『3/29』

 蒸すね、と。
 最初に口にしたのはフィアリス。魔獣の返り血を額から拭い、何気なさを装った一言だ。
 装わなければならなかったのは、事切れたばかりの魔獣が、脆弱な肉体の橙色の毛髪をした男のように見えたから。
 亜人サドマリーマッスル。
 突如巨躯の怪人へと変貌を遂げる巨人族にも似たその魔獣は、本来は第一層に存在する筈の無いモンスターである。
 しかし一定時間を過ぎればただの野蛮人にしか見えぬ遺体だ。フィアリスは人間の遺体を見慣れてはいなかった。
 それが魔法の胡椒によってもたらされる事を知る者はメンバーの中にはおらず、疑問を挟むメンバーもまたいない。
 堅実論者のフィリアスも疑問を覚えないわけでは無かったが、知識が及ぶ筈も無い。
 背筋まで伝う怖気を含んだ冷や汗をごまかすには、未知の巨人との遭遇に戦慄く興奮を抑えるには、平静を保ちなおすだけの些細な理由が必要だっただけだ。
 ――これが下層のモンスターなのだというのだろうか。しかも、その向こうにまだ見ぬ従兄もまたいるのか――
 そう考えるだけで、自らの目的にはまだ距離があることを再認識し、フィリアスの両肩に重しがのしかかる。

「フィリアスの言うとおりかも、ちょっとだけ蒸してる気がすんね」

 触覚、視覚、聴覚、嗅覚。
 戦いにはやる興奮をいち早く抑え、様々な感覚を駆使して告げるのは、メンバーの中でも戦闘を得手とした職ではないニスチェ。
 口調こそ軽口に聞こえるが、焦りや淀みが無いことが彼女の確信である事にフィリアスは気づいていた。
 時折子供じみた台詞でパーティの行動に口出しをする彼女だったが、不思議と揺るぎの少ない口調が彼女の卓越した感覚に裏打ちされたものだとも知っていた。
 顔を上げて「そうだね」と唇を潤し、若きリーダーの顔色を伺って笑みを浮かべ、桜色の唇が「分かってるよ」と動くのにはドキリとさせられる。

「さて、どうなのだろうね、ボクはとうに汗まみれで良く分からないけれど」
「……うん、確かに、何か問題?」

 リィの額に手を宛がい、回復魔法を使ったナガレが、疲労に重くのしかかる装備を整え直しつつも湿度の変化に今更のようにふと顔を上げた。その変化に気を払うほど回復していないリィが静かな語調で「もう出てきていい」と、物影に隠れた女性達に希薄な声を紡ぐ。
 ホムンクルスという人造生命体であるリィにしてみれば、ささいな湿度の変化に気づくのは難しい話だ。彼女には痛覚というものが存在しないらしい。
 また人魚との混血のナガレにとっては、水とは親しいものだ。危機感を感じろと言われても難しい。
 種族的な認識の違い。そのことについて先任のリーダーであるナガレは、あえてリーダー交代の折に黙っていたが、やはりフィリアスとっても重荷となる問題であった。
 しかしそれはまた、彼女にとってはどんな蔵書からでも得られぬ知識の宝庫であり、彼女の好奇心を常に刺激してもいる。
 今すぐにもパーティのためにやれる事を自ら率先して動く判断力を、フィアリスは持ち合わせていた。彼女は手にした煌びやかな装飾の長剣を掲げ、装飾に見合った鋭い刃筋の先端に魔力の明かりを灯す。
 サドマリーマッスルの出現した方向、破壊された石壁の向こう側の鬱蒼とした闇を、魔力の光が払っていった。湯気の沸き立つ空間に煌々と輝く光球が灯り、一面に月光のような淡い光が、静かな水面を照らし出した。

 そう、そこには何者かの手によって作られた、こんこんと沸き立っている罠のプールがあった。


「成る程、サドナリーマッスルは人間型のモンスターですからね!」
「間違いない、ね、サドナリーマッスルは温泉を浸かりに着たんだ、そうでなければこんな浅い階層にいるはずがない」
「亜人……も、人間……」
「何か間違ってるような気もするけど、考えるのも頭痛いくらいだし、アタイも賛成しちゃおっかな〜、なんて?」
「兎にも角にも調べなければなりませんね。 今回は長期の探索でしたし、……やっぱり、みなさん女の子ですから」

