3月21日。
 女冒険者たちによるワイズマン討伐隊が龍神の迷宮へと挑み始めてからはや数週間。
 冒険者たちの迷宮攻略も進み始め、ドワーフの酒蔵亭は最初のころの慌しさから開放されつつある。
 そんな店内の一角に、あるパーティのリーダーである賢者フォルテの姿があった。
 同じテーブルには誰の姿もなく、1人、水の入ったグラスを舐めるように、少しずつ消費している。
「早いね、相変わらず。」
 声をかけられ、フォルテはふと顔を上げる。椅子を引いて座ろうとしている女性が視界に入った。
 フォルテのパーティでサブリーダーを務めているセルビナだ。
「リーダーですから。遅刻などしては示しがつきません。」
 セルビナを正面に見据え、微笑を浮かべながら静かに答える。
「真面目だねぇ……。」
 腰掛けた椅子の位置を直しながら、セルビナは半眼で告げた。
「ところで……、前回はいろいろ大変な目にあったわけだけどさ。」
 ウエイトレスが運んできた水に口をつけ、息をついてから重々しく切り出す。
「申し訳ありません、私が罠に気付かなかったばかりに……。」
「いや、責めてるんじゃないよ、ただ……。」
 そこで言葉を切り、セルビナは酒場中に視線を巡らせる。
「楽な仕事なんてないけどさ、さすがにこれはリスクが高いと思ってね。」
「……抜けるつもり、ですか?」
「アンタはそうは思わない?」
 フォルテの問いに、答えることなく問い返す。
 いつも受けている依頼と勝手が違うとはいえ、セルビナには乗り切る自信があった。
 ならず者やモンスターにも遅れをとるとは思わなかった。
 しかしそれは、楽観でしかなかった。
「私は……、諦めるわけにはいきませんから。」
 セルビナを見据え、フォルテがそう答える。その答えからは力強い意思を感じる。
「だろうね。コトネにも目的があるし、セレニウスも諦めるつもりはなさそうだし……。」
 椅子の背もたれに体を預け、天井に視線を移す。
「でも、あたしはここで頑張らなきゃならない理由は何もない。」
 フォルテは何も言わず、セルビナも黙り込み、2人はここにいない仲間の到着を待った。 

「遅いね〜。」
 カラになったグラスを弄びながら、セルビナが沈黙を破った。
「2人ともどっか行ったのかな?」
「コトネちゃんは昨日の変質者を探しに行きました。セレニウスさんも心配だからついていく、と。
 それほど長くはならないと思ったんですが……。」
 昨日の変質者、とは、コトネに付きまとう胡散臭い男、オニヘイである。
 昨日の夜、4人で風呂に入っているときに覗きを行ったため、このように呼ばれていた。
「知ってんなら早く言いなさいよ。……しかし無駄だと思うけどね。馬鹿でなけりゃ逃げてるでしょ。」
「あまり賢そうには見えませんでしたし、意外とその辺にいるかもしれませんよ。……ほら。」
 フォルテが酒場の入り口を指差す。そこにいたのは、オニヘイだった。布がかぶせられてよくわからないが、
棒状のものがやけにはみ出した大き目の木箱を持っている。
 オニヘイもこちらに気付いたのか、愛想笑いを浮かべ近寄ってくる。
「いたよ馬鹿が。」
 軽く頭痛を覚えながら、セルビナが小さく呟いた。
「よ、よう、オフタリサン、お揃いで。」
 オニヘイはどもりつつも気さくに声をかけ、持っていた木箱を机の上に置きつつ椅子に腰掛けた。
「何しにきたのか知らないけどさ……、コトネが来る前に消えなさいよ。」
 頬杖をつきながら、呆れたように、セルビナは半眼で呟いた。
「いや、ほら、謝りにさ……。」
「無駄だと思いますよ。当分コトネちゃんは収まらないかと。」
「一応、お詫びの気持ちを、と思って珍しい武器とかも持ってきたんだが……、今度は自分で。」
 机の上にある木箱の布を外す。中に入っていたのは立派な剣から使い道のよくわからない道具まで様々だ。
「「そんなことで許されると思っているのかコンチクショー。」」
 両手を外側に向け、ひらひらと動かしながら、抑揚のない、いわゆる棒読みでセルビナが昨日コトネの発した台詞を引用する。
「それは……、昨日の……。」
「なんだ、覚えてたんだ。それならそんなんで機嫌取ろうとしても無駄なのはわかるでしょ?」
 頬杖をついたまま、頭をぽりぽりとかきつつ、セルビナは続ける。
「コトネには言わないでおいてあげるし、あたしらも見逃してあげるから、当分どっか消えてなさい。」
「あの、勝手に見逃してもらっては困るんですが……。」
「文句ある?」
「いえ……。」
 撃沈。
 強く出られると返せないのがフォルテの弱点だ。
 語勢だけでフォルテを言いくるめ、セルビナはオニヘイに向き直る。
 その時、店の入り口から、叫びにも近い大声が響いた。
「マスター!姐さん、戻ってきましたか!?」
 その声に反応したものが2名。他の客はフォルテ、オニヘイを含め何事かと入り口に目を向けているだけだ。
「あんたか……、そんなに大声出さんでも聞こえとるよ。」
 1人はもちろん酒場のマスターであるペズ。
「いっ……。」
 もう1人はセルビナだった。
「お知り合いですか?セルビナさん。」
「あ、いや、まぁ……。」
 長いつきあいなのだ、顔を見なくても声だけでわかった。
 酒場の入り口で立ち尽くしているのは、クルルミクに来る前に置き去りにしてきたはずの黒づくめの男……。
 そう、アベル=ガーランドだ。

