時期的にもこれで終わりだろう。
 そんな考えが頭をよぎったのはやはり油断と言うのだろうか。
 いや、そもそもこんな状態で戦いを挑んだのも間違いなのだ。部屋に入ってしまったとしてもすぐに逃げるべきだったのだ……、きっと。
 あたしは「王家の聖櫃」と呼ばれる広大な部屋の中で、ならず者どもに弄ばれながらそんなことを考えていた。
 そんな折、聞こえてきたのはどこかで聞いたことのある声だった。
「うはははは、いただきまーす!」
 その声が聞こえて来た方向に視線を這わせる。
 そこに見えたのは男たち下卑た欲望をぶつけられるコトネと、オニヘイの姿だった。
「お前……!何をしてるオニヘイィッ!!」
 その姿を視界の捉えただけでよほど頭にきたのだろうか。気付けばあたしは叫んでいた。
 最初から胡散臭い男だったのはわかっていた。以前コトネが捕まった時に玄室で襲われかけたのも知っていた。
 それでもここ最近は少しは見所のある男だと思い、それなりに評価していたのだが……。所詮はこんなものだったのか。
「なんだい、セルビナちゃん。君の相手も後で余裕があったらしてあげるからちょっと待ってな〜。」
 ニヤニヤと笑いながらオニヘイはそう答えた。
 気持ち悪い。
 ここまで醜悪な顔ではなかったはずだ……。欲望に身を任せ切った人間の顔はこうも醜く映るのか。
 そこまで考えた時、あたしの口の中にならず者の汚い肉棒が押し込まれた。
「なにゴチャゴチャ言ってやがんだ。テメェの口はこれをしゃぶるためにあるって事を忘れん……。」
 男は最後まで言うことが出来ずにあたしの口から肉棒を引き抜き、声にならない悲鳴を上げながらその場でのた打ち回った。
 もっとも、性器をちぎり取る程の勢いで噛まれて平気な男もいまい。たぶん。
「て、っめ……、噛みやがっ……、ぐぅぅぅぅぅ!!」
 息も絶え絶えにそれだけ言うと、男は股間を押さえたままゆっくりあたしに近づいてきた。
「鼻紙より役に立たんようなクソは黙ってなさい。あたしはあの男に話があンのよ。」
 何かされる前に、あたしは今出せる精一杯の威圧感を込めてそう言い放った。
 こんな姿のあたしにさえ気圧されたのか、男は後じさりをし、あたしに群がっていた男たちも少しだけ身を震わせたように見えた。
 どんな事情があったにせよ、こいつらは真面目に生きることを放棄したゴミでしかない。1人1人などこんなものなのだ。
「テメェらな〜に気圧されてやがんだ!」
 部下に対する怒号に近い叫びと共に、ギルドボ……、ハイウェイマンズギルドのボスがあたしに近づいてきた。
「よく見てみろ。今のそいつはお前らをゴミのように屠れる冒険者なんかじゃねぇ。ただのセーエキ臭ぇ肉の便器だ。」
 便器、ね。言ってくれるじゃない。
「1000人もの部下を連れていて、丸裸の女4人と互角にしか戦えないカスに言われたくはないわね。」
「あァ?」
 選択肢はあった。あたしが助かる可能性を上げる選択はいくつもあった。でも、あたしは敢えてあたしの助かる可能性が1番低いこの手を選んだ。
 だから後はそれを遂行する為に頭をフル回転させて罵声を叫ぶだけだ。
「何か違う?まぁ、ゴミ貯めの王様じゃあんなもんよね。ああ失敗した。もう少し慎重だったらあたしたちが国の英雄だったのに。」
 言葉を吟味している時間はない。思いついたことを端から言っていくだけだ。
 それがどれほど効果があるかはわからないが、今のあたしに好き勝手言われれば多少は頭に血を上らせるだろう。
「言うじゃねぇか。ちぃ〜と惚れちまいそうになったぜ。」
「それはどーも。でもゴメンナサイ。その髪と繋がりきったヒゲとか長っ鼻が生理的にダメだわ。」
 追い詰められた人間は実力以上の力を発揮することがあると言うが、こんな状況なのにむしろ普段より口が回るのはそう言うことなのだろうか。
 それから少しの間、こんなやり取りが続いた。
 初めは余裕を持っていたギルドボも今は心なしか顔が赤くなり、苛立ちのようなものが見て取れる。
「ちぃ……、口の減らねぇ女だ。」
 ギルドボは吐き捨てるようにそう呟くと、コトネたちを犯している部下の一部をあたしの周りに集めた。
「テメェら、こいつはまだまだ元気があるみてぇだ。他の女どもより集中的にヤってやんな。」
 それを聞くと同時に、大量のならず者があたしににじり寄ってくる。
 部屋の中心で途切れることなく犯され続けているセニティ王女ほどではないが、それでも先ほどの倍近い数が集まっていた。
 これからの責め苦はさっきまでより激しくなるだろう。いや、なってもらわなければ困る。その為にわざわざギルドボを挑発したのだから。
 あたし以外の3人は、単なる武器屋だったり、記憶喪失だったり、高貴な身分だったりとで冒険者として経験不足だったのは間違いない。
 だからもっとあたしがしっかりしなくてはならなかったのだ。そうすればこんなことにはきっとならなかった。
 ならばせめてその償いをしよう。
 あたしにならず者が集中させて他の娘の負担を減らそう。
 この結果あたしがどうなってしまったとしても後悔はしない。
 そんな風に自分に言い聞かせていると、あたしへの凌辱が再開された。