 異議無しと、顔を見合わせて頷いた四人の顔は、揃って真剣そのもの。
 魔法の明かりに照らされた温水プール。疲弊を隠せない彼女らにはまた、体臭という重大な問題があった。
 パーティの後ろでマント一枚だけを羽織った四人、アヤセやフウマは何事かと顔を見合わせ、何かを悟ったように溜息をつくサフィアナの肩をコリーナがポンと叩く。

 どうやら、19パーティの面々がロウフルスニーズの正しい効果を知る日は、まだまだ遠いようである。


//*//


「いっやー、それにしてもサドナリーマッスルが拳で温泉を作るなんて特徴があったとは思わなんだねえ。
 酒場で色々ネタになったりするかも、あのおばーちゃんあたりが一番喜びそうだけど。」
「それにしては……拳のサイズが、違うような……」

 仲の良い調子で言い合いながら、まずプールの脇に腰までゆっくりと浸かったのは、主立って入念に調べた二人である。
 彼女らが一体何を見たのか、拳による破壊痕跡の主が誰かは筆者の命が惜しいため、あえてこの場で言及しないでおこう。
 ニスチェ、温泉という状況で変装スキルが解けないのはこの際ご愛嬌として受け取っていただきたいが、げに恐ろしきは卓越した彼女の変装技術にある。
 奴隷生活という出自から到る欺瞞に満ちた波乱の盗賊生活より生まれた体つきはもっちりとした野生美と表現するべきだろう。
 レンジャーやシーフ共通の一見華奢な身体つきなのに、肉付きの良さと運動量の多さ、さらには男性経験の多さに正比例するように女性的な丸みを帯びている。槽の縁に後頭部を預ける姿勢で「いやー、あたたまんねぇ♪」と悦んだ表情を晒し、胸の双山は”どーん!”と突き出した豊かな果実が先端ごと天に突き上げられ、軽口を紡ぐたびにゆゆんと揺れては先端の残滓がピンクのラインを虚空に描かせ、隠そうともしない開けっ広な性格を体現していた。
 引き締まったお臍から地毛を示す赤毛の丘までもゆっくりと水面へ浮かばせていく様子もなめまかしく、男どもが見れば間違い無く鼻血を噴き出すこと間違いなしといった仕草の一つ一つが実に魅惑的である。
 その無防備極まりない様に、リィも思わず視線を背けずにはいられない。

「いやいや、確かにアレは素手の破壊痕だって、一緒にちゃんと調べたじゃん?
 あんな壁を一撃で貫通したわけでもないのに複層ごと壁を抉るなんて、ありゃあ怪人の仕業としか表現のしようがないっしょ。」
「……でも、サイズが……」

 サイズ、としきりに口にする希薄なトーンは、既に拳ではなく自身の胸元へと向けられている。
 リィ。幼い容姿の持ち主ながら、出自の背景から人造的な”機能美”を求められたために、彼女は人間ばなれした魅力がある。
 忍者として開発された女ホムンクルス、つまり”くの一”。
 その最大の武器である魅力を最大限に活用するために作られたといっていいきめ細かい肌は、製作者のある種の拘りが如実に伺える。
 性交渉に無縁のまま十四の歳月を経てきた彼女は、感情こそ希薄だが、胸部は発育予定を逸脱するほどに育っている。しかし戦闘以外の知識をほとんど与えられていないため、現在の自分に昏々と劣等感を抱いて悩む様に、普段隠された弱弱しさを晒してしまう。
 成長への期待感をタオルでぎゅっと包み、肩まで浸かりながら「…サイズ…」と呟き続け、ちらりちらりと胸元のタオルを摘み上げては隣人の魅惑的な曲線を眺め比べ、落胆と吐息をほうと湯気に紛らせてしまう様子は、見る者に父性的な感情を抱かせずにはいられない。
 そんな幼い忍者の胸中は露知らず、身体を首ごとぐるりと向けると、ぷっくりとしてこれまた豊満さを意識させる臀部を晒しながら、ニスチェは気楽な軽口を続けた。

