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三月十七日
 ダンジョン生活十日目。
 装備を剥がれ、変装がバレる。#7、リムカパーティに救出される。
 他には特筆すべき事項は無し。いつも通り。

三月十八日
 ダンジョン生活十一日目。
 #7、リムカパーティに連れられ地上へと帰還。
 新たにパーティを組み直し、再びリーダーになる。
 二日の間に演算魔法を改良終了。以降はこの演算魔法ver1.02を試行。





「悪いけれど、もうアンタにはついて行けない」
 彼女はそう云った。
「人間って、そう捨てたものじゃないんだって。最近アタシは思うようになった」
 確かに私は感じていた。彼女の変化を。
 賞金首との出会い。そして敗北。
 完全なる窮地。そこに現れた救世主。
 成る程。改心するには十分の物語だ。
「今までいっぱい酷いことをして来たし、酷いことをされてきた。それでもアタシは、信じてみたくなったんだ」
 全ては予測出来ていた。
 予測さえ出来無いのが凡人。
 予測さえ必要無いのが天才。
 予測して覚悟するのが戦士。
 予測して諦観するのが僧侶。
 予測して分析するのが魔術士。
 ならば、予測して対策を講じるのが賢者だ。
「だから、シャル……いや、背徳の賢者。アンタにはもうついて行けない」
「奇遇だな」
 私は平気で他人を騙す。
 他人だけでは無く、自分も騙す。
 そして世界すらも騙し、為したい事を成す。
 それらは全て、私が私の為に扱う私の魔法だ。
「久しぶりに、本当に久しぶりに───人の善意や優しさ、温かさを感じた。そして、それらを信じてもいいんじゃないかと思えたんだ、私も」
「それって」
 彼女が問う前に私は続ける。
「私はお前以上に酷い事をして来た。酷い事もされて来たが、自分が働いた非道の数の方が圧倒的に多かった。けれど、これからはそれを償って行きたいと思う。出来れば、お前と一緒に」
「……ひとまずは信じるよ」
「有り難う」
 私は、落ち着いた笑みで応えた。
 正確には落ち着いた笑みに見えるような表情───か。



 薄青い水色の髪をショートカットにした、二十歳よりは下ぐらいに見える少女。
 腰には茶色い革製のベルトポーチ。薄藍色の動きやすそうなミニスカート。
 白い襟のついたタンクトップに、腰から膝の裏ぐらいまでを覆う小さな白いマント。
 その下には、得物であろう短剣の存在が見え隠れしている。
「誰か、私とパーティを組まない?」
 座っているテーブルからして彼女はロウフル。善良な人間のようだ。
 恰好から考えるに職業は盗賊、軽戦士、魔法戦士。そんな処だろう。
「アタシにかかれば、どんな罠もチョチョイって感じだよ」
 赤い髪に、既に見慣れた動きやすそうな服装の女───オナーが、そこへ自分を売り込みに行く。
 どれ、私も向かうとするか。
「初めまして善良なる少女よ。悪く無ければ、迷宮の邪悪なる賢人までの旅路を供させて貰えないだろうか」
 少女は私とオナーの方を値踏みするかのように見た。
 そこに魔術士の杖にローブと云った、如何にも魔術士然とした恰好の女が現れる。
「別に一緒に行くくらいなら、考えてあげなくもないけど?」
 その言葉からプライドの高さが伺える。
 透き通った肌や、洗練された立ち振る舞い。良家のお嬢様と云った処か。
 普通ローブの様な緩めの恰好は体型が或る程度隠されるものだが、彼女はローブの上からでも解る程豊満な躰をしていた。
「うん、それじゃあ私達四人でパーティを組もうか」
 水色の髪の少女は、そう云うと悪戯っぽく笑った。
「私はユミル、こう見えてもれっきとした僧侶なの」
 人は見かけに依らないと云うが、人の判断は大抵見かけだけで為される。
 自分でこう見えても、と断りを入れるだけあって確かに僧侶には見えなかった。
「アタシはオナー、盗賊」
 その腕の程は十分過ぎる程知っている。
「シャノアール、賢者だ」
 自ら進んで悪印象を与える程謙虚でも愚かでも無い。
 それだけを伝え、魔術士風の恰好をした女の方に視線を送る。
「ミレイラ、魔術師よ」
 僧侶・盗賊・賢者・魔術士か。
 随分と柔らかく、魔法に頼ったパーティ構成だ。
 お世辞にもバランスが良いとは云えない。
 また、誰かを売って生き延びるハメになるかも知れないな。
 ぼんやりとそんな事を考える。
「みんな、よろしくね。それじゃあ、早速だけどリーダーを決めよっか」
 ユミルは、そう云って考え込む仕草をする。
 自分より優れた者が居るなら他人に運命を委ねるのも悪く無い。
 だが、居ないのであれば自分で道を切り拓かない者は愚かである。
「私が務めてもいいけど?」
 ミレイラがそう提案する。
「私は、シャノアールさんがやるのがいいと思うけど」
「ユミル、貴方なら私の腕を知ってるでしょう?」
 そう云えば二人は知り合いだったか。
 #24、リラパーティに二人の名前が記されていたのを思い出す。
「だからこそ、シャノアールさんの方がいいと思うんだけど」
「……どういう意味よ」
 ミレイラが、憮然とした態度でユミルを睨む。
「まあ……アタシも、シャノアールがリーダーでいいと思うわ」
 逡巡の末、オナーがそう結論する。
 取り敢えずは、まだ信じて貰えてると云う事だろう。
 随分とお人好しになったものだな。
「我未だ成らず。けれど最善は尽くすさ」
 こうして私は、リーダーの地位を手に入れた。
 何だかミレイラに、物凄く睨まれているが。
 嫉妬されるのは慣れているし、悪く無い。
 それに私はその「今に越えてやる」───と云う意志を湛えた瞳は好きなんだ。
 瞳と云えば、あのフェリルと云う娘……とても良い眼をしていたな。
 同じパーティに潜り込みたかったが、縁が無かったのでは仕方無いか。




