■Wizener

〜黒き二人の旋律




 ――クルルミク王都、郊外


「いつまでそこに隠れているつもりだ?」
「おや、気づいていたのかい」
「貴様が来たときからな」
「それならばそうと言ってくれればいいじゃないか。ボクが間抜けに見える」
「間抜けにしたかったからな」
 黒き女の言葉に、眼鏡を掛けた漆黒の外套を纏った女性――シャーロウは軽く肩を竦めた。
 そして、彼女を呼びつけた声の主はクルルミク王宮近衛騎士レイラ・シュヴァイツァー。
 だが、いつもの髪留めは無く眼帯も無い。
 普段の格好とはかなり異なるため、見慣れた人間でなければ同一人物と判別できないだろう。しかし、その腰にはしっかりと二振りの東方片刃剣がぶら下がっている。
 そして、二人は待ち合わせた場所の直ぐ裏にある酒場へと入っていった。
「…で、何の用だい? ボクを呼び出すなんて」
 カウンターに座ると早速シャーロウが問いただす。
 この女性が自分を呼び出すというのはあまりない。全く無いわけでもない。元々昔一緒に仕事をしたこともある仲でもあるし、今は情報屋としてや、他の依頼もちょくちょく受けている。
 竜神の迷宮の騒ぎが収まり、治安が良くなった王都クルルミクとはいえ、裏通りにあるこの酒場にいる連中は柄の悪い連中が溜まり場にしているのは当然のことだった。
 現に、酒場の客の好奇の視線は二人に集中している。しかもシャーロウに、だ。恐らく見ない顔だからなのだろうが、レイラは気にした様子もなく話を続けた。
「何、大した用ではないさ……マスター、ブラッディマリーはあるか?」
「ビールしかないな」
 カウンター越しに問いかけるレイラ。返すマスターにレイラはさらに言葉を続ける。
「奥にトマトジュースがあるだろう?」
「ふむ。飲みたいなら一緒に探せ」
 その言葉に軽く嘆息するとレイラは立ち上がった。
「だそうだ。行くぞ」
 促されるまま、レイラの後をついていくシャーロウ。何が何だか良く解らないままトマトジュース探しをさせられるのか、などと思考が過ぎる。そんなわけないだろうとは解っているが、目の前の女性ならやりかねないのも確かなのだ。
 一度、シャーロウはそれで見事にハメられている。
 それ故にこのパターンの行動はあまり良い気分がしないのだ。
 そんな心配をよそに、マスターを先頭に地下室に辿り着く二人。いくつかある鍵の束から一本を取り出すと、ガチャリ、と大きな音を立ててドアの鍵が開いた。
「…なるほど」
 先のやり取りはこの部屋を使わせてくれ、という暗号みたいなものだったのだとやっと理解するシャーロウ。だが、黙って連れてこられては盗賊としてはいささか気分の良い物ではない。
「良く使わせてもらってるのでな」
「…だからと言ってボクに黙ったまま、というのは勘弁して欲しいな。昔のことを思い出す」
「あれは貴様が間抜けだっただけだろう」
「…後にも先にも、あんな風にボクをハメたのは君以外に居ないよ」
 その言葉にレイラは苦笑しながら、部屋の中に入り椅子へと腰掛けた。シャーロウもそれに続くように腰掛けるとワインを一瓶頼んでマスターを外に出す。
「…で、本題は?」
 二人きりになったところで、今度はシャーロウが先手を取った。
「ある組織を調べて欲しい。場合によっては私とお前で潰すことになる」
 本来は竜神の迷宮事件で有名だったリィアーナという盗賊に頼んでいるはず。だが、そのお鉢が回ってきたということは彼女が他ごとで動いているか、単に仕事を蹴ったか――そんなことを考えたが、今のシャーロウにはどうでもいいことだった。目の前に仕事の話がある。それ以上でもそれ以下でもない。
