3.
コツ、コツ、コツ・・・・・・。
不気味な程に静まった迷宮内では、些細な物音さえ高く響く。
そんな音の一つ一つに――それが自分の靴音だと理解しつつも――怯えながら、シャーデーはひとり、歩いていた。
こうして闇ばかりが満ちた迷宮内をひとりで歩いていると、嫌な記憶が蘇る。
怖い。
出口はこっちでいいのだろうか。
罠があったらどうしよう。
今、魔物に襲われたら。
何よりも、ならず者達に出くわしたら・・・。
そんな不安ばかりが積もり、前に進む脚に絡み付いて、時にその動きを止めさせ、シャーデーを押しつぶそうとする。
そして、その度に考えてしまう。
『私は、もしかして弱くなっているのではないか?』
姉に追いつく為に挑んだこの迷宮で、私は逆に後退してしまったのでは――?
自分で思い出す限り、以前の自分はもう少し勇猛心に溢れていた。
闇を恐れる事もなかったし、魔物やならず者達に敗北する事など頭にも浮かばなかった筈だ。
今はどうだ?今の自分は、危機に出会った時、立ち向かえるだろうか?
――出来ないかも、知れない。
シャーデーの脚が完全に止まった。
まだ最初の階段すら見えていないのに、それ以上前進する事が出来ない。
では引き返すか?
馬鹿な。それこそ恥だ。
結局、前に進む事も後ろに退く事も叶わず、シャーデーは通路の半ばでへたりこんでしまった。
両膝を抱え込む格好で小さくなって、闇を見ないように膝に顔をうずめる。
・・・これからどうしよう。
あんな事を言ってしまった後だ、今更エルザパーティーには戻れない。
もう彼女達とはお終いだ。
「いいさ。・・・別に。」
シャーデーだって、これ以上の恥を晒してまで戻ろうとは思わない。
未練だって無い。
ただ。
『君がいれば』と思う。
君がいれば、こんな事にはならなかったのに。
「ユリー・・・。」
シャーデーは、今はもう会う事の叶わぬ友の名を呼んだ。
顔を上げれば、そこに君が居るのではないかと言う錯覚を覚えながらも、本当はそれが只の錯覚だと知っている。
だから、記憶の中でだけ君の笑顔を思い出す。
他の誰とも違う、君の笑顔を。
今まで、姉様を目指す私を嗤う者は大勢いた。
姉と自分を比べても仕方ないと、理解者ぶって言う者もいた。
でも、君は違った。
君だけは、私と同じ目線で、一緒に歩んでくれた。
『あたし達、なんだか似ているわ。』
そう言って笑ってくれた。
君とならきっと、どんな遠い目標でも、挫けずに目指し続ける事が出来ると思ったんだ。
それなのに。
――ぶるり。
その時の事を思い出して、背筋に怖気が奔った。
心に深々と刻まれた傷から、じくじくと記憶が溢れ出して来る。
身体を這う男達の指。
すぐ近くに感じる臭い吐息。
視線。
全てが気持ち悪くて抗おうと必死にもがくが、力の入らないこの身では、とても相手の腕を振りほどけない。
それが、敗北した私の否定しようもない現実だった。
より正確に言えば――・・・魔物との戦闘で敗れ、必死の思いで敗走して、さらにそこに殺到したハイウェイマンズギルドのならず者によって引き倒され、3人がかりで担ぎ上げられたシャーデー=ニコラウスのどうしようもない現実。
そんな私に出来る事は、何とかならず者達の手を逃れた仲間達に助けを求める事だけだった。
――助けて、ルーネット。
アヤカ。
そんな私と目があったアヤカが何かを叫んで、ルーネットが悔しそうに首を横に振った。
そんな。
待って。
私は体裁を捨てて叫んだ。
ルーネットの名を呼んで、アヤカの名を呼んだ。
それから、ユリー。
今は気を失ってルーネットに背負われている君の名前を。
声の限りに叫んだ。
けれど、その姿は遠ざかって行くばかりで――・・・それが正しい事だとは分かる。
全滅の危機を避ける為に、その決断≠出来る者こそが優れた指揮官となりうるのだと。
でも、あの時の私は思った。
『見捨てられたんだ、私は。』
嫌だ。
そんなの嫌だ。
やだよ、ユリー。
