『revival』
ここがどこだかわからない。
どれだけ経ったかもわからない。
覚えているのは、ずいぶんと前にハイウェイマンズギルドに徹底的に陵辱され、奴隷宣言をした後、売られたと言うことだった。
売られた先は覚えてないが、最初は身体が慣れ親しんだ傭兵詰め所だった。奴隷のリネアは戦争の度に駆り出され、兵士の士気維持の為の慰み者として、敵の捕虜と同じ場所で毎日嬲られていた。
クルルミクで得た名声や、ハイウェイマンズギルドで大勢のならず者に嬲られ続けた経験は伊達ではなく、大勢の兵士を慰め、戦力に微力ながらも貢献していた。
無論、リネアを所有していた傭兵詰め所が戦で負けることがあった。だが、それでも境遇は変わらない。持ち主が変わっただけで、扱いはいつも同じだった。
幾度目かの持ち主交代。前の所有者は血だまりに沈み、現所有者はリネアを廃屋に連れ込むと、徹底的に嬲った。
食事もさせず、睡眠もさせず。三日三晩、リネアは意識を失うことも許されず、犯され続けていた。だが、四日目の朝。前所有者での環境も悪かったためか、ぴくりとも動けなくなっていた。
肢体の至る所に痣や火傷の痕があった。両手は背後に回され、鍵穴のふさがれた手錠によって拘束されていた。髪は肩の高さでばっさりと乱暴に切られていた。身に纏う物は、リボンすら無かった。
所有者の中には過激な趣向を好む者もいて、そう言う者がリネアの傷跡を嬉々して増やしていった。
リネアは性奴隷という名の生きた道具にすぎない。持ち主の道具の使い方次第によっては、こうなるのも当然だった。
「やれやれ、意外ともたねぇなぁ」
持ち主の一人が好き勝手な事を言いながら嘲笑する。
「全くだ。噂を聞いてみればどんな物かと思えば。これで壊れるのは早いぜ」
全裸で後ろ手で縛られたリネアの肢体に蹴りを入れる。防御できないのは当たり前だが、蹴られた後も、全く反応がしない。傷だらけのリネアの身体に、痣を一つ増やしただけだ。
蹴りを入れた男はリネアに向かって耳を澄ませる。
虫の息と言えるほどの、かすかな呼吸だけが聞こえた。
「まだ生きてるらしいが…まぁ、時間の問題だな。どうする?」
「今更売りに出せないしな」
「なら、天国におくっちまうか」
「誰が上手いこと言えと言った。だが、そいつは傑作だな」
下衆な笑い声が廃屋で響く。リネアはその声をどこか遠くから聞いていた。
自分はどうして生まれてきたのだろうと、ふと思う。
男の慰み者になるためか。まぁ、それでも構わない。己も気持ち良かったし、役にも立てた。
だがそれも一時の物。自分が残せた証としては、あまりにも短い命。
しかし、惜しんだところで、自分の身体から命が抜け落ちて行くのが止められない。
感傷に浸る間もなく、男の手が己の肌に触れる。男共は死に逝く自分をも弄ぶらしい。
己の死因は過労死か、腹上死か。
腹上死の方がらしいと思ったので、そう思うことにした。
焦点の合わない瞳が、朽ち果てた木の床を視界に入れる。
これが最期に視る物か。
見えるだけマシだと思いながら、肺の呼吸を止める。否、止まる。
それでも、八割方満足のいく人生だったと思うと、心の中ではケリを付ける。
遠くで悲鳴が聞こえる。斬撃の音が聞こえる。
また所有者が変わるのだろうか。
それともそのまま殺されるのだろうか。
そもそも、それはいつの話のことなのか。
どうでも良かった。
幼き頃、病に伏した時にも感じた優しく死を抱かれる感触を、再び味わった。
額にがつんと走る衝撃で覚醒する。頭を仰け反らせてヒリヒリと熱を持つ額の痛みを我慢する。手を当てて堪えたかったが、両手は背中で縛られているようで、動かすことが出来ない。身体の感覚から、椅子に座ってることに気づく。
