『Festival of three days』
    The last day
 
 
 
 瞳に光を感じるよりも早く、鳥の囀りが耳に入った。
 寝ぼけ眼を開き、リネアはむくりと起き上がった。顔ごと左右に動かしてぼやけた視界を巡らすと、死屍累々と疲れ切った男達が眠る兵達の夢の跡だった。
 
「リネア、起きたか」
 
 男の声がした。そちらの方に向くと、すでに服を着たバックスの姿が目に映った。
 ぽんっと手の物にある物を投げてよこされたので、慌てて手に取ろうとした。が、健闘むなしく太ももで受けとめた。ひんやりと冷たい濡れタオルだった。
 
「身体を拭いた方が良い」
 
 バックスの言葉に首を傾げながらも、ありがたく濡れタオルで身体を拭き始める。汗や白濁液などでベトベトになっていたので、濡れタオルで拭くとひんやりとして気持ち良い。
 鳥の囀りが思ったより五月蠅かったので、身体を拭きながら窓の外を眺める。確か、昨日も部屋の中から太陽の光を見たような気がした。
 
「…あ、そっか」
 
 途中何度も気を失ったり、目隠しされたりをして、あまり時間は気にしていなかったが、今日で三日目。リネアの三連休の最後の休みの日だった。
 
 
 
 
 もともと、この三日間の休みはワイズナー討伐の疲労を労うための休養である。何をしても自由ではあるが、出発の時に『遊びすぎてへとへとです』では話にならない。ましてや、それが理由で仲間や己が死ぬ事があってはならない。
 リネアやバックス達は体調の善し悪しが死に直結する傭兵を職業としているため、いかに麻薬ほどの快楽であろうと譲れない部分だった。
 
 リネア達はある程度身体の汚れを拭くと、余裕のある服を着て宿の共有浴室へと向かった。残念ながら混浴ではないので、バックスの部下達とは別の浴室で身体の汚れを徹底的に落とし、筋肉の疲労を湯で解した。
 
 部屋では一足先に風呂に入ったバックスが部屋の掃除をしていた。本来部屋の掃除は宿側がやるのだが、娼館でも無いのに精まみれにしてしまった部屋を掃除させるのは悪い気がしたからだ。それに、今日はこれ以上手を出すつもりはないのに、淫らな匂いを残しておくのはあまり好ましくなかった。カラスの行水の部下達が戻ってくると掃除を手伝わせ、一番長く風呂に浸っていたリネアが戻った頃には、大方綺麗になっていた。
 
 私服に着替えて髪をリボンで結わえた後、十人の屈強な男共を引き連れて一階の食堂に向かう。全員が座れるテーブルに着くと、メニューの上から下まで全部持ってこさせた。今日はバックスのおごりと言うこともあって、リネアはもちろん、部下達も喜んで皿の上の料理を平らげていった。二,三十人前ぐらいはあったはずだが、米粒一つ残らなかった。会計時、バックスのこめかみが時折引きつっていたが、誰も視ようともしなかった。
 
 買い物がしたいと、リネアはバックス達を連れてクルルミク城下町を探索した。いらぬ気を利かせてか、女の買い物に付き合ってられないのか、バックスを除く部下達全員は途中で帰って行った。おそらく、両者だろう。リネアは彼らを放っておいて、バックスを町中引きずり回した。武具防具などの調達は、初日のバックス達に会う前にすませてしまったので、嗜好品を探し歩いていった。その時によった呉服屋で碧いリボンをバックスに買って貰い、リネアは嬉しそうにそれで髪を結わえていた。
 
 宿に戻った後、リネアは庭でバックス達に軽い稽古を付けて貰った。わざわざ外道部隊と蔑称で呼ばれるだけあって、バックス達は強い。龍神の迷宮でメキメキと鍛え上げられたリネアよりも強い。しかし、以前に会ってボロ負けした時の敵わないと言うことはなかった。サシで戦って、十回に一本は取れる。今は稽古だが、もしこれが生死を賭けた戦場で、一〇%の確率で死亡するとなれば、決して侮ることの出来ない敵である。それでも結果に不満そうなリネアの頭をバックスが撫でると、少し顔が和らいだ。
 