 あとどれぐらい保つかはわからない。助かる保証もない。このまま堕ちて、壊れてしまうのかもしれない。
 だがそれでもいい。心残りは1つあるが仕方ない。
「アベル……、もう帰れない、かも……。」
 無意識のうちか、短く、小さく、あいつへの懺悔のようにそう呟いた瞬間、あたしの口の中に男の欲望が押し込まれた。


「……姐さん?」
 小さくそう呟き振り向く。だがここは俺の取った宿の一室、しかも2階の部屋である。そこには誰もいるはずがない。
 だが何故だろうか、今までに感じたことのないほどの嫌な予感がした。
「ガーランドさん!!」
 叫びながら俺の部屋に入ってきたのは、先日、大金を積んで情報源として寝返らせたギルドの男だった。
 いわば幹部クラスであったらしく、こちら側へと引き込むには苦労したがその分の見返りは十分過ぎるほどにある優秀な男だ。
「どうした?」
 俺は男を見据え……、向こうからは睨み付けているようにしか見えなかっただろうが、返答を待った。
「コトネパーティが……、全滅しました。」
 嫌な予感は最悪の形で的中していた。先ほどの空耳は本当に姐さんの声だったのかもしれない。
 俺はあまりの絶望感に倒れこみそうになるが踏みとどまり、男を問い詰めた。
「どこでだ……。姐さんたちはどこでどうなった!?」
 抑えが効かない。一歩間違えば目の前の男を惨殺してしまいそうなほど自分が保てなくなっている。
 耐えろ……、怒りをぶつけるのはこの男にではない。
「最下層です。コトネパーティは罠にかかり丸腰の状態でセニティ王女の監禁されている部屋に入ってしまった……。」
 たかだか堕ちた魔法戦士ごときに今の姐さんたちが負けるはずがない。
 しかし丸腰では大量のならず者に数で押されたら……、答えはわかりきっている。
「…………。」
 俺は無言で部屋の隅へと歩くと、そこに押しのけてあった荷を探った。
 間に合わないと決まったわけではない。
 しばし荷を探った後、俺が手にしていたのは一振りの剣。
 フォッケウルフ……、あの長剣では迷宮内で振り回すには少々大きすぎる。であればそれに代わる強靭な武器が必要だった。
 余り思い出したくはない過去の遺産だが、俺が振るってこれ以上に力を発揮できる武器はないだろう。
 俺は静かに、その剣を鞘と言う戒めから解き放つ。
 およそ十年ぶりに見る刀身の輝きは何も変わらず、かつて何十もの罪なき人々の命を吸った剣には見えぬほど美しかった。
 不滅剣シュバァルベ。
 折れようが砕けようが瞬時に元の形へと戻る再生の力と、上手く扱えば断てぬ物のなき薄い刃を持つ剣。
「が、ガーランドさん……?」
 それを見ていた男がやや動揺を見せながらそう呟いた。
 目の前にいる男が無言で剣を抜いたのだ、不安になるのは当然だろう。
 それを見て取り、剣にも問題ないことを確認すると、俺はまた黙ってそれを鞘に収めた。
「驚かせたか?」
「い、いえ……。」
 剣を鞘に収めても尚、そう答えた男は俺と少し距離を取っていた。
 ま、無理もない事か。
「最下層に、いるんだな?」
 なんの前置きもせず、俺はただそれだけを尋ねる。
「助けに行く……、んですか?」
「当然だ。」
「……それなら、これをどうぞ。」
 男が俺に差し出してきた物。それは3枚のコインと迷宮の地図だった。
「このコインは1階から3階、3階から5階、5階から9階への転送装置を起動させる為のキーです。使ってください。」
「わかった、助かる。」
 俺はそう呟きながらコインと地図を受け取り、代わりに大量の硬貨が詰まった革袋を男の手に置いた。
「代金だ、国を出る為の資金にでもするんだな。もうこの国にはいられんだろう?」
「……そうですね、ありがとうございます。」
 小さくそう呟き、革袋を受け取ると男は部屋の扉に手を掛けた。
「今までギルドボの手足となり、犠牲になった女性を売り払ってきた私の言えることではありませんが。」
 こちらに振り向かずにそう呟き、扉を開ける。
「あの娘たちを助けてあげて下さい。こんな下らない茶番で不幸になる人はこれ以上増やすべきではない。」
 それだけ言い残し、男は俺の視界から消えていった。
 ギルドの敵として内部から調べているうちに、あの男も知ったのだろう。巻き込まれた方からすれば恐ろしくバカらしい顛末を。
「言われるまでもない。」
 俺は誰にともなくそう呟くと宿の窓から飛び降り、そのまま龍神の迷宮へ向かって走り出した。


 あれからどれぐらい経ったのだろう。あたしへの責め苦は当然のように続いていた。
 もちろん、あたしだけでなく他の娘たちへの凌辱も途切れてはいない。
 コトネは未だにオニヘイに弄ばれているようだし、セレニウスはまだ耐えているのか悲鳴も矯正も聞こえてこない。
 フォルテはどうなったのだろう?あの娘が一番耐えられそうにないだけに心配だ。
 セニティ王女の様子はわからないが、彼女がどうなろうともはやあたしの知ったことではない。
 あたしは……、意外にもそれほど辛さを感じてはいなかった。
 確かに体への負担は大きい。身体的には相当に疲労しているし、感じる刺激もどこか薄れてきている。
 それでも、精神的にはそれほど辛さを感じていない。ついさっき無惨にも純潔を失ったと言うのに、なぜか大した事ではないように思えた。