助けて、誰か。
これから私は犯されるのか。こんな下賎の連中に、嬲られて、売り物にされるのか。
結論から言えば、そうはならなかった。
玄室の中に放り込まれて、裸に剥かれたところで、通りすがった別の女冒険者達が、玄室内に踏み込んできたのだ。
彼女達の戦闘力たるや凄まじく、瞬く間にギルド連中を殺しつくしてしまったが、シャーデーにとって不幸な事に、彼女達は親切とは言い難かった。
室内にめぼしい宝物が無いと知るや、シャーデーを無視してさっさと行ってしまった。
仕方ない。助かっただけでも運が良かったのだと考えよう。
そう思い、単身でクルルミク城下町へと引き返し――
そんな馬鹿な。
だって、そんな事があるわけがない。
町に引き返したシャーデーを迎えたのはハイウェイマンズギルドのならず者集団だったのだ。
いくら裏路地だからと言って、ココはクルルミク城下町なんだ。
ハイウェイマンズギルドの連中の横行が許されるわけがないじゃないか。
何故だ。
何故、誰も助けてくれようとしない。
私は悲鳴をあげて、と言うか助けを求めていて、何人もの人がそれに気付いているだろうに、誰もが見てみぬフリを決め込んで通り過ぎて行く。
あげく、冷たい目で私を見下ろして。
ワケがわからない。
なんでそんな目を向けるんだ。
私はニコラウス家の次女なんだ、こんな事があっていいのか。
そして。
ああ。
私は、またも『見捨てられた』。
結局、その時は事≠ェ起こる前に駆けつけてくれた竜騎士のパーティーに救出され、身体を傷つけられる事はなく済んだ。
今度こそ無事に帰還する事が出来た。
・・・無事?
いいや、傷なら残った。
心に、今でも疼く深い傷が。
その傷跡を抱えたまま、シャーデーには、しかし行く場所が無い。
尻尾を巻いて帰るワケにもいかず、頼る相手も無く。
彷徨いに彷徨って――・・・逡巡の後、その脚で酒場を目指した。
自分は、立ち止まるワケにはいかなかったから。
そして、その為に・・・ユリー。君に会いたかった。
君が陽だまりみたいな笑顔で導いてくれたのなら、私は傷を抱えたままだって何だって、歩き続ける事が出来る。
そんな気がしていた。
それなのに。
『ええとだな、嬢ちゃん。言い辛いんだが、お前さんの仲間のユリーってコな・・・。』
酒場の主人がそうやって切り出した言葉に、私の希望は泡となって消えた。
『・・・うそ、だ・・・。そんなの、うそだ・・・。』
傭兵達が口にしていたのを聴いたのだと言っていた。
本当なのか。
『ユリア=シャーロットと言う少女が、ハイウェイマンズギルドによって捕らわれ、嬲り抜かれ、性奴として異国へ売り飛ばされたのだと。』
絶句した。
君は戻って来ないのか。
もう二度と会える事はないのか。
私は、唯一の友さえなくしてしまったのか――・・・
「・・・・・・!」
その時の虚無感を思い出している内に、無意識に前髪を指で摘んでいる自分がいた。
これは子供の頃からのシャーデーのクセだ。
何故だかは自分でも分からないが、昔からシャーデーは辛い時や泣きたい時、こうして座り込んで髪の毛を弄るクセがあった。
こうしていると、大抵の場合はあの人がやって来て慰めてくれた。
『どうかしたの、シャーデー。』
そう言って、隣に座ってくれた。
コーデリア。
コーデリア、姉様。
子供の頃は、貴方がそうして隣に来てくれるだけで嬉しかった。
貴方が傍にいてくれるだけで、安心した。
いつからだったか、私は自分の隣に貴方が座ることを許さなくなった。
悲しくて、辛くて、やっぱり部屋にひとり座り込んで――心のどこかで貴方が来てくれるのを待っていたのに、いざ貴方が来てくれると私はすぐに立ち上がってその場を去った。
私には望んでも届かないところにいる貴方が、そうして隣まで来て、わざわざ慰めてくれるのが屈辱だった。
それにもかかわらず、今になってまで、こうして貴方が来てくれるのを待っているのか、私は・・・!!
