森閑とした森の中、1本の太い木の上で女性が周囲を見渡していた。
 女性としてはやや長身、どこか眠そうな青い双眸、年齢を考えるとやや幼いがそれなりに整った顔立ち。
 だがそれ以上に左の肩当てに固定されている剣が目を引く。
「姐(あね)さん、全員配置につきました。」
 女性の眼下に走りこんできた大柄な男がそう報告する。
 黒髪に黒い瞳、着ている物まで全て黒づくめ。大柄な身の丈と同じぐらいありそうな剣を背負っていることを除けば夜の闇の中ならば見えないのではないかと思うほどの格好をしている。
「こっちでも確認したよ。」
 女性は視線を向けずに答え、ゆっくりと木から下りた。
「今回の傭兵団はなかなか練兵度が高いみたいだね、団体での行動が実に速い。」
 男に向き直りながら、彼女は満足げにそう呟いた。
「……いつもこれぐらいのが雇えると楽なんだけどね。」
 一転して自嘲気味に続けながら、懐から取り出した懐中時計に目をやる。

「盗賊どもの動きは?」
「全然気付いてないみたいすね。もう半包囲されてるのに。」
「気付かれてちゃ話にならないよ。」
 女性は呟くと、ぱちん、と勢いよく懐中時計の蓋を閉め、森の深部へと向き直る。
「あと3分したら衝突はせずとも戦闘は開始される。……だからその前に言っとくよ。」
 ペシ、と。彼女が男の頭に打ち下ろした平手は乾いた音を立てた。
「姐さんって呼ぶなって前から言ってるだろ?」
「スンマセン……、姐さん。」
「わざと言ってる?」
 ペシ。
 女性……、セルビナ=ハルトマンが二度目の平手が炸裂させてからおよそ2分後、辺りの静けさは露と消えた。

 先ほどまで静かだった森に、今は様々な音が響いていた。
 男たちの怒号、集団で土を踏み荒らす音、そして金属が激しくぶつかり合う音。
 そう、この森は今、戦場となったのだ。
「D隊は徐々に前進、A隊は全員A4斉射地点まで移動させて。」
 セルビナは伝令に指示を出し終えると、そばで待機している集団に向き直った。
「F隊は右からD隊の前進に併せて敵を挟撃。ただし退路はふさがないように。」
 彼女の指示を聞き終えると、その集団は言われたとおりに行動を開始した。
「姐さーん。予定通りでーっす。」
 叫びつつ集団と入れ替わりに走ってくるのは、先ほどセルビナに2度はたかれた男、アベルだった。
 ペシ、と息を整えるアベルの頭に平手を入れてからセルビナが口を開いた。
「とりあえず戦闘中だからいちいち言わないからね?」
「出来ればはたくのも勘弁してくれると嬉しいんすけど。」
「やだ。」