「何よ……、大の男が……、これだけ雁首そろえてて、まだあたし1人堕とせない、の……?」
 肉棒が抜かれる度に自由になる口から出るのはそんな言葉ばかりだった。
 その度に男たちは再びあたしへの責めを強固にする。
 それでいい。1人でも多くの男をあたしに集めておけば、きっとみんなを楽にしてあげられる。 
「なんだ……、しぶといな姉ちゃん。」
 そう呟きながら、再びギルドボがあたしへと近づいてきた。
 王女の凌辱にでも参加していたのだろうか。下半身には何も身につけず、隆々とした男性器を露出させたままだ。
「下手クソばっかり……、なんだもの、アンタの部下。それじゃ……、仕方ないわよ、ね。」
 ちょっと神経を逆撫でし過ぎたか、ならず者の1人があたしに蹴りを入れようとした。
 しかしそれはギルドボによって阻まれる。そしてその男はギルドボの一撃で壁まで吹き飛ばされ、絶命したようだった。
「イイぜ、姉ちゃん。短時間とは言え、さっきまで処女だった女がこのとんでもねぇ人数にマワされて出てくる言葉じゃあねぇ。正直、気に入ったぜその気丈さはよ。」
 ギルドボは自らが殺した部下には一瞥もくれずにそう言い放った。
「冗談抜きで俺のモノにならねぇか?アンタはバカの集団を上手く使う技術にも長けてるって話だし、売っちまうより引き込んだ方が得かもしれねぇ。」
「イマサラ何を言うかと思えば……。」
 下らない。あたしにこいつの情婦にでもなれと言うのか。
「そうすり他の3人は助けてやらねぇでもない。」
 正直、この提案には少し魅力を感じてしまった。本当にあたしを抱き込む気なら嘘でもないだろう。
 要はあたしに貸しを作る代償として3人を助けると言うこと。このまま救助が来なかったらと考えると話に乗るのも悪くはない。
 もちろんこんな考えはあたしらしくないと思う。でも、この3人だけはなんとしても助けたいのだ。
 王女やこの国がどうなろうと知ったことではないが、コトネたちだけはどうしても救いたい。
「ま……、でも、ちっと1人手遅れになっちまったかもしれねぇけどな……。」
 それを聞いて、あたしは考えるのを止めた。集中して周囲の音を拾う。
 コトネは……、相変わらずオニヘイを中心として男たちにに弄ばれている。それでも堕ちている様子はない。
 セレニウスの声は殆ど聞こえない、それでも悲鳴にも似た呻きから耐えているのがわかる。
 では、まさか――。
「それじゃ、言ってみようかフォルテちゃん。」
 どこか楽しそうな男の声が聞こえる。
 その先は聞きたくない。しかし聞かないわけにはいかなかった。
「……はい。私は哀れな奴隷でございます……。どうか……、どうか、優しく扱ってください……。」
 フォルテが堕ちた。
 そう自覚した時、あたしを深い絶望感が襲った。フォルテを助けることが出来なかった……。
「ちょいと遅かったな。だが、アンタがOKするならあの賢者も売らねぇで解放してやるさ。どうだ?」
 そう、少し遅かった。それはあたしたちだけにとっての事ではない、ギルドボに対しても言える事だ。
 3人が堕落せずに助かるのならいざ知らず、こうなってはもうあたしも引き下がれない。
 最後の最後まで……、精一杯やれることをやるだけだ。
「落ちぶれた魔法戦士の情婦になるなんてまっぴらに決まってるじゃない。」
 ノー、と言う代わりにあたしはそう言い放った。
「それにさっき言ったわよね。猿並みの脳ミソじゃ覚え切れなかった?その髪と繋がりきったヒゲとか長っ鼻が生理的にダメだ、ってね。」
 ギルドボが顔をゆがめる。もしかしたらさっきの言葉は心底本気だったのかもしれない。
「バカな女だ。」
 ギルドボはそう呟くと、あたしに群がっていた部下を乱暴に退かし、太い両腕でしっかりとあたしの腰を両手で掴んだ。
 このタイミングで挑発するのは一瞬躊躇したが、フォルテの事を思えば何をされたとて辛くなどない。
「何?ギルドの長ともあろう男が部下のおこぼれに預かるような真似をするの?あっははははは!情けない話ね!」
 何故だろう、もうロクに考えるまでもなくこんなセリフがポンポン出てくる。人をおちょくる才能があるのかもしれない。
 だがギルドボはあたしに何も言葉を返さなかった。ただ、あたしの腰を掴む手の力が大分強くなったことから挑発は成功したことだけはよくわかる。
 そして無言のまま、限界まで膨らんだ欲望の塊をあたしの秘部へと突き入れた。
「どうだ?キモチイイだろ俺様のチンポはよォ!?ええ?これだけグイグイと締め付けといてまさか何も感じねぇとは言わねぇよな?」
「そうね……、他の奴らのクサレたモノよりはずっとマシだわ。」
 もちろんそれが気持ちいいというわけではない、むしろこれは苦しいと言う事の裏返しだ。
 そうと知ってか知らずか、ギルドボは激しく腰を振りあたしの膣内をえぐっていく。
「ぐ……、うあ……。」
 行為の激しさにあたしはうめき声を漏らす。いい加減、体も限界なようで我慢が効かない。
「あ……、あああッ……。」
 強がりでもなんでもなく、決してイイわけではないのだが嬌声にも似た声が漏れるのを止められない。
「気分出てきたみたいじゃねえか。待ってろ、もう少し楽しんだら一発出してやるからよ。」
