「さて、と。あと買うものは……、と。」
 大量の荷物を抱え、窮屈そうにメモを見回しながらあたしはそう呟いた。
 村落から離れた所に住んでいると買出しを1度に行わなければならないのが大変だ。
 もったいないから現役時代に使っていた拠点にそのまま住もうなんて言うんじゃなかった……。
 アベルは買い物下手だから任せられないし……。正直、冒険者なんてやってるより大変だわ、主婦。
「セルビナお嬢様。」
 メモから顔を上げると、目の前にいたのは武装した兵士が2人。
 剣と鎧についた紋章から正体はすぐにわかった。
 ……思ったより早く見つかったわね。
「我々につい……。」
 完全装備の男2人相手に正面から戦っては勝ち目がない。なんせこちらには常備しているナイフ1本しかないのだ。
 向こうが喋っている間に、あたしは荷物を全て投げつけた。
 その隙に腰に付けた鞘からナイフを抜き、手前にいる兵士の顎を蹴り飛ばす。
「ぐあっ……!」
 悲鳴を残して手前の兵士が倒れこむ。
 後ろの兵士も、まさかいきなり攻撃されるとは露とも思っていなかったらしく、相方が蹴り倒されても慌てふためいているだけだ。
 実戦から退いておよそ1年。それでもまだこんな好機を逃すほどあたしは衰えていない。
 散乱した荷物から石鹸を拾い、相手の顔面へと向けて投げつける。
 ようやく我に返ったのか、兵士はそれを必死に避けるが、代わりにあたしから目を離す。
 あたしはその隙を逃さず、相手の裏に回り……、兜の隙間から首にナイフを突き入れた。
「な、何を……、なさるのです。我々は……。」
 そう言いながら、先ほど蹴り倒した兵士がゆっくりと立ち上がる。
 顎先を蹴り抜いたと思ってたけど……、ちょっとズレてたかな。
「バカね。あたしがなんで父様に連絡しなかったかわからないの?」
 父。そう、こいつらはあたしの父の私兵だ。武具の紋章が動かぬ証拠。
 それをこうして差し向けてきたと言うことは、あたしを力づくでも連れ戻す気だろう。
 残念だけど、もう帰る気はカケラもないわ。父様。
「……ま、いいわ。とりあえずアンタにも死んでもらいましょうか。」
 さすがに現役時代と違って他人の目がある所で人を殺すのは気が引けるが、しょうがない。
「お、お待ちを……。私が戻らなければ人質の命の保証はできませんぞ!」
「人質?」
 これは困った。アベルと娘のことまでしっかりバレていたか……。
「夫と娘の命が惜しければ私と一緒にお父上の元までいらして下さい。村外れの廃虚でお待ちです。」
 うちの兵士が数人でかかったところでアベルに勝てるはずがない。子供を守りながらでもあいつならなんとかするだろう。
 あたしはそう信じているので、この話に乗る必要はまったくないのだが……。
 まぁ、たまには父親の顔を見るのもいいだろう。これで最後にしたいところだけど。
「……立てるわね。」
「ええ、では、参りましょう。」
 そう言いながら歩き出す兵士の後を、あたしはゆっくりと着いて行った。