 セルビナがさらっと答えると同時に正面から草を掻き分ける音が聞こえてきた。
 平然としたまま、どこか眠そうに見える目をそちらに向ける。ほどなくして現れたのは6人ほどの武装した男たちだった。
「あらま、抜けてきたんだ?」
 やや問いかけるような口調でセルビナが呟く。
「だから正面が薄いって言ったじゃないすか。」
 台詞の割にはこちらも平然としたままアベルが続けた。
「たかが6人ばかりがボロボロになりながら抜けてきたからって問題ないでしょ。」
 そう、男たちは全員どこからか血を流したり痣を作っていたりで満身創痍と言っても差し支えないほどの状態だった。
 もっとも戦力が小さい正面部隊を強引に突破してきたのだろう。恐らくは相手の指揮官を討つために。
「盗賊の集団程度にしては頭使ったみたいだね。」
 わざわざ腕組みをし、見下すようにセルビナは言い放つ。
「舐め……、やがってこのアマ……ッ。」
 1人の男がそう呟くと同時に飛び掛ってくる。ただでさえ冷静さを欠き、その上に挑発までされたのだ、無理もないだろう。
 しかし次の瞬間、ぐしゃ、と嫌な音を立て男の体が吹き飛ばされた。吹き飛ばされた先では大量の血や胃の内容物を散乱させ、男が絶命していた。
 ぶおん、と大きく風を切りアベルが先ほどまで背負っていたはずの長大な剣を肩にかつぐ。
「俺を無視して姐さんに手を出そうなんていい度胸だ。」
 男を一蹴したのはアベルだった。飛び掛ってくる勢いに併せて凄まじい重量の剣を渾身の力で叩きつけたのだ。
 当然、普通の人間ではひとたまりもない。
「全員散れ!目的は指示を出してる奴だ、こんな奴らに構ってる場合じゃない!」
 男たちの1人が叫ぶ。他の男たちがその声に続き走り出そうとした瞬間、セルビナが口を挟んだ。
「あんた達、いいこと教えてあげようか?」
 その言葉が気にかかったと言うよりは走り出すタイミングを潰されてしまったからだろうか、男たちの足が止まる。
「あんた達が探してる指揮官はこのあたし。」
 にんまりと、笑みを浮かべながらセルビナは続けた。そして右手を上げ、ぱちん、と指を大きく鳴らしさらに続けた。
「でもって、あんた達はここでお終い。」
 周囲の木が揺れる。木々のざわめきと同時に、樹上より降り立ったおよそ10人ほどの男が彼らを囲んだ。
 同時にセルビナが先ほどまでとは打って変わって鋭い目つきで盗賊たちを睨む。
「奇襲、強襲の策を取っておきながら敵を前にしてウダウダやってるからこういうことになンのよ。命があったら覚えときなさい。」
 彼女が言い終わるより早く、樹上から降りてきた男たちが5名の盗賊を制圧した。