「…ということは、動くのはボクと君の二人だけ、かい?」
「ああ」
 また危険な任務を請け負ったのか、と軽く溜息を吐くシャーロウ。
 レイラは公式には近衛騎士という肩書きだが、その存在を知る国民はあまりに少ない。王宮に詳しい者や、近しい人間、後は王宮の人間ぐらいしかその立場を知らないのがほとんどだろう。
 その表向きの理由は、盛大な叙勲によってセニティ王女の悲劇を思い起こさせないようにするため、本人が派手なのを拒んだため、と言われているが、実際には違う。
 いや、正確には前者は正しい。だが、本当の理由はレイラが裏の仕事をラシャに代わって請け負うために、であった。
 事件の真相を全て知っているレイラはクルルミク王宮にとってはあまり好ましくないと言えば好ましくない人物だった。だからこそ、レイラはそれを逆手にとって自分をそばに置くことで解決しないか? と持ちかけたのである。
 そして、本来ならラシャが行うべき汚れ役を、一手に引き受けることになったのだ。
 ラシャが表で、レイラが裏で。それぞれの役目を負って、今の立場にいる。
 もちろんこれはハウリ王子、ラシャ、レイラらだけが知る真実である。その他に知っているのは先程シャーロウが思い浮かべたリィアーナと、シャーロウの二人だけ。この二人はレイラから依頼を受けて仕事を任されている。
 無論、外部に漏らすようなことがあれば始末の対象になるだろうが、二人ともそんなバカな真似はしない、というレイラの人選だった。
 そして、その人選は間違ってはいなかった。
 行動を共にしたことはないがリィアーナとシャーロウの二人は数々の依頼をこなし、レイラと共に多くの厄介事を始末してきたのである。
 かつて仕事を依頼され、共にその仕事を終えたときにレイラは自分を英雄ではない、と言った。世間で王宮に居ること自体はあまり知られてはいないが、事件解決の立役者としてのレイラは英雄、という扱いを少なからず受けていたのだ。
 だが、それを彼女は否定した。
「英雄が何を言うのさ」とシャーロウの反論に、レイラは「薄汚れた、穢れた剣が英雄と言うならば、世間に英雄は腐るほどいるさ」と自嘲したのを今でも覚えている。
 その認識は間違ってはいない。
 英雄と人殺しは紙一重だ。
 けれども、この国にとっては間違いなく英雄であるにもかかわらずあっさりと否定したのだ。
 そんなことを思い出していると、レイラが今回の依頼内容を語り始める。
「まぁ、簡単に言えば人身売買と薬物密売だな」
「…何だ。事件絡みじゃないのか」
「不服か?」
「…いや、別に。ただ刺激が欲しかっただけだよ」
 その言葉に、今度はレイラが嘆息した。
「遊びでは――」
「…遊びじゃない、は聞き飽きたよ。それにそれくらいはボクも弁えてるさ」
 弁えててなお、その言葉が出てくるのがレイラにとってシャーロウの好きになれない部分であった。
 もちろん、信頼も信用もしている。が、リィアーナの真面目さに比べてシャーロウは遊びが過ぎるのだ。そこがこの盗賊の不安要素でもあるが、今までは依頼は完璧にこなしている。それ故、レイラの思うことは全て杞憂に終わっているのだが、やはりどうも納得行かないらしい。
「まぁ、いい」
「…で、ボクはそのギルドの尻尾を踏めば、もとい掴めばいいのかな?」
「取り敢えずはな。そこで一旦連絡が欲しい。今ある情報が全て正確ならば、潰さねばならん」
「…オーケィ。なら、ある程度調べたらいつもどおりの手筈で連絡するよ。今度のキーワードは――」


