レイラ―隻眼と双剣の行き着く未来―

 クルルミク王国――屈強の竜騎士団と竜神の加護で繁栄を極めた王国。クルルミクは長年、その強大な軍事力を背景に繁栄を極めていた。
 そのクルルミク王国を揺るがしたワイズマン事件。国主ビルゴ王子の治世に起きた最悪の出来事とも言えるこの事件。国主継承の場である龍神の迷宮に邪悪なる魔道士ワイズマンが立てこもり、彼によって召喚された怪物と治安悪化を嗅ぎ付けたハイウェイマンズギルドと言うならず者集団が迷宮を跋扈した事件。
 国主継承の場である龍神の迷宮でこのような事態が続けば次期国主のハウリ王子の試練の時のことを憂慮したビルゴ王子は竜騎士団を投入しようとしたがグラッセンの戦争もあって断念。娘であるセニティ王女もワイズマンを最下層に封じ込めるだけで手一杯で征伐とまではいかなかった。
 そこでビルゴ王子は冒険者たちに懸賞金をかけてワイズマン討伐令を出した。だが結果は中々成果が上がらず、さらに男を滅ぼす結界が張られているということで女性冒険者たちしか挑めないこともあり、性奴隷の標的として冒険者の多くがハイウェイマンズギルドの毒牙にかかっていった。
 しかしこの事件は次期国主ハウリ王子の姉君であるセニティ王女が実は最下層に囚われているという事実が浮かび上がり、さらに混迷を極めた。王女はその後冒険者達によって救出されたがハイウェイマンズギルドの連中に陵辱されたことが国民の目に触れることになり、国家を揺るがす大スキャンダルになった。
 だが国主を継承したハウリ王子と、隣国のグラッセンとの停戦条約を締結したことにより国内に帰還した竜騎士団により、治安は改善。ハイウェイマンズギルドは壊滅し、頭領であるギルドボも死亡が確認されてならず者達の勢力やその他奴隷商人達はそのほとんどが一掃された。
 こうしてクルルミクは元の平穏と繁栄を取り戻した。そしてその先駆とも言えるセニティ王女救出を果たした4人の冒険者たちにはハウリ王子から莫大な恩賞がもたらされ、その栄誉を称えられた。さらにクルルミク国民の間では彼女達を英雄として語り継ぎ、その名声は留まることを知らなかった。


 そして時はワイズマン事件から数年が経ち、場所はクルルミク王城。夜の月を眺め、憂慮に浸る一人の女性。
 彼女の名前はレイラ=シュヴァイツァー。ワイズマン事件で見事セニティ王女を救出した4人の冒険者達のリーダーだった女性。ふくらはぎまでに達するのではないかという黒い髪と、右目の眼帯。そして腰にある双剣が特徴でもある。
 ワイズマン事件後、レイラはクルルミク王国に仕える近衛騎士となっていた。今やハウリ王子の懐刀として活躍し、表裏関係なくその実力を発揮している。
 その彼女に近寄る一人の騎士。端正な顔つきをしており、美しい黒髪を後ろで束ねたポニーテールが特徴的な女性であった。
 レイラはその気配に気づいていたが、構わず空に君臨する月を眺めていた。
「レイラ、ここにいたのか」
「何か用? ラシャ」
「用がないと話しかけてはいけないのか? もう公私ともに数年の付き合いだ。
別に知らない仲じゃないだろう?」
「そうでだろうな。でも城で貴方から話しかけてくる場合、大抵仕事の話だったと記憶しているけど?」
「よく観察しているな」
「もう数年の付き合いだ。それくらいはわかる」
 呆れるくらい淡々と喋る両人。
 レイラとラシャ――この二人はハウリ王子直属の近衛騎士として、他の騎士からも一目置かれる女性騎士である。
 そういった地位的なこともあるがこの二人の名声は他の騎士の追随を許さないほど飛びぬけている。レイラはハイウェイマンズギルドからセニティ王女を救出した英雄として、ラシャは邪悪な魔道士ワイズマンを討った騎士の中の騎士として、周囲から尊敬と人望を集めている。
 だが二人にしてみればそんな世間の目は関係ない。お互い実力を認め、さらにあの事件の真実を知る者として様々な仕事をこなしてきた。
 もちろんそれは真実を隠す裏の仕事も含まれるということだが、そういったことを通じて二人の間には奇妙な信頼関係が築かれていた。