 ―――まさか追ってくるとは。

「……ちょっとアレと話があるから、待ってて。」
「ええ、なんでしたら出発は明日に延ばしても構いませんよ。」
 フォルテは微笑を浮かべ、優しく言った。ただ、なぜか少し悪意のようなものを感じる。
 またも軽い頭痛を覚え、セルビナは額に手を当て呻いた。
「すぐ戻ってくるよ。」
「ちょっと待った。」
 踵を返し、酒場の入り口へと踏み出そうとした瞬間、オニヘイに止められた。
 振り返ると、あのふざけた男とは思えないほど真面目な顔つきをしている。
「昨日の件を許してくれた礼に、1つ忠告しとくぜ。」
 ―――別に許したわけじゃないんだけど。
 あえて口には出さなかった。
「アンタは強い。小数のならず者ではどうにも出来んだろう。それでも、あの迷宮に潜り続ける以上はいつまで無事でいられるかわからん。」
 ならず者どもの餌食になるつもりなどなかったが、それは紛れもない事実だった。
 事実、先だっての探索では一歩間違えれば全滅していた可能性もあった。
「アンタ確か「まだ」だったな。」
 オニヘイの顔が一層険しさを増す。
「悪いことは言わない。」
 一瞬だが長い間が空き……、オニヘイがゲスな笑みを浮かべた。
「今日中にあの男に、処女、捧げてこ……。」
「どこで調べたんだオッサン!」
 オニヘイが最後まで言い終わる前に、セルビナの渾身の蹴りが腹部を貫いた。
 辺りの椅子をなぎ倒し壁に激突するオニヘイ。フォルテは既に遠巻きに避難している。
「あ、姐さ……。いでででででで、耳、耳は勘弁しあだだだだだだだ!」
 騒ぎを見てこちらに気付いたアベルが向かって来たが、その耳を引っ張り、セルビナは無言で店の外へと出て行った。
「ひ、ひでぇ……、俺はただ、善意で……。」
「デリカシー、学んだほうがいいですよ。」
 フォルテが自分の座っていた椅子だけを直し、倒れたままうめき声を上げるオニヘイを一瞥し半眼で呟く。
 その時、窓の外から聞き覚えのある声が聞こえた。
「ああ、コトネちゃん、来たみたいですよ。」
「ぐ……。」
 その言葉に反応して傷ついた体を気力で起こし、持ってきた木箱をなんとか抱え、オニヘイが裏口に向かった。
「マスター、裏口……、借りるぜ。」
「……気をつけてな。」
 のそのそと引きずるような体で裏口から出て行くオニヘイ。丁度コトネと入れ替わるようなタイミングで。彼は「脱出」に成功した。
「くそー、おっちゃんめー、どこに逃げたー!」
「もうこの辺にはいないと思いますが……。」
 叫びにも近い声を上げながらフォルテのいるテーブルに近づいてくるコトネとセレニウス。
 先ほどまでおっちゃん、ことオニヘイがここにいたとは露とも思っていないだろう。
 ―――ギリギリでしたね……。
 安堵するフォルテ。昨日の一件で爆弾は禁止したものの、オニヘイを見ればコトネは何をしでかすかわからない。
 まさかこんな酒場の中で見境なく爆破などされてはたまったものではない。
「あれ、フォルテリーダー、セルビナさんは?」
 コトネはきょろきょろと周りを見回してみるがセルビナの姿はない。
「逢い引き……、と言うべきでしょうか。」
「あ、逢い引き……?」
 小さく呟きながらセレニウスを首をかしげる。
「お肉?」
「それは合い挽きです。」
 わざとなのか、それとも素なのかはわからないが、コトネの間違いを訂正する。
「すぐ戻ってくるとは言っていましたが……。」
 誰にともなく呟き、フォルテは近くの窓から空を見上げる。
 暗い迷宮からは決して見られない、青々とした空が広がっている。
「もう戻ってこないかもしれませんね……。」
 視線を戻し、状況をつかめていない2人を前に、小さく小さく呟いた。