「情けない・・・っ!私は、なんて・・・っ、どこまでも、情けない・・・!!」
熱い。
両目に涙が溜まっているのか。
駄目だ、泣いてはいけない。
子供の頃から、それだけは心に決めていたんだ。
父様から『勝者以外の流す涙などは、敗者の証だ。心弱き者が、己にすら負けた事の証明にしかならない。』と教え込まれていたから。
私は、私自身に敗北を与える事だけはすまいと決めていた。
でも、駄目だ。
折れそうだ。
今、涙を流せばもう二度と立ち上がれない気がするのに。
滲む涙を止める事が出来ない。
怖い。
怖いよ、助けて誰か。
誰か、来てよ――
「シャーデー。」
「――ッ!!」
心臓が止まりそうになった。
と言う表現は別に大袈裟じゃないと思う。
そのくらい驚いたんだ。
音もなく、いつの間にかすぐ近くまで歩み寄って来ていただけでも驚きだというのに。
それが、君だなんて。
「エルザ君・・・。」
名を呼ぶと、女エルフはくすりと微笑んだ。
急いで目をこすり、潤んでいた涙を拭って誤魔化す。
・・・まさか見られたりはしていないだろう。
まだ心臓がバクバクと激しく鼓動しているが、そちらの方もなんとか大丈夫だ。
「隣、いいかしら?」
「あっ・・・。」
即座に立ち上がろうとしたのに、そう言って先に座り込むものだから完全にタイミングを失ってしまった。
仕方がないので、シャーデーは膝を抱え込みなおす。
そっぽを向くフリをして、エルザが何か口を開くのを待つ事にした。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
そうして待っている間に、いくらかの沈黙が流れてしまった。
気まずい。
チラリと様子を窺ってみると、エルザは、何てことも無さそうに壁ばかりをまじまじと見つめていて、とても何を考えてるか分からない。
やっぱり、怒っているのだろうか?
それ以前に、どうしてココに?
もしかして、私を探しに来たのか?
むこうも私が口を開くのを待ってる?
何か言った方がいいだろうか?
「ええと――・・・」
「この迷宮の近くにね。教会があるの。」
まるで呼吸を読んだようなタイミングで、エルザが口を開いた。
しかも、まったく予想外の話しだ。
「・・・メルディアス教会。知ってる?」
「あ、いや・・・。」
ニコラウス家は国家にこそ絶対的な忠誠を誓っているが、神とか宗教にはあまり熱心とは言えない。
首を振って否定するしかないシャーデーに、エルザは「そうよね。」と頷いて壁を眺め――恐らく、迷宮の外のその教会に思いを馳せているのだろう。
いつもよりも何だか楽しそうに話しを続ける。
「神父様が一人でやってるような小さな教会なんだけどね。余裕もないのに、身寄りのない子供達を集めて、孤児院の真似事までしちゃって。17人よ、17人。17人の――・・・私の家族。」
「家族、だって?」
「ええ。家族。」
思わず問い返してしまったが、エルザは、さも当然の如く頷いて、それ以上は深く話すつもりはなさそうだ。
と言うよりも、彼女にとっては『家族』と言う事が最も重要な事実で、経緯などはさしたる問題では無いと言う事なのだろう。
初めて聴くエルザの身辺の話に、シャーデーはまじまじと彼女を見てしまっていた。
エルザもまた、黒い瞳に真剣な輝きを宿して、真っ向からシャーデーの目を覗き込む。
「あの子達を守る為なら、私は何だってするわ。ならず者達があの子達の今を潰そうとするなら、私は奴等を徹底的に潰す。ワイズマンがあの子達の未来の脅威となるなら、私はワイズマンだって倒して見せる。――・・・それが、私の・・・譲れない思いよ。」
「そう、なのか。」
「だから。」
そこで、美貌のエルフは一つだけ息をついて、瞳のみならず身体ごとシャーデーの方に向き直る。そして。
「さっきはごめんなさい。」
「・・・へ?」
いきなり頭を下げたエルザを、シャーデーはワケも分からず見つめ返した。
「私にも譲れないものがあるように、貴方にもあるのでしょう。私は、そんな事も考えずに適当な事を言って、貴方を傷つけてしまった。」