「一人、ワイズマンについて調べている人間がいる」
 レイラはその言葉に反応を示していた。
「あの事件のことを嗅ぎまわっていようと関係ないんじゃないか?
 もう数年が経とうとしているし、今噂になっているのも真相とは全くかけ離れたものだった」
「そうだな。その真相は今となっては闇の中に葬られたものだ。
 知りえる者はごく僅かだし、厄介なものは徹底的に排除してきた。貴公も覚えているだろう」
 それはそうだとレイラはこの数年を振り返った。思えば証拠隠滅のために色々と暗躍したものだ。葬った人間の数など覚えていない。
 振り返ればきりがないから――だがレイラやラシャたちが動いた結果、今の王国の繁栄がある。
 二人はそのことを後悔はしていない。だがあまり思い出したくない事実ではある。
「この数年はまさに激動だったと言わざるを得ないね」
「そうだな。だがこの人物はワイズマン事件についてかなり核心に近づいているらしい。
 故に王子はこの案件について私に処遇を任された」
 ラシャは一息ついてレイラの肩に手を置く。そして言葉を続ける。
「私が承った任務だが、この件はレイラに行ってもらいたい。
 もちろんすべての処遇は貴公に委ねる。責任はこのラシャが取る」
 別段レイラが断る理由はない。ただ仕事をすればいい。
 だがレイラには引っかかることがあった。それを彼女は迷わず口にする。
「なぜ私に行かせる? それほど腕が立つ人物なのか?」
 レイラにしてみれば当然の疑問だ、と思い口にしていた。
 だがそれはあまりに無意味な質問だった。

「行けばわかる」
 ラシャはたった一言で疑問を一蹴する。
 二人の流れる数秒の沈黙。レイラは悠然と月を眺め、ラシャは真っ直ぐ彼女を見つめている。
 そしてレイラは口を開く。何かを決意した眼をして。
「場所とその人の名前は?」
「クルルミクの国境の外れにある村の修道院の女だ。名前はシスター・―――」


「―――わかった。数日で戻る。報告はその時に」
 詳細を聞き終えたレイラは窓から離れ、さっそく出発の準備を整える。いつもは騎士正装をしているが、今回の任務はクルルミク首都よりずっと離れた場所だ。冒険者の服の方が都合がいいということで、何年かぶりに冒険者だった頃の服を取り出し着替える。
 その着替え終わったレイラを見て、ラシャは心苦しそうな顔をして彼女に語りかける。
「すまないな。今度、食事にでも行こう」
「その時は最高級ワインを用意してもらえればいい。あと豪勢な食事も」
「了解した」
 ラシャは微笑を浮かべて部屋を出て行くレイラを見送る。その後姿は久しぶりに見る冒険者レイラの姿を見て、それになぜか違和感がないのを感じてラシャはまた噴出してしまった。
 彼女はもしかしたら騎士よりも冒険者の方が似合っているのかもしれないと――


 レイラが出て少しして、ラシャも部屋を出る。そして月光に照らされた先に立っていた一人の影。
 その人物こそ、ラシャの仕えるべき御方。今や成人し立派な賢君として頭角を現しているハウリ王子だった。
「行ったようだね」
「はい、王子。ですがよろしかったのですか?」
「彼女たちならばより良い未来を選んでくれると信じているよ。
 それにレイラもそろそろ救われてもいいんじゃないかな」
 そのにこやかな笑顔には微塵の曇りもなかった。だが窓から見える塔の一角が目に入った時、王子の顔に陰りがよぎる。
「もう取り返しのつかないものだってあるんだから……、ね」
「王子……」
 ラシャはそこがどこかわかっていた。その塔はハウリ王子と世話役を除いて誰も入ることを禁じられている塔。その最上階の主はかつてラシャが永遠の忠誠と友情を誓った相手がいる。
 もはや正気に戻ることない姫君。戻らない時間がハウリ王子を苦しめているのだろう。ラシャは心中に刻まれた傷が疼きだし、おそらく同じ傷を感じているだろうハウリ王子の心中を察せざるを得なかった。