 クルルミク城下町。
 長年のワイズマン騒動のおかげで治安は悪化し、また、冒険者という存在自体も毛嫌いされている町。
 それでも、中央通りばかりは多少の賑わいを見せている。
 そのはずれに黒づくめの大柄な男と腰周りと左腕だけを武装した女がいた。
 言うまでもないがアベルとセルビナである。
「酷いっす……。耳が千切れるかと思いましたよ。」
 引っ張られ続け、赤くなった耳をさすりながら、アベルが横目にセルビナを見ながら呟く。
 しかしなぜだろう、どこか嬉しそうだ。
 それとは逆に、セルビナは怪訝な顔をしてアベルを見据えていた。
「ああ、そうだ姐さん、これ。」
 痛みが引いたのか、耳から手を離し、懐から何かを取り出す。
「いやぁ、探しましたよ。そしたら結局追いつけなくて……。」
 言いながら、取り出した懐中時計を差し出す。もちろんセルビナの持っている物とは似てはいるが違うデザインだ。
「……何、考えてるの?」
 差し出された懐中時計には手も出さずに、アベルと軸をあわせず、いつでも逃げられる体勢を整えたセルビナが呟く。
「何って、姐さんが取って来いって言ったんじゃないですか。」
 繰り返すが、アベルの差し出した時計はセルビナの物ではない。
 買ったか、奪ったか、とにかく別の場所から持ってきた物だ。
 まさかたまたまあの時泊まった部屋に忘れ物の時計があるはずなどないのだ。
 であれば、アベルもわかっているはずだ。

 セルビナは嘘をついてまで自分を置き去りにした。と。

 長い沈黙。どちらも何も言わず、数分が経過した。
 沈黙を破ったのは、アベルの溜め息だった。先ほどまでは笑みを浮かべていたが、一転して悲しみに満ちた顔をしている。
「こうやって、何事もなかったかのように自然に振舞えば、姐さんもそうしてくれるんじゃないか、なんて……、甘かったですね。」
 差し出したままだった懐中時計を懐にしまう。
「苦労したんですよ、似たデザインの時計探すの。短期間で金を稼ぐのも。」
 目を伏せ、淡々と、呟くように続ける。
「俺はただ、あなたの傍にいたかった。
 あなたが俺は異性として見てくれないのであれば相棒でも部下としてでもいい。
 あなたの傍で、あなたの力になりたかった。」
 歯噛みをしてかぶりを振って更に続ける。
「今でもそれは、変わらない……ッ。」
 セルビナを真正面に見据える。
「迷惑だと言うのなら黙って消えます。でも1つだけ言わせてください。」
 唇を噛み、躊躇を振り切ってアベルが一息に叫んだ。
「あなたが好きだ!」
「デカイ声で恥ずかしいこと叫んでんじゃない!」
 アベルの腹にセルビナの右手が沈み込んだ。
 同時に周囲の視線が2人に集まる。
 かぁ、と顔を真っ赤に染めてセルビナは腹を押さえてうずくまるアベルを引きずるように連れてその場から逃げるように離れた。
 