「……遅いな。」
 俺は家の中でウロウロしながらなかなか帰らない妻を待っていた。
 今回は買う量が普段よりほんの少し多かった気がする。買ったはいいが持ちきれなくなって途方にくれているんじゃないだろうか。
 やはり着いて行くべきだったか。しかし赤ん坊を残していくわけには行かないし……。
「ふぇ……。」
 という短い溜めから続いて大きな泣き声が響いてくる。
 どうやら娘が起きたようだ。これはまずい。
 俺は慣れない手つきでゆりかごを抱いて赤ん坊をあやす。
「ああよしよし、泣かないでくれお願いだから。」
 そうしているうちに気付く。
 俺は洗濯も出来ない、買い物も出来ない、赤ん坊をあやすのも下手糞。炊事は……、栄養補給目的ならともかく味は保証できないし、掃除も下手だ。
 ……俺は日常生活ではまるで役立たずじゃないか。
 かつて色々汚い手で築いた蓄えが十分過ぎるほどある為、仕事も特にしていない。たまに村でならず者退治など引き受けるがそれだけだ。
「ううむ、これからはこうして生活して行くわけだから何か出来ないとな〜……。」
 そう呟くと同時に気付く。窓の外に武装した男が3人いることに。
 既に剣を抜いていることから好意的な相手ではないことは確かだろう。更に言えば簡単に気付かれるあたり大した使い手でもない。
 俺はゆりかごを目立たない位置に置き、立てかけてあったシュバァルベを手に取る。
「ガーランドさん。」
 そう声を掛けられると同時に家のドアがノックされ始める。
 大した腕でもないようだし3人なら正面から戦ってもまず負けないが、子供を狙われたらまずいかも知れない。
 となれば先手必勝。
 そう考えた俺は、ドアごと武装兵の1人を切り倒した。
 不滅剣に鎧ごと袈裟に斬られた男は激しく血を撒き散らせながら絶命した。
 とは言え、さすがに無理があったのかシュバァルベが砕ける。が、気にはしない。する必要はない。
「な、なに……。」
 そのまま家の外に飛び出すと残りの2人が慌てて剣を構える。
 もちろん、遅すぎる。
 シュバァルベが再生すると同時に俺は近いほうの男を切り殺し、返す刃で最後の1人の首に刃を押し当てた。
 男は実戦の経験がなかったのかもしれない。それだけで持っていた剣を取り落としてしまった。
「さて、苦しむのが嫌なら教えてもらおうか。目的はなんだ?」
 目の前で仲間が2人斬られ、自分も武器を持たずに首には剣を押し付けられている。
 これで相手の言いなりにならないほどの覚悟を持っているとも思えない。
「……お、お嬢様の夫の殺害と、その子供を連れて行くこと、だ。」
 お嬢様?
 そうか。ついにセルビナの父親に嗅ぎ付けられたのか。
「お前らの拠点は?」
「村外れの……、廃虚に。」
 成る程、あそこなら一時的に留まるには丁度いい。
 それだけ聞けば十分だった。俺は1度、男の首から剣を離し……。そのまま首を刎ねた。
「苦しまなかっただろ。」
 俺はそう語り掛けたが、当然返事はなかった。
「さて、どうするかな。」
 セルビナが帰ってこないのはこういうことだったわけだ。
 呟いては見たが、どうするも何もない、俺のやることはただ1つだった。


「待たせたな。ここを引き払う準備で忙しくてな。」
「あら、もう帰るの?せっかくエレギンまで来たんだから観光でもしていけば?」
 現れた初老の男性……、父親にあたしは明らかにバカにした口調で話しかけた。
「お前を取り戻せれば用などない。」
 特に気に掛ける様子もなく、この男は椅子に腰掛けながらそう呟く。
「今更あたしに何の用?」
 聞くまでもないのだが……、まぁ一応聞いてやる。
「何の用とは酷いではないか。父が娘を側に置いておきたいと思って何が悪い。」
 それ自体は悪くはないかもしれないが、手段が悪すぎる。
 娘の夫と孫を人質に取って連れて帰るなどどこの親がやるというのか。
「そうね。自分で言うのもなんだけど、手駒としては優秀だし、何より親子という事を考えれば信用も出来るものね。」
 この男に娘に対する愛情などない。最初からあたしをいずれ駒に使うつもりで母に産ませたのだ。
 それでも父であると思って力になろうとはした。しかし家庭を持ち、娘を産んだ今、こいつの下で戦うなど冗談ではない。
「わかっているではないか。そうだ、お前の力がいる。」
「冒険者としてちっとも名声を得られなかったあたしなんかの力で何をするつもり?」
 名が売れていなければあえて探してまであたしの力を必要とはしないと思ったのだが、甘かったか。
「クルルミクの件は知っているぞ。2年前にひと月で3つの盗賊団を潰した件もな。」
 意外としっかり調べている。クルルミクの件はおまけとは言え報酬を貰ったのがまずかったかな。
「……アンタの野望に付き合う気なんてないわよ。」
「人質がいることを忘れたか?お前は私の手駒として動く以外に道はないのだ。」
 元々最低な人間だとは思っていたが。正直ここまでだったと思うと少しでも親として慕っていた自分が恥ずかしい。
「本当にいると言うのなら会わせて貰える?」
 アベルを捕らえられるとは思えない。さぁどう出る?
「いいだろう。先ほど届いたところだ。」
 そう言って、男が指を鳴らすと、左手でゆりかごを抱え、右手には見覚えのある剣を持った武装兵が部屋に入ってくる。
「これがお前の娘か。名はなんと言うのだ?」
「コウ。」
 そう、娘の名前はコウ。東方の国の「幸」という文字から取った、とアベルは言い張っているが正しいかどうかは定かではない。
 女の子に付ける名前としてはどうかと思ったが、「幸福」と言う意味であるという由来は気に入ったのでよしとした。
「コウ、か。……まぁ名前などどうでもいい、これの命が惜しければ……。」
 そこまで言って、目の前のゴミは武装兵に殴り飛ばされた。
 汚い手でコウに触れようとするからそうなるのだ。
「うちの娘には触れないで頂こうか。」
 武装兵が倒れ伏すゴミにそう言い放つ。そのままあたしにゆりかごを渡し、兜を脱ぐ。
 出てきた顔は……、言うまでもないがアベルである。
「遅い。」
「悪い。こんな重装備したことなかったからな。鎧剥がすのも着るのも手間取った。」
 そう言って兜を投げ捨て、そのまま具足を外し始めるアベルを尻目に、あたしはシュバァルベを手に取り、ゆりかごを机の上に置き、起き上がろうとするゴミに近づいた。
「セル……、ビナ、ァ……。」
「さすがにね、こうまでされるとあたしもアンタを父と思いたくないし、生かしておく気もないわ。」
 ゴミの腹を蹴り飛ばす。
「ぐが……、き、貴、様……。」
「アンタが母様を捨てたときから、何度か斬り殺してやろうかと思ってたのよ。」
 腕を踏み潰す。
「ぎあ……。」
「でもね、一応「父」であると我慢したし、いずれ力になってやろうともした。……結局それはやめたけど。」
 脚を踏み砕く。
「ぐあぁぁぁぁぁ!!」
「でももう終わりね。……最後に一度だけ「父」と呼んであげるわ。」
 胸を踏み、動きを止める。
「……さよなら、クソ親父。」
「よ、せ……、セル……。」
 シュバァルベの薄い刃が、ゴミの首を捉える。
 それで、終わり。
「アベル、ここには後7人残ってるみたいだけど、1人で全部やれる?」
「無論。何の問題もない。姐さんはコウを抱いてゆっくり着いてきてくれ。」
 数分後、残っていた兵士全てを斬り、あたしたちは帰路へとついた。