「ここか。その人物のいる村というのは」
 クルルミク城を出発して数日後。
 私は件の村へと辿り着いていた。クルルミク国境に近い中央とはかけ離れた辺境の村という印象を受ける。
 いや、あの城下町が繁栄しすぎているだけだろう。地方にある村などはどの国もだいたいこんなものだ。
 だが私は休暇をとってこんな村に来たわけではない。れっきとした近衛騎士としての任務としてここにいる。
 もちろん、人に言えない裏の任務ではあったが。
 まぁいい。さっそくだが村に入って修道院がどこにあるか聞いてみよう。小さな村だから聞けばわかるだろう。
「キャアア!」「と、盗賊団だ!」
 しかし、村に入るなり聞いた声はこんなものだった。
 盗賊――ここ数年のクルルミク竜騎士団を筆頭にした治安強化活動のおかげで大分ならず者たちの勢力は一掃された。
 だが盗賊・山賊などの輩は決して滅ぶことはない。どんなに完成された国家でも必ずはみ出し者達がいる。そういった連中が徒党を組み数の暴力を見せつけ、こういった弱者を食い物にし、嬲り奪っていく。
 あのハイウェイマンズギルドのように――
 私の足は自然と声の上がった方向へと向いていた。すでに腰に下げている二振りの東方片手剣を抜く準備は整っている。
 だが私は自分の目を疑った。そこには私の想像も出来ない光景が広がっていたからだ。
「この村に入ってくるな、この悪人!」「そーだそーだ!」「あっちいけ!」
「うるせぇぞ、クソガキ共! 殺されてぇのか!」
 私が駆けつけた時にあった光景。それは醜悪な顔をした数人の盗賊共に小さな子供が道に立ち塞がっていたからだ。
 その顔には恐怖はあれど、迷いは感じられなかった。
「おれら盗賊団が本気になりゃこんなチンケな村なんざイチコロなんだよ! とっとと大人を呼んで金と食料を持ってこさせてこい!」
 その盗賊たちのリーダーと見える男が威勢のある顔で凄む。その勢いに数人の子供が後ろに下がるが、一人の女の子が前に出てくる。
 見たところ一番年長そうだが、そのあどけないその顔はおそらく10歳に満たない年齢だと推測できる。
「大人はお前らに怖くて出てこない。だけど私たちはお前たちになんか屈しない! 村は私たちが守るんだ!」
「クソガキが、調子に乗りやがって! ブチ殺す!」
 威勢よく啖呵を切った少女に盗賊の剣が振り下ろされる。

だがそれは少女に届くことはなかった。
 なぜなら私がその剣を受け止めていたからだ。
「……あいかわらずどこにでもこんなクズがいるものだな」
「な、なんだテメェは!」
「おい、コイツ女じゃねぇかよ。村の連中じゃねえな。冒険者か」
「おい、女。殺られる前にとっととどけよ。女なんて所詮非力なんだからよ」
「なんなら俺達といいことでもするかよ。ギャハハハハハ!」
 本当にならず者共は毎度同じ台詞を吐く。男と言うだけで女を見下し、すでに勝った気でいる。
 女などまるで性欲の捌け口にしか考えていない連中に、私は虫唾が走った。
 私は双剣を抜き、目の前の盗賊の鼻に突きつける。
「じゃあ予告しよう。お前らはその女に数十秒後に叩き伏せられている。それが未来だ」
「このアマ……!」
「おい、この女殺せ! いやギタギタして犯っちまえ!」