 三月十九日
  ダンジョン生活十二日目。
  階段を降りて二階へ。
  モンスターに遭遇する。ならず者を一人焼き殺す。
  他には特筆すべき事項は無し。いつも通り。





 弱くては生きられない。
 残酷では生きる資格が無い。
 だから強く、優しくなれと云う事か。
 人間なんて、暗闇を落ちて行く卵のようなモノだ。
 孵化して羽撃く事が出来るのは一握り中の一握り。
 大抵はそのまま地面に落ちて割れるだけだ。
 どうせ私達は鳥になんて成れない。
 なら、固茹でに成れ。地面に落ちても割れる事が無い、固茹での卵に。
「愚かな」
 また一つ、落ちて行く卵を地面に叩きつけながら考える。
 そう、誰にだって人生は在る。
 人間ならば、強く優しく生きて行きたいモノだろう。
 だが私は残酷で良い。資格なんて、与えられなくて構わない。
 何故なら、平気で人生を踏みにじれるのも一つの強さだからだ。
 そして私は、そんな強さが無ければ生き残れなかったと云うだけの話。
「全く、最低だよね。ハイウェイマンズギルドの奴等」
 既に六つ程卵を叩き割った少女、ユミルが返り血を拭いながら吐き捨てる様に云う。
「一人では何も出来ない癖に、弱ったところを平気で集団で襲いかかる」
 自分で躰を張ってるだけ、まだマシだと思うけれど。
「そうだな」
 本当に汚いのは、自らの手を汚そうとしなかったり……汚す事を正当化する善人達だ。
 そう思っても当然口には出さず、同意する。
 ただ、今回の連中はどうしようも無く愚かだったと云うだけで。
「私の仲間の男達とは比べものにならないわ」
「それは、比べること自体が侮辱だと思う」
 卵を一つ割り終わったミレイラが、髪の乱れを直しながら呟く。
「正々堂々と戦えるほど強かったら、きっとギルドになんて入ってないと思いますけど」
 卵を十個ばかり割ったそのダガーを、ならず者の着ていた服で拭いながらオナーは云った。
 事実、その通りだろう。
 地位や能力、運に恵まれない人間は、誇りや優しさを捨てる事でしか生きていけない事が在るのだ。
「結果がこれじゃ、世話ないわね」
 ごろごろと転がる、一と半ダースの割れた卵を一瞥し、ミレイラは云った。
 これと云って取るべきモノも、憶えておかなければならない事も無さそうだ。
 私は歩き始めながら、一つの小話を持ち出す。
「家が火事になった男の話を知っているか?」
「なにそれ」
 ユミルは興味深そうに聞いて来る。
 ミレイラは、恐らく「知らない」と云うのに抵抗が在るのか黙ったまま。
 オナーは周りを警戒していた。いつも通りだ。
「昔、二階建ての家が火事になった。その家の二階に居た男は、窓から下を見下ろすと、そこには茨の茂みが在った」
 多分、今回は茨の代わりに鉄槍でも設置して在ったのだろう。
「……それで?」
「男は考えた末に窓から飛び降り、茨の茂みの中に落ちた」
「うわ、痛そう」
「当然、男は傷だらけの重体になって医者の元へと担架で運ばれた。全身に酷い怪我を負っている男に対し、医者は訊ねた。どうしてこんな事をしたんだ? と」
 或る程度の地図は都合して貰ったので、このエリアでは特に記すべき事も無い。
 他愛の無い話に耽れる程度には暇だった。
「それで、男はなんて答えたの?」
「男は───無惨に砕けて行った、あの卵達と同じ事を云ったのさ」
 ユミルが解らない、と云った表情を作る。
 しかし、私はそれ以上語る積もりは無かった。
「賢者の謎掛けだ。暇な時にでも、答えを考えて時間を潰すと良い」
「えー? 気になるなあ」
 そして私達は、休息を摂る事にした。
 ユミルの扱った回復魔法はなかなかどうして達者なモノで、この分だとその内追い抜かされそうだな───そう判断した。頼もしい事だ。
 因みに、男は「その時はそれが一番いいと思ったんだ」───そう答えた。きっとあの無惨な死体達も、それが一番だと思って行動したのだろう。その時は。
 結果が結果なので、後悔する時間も成長する時間も与えられなかっただけであり。