「まーまー気にすることはなっしん、野暮なことはこの際どこかの破壊魔ってことでいいよね?」
「良いわけがあるか、いい加減な判断は一歩間違えれば命を落としかねないぞ。 連れて帰ってもらっている身分で言う話でも無いだろうが、な」

 威圧的な言葉遣いだが傲慢なものではない。ボディガードらしい冷静な状況判断をふまえた意見。
 アヤセ。貴族に雇われているだけあり、彼女の存在は居るだけで場が引き締まるような雰囲気を漂わせる。
 徒手空拳を得手とした格闘家に見られるかっちりとした肩、肩口から拳までの筋肉は引き絞られた弓のようなしなやかさを誇り、太股より踵へと張り詰めたラインは雌豹のよう。
 白を交えた黒髪で目元を隠した表情は、今やその頬をほんのりとした羞恥の色に染められており、その表情から発される雰囲気は些か緩みがあった。
 元より裸の付き合いという概念がクルルミク王国にあるのどうかは定かではないが、貴族の生活に慣れ親しんでいるアヤセには縁のないものだろう。
 スレンダーなプロポーションを包むタオルは手ぬぐい状のものを二枚のみ。女性の部分を両手で大袈裟に隠しながら「ああ、これは暖かいな……」と、湯の温度に思わずほろりと口元を緩ませる女性らしい笑みは、男装麗人ならではの魅力を最大限に引き立てている。
 ゆっくりと湯へと浸かる鍛えぬかれた素足の曲線と、タオルの合間にちらりと覗ける暗がりに、ついつい視線を向けてしまうのも致し方ないというものだ。
 冷徹な声と共に湯船へと足を横切らせる残影に、ニスチェの視線が追っていく。

「うーん……そんな警戒するほどでも無いと思うけどねえ、どうせ女ばっかなんだし」
「馬鹿を言うな、馬鹿を。 大体、もう少し気を利かせて大き目の布地を用意してくれればこんな屈辱を受けずに済むというのに……」
「……装備は……リーダーが取り仕切ってるから……」

 勢いをつけて首まで浸かり表情を誤魔化しながら、アヤセの怜悧な視線は浴槽の外、ざばあと沐浴の音を立てる方向へ向けられる。
 其処にはアヤセと同じく捕まった女性を洗う、こんな状況下にも関わらず献身的に励んでいる少女がいた。

「ごめんなさい、こんなに沢山の方々を助けるのは初めての経験だったんです」

 静謐さに柔和が混じった穏やかな声が壁に反響した。
 フィリアス。貴族の三女という由緒正しい身分を持つだけあって、アヤセと共通した場を引き締める雰囲気を持っていた。
 彼女の場合は柔和な顔立ちや穏やかなトーンが相成って、アヤセのそれとはまた別種の初々しさが逆に周囲を引き締めさせるようで、魔法戦士へと昇格を果たしたばかりの緊張に包まれた身はかえって公女らしい令嬢然とした雰囲気を漂わせていた。短い髪は、冒険に向かうための”散髪の決意”の結果であることを伺わせる。
 とはいえ、アヤセ同様彼女も”裸の付き合い”に慣れていないのは明白である。
 彼女自身も湯に濡れるのを覚悟してか、頭にタオルを巻くことで気合を引き締めているが、理想的なバランスと言っていい発展途上の体系を保った体躯は、厳しさよりも幼さを印象付けていた。
 たくさんの女冒険者達の様々なプロポーションを目にしてきたのだろう。その手の嗜好を持つ人間にはたまらないのだろうが、彼女自身には思うところがあるに違いない。
 年頃の少女らしい自己嫌悪から必死に眼を背けようとする様が実に初々しい。無垢な柔肌、柔和な顔立ちにあどけなさを残しながらも、「冷静に、冷静に……」と、覚えたての羞恥心を堪えているのだ。
 それでも、表情を輝かせて気丈にもはにかむ表情には自然と染み付いた笑顔が弾け、可愛らしい花が咲くように輝く様は健気な印象を与えた。