 1分後――私の眼下には盗賊達全員が地面に這いつくばっている。
 ハイウェイマンズギルドの連中が何十人という数で襲ってきていた頃に比べれば、この程度人数を相手にするなど児戯に等しい。
 誰一人として殺していないが、全員無事とは言いがたい怪我は負わせている程度にはしてある。
「グハァ……」
「テメェ…… 何者だ?」
「名前を名乗った方がいいか? 私の名前はレイラ=シュヴァイツァーと言う」
 その名前を聞くと盗賊達の顔が真っ青になる。
 やれやれ、私の名前も随分有名になったものだ。だがこういったならず者たちに対して口に出すと効果は絶大なので、別段悪いものではない。
「う、嘘だろ……? お前があの……?」
「信じるか信じないかはお前たちの勝手だが、私がここにいるということをどう考えるかが重要だと思うがな」
 この数年の騎士団の活躍のおかげでクルルミク騎士団の治安維持行動はならず者達を震え上がらせている。
 賊と呼べる者は徹底的に弾圧しつくす。この数年、ハウリ王子の意向で圧倒的な武力で盗賊・山賊・ならず者たちは捕われ、殺されていった。
 そういったことからならず者たちは騎士団関係と聞くともはや震え上がるしかない。こんな辺境で盗賊行為でもしないと生きていけないほどこの国では追い詰められている。
 まぁ自業自得ではあるし、哀れむ必要はない。
「クルルミクの騎士団が動き出す前にとっとと逃げ支度でもしてろ。
 ただもちろん私たちは見逃すつもりはない。
 ここは子供達の目の前だから殺さないでおくが、貴様らのような膿はこの国から残らず掃討してやる。
 帰ってお前らの首領にそう伝えておけ」
 私が最後通告を宣言すると、盗賊共はあっという間に逃げ去っていった。
 全く、やれやれだ。弱者には尊大、強者に対しては逃げ足が速いのは相変わらずといったところか。
「君達、大丈夫か……」
 だが私は振り向いた瞬間、別な意味で戦慄を覚えた。
助け出した子供達の目がキラキラと輝いているように見えたからだ。その表情はまるで神を見るように光に満ちている。
 嫌な予感がした。そしてそれは的中した。
『ワーーー! 本物の英雄だーーー!』
 大歓声と共に子供達が全員が抱きついてくる。その圧倒的なお子様パワーに私は抗う術など持てるはずもない。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って……!」
「ありがとうございます! レイラ様!」「かっこいいー!」「本物の近衛騎士レイラ様だー!」「すっごい剣だ! 触らせてー!」「どうやったらあんなに強くなれるのー?」
 無邪気にはしゃぐ子供。だが私はその存在の扱いに慣れているはずもない。
 戦場を渡り歩いて敵を何人も斬ってきた。ならず者を血の海に沈めてきた。
 だがこの純粋向くな子供達に私は対抗する術もない。どんな敵よりも強敵だ。
 ああ、どうすればいいのだろう。
「コラ! あなた達! あれほど出てはいけないと言ったのにこんな所で何をしているんですか!」
 子供達に振り回されて何も出来ない私に救いの手が差し伸べたのは、そんな女性の声だった。
 非常に凛とした声でどこかで聞いたことのある、そんな感じだった。
「わ、シスター!」「ごめんなさいー!」「だって大人達が誰もでないんだもん!」「私達は村を守ろうとしたの!」「僕達悪くないもん!」
「もう…… 危険な真似はよしなさい。相手はかなり危険な人たちなのよ……」
 私はシスターと呼ばれた女性の方を振り向く。そして時は止まる。
 相手の女性は驚愕の表情を見せている。おそらく私もそうなのだろう。
 こんな場所で再びあいまみえるとは思っていなかった。
「レ、レイラ……」
「……カリスト、か?」



