グラッセンとの戦は次第に泥沼化の様相を見せ始めていた。
少なくとも、ここ数ヶ月は戦局に大きな動きも見せないまま、お互いに小さな隊を動かしては敵の、
時に自軍の数ばかりを削る展開が続いている。
国の上層部連中は、現在の戦況を『小競り合い』と称した。
・・・その小競り合いで何人の兵士が死ぬのかを知っての発言なのか、と思えば不愉快なものもあるが、
誰の目から見てもそれが事実であると分かってしまう以上は仕方があるまい。

この日、コーデリア=ニコラウスが率いる隊が遭遇した戦闘もまた、そんな『小競り合い』の一例に他ならなかった。

(・・・何だ、あれは?)
彼方を見つめたまま、マリンブルーの瞳がすぅっと細まる。
視線の先には、遠方より迫る敵の群れ。
数は、まあ、少なくはない。本気で城を陥落させようなどと考えているなら別だが、 ここ最近の戦闘の傾向から考えればマトモな方か。
あくまで、数だけを見ればの話だが。
「何だ、あれは・・・。」
それまで顔をしかめる程度に堪えていた女騎士は、いよいよ呆れきったように声を漏らした。
止むを得まい。
彼女はまだ若いが、高名な騎士の名家の出身だ。
幼き時分より戦術論を叩き込まれ、見る間に才能を開花させて、 今となっては戦場の君≠ニすら称される身なのだ。
そのコーデリア=ニコラウスにとって、今見える敵の陣容はいっそ馬鹿にされている様にすら見えた。
敵を前に興奮しているのか、足並みがまるでバラバラではないか。
地を這う蟻とて、もう少しマシな行列を作ってみせるだろう。
何かの作戦だろうか、とも考えてはみるが・・・どうも違う。
―・・・あれは、ただの雑魚だ。
統率も無ければ戦略性も無く、恐らくは個々の脅威もたかが知れている。
全てにおいて『それなり以下』。
戦争慣れしているとは言い難い素人か、傭兵くずれのような連中だ。
「この様な者共が・・・」
煩わしげに舌打ちを一つ。
それからコーデリアは振り返って背後に立ち控える者達・・・即ち己の部下達を見る。
自分と同じ白銀の軽鎧で身を固めた隊員達は、年齢も体格も身分までも、まるでバラバラだ。
男もいれば女だっているし、勿論性格だって各々違う。
だが、その中には一人として肝の据わってない者はいない。
彼等はいかなる敵にも容赦はせず、それでいて冷静で忠実なる剣。
それも、終わりの見えぬ戦いの連続にも決して折れる事のない、選りすぐりの剣達だ。
冷め切ったかのように静まり指示を待つ隊員一人一人の瞳の奥に、押し込められた魂の猛りを見出してコーデリアは満足気に頷いた。
「やはり策は無用。いつも通り、徹底的にやる。」
副官に伝えた指示は2秒で全体に伝わり、静かに闘志が膨らんでいくのが背中越しにでも分かる。
・・・いい感じだ。
腰まで伸ばした艶やかな金髪を一つ払って、ベルトに掛けた愛剣に手を伸ばすと
「行くぞ!!」
清らかな声とともに蒼天へと振り上げる。
「オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ・・・ッ!!!」
応えるは、声。
戦意に満ちた声。天を突き上げるような声。地を震わすような声。声。声。声。
それはまるで嵐の日の激流。今にも河を溢れ出し、全てを飲み込まんとする自然の暴威にも似ている。
コーデリアはそれが最高潮に高まる瞬間を待って―・・・
「―・・・叩き潰せッッッ!」
堰を切った。

― ズ ン !! 

腹に響くような軍靴の響き。
隊の進軍速度は決して速くはない。
しかし高まる勢いを殺す事もない。
一歩一歩を踏みしめ、整えた陣立てを崩す事のないまま、敵勢との距離をつめる。
二つの暴力の津波はすぐに衝突し、混ざりあって瞬く間に乱戦となった。
敵にとっての不幸は、コーデリア隊が最も真価を発揮するのが敵味方入り乱れての乱軍
―・・・まさに今の状況だったと言う事だろう。

密集した敵兵の合間を縫うようにして、コーデリアが駆け抜ける。
無論、駆け抜けるだけで済まそうはずもない。
突き出される剣を、槍をかわしながら敵の群れへと滑り込み、脚を、首を、胴をなぎ払って斬り倒してやる。
あわよくば、殺す。
それだけで簡単に敵軍は混沌と化した。
「糞っ!馬鹿っ!散れっ散―・・・ぶぎゃっ!?」
「邪魔だコラァっ!どけよてめえ!?」
 ・・・果たして、これを戦場と呼んで良いものだろうか?
多くの敵兵は口々に喚きながら散ろうとして、お互いの道を塞ぐだの、転倒に巻き込むだのして自分達で勝手に足を引っ張り合い、結果として部下達の剣に倒れる。
(これではまるで処刑場ではないか。)
コーデリアは心の中でだけ嘆息した。
・・・もっとも、あくまで心の中でだけの話しだ。
溜め息の一つでもつく暇があれば、彼女は4人は屠る。
そしてさらに次の敵対者に斬りつける。
彼女が人生の大半を費やして学んだ剣術にも兵法にも、敵にかける情けなどは一切含まれてはいなかった。
故に殺す。
剣を以って、兵を以って、全力を以って殺す。
―・・・と、突如、剣を握る右腕が獲物に跳びかかる蛇のような動きを見せて旋回した。
背後だ。
僅かな感触が、愛剣の刃から柄に、そして指へと伝わり、脳が認識する。
『敵を斬った』と。