「お加減はどうですか? やっぱり湯が大分前に冷めていたみたいで、魔法で暖めなおしたのですけれど」
「……あ、ああ? うん、大事無いと覚えるが」
「良かった、なにぶん未熟な腕前なので不安だったんです……魔法でこんな使い方が出来るなんて存じませんでしたから」

 フィアリスの献身的な視線を向けられた女性は、穏やかな声にドキリとしたように、声を上ずらせて反応を返した。
 フウマ。凛とした表情と覆面が緊迫感を与える。くの一としてリィとは別種の攻撃的な鋭い眼光を持つ忍者と、誰もが覚えている。
 だが、いまではその眼光は大きく変わり、まるでオセロの駒が表裏返ったような印象を受ける。
 肉置きの良くしなやかな体つきが、少しやつれたような印象を覚えるのは当然か。 たったの三日間で、彼女は穴という穴を男に貪られた。その結果は彼女の全身に痣という形で痕を残していた。
 その凛とした表情の仮面に隠された色香は壮艶なまでに晒されてしまっていた。発見者であるフィリアスでさえ、あまりの印象の違いから彼女の名前を思い出せないほどの変わりよう。その姿は主人を喪失してしまった飼い犬のように、無垢な瞳と抱き寄せたいほどの魅力を備えていた。
 今や充分と言っていい男性経験を与えられ、叩き込まれた調教は無意識に柔らかい乳脂肪を押し合わせて胸元を飾る。深く刻まれた谷間が酷く扇情的だ。
 彼女は沐浴に身を委ね、自身へ擦り付けられた性欲を払われる喜びを味わい、まるで生まれ変わったような心地でこの上ない喜びを噛み締めている。勿論自分のパーティの末路、とりわけエレシュの事は彼女とて忘れることは出来ないだろうが、いまのところは落ち着いた表情を取り戻している。
 それはエレシュらが売り払われた後に玄室に運び込まれたアヤセには分からない感情だが、明らかな変化に気づかないほど鈍くはない。

「穴が開くほどじっと見つめているようだけれど、ボクらのリーダーが気になっているのかな? それとも、彼女の新しいご主人様にでもなりたいのかな?」
「なっ、何を言っている!」

 ざばあ、と憤慨するように立ち上がるアヤセの隣。
 水場ならば気配も感じぬのは当然とかもしれないが、隠し切れぬ動揺がアヤセの中に子犬めいた幻視をフウマに抱いている様子は隠しとおせない。
 ナガレ、彼女は人魚とのハーフブラッドという種族故の魅力を持っているが、同時にある種の幻想的な様相が見る者を選ばせる欠点を持っている。
 浅く焼けた白の肌には、よくよく見れば鱗のような線が細かく刻まれている。またエラ状の耳は隠せようも無い。
 しかし、華奢と見られがちの身体には節々に筋肉質の筋が隠れており、それらは日常的にインナースーツの上に拘束具を着用することで、筋力増強を促しているのだろう。
 さらに圧迫を与え続けられれば強くなるという古典的な論理は筋力だけに限らず、幼少より圧迫され続けた胸の白い膨らみは淡い青のエラ耳をタオルでゆっくり拭うたび肉感的に躍動してしており、浴槽の縁へと腰掛けた”ふにゃり”と大きなお尻は肉置きの良さを印象づけるように押しつぶされ、凹みから生じる曲線は妄想上の柔らかさを補うに事足りる光景である。
 数々の文献に残された人魚の生活習慣と同じように、裸身を晒す事に抵抗を覚えることは少ないが、タオルを一枚身に寄せて、何も隠さぬ堂々とした態度は、まるで自身の女性的特徴に何ら後ろ暗いものを持たないように見える。ある種の勇ましと、幻想的な魅力を前面に押し出していた。
 その口元はふだんから淡々としているが、どこか飄々とした気分にさせられるのも、彼女の現状への余裕の表れだろう。

「ボクは思ったことを口にしただけなんだ、気に障ったのなら謝らせて貰うけれど。 まあ、君が彼女を地上で迎え入れるのならそれはそれでいい事ではないかと思うよ」
「……とりあえず、留意はさせて貰おう」
「それは喜ばしいね、ならば水の神に武運を祈らせてもらおうかな」