「久しぶりね」
「そうだな」
 数年ぶりにあった仲間。そうだ、あのワイズマン事件の時に龍神の迷宮に共に挑んだ冒険者の一人、カリスト。
 そしてあの時、失った仲間でもある。私だけが生き残り、組んでいた仲間は全員ハイウェイマンズギルドによって性奴隷として売却された。
 その彼女が今、私の目の前にいる。
「その眼、どうしたの?」
「お前が売り飛ばされた後、別の冒険者達に助けられた。
 だがお前たちを助けられなかったことを恥じて、自分で潰した。それだけだ」
「馬鹿ね。そんな無茶して」
「それより、こんな所で修道女をしているとは驚いた」
「ええ、そうでしょ。私も驚きよ」
 カリストは微笑しながら私を見ている。その表情はとてもあのような酷い体験を受けた過去を感じられない。
「あの後、さる所に売り飛ばされて奴隷生活してたんだけど、あなたの噂を聞いて脱走してきちゃったわ」
「私の?」
「そうよ。見事王女を救出し、ワイズマン事件を終結に導いた救国の英雄レイラ=シュヴァイツァーの話をね」
「そんな大仰なことはやっていない」
「でもあなた、クルルミクの人達の間じゃもう英雄扱いよ。さっきの子供達の顔を見なかった?」
「まいったな……」
「あら、今や天下の近衛騎士様はあまり市井と話す機会がないのかしら。そんなに照れちゃって」
 どうやら私は知らずの内に顔を紅潮させていたようだ。自分でも気づかない反応に、私は隠すようにカリストから眼を逸らす。
「この数年は本当に忙しかったんだ。あまり暇はなかったさ」
「本当にレイラはすごいわよ。あんなことがあってもレイラは剣を離さなかった。
 そして見事やりきったんだもの。誰が見ても英雄よ」
 ――違う。それは断じて違う。
 カリスト、私は――
「……そんなことは、ない。私は、そんな綺麗なものじゃないんだ」
 私の雰囲気の違いを感じたカリストは、それを見て口が止まる。
 そして流れる沈黙の時。それが心地もあり、胸がチクチクする苦痛も伴っていた。
「で、その忙しい近衛騎士様がこんな所に何の用かしら」
 沈黙を破ったのはカリストだった。
「見た所、私に会いにきたってわけじゃなさそうね」
 今ならわかる。カリストがここにいるということをおそらくラシャは知っていたのだろう。
 そして私に向かわせた。「行けばわかる」と言って送り出した。
 ワイズマン事件を調べているシスター。それは十中八九――
「レイラが会いにきたのは、ワイズマン事件を嗅ぎまわっているシスターかしら?」

「あなたが来るということは、私の間諜もあながち間違いじゃなかったってことね」
「よく数年で調べたものだ」
「それはそうよ。多くの冒険者達が犠牲になった事件ですもの。私も含めてだけど、真実を暴かなきゃ皆が浮かばれないと思ったから必死だったわ」
「どうだ? 真実を知った感想は」
「正直、知らない方がよかったって感じ。こんな理由で皆の人生が狂っていったことを考えると思うと……」
 カリストがそう思うのも無理はない。私も真実を知った時、そう感じたからだ。
 だが私はワイズマン事件を引き起こした王女の末路を知っている。その罪にふさわしく、あまりに残酷な断罪を、この目の前でしっかりと見せ付けられた。
 だからなのか。私はそれについてあまり憎しみはない。
「それで近衛騎士レイラは私をどうするつもりなのかしら?」
 その言葉に私は考える。裏の仕事――それは文字通り決して表に出てはならない仕事を指す。
 それを実行することはつまり、口封じ。真実を知る者の消去に過ぎない。
 だが、私は―――
「今日は休暇でここにきた。だから私はただのレイラ=シュヴァイツァーにすぎない」
 現実世界には1秒も満たない思考だったが、私の表情は確固たるものになっていただろう。
「それに一介のシスターの世迷言だ。
 今はハウリ王子の治世になり、国も繁栄を極めている。
 そんなことを言っても耳を貸す輩はもういないだろう」
「アッハハハハハ! そうだね。それもそうだわ」

「邪魔したな。私も忙しい身だ。これで失礼する」
 そう言って私は挨拶も早々に去ろうとする。ここにいる理由はもうない。
 それに元気に暮らしているカリストの姿が見れただけでもよかったとさえ思えている。
「レイラ。一つ聞いていい?」