「!・・・・・・・・・。」
心臓が、また大きく鼓動した。
先ほどの、取り乱して怒鳴り散らす自分を思い出して恥ずかしさが込み上げて来たのと、もう一つ。
フワリと毛布で包まれたような暖かい何かに戸惑ってしまったのである。
「本当にごめんなさい。」
「あ・・・う、うん。」
分かる。
エルザは今、パーティーの和を取り持とうとして無難な事を言っているわけではない。
エルザの視点の、エルザの気持ちで語っている。
シャーデーの気持ちを否定せず、知って、解して、その上で認めて、自分の本当の気持ちで応じてくれているのだ。
なんだか眩しかった。
そのせいで顔を背けてしまったけれど、ありがたい事に、言葉は自然と出てきてくれた。
「・・・いいよ、別に・・・。気にしないでくれたって。」
すると、隣でエルザが、多分、微笑んで
「孤児院にね、貴方と似た子がいるわ。」
「え。」
また唐突な事を言う。
シャーデーは反射的にまたエルザに振り返ってしまった。
やっぱり微笑んでいる。
「とてもいい子よ。ちょっと意地っ張りだけど、素直で。ケンカしたり怒られたりするとすぐにスネちゃうんだけど、かわいいのよ。部屋の隅っこで、ずっとこっちを窺ってたりね。私や神父様が呼んであげると、ちょっと迷うけど戻って来てくれるの。」
「わ、私を子供と同じだと言う―・・・っ」
「シャーデー。」
抗議するよりも速く、エルザの手が伸びた。
すぅっと両腕でシャーデーの頭を抱え込むと、優しく引き寄せて――気がつけばシャーデーは彼女の胸の中にいた。
エルザにしては強引な気がするが、どうしてだろう。腕を振りほどく気にはならない。
それどころか、大人しく目を閉じたりして。
今思うと、昔からシャーデーは人の身体に触る事はあまり無かったように思う。
目をつぶっても、そこに人の温もりを感じる事が出来るのは結構新鮮で・・・嫌いじゃない。
すぐ近くにエルザの声が聴こえる。
「それが大事なの、シャーデー。私にとって子供達はとても大事。それと同じくらいに貴方も、チャイカさんも、アルメリアも大事なのよ。皆、一つの家族みたいなものなのかもね。」
「・・・・・・。」
「シャーデー。だから、私に貴方を見守らせてくれないかしら。仲間として、家族としてね。貴方を応援させて欲しいの。」
「・・・・・・・・・うん・・・。うん、いいよ。」
「ありがとう。」
最後にちょっとだけ強く抱きしめて、エルザが離れた。
『名残惜しい』などと考えている自分に気付くと、途端に照れくささが襲ってきたが、その時にはエルザは既に腰を浮かしている。
「もう行きましょうか。」
「そ、そうだな。」
「ふたりとも心配してるわ。・・・特にアルメリアがね。『魔物だっているかも知れないのに、何かあったらどうするんすかー』って。」
なるほど、簡単に想像出来る。
言われて見れば、考えれば考える程に自分は自殺行為をしてしまっていた。
アルメリアと、チャイカにも謝らなくてはなるまい。
それに・・・
「・・・あ、あの、エルザ君。」
地図を開こうとしていたエルザが、動きを止めてこちらを見た。
シャーデーは顔を朱に染めながら、陸に打ち上げられた魚みたいに口をパクパクと動かして――ようやく成功した。
「さっきは・・・ええと、私、も、ごめん・・・なさい。」
上目遣いにエルザの顔を見ると――・・・驚いたように、きょとんと目を見開いていた。
「なんだ?」
「貴方、けっこうカワイイ謝り方するのね。」
「――もう二度と謝らないからな!!」
「あ、ちょっとシャーデー!ごめん!ごめんって!」
・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・
パーティーを組んで、それなりに活動を続けたように思う。
当然、様々な魔物と戦ってきたが、その中でも本日遭遇してしまった魔物は、パーティーにとって特別相性が悪かった。
蛇のような身体にオマケみたいな脚を生やして、翼もないのに空を飛ぶソイツは――龍。