「あいだっ!? …な、なに…?!」
覚めたばかりの目に映ったのは、服装や風貌が変わってはいるが、忘れもしない銀髪の大柄な男だった。右手の中指を押さえているのは、自分をおもいっきりデコピンしたからだろうと想像する。彼の隣には、前に会ったときと同じ顔ぶれの部下達が居る。
「…ば、バッ、クス…? それ、に…みん、な…も」
ここ何日も飲食物を口に物を含んでいない。精々男の物をくわえたときに、精を得られるぐらいだった。ずいぶんとしゃがれた声が聞こえたと思ったが、それが自分の声だと気づくのに少し時間が掛かった。
バックスは腰から水袋を取り出し、自ら口に含む。見せしめのつもりかと思ってると、口移しで水を飲ませてくれた。四度、五度と飲ませてくれると、喉が潤い、体中に水分が行き渡った感覚がする。それと同時に、先ほどの卑しく思ってしまったことに関して心の中でわびる。
「やはりリネアか。こんなところで会うとは思わなかったな」
「あれから三年近く経ってますからね」
バックスの隣に居た部下の一人の言葉に、リネアはその流れてしまった時間の長さを思い知る。結構な月日は流れていただろうと思っていたが、具体的な数字にされると、その長さが重く感じられる。誕生日って、大事な日だったんだな。としみじみ思ってしまう。だが、それよりも。
「でも…バックス達、どうしてここに…?」
本当は。
本当はそれよりも聞きたいことが、聞かなければならないことがある。けど、真実を知るのが怖くて、問いを反らせてしまった。
「尋問するのは本来こっちなんだがな。まぁ、いい」
部下の一人がリネアの背後に回るとダガーを取り出した。何をするのかと思えば、リネアの手錠の鎖を切断しようとしてくれていた。
ほっと安心すると、バックスに向き直った。バックスの表情は変わったようには見えないが、顔を逸らされて不満そうに見えた。
「ここはグラッセン領の端。クルルミクとは真逆の方向だ。そこの村で山賊退治を頼まれ、退治しに来た」
バックスがちらりと横を見る。その視線が気になってそちらの方に向けると、そこには赤い液体と、元々は人であったであろう物が転がっていた。
「そっか。じゃあ、助かった…のかな?」
にへらっと気の抜けた笑みをしながらバックスを見つめる。昔こそ楽しくやった仲だが、昔は昔。時の流れは人を変える。昔のバックスは居ないかもしれない。
今は無力な性奴隷の女と、十人の武装集団がこの場に居るだけ。前所有者のように、死ぬまで犯されるかもしれない。リネアの命も身体も、すでに彼らの所有物でだった。
「そうだな。ずいぶんと時間が経ってしまったが、うちの部隊に入って貰おう」
バックスはそんなリネアの心情を知ってか知らずか、淡々と即答する。昔と変わらない態度。いや、前より口数が少し多い気がする。ついさっきまで彼の存在を忘れていたのに、そんな些細な差違に気づくことに苦笑する。
「ごめんね。あいつらに負けちゃったから」
「何、悪いことばかりじゃない」
「え?」
淡々と無表情のまま語りかけるバックスの顔が、どこか愉快そうに見える。そんな態度に、リネアはきょとんと呆けたままバックスの顔を見つめていた。
「お前をタダで手に入れることが出来た」
「…あはっ…あはははははっ」
バックスの淡々とした物言いに、思わず涙を零しながら笑ってしまう。変わらない。変わってない。目の前にいるのはバックスだと、確信する。そして、そんなバックス達に拾われたことを、嬉しく思う自分がいる。死ぬよりも、彼らに飼われる事の方が、嬉しかった。
死ぬよりも。
死。
「もう少し待ってろ。そろそろ事後処理が終わる」