「あなたは考える限り物凄いことをやりきった。
 あの迷宮で散っていった冒険者達の無念に一矢報いたと言ってもいい」

「だけどなぜあなたはそんなに悲しい目を続けているの?」


 ――違うんだ。カリスト、私は――
「……私は英雄でも何でもない。
 私が再び剣を取った理由はそれに相応しくない汚れたものなんだ」
 ――そうだ私は、もっと薄汚れている――
「カリスト達が性奴隷として売られ、自分の身も奴らに犯された後、私は自分の非力を呪った。
 この眼を潰したのも半分はお前たちへの贖罪のつもりだったが、半分は自分自身の断罪の証だった」
 ――私は相応しくない。そんな光輝くとは無縁の――
「そしてお前たちの無念を晴らすとかという理由で迷宮に挑んだわけじゃない。
 あの憎いハイウェイマンズギルドの連中を壊滅するという復讐の一念で再び剣を取った。
 お前たちや私の運命を狂わせたあのならず者集団を叩き潰すために」
 ――私は闇にまみれている。血にまみれている――
「結果、ギルドボを討ちハイウェイマンズギルドは壊滅した。
 だが私は目的を果たしたはずなのに、私の心には達成感はなく虚しさだけが残った。
 そこで私は自分の憎しみを晴らすために剣を振るっていたに過ぎなかったと悟ったんだ」
 ――私は憎しみに囚われている。罪を背負っている――
「だから私は笑うことはできない。今は何も成していないのだからな。
 何も取り戻さず、何も残さない内は私は……」
 ――私は、私を、許せない――

「フゥ…… 難しく考えすぎよ。レイラ」
 私の独白を黙って聞いていたカリストはそう口を開いた。
 その表情は哀れみすら伺える。
「レイラがそう思っていなくても、あなたが成し遂げたことで多くの人が救われた事実は変わらないわ。
 あなたがどんな理由で迷宮に挑んでいたとしてもね」
「カリスト…… だが私は」
「ストップ! ここからは私に言わせて」

「あなたは何も取り戻していないと言ったけれど、それじゃ私はどうなるのかしら?」
 ――カリスト。本当によく無事で、立ち直った。
「レイラが王女を救わなければ私は自分の足で立ち上がろうと思わなかった。
 ずっと性奴隷のまま人生を諦めていた。レイラが使命をやり遂げたから私は救われたのよ」
 ――私の? いや違うだろう。カリストの力だ。
「あなたが何と言おうとあなたは再び立ち上がった。
 そして剣を取り、あの迷宮に再び挑んだ。並大抵じゃできることじゃないわ。
 私はレイラ=シュヴァイツァーを誇りに思う」
 ――私が? いや違う。私はそんな存在じゃない。

「カリスト……」
「ずっと自分を許せなかったんだね。
 周りはレイラを褒めることしか言ってくれなかった。
 でもあなたが欲しかったのはもっと別のことなんだよ」
 私は不意なことで驚いていた。カリストは私を抱き寄せていた。
 何よりも優しく、包み込むように。
「レイラ。もういいよ。私があなたを許すわ。
 ――今まで、頑張ってくれてありがとう」
 温かい。カリストの腕が? いやそうじゃない。
 彼女の優しさが、感情が伝わってきている。

「カリスト…… 私は、私はぁ……」
「こんな時くらい、泣いてもいいんじゃない?」

『救国の英雄』
 私は褒めて欲しかったんじゃない。
『王女を救った勇者』
 私は称えられなかったんじゃない。
『栄誉ある近衛騎士』
 私は認められなかったんじゃない。

『誰か私を、許してください』
 そうか私は――誰かに許してもらいたかったんだ。
 こんな私を――小さく、非力な私を許してと願っていたんだ。

 心の真実に気づいた時、私は何年も貯めていた悲しみがあふれ出した。
 そして許しの温かみを感じるカリストの腕の中で子供のように泣きじゃくった。


 本当に数年ぶりに泣いたようがする。いやあんなに大声で泣いたのは子供の頃以来ではないか?
 カリストの胸のうちで泣き、私は久しぶりに晴れ晴れとした気持ちになっていた。
 おそらく私はいい顔になっているのだろう。カリストがいい顔で私に微笑んでいる。
「カリストはこれからどうするつもりだ?」
「私はここでシスターを続けるわ。あなたの武運を祈りながらね」
「そうか」
「もちろん、まだ行方がわからないフィーネやリリスを探すわ。何年かけても居所を探して見つけ出してみせる。そして救い出してみせるわ」
「それは私とて同じだ。私も全力を尽くす。そしてその時はこの剣に誓って必ず救い出す」