フライングナックルドラゴン。
この手の図体の大きく、皮膚も硬い相手には、エルザやアルメリアの拳は効果があまり望めないのだ。
しかも飛び回っている分、チャイカの槌鉾もシャーデーの片手剣も届かないと来ている。
正直、手も足も出ない状況なのだが、こんな状況で脚を出してみせたエルザは流石だった。
飛蝗だかバネみたいに高く跳んでの跳び蹴りで、龍の右眼球を潰してのけるなんていうのは、まったくどう言った身体の構造をしていれば出来るのか。
もっとも、その蹴りが相手の正気を失わせて暴走させてしまうなんていうのは、エルザにとっても想定外だったに違いないが。
そのあげくに龍が狂ったように振り乱した頭が、まだ空中にいた彼女を跳ね飛ばして天井に叩きつけるなんて。
まあ、両手両足を使って地面に着地していたし、咳き込んではいたけど弱ってるという程の事もなさそうだったから、エルザに関しては問題は無いだろう。
問題は。
「くっ、そ!なんだってあたし達が!!」
チャイカの言うとおりだ。
最大の問題は、暴走した龍が何故かシャーデー達3人を標的にして突進して来た事だ。
狭くはないが、断じて広くなどない通路いっぱいに巨体を振り乱して――たまに壁や天井に衝突しながら――突進して来ている事なのだ。
「あっしは、もう、限、界、っす・・・!」
「しっかりっ、した、まえっ!アルメリア君!!」
後方から聴こえるアルメリアの弱音に叫び返しながらも、正直シャーデーも限界だった。
もうそれなりに走っている。
それでも、先頭を走るシャーデーはこの中ではまだ走りに自信がある方だ。
きっとアルメリアやチャイカは、もっとキツい思いをしている事だろう。
「ん!?」
先頭を走っていたせいで嫌な物が目に入ってしまった。
壁。
「まずいっ!行き止まりだっ――ってアルメリア君!?」
振り向きながらの警告に、途中で悲鳴が上書きされた。
壁よりも、もっと嫌なモノを見たからだ。
数メートル後ろで、息を切らして走るアルメリア。
そのすぐ後ろに牙を剥いて迫る龍の姿がある。
気付いたチャイカが振り返ったが間に合わない。
やられる。飲み込まれる。
細い身体が、あの世への扉に等しい奴の口へと飲み込まれ――る寸前。
アルメリアが、ふいにガクンと身体を大きく沈め、両手を伸ばした姿勢で頭から地面に滑り込んだ。
簡単に言えば転んだ。
「ぁぶしっ!?」
まるで奇跡か喜劇だ。
龍の牙が、爪が、アルメリアのすぐ頭上をギリギリのところで通過する。
ならば、次の狙いはシャーデー達・・・距離的に言えばチャイカか。
チャイカが迎え撃とうとドッシリと槌鉾を構えるが、既に再び龍は高度を上げつつある。
有効打を打ち込むのは難しいだろう。
と言うところで、アルメリアが凄かった。
「――くんぬ!!」
即座に前転して起き上がるや、勢いを殺さぬままに跳躍。
自分の上を通過しつつある龍の前脚の後ろに組み付いたのだ。
組み付いたと言うよりは抱きついたと言う方が正しく、さらにそれよりもぶら下がったと言う方が正しい気がするが、とにかく龍が人ひとり分だけ高度を下げた。
千載一遇のチャンスだ。
むろんチャイカはそれを見逃しなどしない。
「アルメリア!離れなッッ!!」
「うぃっ――ぉぶ!?」
応えるまでもなくアルメリアがうねる身体に弾き飛ばされる。
それが合図となった。
「ぅぅぅおらァァァァァァァァァァァアアアアアアッッッッ!!!!」
猛る咆哮。一拍遅れて訪れる激音。
砲撃の如き威力を込めた必殺の重槌鉾が、龍の顎に炸裂。かち上げた。
一振りで人の2〜3人はまとめて吹き飛ばす一撃だ。如何な魔物とて無事では済むまい。
実際に龍の顎は拉げてハズれ、砕けた骨が肉を突き破って飛び出している。
ただ、息の根を止めるには至らなかった。
天井に思い切り叩きつけられながらも、逆に尻尾でチャイカを転倒させ、龍は断末魔の絶叫を吹き上げながら猛進して来る。
最期のあがきか。
昔から『傷を負った虎は狂暴だ』と言うが、流石に龍はその比ではない。
「シャーデー!!」