バックスは部屋の中央で作業をしている部下を横目に見ながら、リネアの方を向かずに話し続ける。彼らは山賊を倒した証拠の確保や、今まで村から奪われた物品が残ってないか等の確認をしていた。
「…あのさ、バックス」
「なんだ?」
バックスがリネアの方を向くと、顔をしかめた。彼女は泣いていた。泣き笑いじゃなくて、寂しそうに、一人ぼっちで泣いていた。
「…これってさ、夢じゃ…無いよね?」
あの時、リネアは確かに死を感じた。魔法でも使わなかったら、確実に死んでいたはずだった。そして、ここに居るバックスと、その部下達を見回す。彼らは魔法は使えないはずだった。
これが死の間際に見る夢なら、それでも良いと思った。人生で一番幸福な一時だと思った。
「リネア」
バックスは右手をリネアの顔まで上げる。リネアは虚ろな瞳で、右手を見ていた。中指が曲がり、掌の前で親指が添えられる。
「あいだっっ?! いだだたたた…」
その動作の意味する事が解ったときには、頭が揺さぶれるほど、額に強い痛みを感じた。ついでに舌も強く噛んでしまう。口の中に広がる鉄の味が、己にまだ命があることを実感させられる。
「夢だと思うか?」
「…お、思わなひ…」
未だにヒリヒリとする額に手を当てようとするが、手錠の鎖がまだ切れてないため、背中で止まってしまう。だが、その手がいきなり握られ、固定される。驚いて後方を振り返る。
「っと、危なねぇ…こっちは刃物使ってるんだから、じっとしてくれよ」
手錠の鎖を斬ってくれる人を居ることを、忘れてしまっていた。
「それに隊長、右手が使えるのがそんなに嬉しいからって、大人げないですよ」
男の言葉に、バックスは無視して腰にある袋に手を入れた。右手で。見たところ、特に問題があるようには見えなかった。
「隊長、グラッセンでの闘いで右腕を失ったんですよ」
手錠の鎖を斬ってくれる男がリネアにそっと耳打ちをする。バックスの右腕を見る。右腕はある。素肌は見えないが、到底義手には見えない。回復魔法で治したのだろうか。だが、失われた肉体を回復させる魔法はかなり高度な魔法と耳にしたことがある。当時のクルルミクに居たのだろうか。龍神の迷宮に挑んだ冒険者には、一人や二人居たかもしれないが。
そんな事を考えている間に、バックスは袋の中から目的の物を出した。右手の中にある手鏡を、リネアに向けた。
鏡の中に映ったのは、ずいぶん汚れた女だった。体中痣や傷だらけ。顔も例外ではない。ろくに洗わせてくれなかった身体や、適当に斬られたざんばら髪が悲しいほど己の身の程を教えてくれる。よくこれを見て自分だと解ったもんだ、と我ながら思う。
そして、それよりも。
首に見慣れぬ物が巻き付いているのが見えた。それは黄金で出来た首輪だった。ただの装飾品に用いる首輪に見えるが、内側から淡い光が漏れている。それに、首筋には何の触感も無く、よく鏡越しに見ると首から浮くように離れていた。
「ちぎれた右腕は魔法でくっつけて貰った。だが、神経までは繋がらなかった。当時はスプーン一本握れなかった」
リネアに鏡越しに首輪を見せながら、バックスは淡々と語る。バックスの右手には、しっかりと鏡が握られている。
「そこで、友人のコネでその首輪を買った」
「オートヒーリングネックレスって品物で、簡単に言えば、装着者に四六時中回復魔法をかけ続けてくれるマジックアイテムさ」
事後処理が終わったのだろう、バックスの部下がぞろぞろと集まってくる。口を挟んだのは、マジックアイテムに興味を持っている部下の一人だった。
「体力回復、傷治療、失われた部位の復活、機能の失った臓器の回復などなど…万能だけど、一度付けたら完治するまで外せないのと、治療にかなり時間が掛かるのが欠点。隊長の腕も二年半はかかったし」