 この男は何を勘違いしているのか。とは言え、こんな声を出していればそう思われるのも当然かもしれないが。
「好きに、しなさいよ……、今更、1回分増え、て、も……、何も変わりゃ……、しない、わ。」
「おうよ、好きにさせてもらう、ぜっ!」
 そう言うと同時にギルドボはあたしの体を持ち上げ、抱え込んだ。
「ぐ……、くぁ……。」
 抱え上げられたことでギルドボの肉棒がさらに深くまで突き刺さることになった。
 強靭な男性器があたしの子宮口を何度も叩く。
 そのまま何度も何度も激しく突き上げられ、意識が飛びそうになった瞬間、あたしはギルドボの性器が膨れ上がるような錯覚を覚えた。
 直後、あたしの膣内に大量の精が流し込まれる。
「うぁ、あああ、あああああぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
 満足した笑みを浮かべるギルドボ。だが次の瞬間、それは焦りに変わった。
 あたしの叫びが合図にでもなったのか、勢いよく部屋の扉が開き、4人の冒険者が素早く侵入してきたのだ。
「……ここが、か。悪いが貴様らには死んでもらおう!!」
 右目に眼帯をつけた女性がそう叫ぶ。
「ちぃ……。」
 ギルドボはあたしを降ろし、部下に突撃命令を出す。自分はと言うといそいそ服を着ているのがまた情けない。
 直後、4人の冒険者と500人近いならず者どもの激しい、しかし結果の見えている戦いが始まった。


 俺は2度生まれた。
 1度目は28年前。某国の騎士である厳格な父と、優しく、暖かい母の間に生まれた。今では思い出すこともないが、幸せな家庭だったと思う。
 6歳の時、他国との戦争に参加した父が死んだ。その時の心労か、母も程なくして逝った。
 俺は引き取ってくれるという親戚の家に行く途中に奴隷商人に誘拐され、ある暗殺集団の頭目に買われた。
 その男は俺を後継者とすべく育てた。技能修得の為の修行は辛かったが、その男は不器用に優しかった。
 だからだろう、俺はその男をある時までは父と呼んでいた気がする。
 初仕事は13の時だった。泣きながら標的を殺した。それからどれだけ仕事を重ねても殺しに慣れることはなかった。
 思えばこの時からだ。俺が頭目を父とは呼ばなくなり、めったに顔を合わすことさえしなくなったのは。
 18の時、俺はついに仕事に耐え切れなくなり逃げ出した。当然追っ手が差し向けられた。
 俺の「性能」を持ってすればそいつらを殺すことは簡単だった。だが、いかに生き延びる為でも昔の仲間は殺せなかった。
 ひと月も逃げ続けた頃だろうか、疲労と睡眠不足からかなり衰弱していた俺は追っ手に手傷を負わされた。
 それでもなんとかその場は逃げ延びたが、ある森の側の小道でとうとう倒れこんでしまった。
 その時の事は絶対に忘れないだろう。新雪の積もる、とても寒い冬の日だった。
「大丈夫?」
 俺に声を掛けてきたのは15、16ぐらいの少女だった。
 そのナリから推測すると恐らく冒険者なのだろう、装備の貧弱さからして恐らくまだ駆け出しレベルの。
「俺に……、近づくな。」
 いずれ追っ手が来る。この少女を巻き込むわけには行かない。
「んん……、でもまぁ、ほら。もう救急セット出しちゃったし、手当てだけさせてよ。」
 そう言ってから少女は「荷物から救急セットを取り出し」俺の手当てを始めた。
 俺はそれを素直に受け入れた。人の優しさに触れたのはいつ以来たっただろう。
「これでよし。街までそんなに遠くないし一緒に行こうか?」
 思わずその申し出を受けるところだったが、当然そういうわけには行かない。
「消えろ……。」
 出来る限り無愛想に、かつ威圧するようにそう言った。
 この時、胸が強く痛んだのを覚えている。
「あ、そう。じゃあ1人で行きますよーだ。」
 むっとした顔をしてそう言うと少女は立ち上がり、歩いてきた方向とは反対の方へと歩き出した。
 しかし、既に遅かったのだ。
 突如、悲鳴を上げることさえなく少女の体が吹き飛んだ。誰かに横合いから殴りつけられたのだ、彼女自身が気付くことさえない内に。
 着地した彼女は小さなうめき声を漏らすと同時に静かになった。恐らく気を失いでもしたのだろう。死んでいるとは思いたくなかった。
 程なくして、俺の眼前に追っ手の男が現れる。彼女を殴り飛ばしたのも当然こいつの仕業だろう。
「エルンスト……。」
 この男の名をこれほど苦々しく呼ぶのは初めてだった。
 エルンスト=メルダース。かつて仲間であったものの、俺を深く憎んでいた男。
 ただしその理由は下らない。こいつはただ後継者の証である不滅剣が欲しかっただけだ。
「もういいだろう、アドルファス=ガランド。」
 前置きもなくエルンストはそう呟く。
 何がもういいと言うのか。これだけ組織に迷惑をかければもう十分だろうと言うのなら勘違いも甚だしい。俺のことなど放って置けばよかったではないか。
「不滅剣とお前の命、大人しく差し出してもらおうか。」
 ……受けた傷や衰弱度を加味しても、こいつを殺して逃げることはまだ可能だった。
 だがこの時の俺は、相手がこんな男だとしても、もう人を殺したくはなかったのだ。