 *


 ――クルルミク王城、レイラ自室


 コンコン
 不意に自室のドアがノックされる。
「何だ」
 それに気だるそうに問うと、下士官らしき女性の声が返ってきた。
「レイラ様。お手紙が来ております」
「下から入れて置いてくれ。後で見る」
「解りました」
 そう言うと下士官――恐らくは部下なのだろう――は、言われたとおりに手紙をドアの下からすっと部屋の中に入れ去っていった。
 レイラは仕事を遂行中のときは大抵自室にこもっている。
 だが、これには理由があった。
 リィアーナやシャーロウらと連絡を取りやすくするため。何か他事で邪魔されないようにするための二点だ。
 逆にラシャと共に王子のそばに居るときは特に“仕事がない”ときなのだ。ハウリもラシャもその時間が多いことを望んではいたが、世の中そうもいかないのが現実だった。
 即ち、本来居るべき場所である王子のそばに居ないことが多い。そのために、俸禄泥棒呼ばわりされたこともある。おかげで、大臣たちには咎められることが多い。ただでさえ傭兵上がりということもあって、あまり良い印象ではないのだ。
 上司であり親友であるラシャ、そして、仕えるべき主ハウリ王子が彼らに対してレイラについてはこちらの管轄だからと正式に取り計らってくれるまではもっと酷かったものである。
「さて、と……」
 書類を書き終えたのか、ふぅと溜息を吐くと、レイラは机の前から立ち上がってゆっくりとドアへと向かった。そして、先程置かれた手紙を拾い上げると再び机の前へと腰を下ろした。
「“シャーロウの眼鏡は丸眼鏡”」
 唐突に妙な言葉を口走るレイラ。
 だが、その言葉に反応するように手紙の封が独りでに開き、その中身が姿を現す。
 魔法で封がされていたのだ。
 それを解くワードを口にすると、封は独りでに開いてその中身を見ることができる仕組みの魔法だ。もっとも、厳密に言うならば魔法ではなくマジックアイテムの一種である。街の道具屋に行けば普通に売っている代物なのだが、シャーロウの開封の言葉はいまいちセンスが良く解らない。
『親愛なる我が友レイラへ。頼まれた件、調べ終わったよ』
「思ったより早かったな」
 頬杖を突きながら右手を顎に当てて手紙を読み始めたレイラは呟く。直接会話しているわけではないが、喋ってしまうのが癖なのだろう。
 手紙の内容はレイラがシャーロウに調査を依頼した組織――ギルドのアジトと、現状。そして相手戦力など事細かに記載されていた。
 それをつーっと流し読みしながらレイラは考える。
 二人だけで大丈夫か?
 いや、二人でやらなければ意味がない。問題はいつどのように潜入し、潰すかだ。
 そんなことを思考しながら、手紙を読み進めて行き……最後の一文に表情を曇らせた。
 ――あのときの何人かの冒険者が居るかもしれない。
 その一文は、レイラの気を重くするのに十分だった。


 *


 手紙を受け取ってから数日後。
 時刻は既に夜の帳が下り、さらに雨が降っていた。
 しかも、雨と呼ぶには程遠いほどの土砂降りである。
 そんな中、二人はシャーロウの調べ出したギルドの建物のそばの廃屋に居た。
 ギルドがある住宅街の郊外は住宅街がそばにある分、荒事で手を出しづらいのも確かだった。何故ならば目標の表向きは教会だからだ。
 そして、住宅街がそばにある。
 それは即ち大きな騒ぎになれば警備隊が直ぐに来る可能性が高いということだ。それ故、警備隊に気づかれないように行うには、多少の音を掻き消すために雨は必要不可欠な要素だったのである。そのために大雨が降るまで待っていたため数日の時を要した。
 そして、雨が降り――決行の日となったのである。
「…相変わらず、物騒な格好だね」
 シャーロウはいつもどおりの黒の外套に、眼鏡。そして武器は見える範囲では短刀を数本。外套に何が入っているかは傍目からは解らない。恐らくはいくつものアイテムが入っているのは間違いないだろう。
「そういうお前こそ、その中は……だろう?」
 一方のレイラは、冒険者時代とも騎士の格好とも大幅に違った。
 全身黒で統一しているのはいつもどおりだが、その脚に装着されたグリーブまで黒い。そして、肩当もなく、腰から下の裾は長い。そしてもっとも特徴的なのは、その両手にぶら下がっている武器――ジャマダハルだった。いつもの二振りの刀は腰の後ろに帯刀し、ジャマダハルの動きの妨げにならぬように吊るされている。どんなときでも、どんなスタイルでも愛刀だけは肌身離さず持っていくらしい。
 もちろんシャーロウが見るのは初めてではないが、この姿のレイラは正直、どんな状態のときよりも危険だということは身に沁みて解っていた。
「さて、どうやって入る?」
 廃屋の隙間から見える教会を見ながらレイラが問う。
「…正面と上から、というのが定石かねぇ。さすがに正面は人を置いているだろうし」
「ならば、そちらは私が受け持とう」
「…相談もなし?」
「即断即決だ」
「…まぁいいか。どうせ濡れるのは変わりないし」
 まるで今から人殺しをするとは思えないような会話をしながら、二人は現場へ向かうはず、だった。シャーロウが外に出ようとしていたのに対して、レイラがまだ動かずにその場にいたのだ。
「…レイラ?」
「ん、ああ、少し待ってくれ」
 そう答えると、レイラはジャマダハルの刃を十字に構え、小さく唱えるように呟いた。
「クルルミク王家に仇なす、全ての敵に死の洗礼を」
 その瞬間、レイラの纏う空気がさらに変わった感じがした。普通の人間には絶対に解らないであろうという変化。それはそばに居て、そして付き合いを持っているからこそ解るものなのかもしれない。
「行くぞ」
 言った矢先にはもうレイラの姿は既にそこになかった。
「…のんびりなのか、せっかちなのか」
 肩を軽く竦めるとシャーロウも後に続いていった。