「そのうちまた来る。ありがとう、カリスト」
「ええ、またね」
「レイラ様!」
 私はカリストに別れを告げ、村を出るつもりだった。だが目の前に立って呼ぶ声に私は足を止める。
「君は……」
 彼女は、盗賊が来た時に先頭に立ち塞がっていた少女だ。それが私を呼び止めている。
「お止めしてすみません。私、レイラ様に申し上げたいことがあって……」
 私にか? もうお礼の言葉は聞き飽きている。私が貰うべきことはもうない。
「いいわよ。言って御覧なさい」
だが黙っている私を尻目にカリストが少女に近づき、頭をなでながらそう言う。
 そして少女は意を決したように勇気を振り絞って口を開いた。
「私……、レイラ様に憧れているんです! 大きくなったらレイラ様のような騎士になりたいんです!」

「私に、憧れている……?」
「ハイ! だから…… 村に寄った時でも構わないんです。
 私に、剣を教えてくれませんか? レイラ様のように強くなりたいんです!」
 本当に驚いた。こんな私を、目指すというのか。
 私は生きてきた人生の中で心が揺り動かされたことなどほとんどない。
 だが今日大きく心が動かされた。さきほどのカリストの言葉だった。
 だが今日、二度もこんな驚きの出来事に出会うとは――
 人生とはわからない。しかし、だから面白いのかもしれない。
「……君の名前は?」
「ハイ、ユフィと言います!」
「ユフィ、私でよければ剣を教えよう。だが一つ約束してくれ」
 少女は真面目に聞いている。私も真剣な眼差しで少女を見つめる。
「私のようになるな。私など超えてもっと強くなれ。
 そして私よりももっと仲間を守れる騎士になれ。
 それが約束できるか?」
「……ハイ、わかりました!」

 いい表情だ。間違いない。この娘は強く成長する。
「……わかった。そんなに頻繁に来るわけではないが、それで構わないならいい」
「ハイ! ありがとうございます! 頑張ります!」
 その表情は無邪気に喜ぶ子供そのものだった。そして隣のカリストも同じように喜んでいる。
「よかったわね、ユフィ。でもレイラに弟子なんて…… フフ、何ならもっと増やす?」
「勘弁してくれ、カリスト。一人で十分だ……」
 確かに一人で十分すぎる。悪くない、そんな感じだ。
 たまに、とは言ったがもしかしたら頻繁に来るようになるのかもな。
 曇りに曇っていた私の心の空は今日、晴れた。そしてそれを照らす月のように二人は私を見つめている。二人とも笑って見送った。
 カリストは最後にこんな言葉で私を見送ってくれた。
「待っているわ、レイラ。あなたが来るのをずっとね」



「レイラ。戻ったか」
「ああ」
「報告を聞こう」
「簡潔に言うなら誤情報(デマ)だった。
 シスターにはそんな気配は見られなかったし、真相を知るものなどいなかった。全く取り越し苦労だ」
「そうか。それは悪かったな。貴公がそう言うなら間違いないだろう。ご苦労だった。王子には私から報告しておく」
「そのお詫びと言って何だが今夜あたりどうだ。いいワインを出す店を知っている」
「それなんだが、今夜は私に奢らせてくれないか?」
「どうした? 約束通り、私が出すぞ」
「いや、それでは悪い。なぜか貴方に奢りたい気持ちなんだ」
「わかったよ。今日は貴公らしくないな。珍しく強引だ」
「フフ、そうなのかもな」
「驚いた。貴公が笑うなんて初めて見るような気がするよ」
「ああ、そうだな」
「久しぶりに酔えそうなんだ。こんなにいい月は久しぶりだ」
 どこまでも広がる満天の星空。その真ん中に位置する月は見る人に等しく月光を恵む。
 だがレイラはその夜はそれが今まで一番暖かく自分を照らしているように感じられた。
 彼女は今夜はいい夜になると予感していた。


 1つの出会い。1つの別れ。1つの終わり。
 それは絶望か。また希望への布石か。さらなる絶望への序章か。
 1つの可能性。1つの未来。彼女の救いは何処有らん。
 FIN