「わかった、観念しよう……。だが1つだけ約束してくれないか?俺の命も不滅剣もくれてやる。だからその娘を見逃してやってくれ。」
 今思えば無駄な話だったとは思う。仮に受け入れられたとしても、俺が死んだ後に反故にされるだろうことは間違いない。
「お前の願いを俺が聞くとでも?……いや、待てよ。お前が俺に「頼む」と言うことか、それはいい。」
 口に出して考えたフリをするのはこの男の悪いクセだ。既に形だけは俺の提案に乗ると言うことは決めているだろう。
 そう、形だけでも提案を受け入れれば俺は抵抗しなくなるのだ、断る理由がない。
「いいだろう、他ならぬお前の最後の「頼み」だ、聞いてやる。あの娘はお前を殺した後で街まで運んで……。」
 少女の方へと振り向きながら喋っていたエルンストだが、なぜかそこで言葉を切った。
「何よ……、もう少し話し込んでなさいよね。」
 数瞬後、金属と金属が激しくぶつかり合う音が響き、少女の声が聞こえた。
「このクソガキ……。」
 俺が目を向けると、そこには信じられない光景があった。少女の放った剣による一撃をかろうじて右手の篭手で受けたエルンスト。
 少女の剣には相当な負担がかかっただろうが、代わりにエルンストも少しの間、右腕が痺れでまともに使えないだろう。
 だがそれだけでは終わらない。少女は2度、3度と斬撃を繰り出していく。
 もちろんエルンストも長く修練を積んだ手練れだ、正面から戦って少女に負けるはずはないし、事実初撃以降は全て軽くかわしている。
「何ボサっとしてんのよ!怪我人は早く逃げなさい!」
 立ち回りを続けるうちに俺から大分離れたところまで移動した少女が、エルンストに攻撃を加えながらもこう叫んだ。
 まさか、俺を逃がすためにこんな無茶をしたと言うのか?
 少女も自分が目の前の男より大きく劣っている事はわかっているだろう。だからこそ攻撃の手を緩めず、エルンストに武器を取らせないようにしているのだ。
 だと言うのに……、ここで俺を逃がした後どうなるかは予想もついているだろうに、俺を逃がそうと言うのか?
「ガキが……、調子に乗るなァッ!!」
 そんな風に考え込んでいた折、エルンストの咆哮にも似た叫びが俺の耳に飛び込んできた。
 それに続いて、金属のへし折れる音が続く。
 視線を向けると、エルンストが右腕を押さえている。少女の斬撃に正面から右手の篭手を合わせたのだろう。
 あの腕は当分使えないだろう、が、代わりに少女の剣はもう2度と使えない。刃が綺麗に折れ、破片が遠くの地面に突き刺さっている。
「意識があるんならとっとと逃げてりゃいい物を、下らねぇ横槍を入れやがって……。」
「よく言うわね、逃げても斬りかかっても結果は同じだったでしょうに。」
 そう、結局は同じことなのだ。
 少女が逃げていたとしてもエルンストは俺を殺した後に少女を始末していただろう。俺との約束など守る気は更々ないのだから。
「なら、どっちか1人ぐらいは助かりそうな方を選んだほうがいいでしょ。」
 少女は自分がどうしたとしても助からないだろうと判断し、せめて俺が逃げる隙を作ろうとしたのだ。
 逃げ出していれば1%以下の確率で助かる可能性もあっただろうに、それを捨てて俺を助けようとした。
 それに気付いたとき、俺の中で何かが変わった。
「残念だったな。結局どっちも助かりはせん。」
 もう何も聞こえない。俺は静かに、剣を……、シュバァルベを鞘から抜いた。
「そんなナリであの人を殺せるの?片腕ブラ下がったその無様な体で?」
 俺は全身に残された力を振り絞り、極限までの低姿勢で駆け出した。痛みなど感じている暇はない。
「そ――。」
 俺は少女とエルンストの間を、最速で駆け抜ける。さすがに軌道が安定しなかった為かシュバァルベが砕けたが、その場で再生する。
 それが近づいてくる俺に対しての呟きだったのか、それとも少女に言い返そうとしたのかはもうわからない。
 とにかく、エルンストはその言葉を残して倒れ伏した。2度と起き上がることはないだろう。頭と胴が離れて生きていられるような生物なら話は別だが。
 これまで人を殺した時はそれが誰であろうと俺は涙を流し、心を痛めてきた。
 しかしこの時は違った。かつての仲間を斬ったと言うのにむしろ、少女を助けることが出来た嬉しさがあった。
「何よ……、そんな簡単にやれるなら最初からやりなさいよ。」
 少女は臆した様子もなく、そう呟いた。
「殺すつもりはなかったんだ、最初は。」
「ふぅん……、ま、とりあえず。」
 そこで言葉を切ると、少女は俺へと向き直り、微笑む。
「ありがとう。」
 これが2度目。
 俺は少女の笑顔と、仲間だった男の血溜りの中で2度目の生を受けた。
 その時、俺は、俺がもう一度人間らしく生きられるキッカケをくれたこの少女の為に生きることを誓った。この件を他人が聞いてどう思うかは俺の知ったことではない。
 だから――。
「この先へ進むるは、我が試練を通過した者のみ。《証》を示せ。」
「ねぇよ、そんなもん。」
 絶対に助け出してみせる――。
 その為なら騎士団も、ギルドのクソ共も、このヘビのバケモノも俺の邪魔する奴は全て叩き潰してやろう。
 俺はシュバァルベを握りなおし、敵意を示した龍神へと向かっていった。


