつつ同意
「…ま、確かにね」
元々が暇潰しであり、大して不満があった訳ではない
強いて言えばこのかわいい依頼人の困った顔が見たかっただけだ
「だが事情くらいは聞いてもいいと思うがな」
対してレイラが異論を挟む
「変更は構わん、それこそ依頼人の都合だ」
確かに我儘でコロコロと勝手に依頼を変える輩が多いのは事実
それら全てを一々気にしていても埒が明かない
「だがシャーロウではないが相手次第では相応の準備がいる、子細まで語れとは言わんが目的くらいは聞いておきたいのだが?」
今度はエルザも口を挟まない
フェリオールは三人を見渡し、意を決したかのようにゆっくりと口を開く
「…わかりました、確かに隠しておくべき事ではありませんね」
「…いやぁ、秘密めいた美青年ってのも…いいんじゃないかな?」
混ぜっ返すようなシャーロウの言葉
ジロリと睨み付け、黙らせるレイラ
「僕がこの森を訪れたのは、とある人物に会うためです」
「こんな森の中に!?」
思わずエルザが口を挟む
さっきまで遭遇した魔物の数と強さを思うと、ここはとても人が住める環境とは思えない
自分達は大して苦戦はしなかったが、それは高レベルの冒険者が複数連携を取れる状況だったからだ
その人物とやらは住家に騎士団でも常駐させているとでもいうのか
「皆さんはイスルギー・パージェスという名を知っていますか?」
唐突な問い掛け
「いや、知らんな」
「どこかで…聞いた事はあるわ」
即答するレイラとエルザ
シャーロウは少し考える素振りを見せ、答えた
「………知ってるよ」
「本当ですか!?」
僅かに嬉しそうな表情のフェリオール
「…うん、確かいくつか論文を出してたよね………そう『魂と精神』だったかな?」
そして、また少しの黙考
「…たぶんエルザが見たのは『エルフに見る長生種の伝承』じゃないかな?」
それを聞き、エルザも頷く
「それだわ」
「よくご存じで、師はあまり名を知られていないのですが」
「…や、ちょっとした縁でね」
得意そうなシャーロウ
が、レイラは無視、フェリオールに問う
「待て…『師』だと?」
「ええ、イスルギー・パージェスは僕の師であり育ての親でもある人物です」
「育ての…養父か何かなの?」
育ての親、という単語にエルザが反応する
「そうですね、パージェス師は各地の伝承を調べながら、孤児を保護していました」
…へぇ、とシャーロウが感心したような声を出す
「そして僕のように才のある者には魔術を教えていました」
「そう…なんだ…立派な方ね」
「ええ、巣立っていった僕以外のみんなも師の事は誇りに思っています」
何やら感じ入った声のエルザとフェリオール
「…で、その大層立派な賢者さんに君は何の用なんだい?」
「そこです」
フェリオールが表情を引き締める
「僕と同じく師に拾われ、育てられた者にレイナー・エルクレセルと言う男がいました」
「いました…か」
とレイラ
感情の込もらない淡々とした指摘
「はい、彼は妹…シーナ・エルクレセルの死と同時に失踪してしまいました」
「…妹さんの死因は?」
「師によると先天性の疾患だそうてす」
病気…ともなれば高位の賢者といえど出来る事は大してありはしない
それは療師の領分であり、先天性の物ともなれば施療院でも完癒は難しいだろう
「で、ようやくその男が見つかったという事か?」
「…確かに知人からレイナーを見掛けたという報告を受けましたが…」
僅かに言い淀む
「…それだけじゃなさそうだねぇ」
「その通りです、知人の話によるとレイナーは傭兵団を率いてイスルギー師の殺害を目論んでいるらしいのです」

図書館での一件以来、暇があればお爺さんに会いに行くようになった
お爺さんは週に何回か図書館に訪れる
でも何時来るかは不規則でわからないから、ぼくは毎日図書館へ足を運んだ
父さんや母さんも、ここ最近は仕事が忙しかったからぼくが図書館に行くのは歓迎だったみたいだ
「他に質問はありますか?」
優しく問い掛けるお爺さん
手には一冊の魔道書
さっきまでぼくが読んでいた物だ
「いえ、ありません」
そう言うと、お爺さんは魔道書を閉じ、笑みを浮かべる
「よろしい、では今日の授業はここまでですね」
と、立ち上がる
「はい、ありがとうございます」
ぼくも慌てて立ち上がり、スカートの乱れを直す
そして、深々と一礼
ここ一年で、すっかりお馴染みになったやりとり
お爺さんが持ってきた魔道書をぼくが読み解き
その後、お爺さんから出された問題に答える
それが終わると、ぼくが解らなかった事や疑問点を聞き
お爺さんがその部分を解説して終了だ
でも、お爺さんの出す問題は文中の細かい部分や、そこからの応用が多いから
魔道書を端から端まで熟読しないと半分も解らない
おかげで全部終わる頃には夕方だ
たまに遅くなり過ぎて、父さん達に小言を言われたりするけど
…と、図書館を出てみると、もう辺りは真っ暗だった
「はは…今日は随分と遅くなりましたね」
苦笑しながらお爺さんが言う
確かに、ここまで遅くなるのは初めてだ
「心配…してるかなぁ…やっぱり…」
今までも、夕暮れまでに帰ってこなかったからって自警団に捜索願いを出した事もあったし
その後、自警団の人達に両親と一緒にお説教されたりしたっけ
「いやいや、私も一緒に行って、お二人に説明しますよ」
そう言ってお爺さんは先に歩き出した
ぼくは慌てて後を追い掛ける
「ごめんなさい、お爺さん」
申し訳なさそうに頭を下げる
…が、次の瞬間、下げた頭に手を乗せ
「謝る必要はありませんよ、遅くなったのは私にも責任がありますし」
こちらを諭す
それはそうだけど…それでも謝っておきたかった
だけど、口を開こうとしたら
「まぁ、それよりも早く行きましょうか…ご両親が待っているでしょうし」
その言葉と共に、足を速める
これ以上はこの会話を続けても平行線っぽいから、ぼくも足を速めて追いすがる
こんな時にスカートは足に絡み付いて走りにくい
それに気付いたのか、丁度追いついたところで、お爺さんは速度を緩めた
そこからは他愛もない雑談をしながら、十分程で自宅に辿り着いた
玄関の前には誰もいない、てっきり二人で待っているかと思ったんだけど
「ひょっとして街を捜して回ってるんじゃ…」
思わず口から出た考え
いや、あの二人なら普通にありそうだし
「それなら、まずは図書館に来るはずでしょう」
それもそうだ
「それに室内は明かりが灯っていますし…食事の用意をしているのでは?」
言われて、あっ、と気がついた
そういえば厨房にも明かりがついてるし
ホッとして扉に駆け寄り、開ける
遅いぞ、という言葉を期待して中に入ると
「ただい…」
そこで言葉が止まる
目の前の光景に思考が追いつかない
「中に入らないんですか?」
追いついてきたお爺さんが声を掛ける
そのまま中を覗き込み、同じく動きを止める
そこには血溜まりの中で、ナイフを手にした数人の男達と…
その足元に重なり合うように倒れた両親の姿があった