「ところで、その……、さっきのは、君の……。」
 すっかり日の暮れた廃虚からの帰り道。俺は意を決して、その疑問を口にした。
 父親のことは事前に調べて知っていたし、状況からして間違いないのだが、確認はしておきたかった。
「いつかこうなるとは思ってたわ。ごめんね、言っておけばよかったかな。」
 否定はない。と言うことはやはりさっきのは、セルビナの、父親。
「本当にあれでよかったのか?」
 今更そう聞くことになんの意味があるのか。それはわかっていたが言わずにはいられない。
 あの男を許せと言うのは無理がある、自分でこう言っておいてなんだが、セルビナが斬れなかったなら俺が斬っていたかもしれない。
「いいのよこれで。……それとも、親殺しの女と一緒にはいたくない?」
 名前で呼ぶようになり、丁寧に話すこともなくなり、夫婦となった今でも、俺がセルビナを守るために生きていることは変わらない。
 彼女が誰を殺そうと一緒にいたくないと思うことなどあるはずがない。
 第一、俺も14年前に俺を育てた男を斬っているのだ。同じ罪を犯した者を非難する事など出来ない。
「……バカを言うな。怒るぞ。」
「ごめんごめん。……ま、とっと忘れちゃいましょ。いつまでも気にすることじゃないわ。」
 そうは言うが、その声は少々元気がない。堪えないはずはないのだ。
「そういえばあいつ、懐かしいこと言ってくれたわね。クルルミクの件、か。あの娘たち元気にやってるかな。」
 あの娘たち、とはコトネ、フォルテ、セレニウスのことだろうか。
 結局あれから1度も会うことはなかった。俺も特に居場所を調べたりもしていない。
 その理由は簡単だ。怖いのだ。あの娘たちに何かあったとして、それをセルビナに言えるだろうか、隠せるだろうか。
 そう思うと手を尽くして調べようと言う気にはならない。
「まぁ、大丈夫よね、きっと……。」
「ええ、きっと、元気にやっているさ。」
 そうであって欲しい。
「さてと、冷えてきたし帰りましょ。コウもいることだし、買いなおしは明日でいいわよね。」
 そう言うと、セルビナは歩き出す。
 俺もそれについていく。
 月明かりの中、娘を連れて2人で歩くなど初めてのことだった。


 この後にセルビナの祖国からはなんの反応もなかった。
 だがそれは当然の事。親<創造主>の手から離れた俺たちに語る話などもうないのだ。
 あとは自由に、幸せに生きて行く、それだけだ。




「ところでアベル。」
「ん?」
「さっき1回だけ、姐さん、って呼ばなかった?」
「……まさか、今更そんな呼び方しませんよ。」
「口調、戻ってるわよ。」
「あ……。」