「この瞬間どれだけ待ちわびたことか。貴様をこの手で殺すこの時を。」
 右目に眼帯を付けた女性がギルドボに相対し、そう呟く。
 ならず者は残り100名足らず。その間を縫ってギルドボに肉薄するのは容易かったし、残りを仲間に任せても何の問題もなかった。
 そう、ここまでたどり着いた冒険者たちにとって500人の肉の壁などなんの障害にもなりはしない。
 所詮ギルドボは、たまたま知識を持っていてワイズマンの残した書の一部を使えただけの男でしかない。
 その程度の男の魔法で彼女らを倒すには500人の肉壁で稼げた時間では到底足りなかったのだ。
「ちきしょう……、補充前に次が来るんじゃねぇよ……。」
 恨みがましくそう呟き、ギルドボは仕方なさそうに剣を取った。
 ギルドボが剣を取るのを待っていたのだろうか。眼帯の女性はそれを見て取ってからようやくギルドボに斬りかかった。
 その実力差は誰が見ても明らかだっただろう。一合、二合と剣を合わせるたびにギルドボは小さな傷を追い、徐々に追い詰められていった。
「うぎゃあああ!馬鹿な、こ、こんな馬鹿な!」
 少しして、遂に眼帯の女性の剣がギルドボの肉を深く切り裂いた。多量の血しぶきを上げ、ギルドボが剣を取り落とし、その場で膝をつく。
「終わりだな。」
 眼帯の女性がギルドボを見下ろしそう呟く。その目を見るに、生かしておく気は更々なさそうだった。
「くそ、くそくそ、終わらねぇぞ、終わらねぇ!てめぇら!!」
 最後の悪あがきか、ギルドボがそう叫ぶと残りのならず者が眼帯の女性に襲い掛かった。
「チッ……。」
 複数の男に押しつぶされそうになるが、女性はそれを避ける。どこから現れたのか、ならず者たちは少しだけ数が増えているような気がする。
 ならず者どもが彼女らを押さえている間に、ギルドボが部屋の隅まで後退する。
「知ってるか、この最下層への「転移」魔法は封じられてるがな、最下層からの「転移」は自由なのよ……。」
 そして誰にとでもなくそう呟き、何かの呪文を詠唱する。
 これは……、そうか、転移魔法……。
「逃がしゃしないわよ……。」
 眼帯の女性が率いるパーティとギルドボの間にはまだ多少のならず者が残っている。彼女たちがそれを突破する頃には転移が完了しているだろう。
 ならば、ギルドボを引き止めるのはこちら側にいるあたしの役目だ。
 あたしは立ち上がるために脚に力を入れた。
 だが、それは適わない。敢えて集中的に嬲られたのが裏目に出てたか、立つことすらままならない。
「大丈夫です、ここは……。」
 そんなあたしに誰かが声をかけてきた。
 そして気付く。あたしもまた1人ではないのだ。
「私たちに任せて……。」
 セレニウスとコトネが落ちていた棒切れを手にギルドボに向かっていく。
 さすがに動きに精彩さはなかったものの、それはギルドボも同じことだ。
「ぐっ……。」
 2人の振るった棒切れがギルドボの体を捉える。それでも奴は術を中断しない。そして術を続けたまま鬱陶しそうに腕を振るう。
 その腕に当たり、セレニウスとコトネが弾き飛ばされた。
 コレは困った。もうあたしたちには転移魔法1つ止めるだけの力も残されていないのか。
「俺様が死なない限り、幾度でも、何度でもハイウェイマンズ・ギルドは再生する……。楽しみに待ってろ。」
 転移が始まる。もう止める術はない。
 その時、なんの前触れもなく扉が乱暴に開け放たれ、黒い物体が飛び込んできた。
 それが状況の確認に費やした時間は本当にたったの一瞬。
「ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
 それ、は叫び……、いや、咆哮を上げ肉の壁を「切り開き」ギルドボへ向かって突撃する。
 そして転移が完了するかと言う瞬間、それがギルドボとすれ違い、少量の血と、この薄明かりの中でなお白く輝く何かが飛び散った。
 だが結局、奴の転移は完了してしまった。もはや飛び散った血が誰のものかにも意味はない。ギルドボを捕えることはかなわなかったのだ。残ったならず者は逃げ散ったようだがどうでもいい。
 とは言え、それでもあたしたちは助かったわけで。
 そう考えると気が抜けて、とてつもない疲労感が襲ってくる。それはセレニウスとコトネも同じなのか2人揃ってぐったりとしている。
 ……そこで思い出す。フォルテはどこに行ったのだろう?よく見るとオニヘイもいない。
 あのおと……。
「姐さん!」
 その叫びであたしの思考は中断される。
 なんという聞きなれた声。呼ばれただけで、部屋に飛び込んで来た黒い物体の正体がわかってしまった。これは間違いなくあいつ。
 それ……、アベルはあたしに近づき、迷いなく抱きついてきた。近くでよく見るとアベルも満身創痍とは行かないまでも傷だらけだった。
「ちょ、ちょっと……、汚いわよ、アベル。」
 言うまでもないが、あたしの体は精液のプールに浸したかのごとく汚れている。抱かれる分にはこの際構わないのだが、抱きしめる気にはなりそうにない。
 もっとも、数日間マワされっぱなしのセニティ王女よりはマシなのかもしれないが……。
 ……ああ、王女のこと忘れてた。生きてるかな?