 夕食もやはり、屈強な男十人の中に少女一人という異様の光景を作りながらのものだった。バックス隊は嵐のようにテーブルの上に乗っている料理を平らげていったが、リネアは翌朝出立と言うことで酒は控え、腹八分目に控えて美味な料理を中心にしていた。なお、今朝の出費がたたってか、今回は割り勘だと主張するバックスに皆は不平をあげていた。
 
 
 
「ふわぁああ…」
 
 部屋に誰もいないことを良いことに、リネアはだらしなく大きな口を開けてあくびをする。翌日の準備も終えたので、後は寝てぐっすりと身体を休めるのが今日の最初で最後の仕事だった。
 そんなおり、ドアをノックする音が聞こえる。ドアノブに『寝てます。起こさないでください』と言う札をかけたのに誰だろうと首を傾げながら、扉を開ける。銀髪の大柄な男が一人、壁のように立っていた。バックスだ。
 
「夜分遅く…じゃないが、すまないな」
 
「まぁ、まだ寝てなかったけど、どうしたの? ま、立ち話もなんだから、入って入って」
 
 リネアはバックスを招き入れる。部屋のランタンは半分落としただけなので、薄い寝間着が見られてしまうが、気にしなかった。
 
「あ、ひょっとして夜這い? 男って獣だよねぇ」
 
 くすくすと笑いながらリネアはベットに腰掛ける。それは期待しているようなそぶりでもあった。だが、バックスはベットから遠い机の上に、一本の瓶を置いた。グラスを二つ棚から勝手に取り出し、瓶の中の物を注いで片方をリネアに渡す。酒、それも結構な高級品だった。
 バックスは勝手にグラスをあおり、一気で飲み干した。其れを見たリネアは渡されたグラスの中を見つめた。高級な酒ほど悪酔いはしないし、翌日にも響かない。それに、この男に限って、薬や毒を使うまい。バックスの真意が読み取れなかったが、受け取ったグラスを仰いだ。
 美酒がリネアの喉を潤していく。共に、ほっと一息をつく。
 
「単刀直入に言おう。今回の依頼が終えたら、俺たちの部隊に来ないか?」
 
 バックスは淡々と、事務的に話し掛けた。対するリネアは、それを目をぱちくりしながらバックスを見つめていた。
 
「…俺たちって、バックス隊に?」
 
「そうだ。正確には雇用契約だ」
 
 バックス達は部隊として傭兵ギルドから賃金を支払われており、バックス隊での賃金は、バックスとの契約に基づいた金額を月一で支払われている。バックス隊の中にも力の格差や必要経費の大小があり、傭兵ギルドからの報酬をきっちりと等分するには不公平が生じていた。バックスはそれをまとめ上げる事の出来るリーダーとしての才があった。
 
「給料は高めに用意する。その分、余計に働いて貰うがな」
 
 その言葉に、リネアはその意味するところに気づき、にやにやと笑った。
 
「はっはーん、さては、夜は夜で働いて貰う、って奴?」
 
「そうだ」
 
 あっさりとしたバックスの肯定に、リネアは呆れたように笑った。バックスはそれを無視して言葉を続ける。
 
「部下達の士気もあがるし、相性は悪くないと思う。昼は傭兵、夜は娼婦…と言うのは嫌いかもしれんが、どうだ?」
 
 バックス達の扱いは決して悪い物じゃないし、リネアの好みの部類でもあった。リネアはバックス達に好意も持っているし、こちらも好意を抱かれていると思っている。報酬も悪くない。ちょっと労働がきついかもしれないが、それも望むところだ。
 
「もし、私が性奴隷になって売られちゃったら、どうするの?」
 
「値段次第で買う。昼は期待できないが、購入額以上の金は食費だけで済む」
 
 もっとも場所がわかればだが。と付け加えるが、目尻をに涙を浮かばせるほど大笑いするリネアは聞いていなかった。はっきりと言われた方が好みのリネアに取っては、悪い回答じゃなかった。
 