「二年半で腕が動くようになった。と思えば早い方だ」
淡々と言ってる言葉の端から、嬉しさが混じっているのが聞き取れた。二度と手に入らないと思った物が、こうして手の内にある。嬉しくないはずがないだろうと思う。
「ちなみに、凄く高かった」
値段を聞くと、友人価格でもリネアが売られた値段より一桁多かった。思わず嫉妬して鏡の中の首輪を睨み付けてしまう。
後で聞いた話だが、バックスは現状かなりの借金におわれていて、腕が完治しない間も仕事のランクを落としてひたすらお金を稼いでいた。そのおかげで部下を一人も欠くことがなかったが、あと四〇年は軽く借金生活らしい。
「なんか、申し訳ないなぁ…」
さっき、リネアを『タダで手に入れることが出来た』と言ったが、かなり懐事情も絡んでいたらしい。そんな自分に自分より高価なマジックアイテムを着けて貰うことに申し訳なさを感じてしまう。
「その分働いて貰うさ」
バックスはそう言いながらリネアの後ろの男を見る。まだ鎖は切れないらしい。この場所にずっと居るわけにも行かないので、手錠は後回しにして先に移動しようかと思った。
ふと、とある考えがバックスの頭によぎった。
「…今気づいたが、リネアがそれを着けると言うのは、別の意味合いも持つようになるな」
意味深なバックスの言葉に、リネアは意味がわからず首を傾げる。が、すぐに合点したようににっと笑う。
「三日三晩寝かせずに楽しむとか」
効果:体力回復。
「確かに、それを着けているときは一日二日の徹夜は問題なかったが」
カツッカツッカツッ
ダガーが鎖を削る音が響く。
「そっか。どうせ抱くなら綺麗な女の方がいいもんね」
効果:傷治療。
「同意しよう。だが、そうじゃない」
カッカッカッ
「…わかった! 再生した処女膜を破るつもりだね」
効果:失われた部位の復活。
「それもありだな。だが、違う」
カッカッ
「…うーん。だって、他には…………え?」
効果:機能の失った臓器の回復。
「…え、だって……そんな…えっ……だって……」
カッ
機能の失った臓器の回復。
「切れた神経が治ったんだ。可能性が無い訳じゃあるまい」
キィンッ
手錠の鎖が切れる音がする。両手が、自由になる。
「…うそ…そんな…いいの…?」
涙が、溢れる。二度と手に入らないと思った物が、手に入るかもしれない。嬉しい。嬉しくないはずがない。
「完治するまで首輪は外せない。着けておけ。その分、働いて――」
リネアは立ち上がる。思わず男達が駆け寄るが、リネアは力強く床を踏みしめてバックスの胸に飛び込んだ。
「…あり…がと…ありが…うぇ…うわぁ…わああ…わあぁぁぁっぁぁっ…」
『人生で一番幸福な一時だと思った』。その言葉を訂正する。その時は人生で三番目。今は人生で二番目に幸福な一時だ。人生で一番幸福な一時は――未来に、取っておく。
「行くぞ」
リネアが泣きやむのを待ち、彼女にマントを羽織らせてからバックスが宣言する。リネアを抱き上げ、部下達と共に小屋を後にする。
「リネア。家事洗濯料理は出来るか?」
「出来ないけど、やるよ」
「時間があれば剣を振れ。戦いには出さないが自分の身を守れるぐらいには思い出せ。それに、ある程度引き締まった身体の方が良い」
「うん、わかった」
「他に、何か出来るか?」
「…今はまだ出来ないけど、そのうち」
リネアは頬を染め、はにかみながらバックスに答える。愛しそうに、己の腹を抱いて。
Additional Epilogue
〜母〜 リネア
性奴隷生活を三年過ごした後、巡り巡って旧知の傭兵部隊に拾われる。
十年後、我が子を腕に抱きながら、人生で一番幸福な一時を過ごす。