 そう思い、あたしの胸に顔をうずめるようにしてすすり泣くアベルを放って王女のいた方向に顔を向ける。
 そこでは眼帯の女性と、なんとも言えない奇抜な格好の少女が王女を救出していた。2人の表情を見るに、とりあえず生きてはいるようだ。
 パーティの残りの2人はセレニウスとコトネを介抱している。あたしには「これ」がいるから不要と言うことなのだろうか。少々釈然としない。
「すみません、ほんの少しだけ、待っていただけませんか?」
 不意に、どこからかそんな言葉が聞こえてきた。
 少しだけ間をおいて現れた声の主は……、ハウリ王子だった。
「姉上を救って頂き、ありがとうございました。」
 王子はここにいる全員の顔を見回すと、小さいがよく通る声でそう呟いた。
 最後にセニティ王女に向き直り悲しそうに姉の姿を眺めると、優しくその身を抱きしめた。
「可哀相な姉上……、ラシャから話は全部聞いたよ。どうしてこんな……、馬鹿な事を考えてしまったの……?」
 それから王子によって語られた話は姉……、セニティ王女にとっては信じがたい物だったのだろう。
 徐々に、徐々に彼女は正気を失い、最後には狂ったように哄笑を上げた。
 再び悲しそうにそれを見た王子が何事か唱えると、王女の意識は消え、場は静寂に包まれた。
 その後、あたし達は王子から「口止め」をされた。報酬を出す代わりにここで聞いた話はすべて黙っていろとのことだ。
 黙っていてさえくれれば救出に失敗したあたしたちにもそれなりの報酬は出してくれるそうなので、条件を呑んだのは言うまでもない。
 ただ、何が気に障ったのか、王子に対して斬りかかろうとするうちのバカを抑えるのにちょっと苦労したのだが……、まぁこれはいいだろう。
 

 それからおよそ一週間が経った。
 とりあえず体のほうはセレニウスに「浄化」を施してもらったし、大分休んだことでほぼ回復した。
 心配だったフォルテだが、思ったとおりオニヘイに連れ去られていた。
 その事にまともに動かない体で怒り狂うコトネの代わりにアベルが暴れに暴れ、あっさりとフォルテを取り返したのだがその話はいいだろう。
 もっとも、助け出したとは言え、性奴隷に堕ちてしまった精神はそう簡単には戻らない。
 だがあたしはそれほど心配はしていなかった。コトネが傍にいればいずれフォルテは元通り回復するだろう。
 オニヘイのアホについては、少なくとも力であの2人をどうにかすることは出来ないように手を打っておいた。
 ……まぁ、オニヘイとコトネが純粋にくっついてしまう可能性も考えたが、そうなればもうあたしの口出しすることでもない。いい傾向とは思わないが。
 その後、セレニウスとも別れ、王都を出たあたしたちはまた2人きりになった。
 この2ヶ月、最後こそ悪かったが、3人と一緒にいた期間が楽しかっただけに少し寂しい。
「さぁて、次はどこに行こうか?」
 懐中時計の蓋を閉め、あたしは誰に呼びかけるでもなくそう呟く。
 いつもならすぐに返事を返してくるはずのアベルだが、なぜか返事がない。振り返るとやけに精気のない顔をしていた。
「どしたの?」
「いえ、その……。初めてだったはず、ですよね、姉さん。」
 処女をあんな形で失ったというのに、それほど気にした様子のないあたしを心配でもしていたのだろうか。
「何?処女じゃないあたしとは一緒にいたくないとか?」
 ちょっと意地悪だっただろうか?
 ただこれで肯定されてしまったらと思うと怖かったりするのだが。
「……バカ言わんで下さい。怒りますよ?」
 どうやら違うらしい。心の底から安心した。
「じゃあどうしたのよ?アンタが気落ちする事なんて何もないと思うけど。」
 ギルドボを斬り切れなかったことでも気にしているのだろうか?