 レイラが教会のドアをコンコンと軽くノックをすると、中で人の気配が動いた。足音が近づいてくる。音は一人分。位置からして右の扉を開ける位置だ。それを聞き逃さないようにじっくりと息を殺して待つ。
 そして、ドアが開いた瞬間。
 開いた男の首から血飛沫が飛び散り、その身体がくずおれる。
 レイラは男の喉仏――気道を斬ったのだ。しかも声帯ごと斬られた男は声を上げることもできず、その場でもがいて音を発てようと試みる。しかし、その倒れた身体を容赦なく黒き女は踏みつけ、刃を突き立てた。そして、完全に動かなくなったところで刃を抜いて血を振り払う。
「まずは一人」
 中に入りながら辺りを窺うレイラ。今ので誰かが気づいた様子はなさそうである。
 別ルートのシャーロウの方も騒ぎになっていないところを見ると無事侵入はしたようだ。後は合流ポイントまで如何に相手の数を減らしつつ、進むだけ。
 と言っても建物は教会。基本的に吹き抜け状態で広いスペースが多い。裏を返せば隠れるスペースも少ないのだ。
 足音を消しながら、レイラはゆっくりと壁に沿って歩いていく。目的地の礼拝堂まで障害があれば取り除き、無ければそのまま進む。ただそれだけだ。
 そして、目的の礼拝堂の扉の前まで来ると、天井から一つの人影が降りてきた。
「…や」
「そっちはどうだった」
「三人。ただ、普通の人っぽかったけどね。部屋関連は特になし……やっぱりこの中の地下まで行かないと何もないだろうね」
「そうか」
 そう言いながらシャーロウがその手を扉の取っ手に掛け、ゆっくりと引いた。
 キィィィィィィという油が切れた軋む音を盛大に発てる中、礼拝堂に入る二人。その身を屈めて息を潜める。だが、警戒して入った割には、ここにも誰も居なかった。
 いや、逆に人数が居ると不審さは増すだけか。
 そんなことを思いながらシャーロウは辺りの気配を探る。
 今の音で誰かが近づいてくる様子も無い。豪雨の音だけが辺りに響き、上手く掻き消してくれたのだろう。
「…外は大丈夫」
「の、ようだな」
 念の為に確認をしつつ、礼拝堂の像を動かすと隠し階段が姿を現す。在り来たり過ぎる隠し階段の位置に二人は目を合わせて肩を竦めた。
 レイラが先に降り、シャーロウが後ろに気を配りながらゆっくりと二人は降りていく。階段は、雨のせいで湿気を帯びた空気が、独特の臭いを発して充満していた。
「随分間抜けな連中みたいだな」
 奥の部屋に大勢の気配を感じながらも、誰一人廊下に見張りが居ないことに呆れ返るレイラ。シャーロウも後ろから覗き込むと、苦笑を浮かべる。
「…ま、その分やりやすいさ」
「違いない」
 階段から、大部屋と思われるドアまで何も無い一直線の廊下。恐らく何かあったときに迎撃でもしやすいように設計したのかもしれないが、見張りも立てず、今近寄っている侵入者に気づかないようでは全く意味を成していなかった。
 中では宴会でもしているのか、バカ騒ぎが聞こえている。
「さて……ん?」
「…ここはボクに任せてもらおうかな。何、レイラの手を煩わせなくて済む方法だから」
 そう小さく囁くと、シャーロウは外套の中から一本の鋼線を取り出す。それをドアの下からスルスルと忍ばせると、ある一定の長さまで入ったところでその動きを止めた。そして、小さく鋼線に向かって呟くシャーロウ。
「“魔装連結刃”」
 言葉と共に、声にならない悲鳴がドアの向こうで巻き起こる。その事態に何が起こったのかと鍵穴からレイラが覗くとそこには凄惨な光景が映し出されていた。
 シャーロウが部屋の中に忍ばせた鋼線に小さなダガーサイズの刃が生まれ、部屋の人間を尽く襲っているのだ。しかも的確に喉笛を掻っ切るという凄惨な方法で。
 やがて刃の竜巻が収まり、きつい血臭が鼻を突く。音を聞いていた限りでは逃げた者はいないはず。つまり中に居た全ての人間が刃の餌食になったのだ。
 刃の竜巻が収まったのを見計らい、レイラがドアを開けて中へ入る。そこに見えるのはまるで地獄絵図のような光景。しかし、レイラは気にした様子もなく奥へ続く扉があるのを確認すると、他に何かないか辺りを見回し始めた。
「しかし、見事だな」
 恐らく地獄絵図の状態のことだろう。
 だが、褒められた当のシャーロウはあまりいい表情をしていない。その原因は手に握った鋼線にあった。
「あちゃ……壊れたか」
 稀少なマジックウェポンではあったが、使ってこそ意味がある。壊れたのなら仕方ない。そういう認識で使ってはいるが、やはり長い間使っていた物となると少しは違う。
「まあいいや。今までご苦労さん」
 そう呟いた途端、シャーロウの死角から何かが投げられた。空気を裂く音で視線はそちらに向いたが、身体の反応が間に合わない。
 当たる――そう思った瞬間、床に物……ナイフが転がると同時に、投げた当人は頭にジャマダハルが刺さった状態で物言わぬ骸と化していた。
「油断しすぎだ」
「…ごめんよ。ちょっと感傷に浸ってたのさ」
 軽く舌を出して謝るシャーロウ。愛用していた武器に対して少し感傷に浸っていたのは事実だが、らしからぬミスをしたことでレイラに迷惑を掛けた自分に立腹する。
「さすがに終わった、か?」
「…奥はどうだろうね?」
「見る必要はあるな」
 言うや否や、二人は廊下を駆けていく。最早気配らしい気配も感じない。余程のことが無い限りはもう走っても大丈夫だと判断したのだ。しばらくして、丁字路に突き当たると二人は立ち止まる。
「右」
「左」
 レイラ、シャーロウがそれぞれ順番に口にすると二手に分かれて廊下を走り始める。
 それから十数分後。
 元の丁字路で二人は落ち合っていた。
「そっちは?」
「…人は居たよ。売り物が、ね」
「こちらはコレがあった。証拠は全部、だな」
 そう言って手に持った薬物の袋をちらりと見せるレイラ。
「…なら、ボクらは撤収かい?」
「そうなるな」
 話しながら先の部屋に戻ってきたその瞬間――
 ゴトンッ
 何かが動いた音がした。そちらに視線を移す二人。
 そこに居たのは……年の頃十四、五歳の少女だった。