その剣、ニコラウス家に伝わる宝剣エイグロー。
『永遠の輝き』の意味を持つこの白銀の長剣は、名前程に優れた代物ではない。
鎧の上から敵を両断するような効力も、神から祝福されたなどと言う逸話もない。
強いて言えば、施されてる装飾はシンプルながらも一目で名のある芸術家の作だと分かる優美さを見せているが・・・
それは戦場では何の特にもならないだろう。
ただ、それでも人体程度であれば簡単に斬りおとすぐらいの切れ味は備えている事を、幾つもの戦場をこの愛剣と共に生き抜いて来たコーデリアは知り尽くしている。

コーデリアはまだ見ぬ己の剣の犠牲者を確認すべく、背後へと視線を滑らせる。
すぐに、目前で絶叫を脂汗を噴き上げながらうずくまる巨漢の姿が目に止まった。
致命傷と言う程の傷は負ってないものの、本来は腕が伸びているハズの左肘から下が無く、代わりに滝の如く血液を噴出している。
どうやら髪を掴んで引き倒そうとしていたものだったらしい。
そうして伸ばした左腕は自分の身体から斬り離され、激痛だけが残ったわけか。
(―・・・穢らわしい!)
見るからにそいつは戦闘どころではなくなっていたが、コーデリアは躊躇せずに刃を突き込んだ。
疾る白銀の閃きが男の喉へと吸い込まれ、苦もなく肉を刺し貫いて反対側へと通り抜ける。
そのまま腕を横に振るうと、巨漢の身体がぐらりと傾き・・・直後、自らの作った血溜まりへと落ちた。
「・・・ふん。」
この女騎士は常に冷静で気高く、戦場でもなければ基本的に穏やかな人物である事で知られていたが、
唯一髪に触れられる事を非常に嫌う。
以前、部下の一人がその事について尋ねてみたが、彼女は「大事な思い出があるのでな。大切にしているんだ。」 と答えただけだったという話しだ。

時にコーデリアはその思い出を思い出す。
(・・・シャーデー・・・)




あの日、どこまでも広がりを見せる星空の下で、貴方は星には目も向けず下ばかりを見て、
私もまた貴方の横顔ばかりを見ていた。
まだ長かった貴方の前髪がカーテンのように表情をほとんど隠してしまっていたけれど、
その奥の瞳が潤んでいたのは当時の私にも何となく分かっていた。

あれは、私が15歳で貴方が9歳の頃だから―・・・9年前。母上の36歳を祝う晩餐会の時か。
晩餐に招かれた客の一人が、私の髪を見て「美しい金髪が母上に似ている」だの
「この子はニコラウス卿の才能と、奥方の美しさを受け継いのでしょう」だのと世辞の言葉を並べ立てたのがそもそも事の始まりだった。
また、見え透いた社交辞令に得意になって、私ばかりを褒めちぎった母上にも問題はあったと思う。
ずっと母上の傍にいたのにまるで相手にされなかった貴方はへそを曲げてしまい、 晩餐の途中であるにも拘らず会場を飛び出してしまった。
そして私も貴方を追ったのだ。
階段を上がって、貴方の部屋を訪ねたけれど居なくて、結局二階中を探し回って―・・・
ようやく見つけ出した貴方は、バルコニーの隅に小さく座り込んでいた。
「寒くない?」
「そんな所に座ったら、せっかくのドレスが汚れてしまうわ。」
色々と話しかけたけれど、貴方はムスッとしたまま返事を返すどころか、顔を上げてもくれない。
私はどうしたらいいか分からなくなって、結局貴方の横に腰をおろす事にした。
お互いに何を口にする事もないまま、しばらくの時間が経って・・・
「どうしてわたしは、姉様みたいにきれいな髪をしていないのかしら?」
そう言いながら貴方は背中までもの長さがある自分の髪を指先でくるくると玩びながら唇を尖らせた。
確かに貴方の金髪は、私や母上よりも大分色素が薄い。
距離を離して見れば金と言うよりも白に見える事もある。
幼い頃から美しいと言われ続けて来たらしい母上は、美の基準を自身に見ているフシがあるので、そんな貴方を褒める事は少ない。
貴方はきっと母上にこそ褒めて欲しかったのに。
「・・・シャーデー、私は好きだわ。」
ぴくり、と貴方の髪が揺れた。
私はその髪をすくい上げながら、続ける。
ご機嫌とりの嘘ではないから自然と思いを口に出来る。
「優しい色じゃない。温かい春の日差しみたいで。私は好き。・・・それじゃあ駄目かしら?」
そう訊ねながら顔を覗き込んだが、それよりも先に貴方は抱え込んだ自分の膝の間に顔をうずめるようにして 隠れてしまった。
隠れていない耳が真っ赤になっていて、ハッキリと貴方の表情を教えていたけれど。
貴方はそんな事には気づかない。ただ、ポソポソと呟いた。
「・・・でも、わたしは・・・姉様みたいになりたいわ。」
「!・・・・・・。」
多分、その言葉は誰に向けたものでもなかったのだろう。
でも私にはそれが嬉しかった。
他の誰にどんな言葉を尽くされるよりも、ずっと嬉しくて暖かくて照れくさかったから
―・・・私も貴方みたいに下を向いて顔を隠した。
せっかくの星空の下なのに、私達は二人、ずっと下ばかり見つめていた。