 後で聞いたのだが、最後の一瞬、アベルはギルドボの左腕に剣を食い込ませていたらしい。最後の飛び散った血はその分なのだろう。
 また、切り込む角度を間違えなければ転移までに腕を切り飛ばしていたとも言っていた。あの血と一緒に飛び散った白い破片は剣が砕けたものだったらしい。
 なぜ腕を狙ったのかと思ったが、狙いは腕そのものでなくギルドボが左手に持っていたワイズマンの書だとか。あれさえなければもう何も出来ないはずだと、アベルは言っていた。
「俺のせいで姐さんがあんな目に遭わされたんです……、そりゃ気分だって悪くなります。」
 しかしアベルの口から出てきた言葉はそんなこととは全く関係がなかった。
 どうやらあたしが奴らに凌辱されたことを気にしてたようだ。別にアベルのせいではないと思うのだが。
「いいじゃないの、あたしそんなに気にしてないし。アンタのせいでもないわよ。」
 そりゃあ子供でも孕まされたりすれば話は別だが、浄化もしてもらった今その心配もない。
「……姐さんはもっとその、ショック受けたりしてもいいと思うんですけど。」
 あたしもなんでここまで平気なのか昨日ぐらいまでよくわからなかった。別に大切に守り通してきたという訳でもなかったからと言えばそれまでなのだが。
 まぁ、たぶん、その理由は。
「アンタがいるからじゃないかな。」
「え!?」
 よほど驚いたのか、アベルは目を見開いてこちらを見ている。
 そう、純潔などよりももっともっと大切な「者」は失っていないのだ。しかもこれからもずっと傍に居てくれるという。
 ならば気を落とす必要がどこにあると言うのだろう。
「早いもんよね。アンタと初めて出会ってからもう10年も経ったなんて信じられないわ。」
「そうですね、10年……、10年?」
 アベルは少し焦ったようにそう聞き返して来た。
 あたしを高く評価していたクセに自分のことはバレてないと思ってるのはどうかと思う。
 丁度いい機会だしこの件についてもハッキリさせてしまおう。このままではちょっと気持ち悪い。
「最初の5年は陰ながら、後の5年はあたしの傍で。ずっと守ってくれてたのはわかってるわよ、アドルファス=ガランドさん。」
「それは、その……、な、何のことだか……。」
 誰が見てもそうとわかるほどにアベルは狼狽していた。バレているとは微塵も思っていなかったのだろう。
「砕けてもその場で元通りになる剣なんてそうそう転がってるわけないわよね?」
 ギルドボを斬った時に飛び散った破片、あれは砕けた剣だったのだろう。しかし後で見てみたら破片など落ちてはいなかったし剣にも欠損はなかった。
 その時、思い出したのだ。初めて会ったとき、アベルの剣が砕けたそばから再生していたのを。
「あの時からあたしの為に動くような奴なら、騙して置き去りにしたにも関わらず追いかけてきたりもするんでしょうしね。」
 アベルは何も答えない。どうすべきか迷っているのだろうか?
 それならこちらのペースであるうちに追い討ちをかけ、何か言わせるまでだ。
「いい?よく聞きなさい。騙されたままじゃあたしは今以上の好意をアンタに対して持つことはないわ。」
 そりゃあそうだ。
 理由如何に関わらず、この期に及んでまだ自分の素性を隠すつもりの男と一緒にいるだけでも大したものだろう。
「それを踏まえた上でまだアンタがアベル=ガーランドでいたいならあたしも騙されたままでいてあげる。それがどういう意味かはわかるわね?」
 あたしがそう言うと、黙りこくったままアベルは目を閉じる。
 しばしの沈黙の後、意を決したようにこう言った。
「今のまま嫌われないだけでも俺には十分です。」
 それはこのままで、あたしを騙したままでいいと、そう言うことなのだろうか。
「と……、5年前ぐらいの俺なら言ったんでしょうけどね。」
 ならば今はどうだと言うのだろう。
「そうですね、俺、姐さんにはもっと好かれたいんで、全部喋っちゃいましょう。ただ1つだけ、その前に言わせてください。」
 そこで言葉を切る。一体何を言うつもりなのだろうか。
「あの時、あの少女を守ったときに、アドルファスは死んだんです。だから俺のことはこれからもアベルと呼んで下さいね。」
 続いて出てきたのはこんな言葉。
 言われるまでもない、今更本当の名前がわかったところであたしにとってこいつは「アベル」なのだ。
「いいわよ。でも1つ条件があるわ。」
 でもせっかくだから1つ言うことを聞いて貰おう。
「なんでしょう?」
「あたしの事も、名前で呼びなさい。今から5回姐さんとか呼んだらまたどこかに置き去りにするからね。」
 いい加減そう呼ばれるのは嫌だ。
 あたしはアベルの上の人間ではないのだ。あくまでも対等な関係として、名前で呼び合いたい。
「んん……、その度に追いかけるってわけには行きませんよね?」
 行くはずがない。これから一生追いかけっこでもするつもりなのかこいつは。
「アンタ……、あたしの事、好きなのか嫌いなのかどっちなのよ。」
「敢えて言わせていただけるなら、大好きです。」
 アベルは真面目な顔でそう即答する。
 大真面目にこう言われてしまうとやはり何か、恥ずかしい。そういえばこういう所が合わないと思ったから置いてきたんだっけ。
「じゃあ名前で呼びなさい。いいわね。」
 でも今はそうは思わない。むしろこいつが傍に居た方が丁度バランスが取れていいのかもしれない。
「ん……、う……。わかりました、では……。……セルビナ。」
 出会ってから10年。この男はようやく、あたしの名前を呼んだ。
 さて、これで胸のつかえも取れた。
 後はもうどうでもいいアベルの過去でも聞きながら、次の仕事でも探すとしよう。
 今度こそ、あたしの流儀で戦えるような依頼を。多少危険でも構いはしない。
 何が相手でも、アベルが傍にいれば怖いものなどないのだから。