 *


 少女の前に立ちはだかった隻眼の暗殺者は、見下ろしながら両手の刃を閃かせる。
「悪いな。顛末を見られた以上は、女子供でも容赦できない」
 それに対し「あ、あ」と声にならない悲鳴を上げながら後退りする少女。
「わた、私は……」
 下っ端だから見逃して、とでも言いたかったのだろうか。
 しかし恐怖で舌は回らず、そして相手が相手で運が無かったとしか言いようがない状態。
 そして、次の瞬間。
 無慈悲にジャマダハルの刃が少女の胸に深々と貫き……その身体がくずおれた。
「…悪趣味だね」
「仕事だからな」
 その一言で片付けてしまうレイラに、シャーロウは少し同情していた。昔はもっと感情豊かに動いていたはずだ。そして、怒りを持ったときの彼女の剣技は美しさと荒々しさを持ったものだったのを今でも覚えている。
 しかし、今はその欠片すら残っていない。
 強くはなった。むしろ、あの頃より遥かに強い。
 けれども、同時に多くのものを彼女は失っていた。
「…後味としては最悪かもしれないね」
「侮蔑したければするがいいさ」
「…レイラはそうやって直ぐ拗ねる。まぁ、そこが君らしくていいんだが」
 死臭が漂う中、シャーロウが茶化すがレイラは関心がない、とばかりに答える。
「ま、遊びではないからな。この手のことに関しては思考を鈍らせないと自分が危なくなる。あのときの二の舞はさすがにごめん被りたいのでな」
「…やはりまだ気にしてるのかい?」
「……気にしていないと言えば嘘になる」
 ハイウェイマンズギルドによる竜神の迷宮の占拠、そしてそれの討伐と言う名の事件。その中で起きたとあることで、レイラ・シュヴァイツァーは自ら右目を斬った出来事があった。
 恐らくそれ以来だろうか。彼女の温度がなくなっていったのは。
 彼女が激情を見せたのは、少なくともハイウェイマンズギルドのボスであるギルドボと対峙したときが最後だと、そのとき一緒に居たフュンフツェーヌが語っていた。
 それ以降は彼女の店に来ようが、何かのときに会おうがただ“冷たい”と言う印象しか受けなかったという。
「…詮索しても、詮無きことか」
「何がだ?」
「…いや、こっちのことだよ」
 ならいいが、と返答するとレイラは今殺した少女の死体を観察し始めた。何か引っかかることでもあったのだろうか?
 それとも、良心の呵責?
 いや、後者はないか。そんなことを思いながらシャーロウは口を開く。
「…しかし、いたいけな少女まで殺すことは、随分変わ――」
「いや」
 シャーロウの言葉を遮り、レイラが口を挟む。
「どうやら、この娘がギルドのボスだったようだ」
 死体を蹴ると、その右肩にギルドのタトゥーが彫られていた。しかも、他のどんな連中よりも豪華絢爛な刺青。権力を示さんとばかりに目立つものだ。
 考えてみればこんな場所に少女が居る時点で、この少女が真っ当な人間ではないのは確かである。この刺青が何よりも少女が力を持つ者であるということを物語っていた。そして、この少女は先まで“全く気配を消していた”のだ。それを考えれば、この少女がそれなりの人間だった、ということにも合点が行く。