 淡々としたものではあるが、ナガレの言葉の端々からは何処かアヤセに配慮をしたようにもうかがえる。
 事実、アヤセにも彼女のパーティの崩壊は既に知らされていたのだ、アヤセ自身もある種の諦めに近い感情を持っていなかったわけではない。
 ならず者達によってパーティ全員が犯されたフウマには劣るかもしれないが、憎悪の念は彼女の胸内にも沸きあがっているのだ。

「あはは、いつになく穏便な意見だねぃ、ナガレらしくもない」
「さあね、君のきまぐれほどではないとは思うけれど。 昨日の玄室行きの方針は君の……」
「あ、あははははは、なーんのことだろうねぇ?」

 ニスチェの、あからさまなはぐらかしの声が浴場に響き渡る。
 フィリアスは首をかしげてみせたが、フウマを洗うのに手一杯の様子で、リィといえばタオルの中を覗き込んだまま。
 何かナガレとニスチェにはやりとりでもあったのだろうか、とアヤセは想う。

「でもナガレってば、普段はもっと毒舌モノの意見をするじゃ……ふぎゅッ!?」

 どっぽーん!
 飛沫が上がり、ニスチェの姿が水面の奥へと消える。
 ニスチェの背を蹴落として浴槽へ沈めたのは、ニスチェ同様早駆けを得手とした職業の人物だった。

「ふっふっふ、あっしらが入る前に盛り上がるってなあちょいと人情が足りないってモンですぜ?」
「……(はぁ)」
 肩を竦めた無口な女性を背後に隠し、小柄な身体に快活さを全身から発散した女性が浴槽の縁へと片膝を立て、ずずいと胸を突き出している。
 コリーナ、任侠じみた言動と楽天家という性格に騙されやすいが、小柄でありながら19歳という成熟期の年齢相応の体つきは半ば反則的といっていい。
 俗にグラマーといっていい凹凸が実にはっきりとした体型は、小柄な体格と相成ってコンパクトながらも柔らかい弾力に包まれており、出自のためかニスチェ同様の雌豹のようなしなやかな体つきをしている。男を知らぬ肌は湯気によって健康的な桃色に染まり、水滴に艶を帯びて、思わず頬ずりしたくなるような光沢を放っている。
 まるで濃縮された女性のエキスが小柄であるがために内から弾けたような、全身の女性的な部分という部分からむちっとした肉感がはみ出したように、尻や乳は摘めば程良くめりこみそうな柔らかさを湛えた質感がある。
 「ふふん、あっしをのけ者たぁいい度胸ですぜい」快活さを滲ませた表情と勝気。湯船に足を突き出したまま腰に両手を当てる仕草は、健康美に溢れている。男がいる場ならばまず見せないであろう威風堂々とした姿勢で、傍目にはナガレ同様、羞恥心などおくびにも出さない勇ましさに満ち溢れていた。
 男の目が無いという保障は一切無いというのに、だ。

「ふふふ、油断大敵ってのぁこのことでさあ。 連れてって貰って感謝はしとりますがね、有頂天になっちゃあいけねえ。 こうやって足元すくわれますぜ?」
「慢心は油断を呼ぶ、当然の結果だ」

 コリーナの意見に同調するかのように、短慮なアヤセの声が飛ぶ。

「そういえばボクも東方の風習で聞いたことがあるね、格上の相手を蹴落とす事はこの世の摂理であるという思想。 確か、ゲコ・クジョーというのだったかな?」
「下克上、正しくは下の者が上の者に打ち勝って権力を手中にすることだ」
「まあ、博識でいらっしゃるのですね」

 ふと思い出したように告げたナガレの声に反応したのは、意外にも仔犬のように全身を大人しく洗われるフウマであった。
 ぽん、と石鹸の泡がついた両手を叩いて華やいだ笑顔を浮かべるのは、鼻の先にも泡をつけたフィリアス。

「そ、それがしは、そういったことが身の回りに多かった、それだけだ……」
「ははあ、あっしの行いを正とする思想があるたぁ、東方もなかなか粋のいいこって」
「いやいやいや、それただの裏切りじゃん?!」