 日も落ち、空を闇が染めた夜中と言って差し支えない時間、セルビナとアベルは森に近い村の大通りを歩いていた。
 セルビナと傭兵団の活躍で近隣の村々を荒らしていた盗賊団は壊滅、先ほどまではその戦果に喜ぶ村人や傭兵たちが騒いでいたがそれも静まり、辺りには誰もいない。
「与えた損害は軽傷16名、重傷12名、死者29名。こちらの被害は軽傷9の重傷5、死者はゼロ。まぁまぁだね。」
「内容はいいのかもしれないすけど……。」
 満足げに呟くセルビナ。だがアベルは対照的に気落ちした様子を見せている。
「ちょっと相手側に死者が多いけど、最後まで抗戦してくるんだから仕方ないでしょ。」
「そうじゃなくてすね……。」
「確かに数名逃したのは痛いけど、もう何も出来ないって。」
「いやですから戦闘の内容じゃなくてですね。」
 言いながら、アベルは手に持った革袋の底をつまみ、逆さにして振った。
「傭兵団に払った金額より今回の報酬の方が少ないじゃないすか……。」
 セルビナは十分な人数を自費で雇い依頼に当たる、という形式で仕事をこなしている。
 その為、普段から利益は少ないのだが……、今回はそれどころか収支がマイナスという有様だった。
「気にしない気にしない、あたしは金のためにやってるんじゃないし。」
「それは知ってますけど、少しは稼がないとそもそも活動できなくなりますよ。」
「そうだね……、金払いが悪くなると信用なくしちゃうし。名声なんていらないけど信用は大事にしないと。」
 左手を口元に当てながらセルビナが言う。
「ここらで一発、でかいヤマでも狙ってみましょうか?」
 セルビナの前に回り、アベルが大きく身振りをする。
「……ま、そういう話は後にして村長さんから報酬受け取ってきなさい。」
 左手は口元に当てたまま、右手でアベルを押し出すように叩いた。
 依頼を受ける、報酬を受け取るなど、依頼人と接触するのはいつもアベルだった。
 セルビナはとにかく自分の名が売れることを嫌う。目立たざるを得ない場面ではアベルを代わりに立ててきたのだった。
 逆にまったく知られないことによるデメリットも多々あるが、それでも彼女は名を売ろうという考えは持たなかった。
「たまには自分で……。」
「行きなさい。」
「はい。」
 一蹴され、小走りにアベルが夜の闇に消えていった。
 そのまま闇に消えていくアベルの背中を見送り、宿に戻ろうとしたその時だった。
 路地から3つの人影が現れ、セルビナを囲んだ。恐らくは盗賊団の生き残りだろう、3人とも傷や痣が目立ち、武装している男だった。その中には昼間の6人に混じっていた顔もある。
「あの男から離れるなんて油断しすぎじゃ……。」
 セルビナが左肩の剣の柄を掴む、同時に鞘が中心から左右に割れた。戒めを解かれた剣は―――、一瞬にして喋っていた男を両断した。
「な……。」
 2人の男が絶句する。当然だ。
 目の前にいる女は頭が多少回るだけで何も出来ない、そう踏んでいたのだ、まさかその女に一瞬にして仲間が切り殺されるなど考えが及ぶはずもない。
「昼間言ったじゃない。奇襲、強襲の策を取っておきながら敵前でウダウダやってんじゃない、ってさ。」
 セルビナは呟くと同時に後ろにいた男に勢いをつけて向き直り、そのまま剣で横に薙いだ。
 とっさに後ろに飛び、男はかろうじてそれをかわす。……しかしそこまでだった。
 セルビナは一太刀目をかわされはしたものの、男が未だ状況を掴みきっていないことを見て取り、更に一歩踏み込む。
 もう男は動けなかった。そのまま肩口から袈裟懸けに斬られ、男は絶命した。
 更にセルビナはそのまま前方に飛び、最後の1人と距離を取り、残る男を見据える。
「……ッ!」
 男は恐怖していた。
 今起こっている事さえ理解できなかった。
 自分が相手にしているのはただの小娘だったはず、それなのになぜ。自分は動けないのか……。
 そんな男を見据えたまま、セルビナが動いた。剣を持った右腕を突き出し、男の方へと向ける。
 ―――殺される。間違いなく。
 男はそう直感した。
 ―――逃げなければ。
 しかし、脚は動かない。呼吸さえ苦しい。自分の体だと言うのに、まるで言うことを聞いてはくれない。
 そして、恐怖で動けぬその男を、セルビナは容赦なく斬り捨てた。
「武装して1人を囲んだんだ、問答無用で斬られても文句はないよね?」
 最後に切り伏せた男を見下ろし、そう呟いた。
 周囲を見回し、後続がいないことを確認してから肩の鞘に剣を戻す。
「もう聞こえてないか。」
 呟き、ふっ、と息をつく。
 時間にしてほんの数瞬の出来事だった。

