『a less of battle』
 
 
 
 グラッセンとの和平が結ばれる、その三日前。
 交渉の合間も、傭兵を主力とした部隊の小競り合いが続いていた。
 
 
 
「倒されたい奴から前に出ろ。いや、全員まとめてでいい、掛かってこい。その方が手間が省ける」
 
 革鎧に身を包んだ銀髪の大柄の男は、自分の背丈よりも大きなバルディッシュを軽々と振るいながら、好戦的な笑みで相手に近寄っていく。
 普段は口数が少なく、表情もあまり変わらないバックスだが、戦場で得物を振るうときと女の相手をするときだけ、口数も多くなり、表情も富んでいる。情事の後、女に『まるで獲物を見つけた野獣ね』と言われて思わず納得してしまったぐらいだ。
 
「ひぃっ、バックスだ! 外道部隊のバックスだぁっ!!」
 
「て、ことは他の連中も、に、逃げろぉっっ!!」
 
 バックスが微笑んだ相手は、大半が怯えて逃げていってしまう。誰だって自分の命は惜しい。敵わぬ相手と思って逃げたのなら、それは賢明な判断と言えよう。
 
「ちっ、逃げられたか」
 
 舌打ちしながらも、内心逃げるなら逃げるで構わないと思っている。怪我する危険を冒さずにお金が貰えるなら、それにこしたことはない。バックスや部下も命は惜しい。
 だが、身の程を知らない命知らずもたまにいる。悠然と立つバックスを前に、二人、若い男達が剣を構えていた。
 
「た、戦う前から逃げはしない!!」
 
「え、援護するぜ!!」
 
 声も震えている。剣先も乱れている。それでも必死に逃げるのを我慢している。
 かわいそうな奴らだと思った。誰も逃げ方を教えてくれなかったのだろうか。
 だが、容赦はしない。
 
「ううぉぉぉぉらぁぁっっっ!!」
 
 バルディッシュを一振り。それだけで、一人の若い男の上半身が吹っ飛んだ。断末魔の悲鳴もなく、熱い血潮をぶちまけながら、遥か後方に転がっていった。隣の男もバックスも、血によってまばらに彩られる。
 相方の男は、数秒してから、やっと相方の死に気づいた。
 
「…ひ、ひええぇぇっぇ!?」
 
 男はあたふためいて、腰を抜かしてしまう。情けなく失禁もしてしまうが、それを笑う者は誰もいないだろう。
 目の前に、悪魔のような男が巨大な武器を振りかざしているのだから。
 
「どうだ、まだ戦うか?」
 
 にやりと笑いながら、バックスは最後通告をする。
 バックス部隊は蔑称で外道部隊と呼ばれている。その理由は、虐殺。人を殺しすぎるからだ。
 だが、それには理由が三つほどある。
 うち、二つの理由が、『強いこと』と『使う得物』である。
 バックス隊は皆、屈強な身体を持ち、戦闘センスにも恵まれている。さらに、それに驕ることなく地道な訓練も続けている。戦士としてのアドバンテージは、そこらの連中よりも高い。当然、戦えば勝つことも多い。そして、戦場における勝利とは、自分が戦闘不能になる前に、相手を戦闘不能にすることだった。
 それにくわえ、バックス隊は皆巨大な武器、特にポールウェポンを好んで用いる。バックスの用いるバルディッシュもそうだ。バルディッシュとは、成人男性の背丈よりもやや低めの棒の先端に、巨大な斧を付けた武器である。バックスのバルディッシュはわざわざ特注して作り、一般の物よりもさらに一回り大きい。この武器を用いて、どうやって殺さずに手加減ができると言うのか。サブウェポンとして左腰に長剣を付けているが、それを使って非殺に勤める理由はなかった。
 
「ゆ、許してくれ…た、頼む、お願いだ…」
 
 男は武器を捨て、土下座をして懇願する。そして表をあげたとき、さらに顔が引きつった。バックスの表情が険しい物になってたからだ。
 慌てて地面に額を擦りつけ、懇願し続ける。
 
「…武器を持って戦うか、逃げるか。選べ」
 
 バックスは不機嫌そうな顔で言う。だが、男はそれを聞いていないのか、ひたすら土下座を続ける。バックスはさらに不快になった。
 理由の三つ目が、『意識の違い』である。
 傭兵とは戦場に立ち殺し合う職業。それで金を貰っている。自分だってそうだし、相手だってそうだ。だから、相手を殺さないように、と手加減をして自分が死んでは何も残らない。バッカス部隊は、その割り切りがしっかりとしている。
 男の降伏して捕虜になろうとする方法も、本来は悪くはない。傭兵の不文律でも捕虜の虐待は禁じているし、国家間で明確なルールとして記載されていることも多い。だが、それを破る者は当然いる。バックス達も捕虜のリネアを陵辱したことがある。
 それと同じように、降伏して捕虜になった振りをして、油断した相手を殺す奴もいた。バックス隊はそんな奴に当たったことがある。それで、部下が死んだ。戦場という死地にいながら、誰もが守るとは限らない不文律という束縛で命を失わせてしまった。
 だから、バックス隊は降伏を好まなかった。武器を取って戦っている間に殺すか、全力で逃げられるか。もしくは己が戦って死ぬか。バックス隊にとって、それが望ましかった。
 
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
 
 だから目の前の男は不快だった。男に戦意はない。武器らしい武器はもう持っていないし、失禁すらしている。自分を殺そうとした奴に情けをかけてやる義理はないが、戦意のない相手を一方的に殺すのは好みではない。殺戮は趣味じゃなく、仕事上での有効な勝利法に過ぎない。
 
「…五秒時間をやる。失せろ」
 
 バックスはバルディッシュを構えたが、振り下ろすつもりはなかった。
 
「うおぉぉおおっっっ!!!」
 
「…ちっっ!!」
 
 突然、背後からの雄叫び。目の前の男に気を取られていて、バックスは至近距離になるまで気づかなかった。
 右回りに後ろを向くために勢いよく反転する。そのとたん、嫌な音を立てて靴紐がはじけた。一瞬、土下座していた男を見る。何もしていない。土下座したままだ。それでまた一瞬気を取られてしまった。これだから、と心の中で毒づいた。
 振り下ろされる鉄剣。バルディッシュで受けようとする。間に合わない。とっさに右腕で防御しようとする。だが、革鎧の籠手では防ぎきれない。
 右腕が、宙を舞った。