 結構な規模のギルドだと聞いていたが、こんな少女がボスだったとは今まで誰も思わなかったのだろう。それ故に下っ端を装って逃げるつもりだったのかもしれないが、相手が悪かったとしか言いようがない。蛇の道は蛇、と言ったところか。
「…こんな小さな娘が、か。世も末だねぇ」
「いつの時代でもそんなものだ。傭兵という職業が無くならないのと同じようにな」
 その言葉に「なるほど」と軽く苦笑すると、辺りを見回した。動いている気配は感じられない。ボスも目の前に転がっている。
 取り敢えずは終わった、というところか。
 日が昇って異常に気づけば、警備隊が駆けつけてくるだろう。なるべく早めに退散しなければならない。
 だが、その前に気がかりになったことをシャーロウは口にする。
「…で、解放はしないのかい?」
 奥に捕らえられている女性たちのことを何となしに口にしてみる。
 しかし、レイラはそんなものなどまるで元から居なかったような態度を取った。
「それは警備隊の仕事だ。私の仕事ではない」
 その言葉に、アルビノの盗賊はただ肩を竦める。
 確かに警備隊が来れば、自然と彼女たちは解放されるのは間違いない。だが、万が一のことがあれば、いずれこの黒き女性が動くことになる。彼女はただそれだけのこと、としか認識していないのだろう。
「…さて、連結刃も壊れたし、報酬はお金だしなぁ」
「まぁ、腐るな」
 シャーロウのぼやきに、レイラは一振りの短剣をポンと投げ渡す。
「…これは?」
「右の部屋で見つけた物だ。他にも色々あったが、私は目利きが悪いんでな。取り敢えずそれだけ持ってきた。置いておいても警備隊に持っていかれるだけだろうしな……自分で取りに行ったらどうだ?」
 レイラの言葉に、思わずきょとんとするシャーロウ。
「…いいのかい? れっきとした窃盗だよ? いや、強盗か」
「行ってくればいい。元々違法ギルドの物など、所詮押収されて宝物庫行き辺りがオチだからな。それこそ実用性のある物などに関しては勿体無い」
 そう言って不敵な笑みを浮かべるレイラ。それに応えるようにシャーロウもにんまりと笑みを浮かべる。
「…ボクはレイラのそういうところが大好きだよ」
「早く行け。あまり時間はない」
「はいはい。それじゃ拝借させてもらうとしますか」


 そして。
 二人が警備隊が来る前に脱出した頃には、既に空が白み始め見事な朝焼けをしていた。
「結局また徹夜の仕事か。肌に来るから困る」
 現場から大分離れたところで、唐突にレイラが呟いた。
「…こんな仕事してて肌のこと気にする辺り変だよ、レイラ」
「あまりに酷いとラシャや王子が心配なさるのでな。手入れも程々にしておかないといかん」
 思わぬ返答に、ぷっと吹き出すシャーロウ。予想だにしない一言はギャップがありすぎたのか、大声を出して笑っている。そして一頻り笑った後、目の端に涙を浮かべながら口を開いた。
「…大変だねぇ、レイラも」
「自分から選んだ立場だ。不満はないさ」
 不満はない、けれども不安はある。だが、その言葉は口にしないレイラ。
 そんな思考も知らずに隣でまだ笑っているシャーロウ。
 そして、黒き二人は朝陽が降り注ぐクルルミクの街へと消えていった。