「姐さん……、あの、なんていうか、その……、スンマセン。」
 結局、2人はドワーフの酒蔵亭の近くまで戻ってきた。
「顔から火が出るかと思った……。」
 隠すように顔に手を当てながらセルビナが呟く。
「いい雰囲気だと思ったんで、つい……。」
「叫ばなくてもいいでしょうが。」
「スンマセン……。」
「……でも、まぁ、気持ちはよくわかった。」
 照れを隠す為か、斜めに空を見上げながら小さく呟く。
「この件は今回の仕事が片付いたら、ゆっくり、ね。あたしもアンタのこと、嫌いってわけじゃないし……。」
「え……、あ、じゃあとっとと片付けちゃいましょう。ワイズマンなんて俺が一撃で叩き潰してやります。」
「いや、無理だから。男そこまで行けないから。」
「なら迷宮ごと叩き潰しましょう。」
「割といい手だけど手段がないし実行したらお尋ね者になるわよ。」
 とめどなく続く「いつもの」会話が終わるのにそれから少しの時間を要した。

「それじゃ、俺は町で情報収集してます。夜には宿にいますから、たまには顔見せて下さいよ。」
「余裕があったらね。……あ、その前に」
 セルビナが懐から懐中時計を出す。
「アンタが持ってるのと交換しよ。万一の場合を考えてね。」
「あ、はい、ちょっとお待ちを。」
 いそいそと、アベルも懐から懐中時計を出し、交換した。
「いい?それ結構気に入ってるから無くさないように。」
「命に代えても。」
「はいはい、それじゃあね。」
 ひらひらと手を振る。アベルはそっと懐中時計をしまい、何度も振り返りながら雑踏に消えていった。
「……さて、時間取っちゃったね、みんな待ちくたびれてるかな。」
「ええ、ただ珍しい物を見せていただきましたから、退屈ではありませんでしたよ。」
 セルビナの後ろから声をかけてきたのは、フォルテだった。セレニウスとコトネもいる。
「アンタらまさか……。」
「プライベートを覗くのはよくないと言ったんですが……。」
 申し訳なさそうに呟くセレニウス。
「「アンタのこと嫌いってわけじゃないし……。」セルビナさん可愛いー。」
 セルビナの台詞を真似るコトネ。
「いつもと違うセルビナさんは新鮮でした。」
「くー……、一生の不覚。」
 セルビナが拳を握りこんで悔やむ。だがそれほど怒りは見られない。
「さ、行きましょう、龍神の迷宮へ。」
 セルビナを尻目に、フォルテがコトネとセレニウスを伴って歩き出す。
 ふと、思い出したように振り返り、セルビナに向かって呟くように声をかけた。
「忘れていました。」
 静かに、続ける。
「抜けてもいいんですよ。あんな約束しているのなら、尚更この件からは降りるべきです。」
 先ほどまでと違い、からかう様子は一切ない。
「余計な気は廻さなくていいよ。第一、ワイズマンを倒して帰ってくればいいだけのことなんだから。」
 ―――色々考える時間も欲しいからね。
「……そうですね、目的を達して帰ってくればいいだけの話、です。」
 踵を返し、フォルテが小走りで先を歩く2人を追う。
 少しだけそれを見つめ、同じくセルビナも3人を追った。

「いざとなれば……、何を犠牲にしてでも逃げるから大丈夫。」

 その呟きは誰にも聞こえることなく、風に飲まれ、消えた。