「うん、いいよ。無事に帰ってきたら、仲間に入れて。お給料分は仕事するからさ」
 
 リネアの快い返事にバックスは満足して頷くと、酒瓶を置いて、退室しようとドアの前まで歩いた。
 
「ただ」
 
 リネアの小さな一言に、ドアノブを握ろうとしたバックスの手が止まった。
 
「ちょっとだけ訂正希望。夜は娼婦じゃなくて、慰み者がいいな」
 
「やけに拘るな」
 
 バックスは苦笑気味に答える。リネアは前に出会ったときもそうだった。事に及ぶ際、何故か不遇な立場をあえて要求する。一昨日はその性癖を知ってたため、先にこちらから応じたが、そこまでMなのかと内心苦笑はしていた。
 
「まぁ、ね…」
 
 リネアはグラスを回し、中の液体が渦巻くのを見ながら考えていた。そして、意を決して、バックスの顔を見ながら呟く。
 
「ひかれるかもしれないけどさ…嫌いな相手が酷い目にあってるのを見ると、気分がすっとするよね」
 
 突然の乱暴な発言だったが、バックスは口を挟まなかった。
 
「特にその嫌いな相手が女だったら。抵抗も出来ず助けも呼べず、ただ男共に陵辱されていく様なんて、最高だよね」
 
 バックスは黙ってリネアの言葉を聞いている。その相手が誰なのか、何となく理解し始めてきたからだ。
 
「私はさ…この身体が嫌い。淫乱なところじゃなくて、子供を産めないこの身体が」
 
 リネアはそっとお腹を手でさすりながら、顔を俯かせて言葉を紡ぐ。
 
「男にとっては責任取らなくて済むから都合が良いかもしれないけれど、私にとっては、最高の喜びを剥奪されたようにしか思えなくってさ…ひょっとしたら、と思って、百回以上は軽くやったけど、全然、ダメでさ…」
 
 しんみりと呟きながら、グラスの縁を指でなぞる。きゅっと気持ちいい音がした。
 
「まぁ、気持ちよかったから、其れは其れで全然問題無いんだけどね。だから、えっと…何が言いたいのかって言うと…」
 
 グラスを口に付けてあおり、残った酒を一気に喉に流しこむ。
 
「やるときは強姦輪姦拘束系の陵辱を希望。私から誘うなんてもってのほかだから、これは譲れないよ、って事かな」
 
 あまりの物言いに硬直するが、今度はバックスが呆れたように笑い出した。互いに飾らず隠さずの性格は、相性が良いとしか言いようがない。
 
「わかった。部下達には十分言い聞かせておく」
 
 笑いを堪えながらの発言だったが、リネアは満足そうに頷いた。
 
「うん。じゃあ、私は寝るよ」
 
「あぁ、おやすみ」
 
 そう言って出て行こうとドアノブに伸ばしたバックスの手を、リネアは掴んだ。バックスを見上げるリネアの顔は恍惚としていた。
 
「私が寝るんだよ? 無防備に、男の前で。あんな性癖を明かした後に」
 
「…寝て体力を温存するんじゃなかったのか?」
 
「精神的な欲求不満のケアの方が大事。だから一回だけ。と、私は思ってるけど、その時は無理矢理二ラウンド目をやらされてもきっと抵抗できないよね」
 
 サキュバスの様な囁きに、バックスは眉をつり上げる。行為の時だけ形が性癖に準じるものならば前振りはどうでもいいらしい。何処が『私から誘うなんてもってのほか』なのか。睨み付けるようにするが、全く効果がない。
 
「…寝てなきゃ夜這いはできん」
 
 バックスは諦めて一回で終わらせるよう努力する方を選んだ。
 だが魅力的な獲物を前に我慢することができるかどうか。
 今まで相手にしたどんな敵よりも、強敵に見えた。