 翌日、2人は村を後にしていた。
 朝から3人もの死体が発見され、村は一時騒然となっていたがすぐに取り逃した盗賊と発覚、傭兵団によって処理され、それほど大事にはならなかった。
「しかしまぁ、3人相手によく無事でしたね姐さん。」
「バカだったからね。まともに連携するか不意をうてばあたし1人ぐらいどうにでも出来るだろうに。」
 ぺし。
 言葉を返すと同時にセルビナが平手を放った。
「いや、もう直らないすよ。何年間これで通してると思ってるんです?」
 頭をさすりながら半眼でアベルが呟くように問う。
「4年11ヶ月と21日。会ってから9日後にはそう呼んでたね。」
 それにセルビナは素早く答えた。
「よく覚えてますね。」
 アベルが目を丸くしている。さすがにここまで詳細に答えが返ってくるのは予想外だったようだ。
「いや、ごめん、デタラメ。」
「……合ってますよ。」
「え?」
 今度はセルビナが目を丸くする番だった。
「ずっと数えてますから、俺。」
「へぇ。」
 感心しているのか呆れているのかよくわからない声を漏らす。
「それにしてももう5年ですか、早いもんすね。」
「そうね……。」
「そろそろ適齢期ですよね姐さ……。」
 ゴッ。重い音がした。
 アベルに炸裂したのはいつもの平手ではなかった。
「姐さんこれは……、さすがに……。」
 相当痛かったのか、アベルが頭を抱えてしゃがんでいた。
 セルビナは左腕だけ金属による重武装を施している。正確には「右腕は動きやすさを重視して武装していない」のだが。
 とにかく、左手には当然ガントレットをつけている。いかにアベルが頑丈と言えど頭部だけはどうにもならない。
「姐さん、って呼んだのプラス、年齢まで出した罰だよ……!」
「いや、いい人とかいないのかな、って。」
 ゴッ。2発目の文字通り鉄拳がアベルの頭に打ち付けられる。
「いない!……だいたいあんたはどうなの。」
「いますよ。」
 抱えていた頭を離し立ち上がると、どこか真面目な顔でアベルが言い放った。
「同業なんですけどね、なんか金より大事な目標があってやってるらしいです。」
 セルビナを見据えたまま続ける。
「せめてそれを手伝ってあげられればいい、なんて最初は思ってたんですけどね……。」
「ふうん……。いいじゃない、手伝ってあげたら。喜ばれるかもよ?」
 しれ、っと特に何も思う様子もなくセルビナが返した。
 ―――気付いていない。
 アベルとしては「あなたが好きだ。」と言ったつもりだったのだが、セルビナは気付いてはいないようだった。
「いえ、あのですね……。」
「まぁそれはいいわ。それより昨日言ってたでかいヤマって何か心当たりでもあるの?」
 続きを聞く気などまったくないのか、セルビナが話を完全に変える。
「え、ええ……、どうもクルルミクで何かあったみたいで冒険者を多数募集してるみたいです。」
 半分涙目になりながらアベルが告げた。会話の流れに乗じてとは言え、長年の想いを告げたつもりがまったく理解されなかったのだ、無理もない。
「聞いたことあるなぁ……、でもそれ、女冒険者限定じゃなかったっけ?」
「そうなんすか?そこまでは聞いてませんけど。」
 拗ねたようにあさっての方向を向きながらアベルが答える。
「とりあえず行ってみようか、道中で別の仕事があればそっちでもいいし。目的なく歩くよりはマシでしょ。」
 言いながら、道程の確認をするために地図と懐中時計を取り出そうとする。
 だが、どこを探しても懐中時計が見つからない。
「高かったんだけどな〜……。」
 全ての荷を降ろして丹念に探してみるが見つからない。どうやら村に置いてきてしまったようだ。
「はぁ〜……、アベル〜。」
「なんすか……?」
 溜め息と同時に搾り出すようにアベルが答える。
「懐中時計忘れたみたい、たぶん宿だと思うから取ってきて。」
「いいすけど……、それなら一緒に行きましょうよ。」
 既に村からはだいぶ離れている。往復して夜になるという程ではないが、わざわざここに1人残る必要はない。
「い、い、か、ら、行ってきて。」
「はぁ……、じゃあ行ってきますけど、気をつけてくださいよ、何がいるかわかりませんから。」
 ぽりぽりと頭を掻きながらアベルは村に向かって走り出した。
 その姿が見えなくなってから、セルビナが小さく呟いた。
「さっき自分で言ったじゃない、何年一緒にいると思ってるのか、って。それで気付かないわけないでしょ、あんたの気持ちぐらい……。」
 アベルの消えていった方向を見つめたまま、更に続ける。
「でもね、あんたみたいに真っ直ぐなのが、こんなヒネた女と一緒になっちゃダメなんだよ。」
 胸元に手を入れる。取り出したのは―――懐中時計だ。
「地図と時計は食料よりも大事にしろって、何度も言ってたのにね。」
 降ろしていた荷物を担ぎなおし、村とは逆方向へと歩き出す。
「そろそろ別れ時だと思ってたんだ、あたし達も2人組みで名が売れてきちゃったしね。」
 その言い訳のような呟きは、しばし止まらなかった。

 どれくらい歩いただろうか、気付けば小さな丘の上だった。
 ……一度だけ、足を止める。1度だけ後ろを振り返る。遠くに先ほどまで滞在していた村が見えた。
 
 ―――あんたにあたしは、相応しくないから。

「さよなら。」
 小さくそう呟き、セルビナは2度と振り返ることなく、クルルミクへと足を進めた。


 ―――それでも、もしまた会えたら―――。