それから数年して貴方はそれまで大事に伸ばしていた髪をバッサリと切ってしまった。
あの時、私は「せっかく大事に伸ばしていたのに、どうかしたの?」と訊ねて、
貴方は怒ったように「訓練の邪魔になるからです。」と答えたけど。
本当は分かっていた。
貴方が私と比べられる事を何よりも嫌っている事を。
周囲の人間や、時に父上や母上までもが口にする「シャーデー=ニコラウスは、コーデリア=ニコラウスに届く事はない」と言う言葉が、貴方にとって屈辱でならないのだと。
だから貴方はきっと、もう『コーデリア=ニコラウスのようになりたい』と口にする事はないだろう。
まるで憎悪しているかのように、私の名を聴く度に眉を顰めるだろう。
貴方はプライドが高いから、目指す場所に辿りつくまでは決して、その場所を目指している事実すら教えてくれない。
でもシャーデー、私は―・・・・・・




戦い終えて、そこは戦場≠ニなる前の静けさを取り戻していた。
先刻まで熱狂に包まれ、断末魔の華々が咲いていたと言うのに、今となってはそれが嘘のようにすら思える。
死ぬ者は死に、生ける者は去ったその場にて、女は一人佇んでいた。
この季節のクルルミクは夜の訪れが非常に早い。
既に太陽は地の向こうに落ち始め、空に薄緋の色が広がっている。
今宵、夜空にはさぞや美しい星々が瞬く事だろう。
だが、その陽光が照らす大地はどうだ。
大地は、夕焼けよりもむしろ赤≠ゥった。
怖気を誘うドス黒い赤だ。
その赤の中に見えるは、まず最初に屍。グラッセンの兵士のものだ。
次に見えたものは、また屍。その次も。次も。
今や大地は夥しい血と累々たる敵の屍によって化粧を添えられていた。
横たわる骸の多くが敵兵の物である事は、必然と言っていいだろう。
結局、今回の戦闘は我が軍が一方的に敵を蹂躙する形で終わったのだから。
・・・そう。我々は勝利し、今日もクルルミクの地を守り抜いたのだ。
それは確かに誇るべき事実であって、私は堂々と胸を張って帰還する事が出来る。
出来る、はずだ。
なのに何故だろう。

何故 私の守った大地は こんなにも 赤い≠フだ―・・・?

思った瞬間、大地が震えた。
激しい。
視界が歪むような激しい揺れに、思わず膝が折れそうになって・・・
違う。気がついた。
「・・・っ!」
違う、震えてるのは自分自身だ。
自分の肩が、脚がガクガクと震えだしているのだ。
過ぎ去った脅威に。そこにある死に。
「くそ・・・くそっ・・・!!」
彼女は名門ニコラウス家の長女、コーデリア=ニコラウス。
卓越した才を以って戦場を支配し、味方には無限の勇気と勝利の栄光を、敵には慈悲無き刃と脅威を与える者。
故に人は畏敬の念を込めて彼女を戦場の君≠ニ呼んだ。
そうだとも。
戦場は、楽でいい。
戦場にいる限り、騎士の誇りと名誉が私を支える。国への忠誠が私を奮い立たせる。
戦える。
戦場にいる限り、私は戦場の君≠スる事が出来るのだ。
だが、そうでない時は一体、何が私を私たらしめるのだろう。
そもそも、私を支えるこの誇りは私自身のものだったか?
この名誉は私の望んだものだったか?
この忠誠は私が誓ったものだったか?
私は戦場の君≠ナありたいと思っていたか?
そう考えてしまうと私は―・・・・・・駄目だ。『怖い』。
負けるのが怖い。
斬られるのが怖い。
殺されるのが怖い。
貴方に会えなくなるのが、何よりも怖い。
ああ、こんなにも怖いのに、『私は逃げられない』。
騎士の誇りと名誉と、国への忠誠に縛られている私には逃げる事など出来ない。
コーデリア=ニコラウスは、そのような事を考える事すら許されないのだろう。

シャーデー。
私は、貴方にこんな所へ来て欲しくないと思っている。
こんな所に来るために、自分を見失う事も。
危険な道を渡る事も。

貴方はコーデリア=ニコラウスのようになってはいけない。
シャーデーはシャーデーであればいい。
シャーデーでいて欲しい。

どうか、貴方だけは幸せな人生を歩めるよう。
シャーデー=ニコラウス・・・私の妹よ。