チャイカが叫んだ。
――ああ、わかっているとも。
シャーデーはわずかに腰を落として剣を握りなおした。
どうせ私には、エルザの様なスピードは無い。
チャイカの様なパワーも、アルメリアのガッツも治療術も無い。
ならばせめて、私は、間違わない事だ。焦って判断を誤らない事だ。
大丈夫。私は冷静だ。
背後には壁がある。正面5メートルに龍。
4メートル。
3メートル。
2メートル。
「――ふっ!」
シャーデーは龍をギリギリまで引き付けて、一気に地を蹴った。
相手の死角である右側に転がり込みつつ、剣を振るった。
グシャグシャに砕かれた顎に吸い込まれた剣が、そこから喉にかけてを一気に斬り裂く。
――ズキン。
突如、肩口の辺りに痛みが奔った。爪が掠めたのだろうか。
だが構うものか。
何故なら、龍は勢いを殺せずに頭から壁に激突して、地面に落ちている。
喉から零れる血も止まる気配も見せない。
まだビクビクと痙攣しているが、それもすぐ止まるだろう。
「・・・やった?」
自分が何をしないでも倒せてただろうし、いいトコロだけを奪って行ってしまった気がしないでもないが、まあいいだろう。
この結果に素直に満足するべきだ。
痛みの残る肩口を押さえて立ち上がると、もの凄い勢いでアルメリアが走り寄って来た。
「シャーデーさん!大丈夫っすか!?」
「ああ、うん。平気だ。」
「でも血でてますよ!血!」
「いや、それを言うならアルメリア君だって出てるじゃあないか。」
「は?う、うわぉ!?ホントだ!」
「って、気付いてなかったのか――って、あたっ!?」
突っ込みを入れたトコロで、何故か自分が頭をハタかれた。
アルメリアじゃない。
平然と人の頭を撫でるみたいにハタけるのは、チャイカ。
長身の女傭兵がニヤニヤ笑ってこちらを見下ろしている。
「ったく、無茶するね。下手したら大怪我だったよ。」
「・・・下手しないと思ったんだ。」
「そうだね。下手しなくてよかった。」
笑って、またシャーデーの頭をポンポンと叩く。
まったく無礼な。
「あら、もう片付いちゃってるのね。」
「おお、エルザ。」
背後からかかった声に、全員が振り返る。
ようやく追いついて来たらしいエルザが拍子抜けしたように立っていた。
「みんな、けっこう苦戦したみたいね。」
「アンタが言うかね。」
「そうだ!エルザさん!ケガは無いっすか!?」
「平気よ。と言うか、アルメリアだってケガしてるじゃない。」
「は?うわ!忘れてた!?」
「忘れてたって何!?」
突っ込みつつ、エルザはシャーデーを見る。
出血する肩を気にしているのだろう。
シャーデーはあえてすまし顔で応じる。
肩が凝ったかな、程度の表情を作って見せると、エルザが笑った。
いつものやりとりだ。
こんな馬鹿馬鹿しいやりとりが出来るいつも≠ェシャーデーは嫌いでは無い。
もう少しだけ続いて欲しいとすら思える。
「・・・っと。」
ふいにエルザが目を細めて、自分が走って来た方向へと身体を反転させた。
シャーデーも耳を澄ますと、複数の足音が聴こえて来る。
「・・・お出ましね。」
来たか、ハイウェイマンズギルド。
「・・・チャイカさん!」
「おうさ!」
チャイカが槌鉾を肩に担ぎなおし、
「アルメリア!」
「うっす!」
アルメリアが利き腕をブンブンと振り回して、
「・・・シャーデー!」
「――・・・ああ!」
シャーデーもまた、剣に付着した血を振って払う。
・・・行ける。
この仲間達となら、私はきっと挫けずに――・・・例え挫けても、立ち上がって歩いて行ける。
何も無い自分を恐れる事はない。
認めればいい。
誇れるものが無くとも、私には見守ってくれる人達がいるじゃあないか。
私がシャーデーである事を認め、そのシャーデーがニコラウス家たろうとする事を応援してくれる人が。
だから私は、あの人の背中を目指してもいいんだ。
いつか、あの人の隣に、今度は私から座れるように――・・・。
「行くわよ!!」
リーダーの号令に従って、エルザ・パーティ四人が一斉に足を踏み出した――。