 ぶっはー! と、蹴落とされたニスチェが温水プールと化した浴槽から這い上がって抗議するが、耳を貸すものなど誰もいない。
 唯一彼女の言動に頷くのは無表情な剣士だったが、無言のまま湯船で身を休める彼女の頷きには誰も気づかなかった。
 サフィアナ、蝶のように舞い蜂のように二刀を振るう、そんな二刀流を華麗に駆使する軽快さからは連想と異なり、意外にもがっしりとした体つきは”着痩せ”という言葉が相応しい。
 やはり二の腕は傍目とは違って肉質も硬く、ならず者達から嬲り者にされた記憶は遠くない彼女の腕前が、徐々に全盛期へと勘を取り戻しつつあることを示していた。
 斬撃のみならず刺突をも体得している証拠に、首筋から引き締まった臀部までの緊張感を漂わせる背筋線は、しっとりとした肉感をかもしだしている。
 訓練を積み重ねた者特有の野生美も、むっちりとした柔らかな感触を視覚的に与えながら、筋肉の芯が支えた肢体はスマートで上品な質感に包まれている。
 無口に無表情と、表情こそ豊かではない表情がちらりと、周囲を一瞥するように振舞う姿の挙動一つが、ソードダンサーのような精錬された動きとして美しさを魅せていた。
 母性のみをタオルで覆い、湯船へと静かに腰を下ろすサフィアナへと白い容器が突き出される。
 なみなみと注がれた即席のお猪口が一つ、突き出したのは彼女のパーティーメンバーであるコリーナの華奢な腕。

「ま、ま、そっちで相変わらず独りにならんで、一緒にどうだいダンナ?」
「ちょっと待て、いつの間に酒を持ち込んだ? ならずものに荷物を奪われた筈ではなかったのか!」
「ははは、酒は天下の周りものってヤツでさあ」

 僅かに香るアルコールの香りに、声を荒げたのはアヤセ。
 しかし回答は意外な方向から、僅かにアルコールを混ぜた吐息と共に返される。

「水を濁す事は果たして教義に反する事だろうか……元よりその質問は愚問なのだろうね、こうして酒の味を嗜めるという事が証明しているのだから」
「余計な事に労力を使うの好きだと思わなかったけど、案外とナガレも風情を理解してるもんだねえ?」
「温泉文化が人間の専売特許だと思ったら大間違いだね、エールばかり呑んでいるドワーフも嗜むものだからね……呑み比べで負けるつもりはないけれど」
「幾ら自分達が飲まないからといって、さらっと酒を造り渡しているんじゃない!」

 胸の渓谷へ徳利を沈め、何やら面妖な水呪を唱えたナガレと、詠唱する様を眺めつつ次なる徳利をホイとコリーナへ配るニスチェの姿があった。
 間髪入れずに突っ込みを仕掛けるアヤセの声にも、やはり険が混ざっている。
 浴槽の外側はというと、フウマの沐浴もいよいよ三度目の丸洗いに挑戦を始められようとしていた。

「さあ、フウマさん。 今度は石鹸をきっちり泡立てました、しっかり磨きあがるまでに動かないでくださいね」
「フィリアス殿、それがしはそろそろ……湯船にゆっくり浸かりたいところなのですが……」
「いいえ、念には念をと申しますから、この際新品同様になるまで面倒見させていただきます!」

 そして独りゆっくりとそれらを眺めていたサフィアナにも。
 背後の湯からざばあと伸ばされる白い手が”ぎゅむり!”と、タオルの内側を掴みあげられた。

「ひゃ……!?」
「ぷにっと、してる……」
「……」

 リィである。
 いつの間に背後に回りこんだのだろうか、タオルの内側へと白い手を精一杯伸ばし、自らの体躯を背に擦り付けてサフィアナの見事な双山を掴んでいた。
 純粋な興味からなのだろう。 念入りに解す行為は検査に近い手つきで、邪な気配などは一切感じられない。
 返答に窮したサフィアナも、これには流石に頬を赤く染めるのみ。
 わき、わき、と鷲掴みにされて弾力を堪能されながらも、背後に助けを求めようにも、酒盛りとドッグワッシングに熱中している面々には聞き入れられそうに無い。
 はぁぁぁ……と、深い、深い溜息をついて、サファニアはぼそりと呟いた。



「……早く帰りたい」




END