 三月二十日
  ダンジョン生活十三日目。
  流れの鍛治屋に遭遇する。ユミルは武器を鍛えて貰った。
  三階への階段を見つけたが、再び聖霊に邪魔されたので蹴散らして進む。
  ロウフルパスポートとCコインを手に入れた。
  モンスターに遭遇する。ならず者を十人焼き払う。
  他には特筆すべき事項は無し。いつも通り。





「正義とは何だと思う?」
 私達は、二階に在る下り階段へと向かって居た。
 そこに居るモノは何だか解っているし、私達はパスポートも持って無い。
 安易に想像出来る展開を思い、私は質問した。
「神の名の下に行われる行為、になるのかな? 正直よく分からないや」
 ユミルはそう答えた。僧侶らしいと云えば僧侶らしい意見だ。
「結局そんなのは建前で、勝った方が正義ではないかしら」
 ミレイラの答えは、善でも悪でも無い魔術士らしい、素晴らしいモノだった。
 数多の文化に触れる機会が在れば、国や民族、人によって信ずる正義が異なるのは当たり前の事実だと認識出来る。
 少なくとも、その神を信じない者は地獄に落ちると云う宗教は二つ以上在る。
 その神は二柱とも他の神を崇める者は地獄に落ちるとも云っていた。
 つまり、人間は須く地獄に落ちるしか無いと云う事になってしまう。
 自分の信ずるモノ以外を、否定しないのであれば───だが。
「一応僧侶としては否定したいところだけど」
 ユミルはそう云って苦笑した。
「多分、正義ってのは自己犠牲じゃないかな」
 ふと、オナーが口を開く。
「誰かのために、おのれの利を捨てても行動することが正義だと思う」
 私達は助けられた。助けられ、地上まで連れて行って貰えた。
 私達は助けなかった。ならず者を殺しただけで、地上までは連れて行かなかった。
 自己の利を最優先するのがカオティックで在り、誰かの為に動けるのがロウフル。
 成る程、納得出来る話だ。
 そしてそれは、彼女の心からの本音であろう。
 本当に、お人好しになったものだね。
「うん、確かにそうかも」
 ユミルは感心したようにこくこくと頷く。
 対してミレイラは、イマイチ納得出来ていない様子だ。
「オナーの云った事が本当の正義だろうな」
 三対一となり、ミレイラはこちらを睨んで来る。
 私なら賛同してくれると思ったのか。
 だが、それは過ちだ。私はどちらの味方も今はしない。
「ただ、世間に蔓延る正義の名を冠したモノは、大抵がミレイラの云う正義だ。悲しい事にな」
 お前は別に間違ってない。そう云った意味を込め、ミレイラに笑いかける。
「それは何だか、救われない話ね……」
 呟くユミル。
「だから戦争や諍いは無くならないし、終わらない。それが人の世の理だろう」
 けれど。
「それでも、正義に救われる人間は数多く存在する。きっとこの世の半分は、善意で構成されてるさ」
 ユミルを慰める様に、私は穏やかに見える───そう、見えるだけの笑顔を向けた。
 世界は悪意で出来ている。
 この世界は間違い無く悪意で構築されている。
 それが黒猫の結論だ。
ChatNoir───シャノアールとしての、覆らない結論。
「さて、と」
 階段が見えて来た。私は肩の力を抜き、戦いの準備を行う。
「例え世界の半分が善意で出来ていても、そればかりが都合良く集まるとは限らない」
 そう云って、私はミレイラの方を見た。
 彼女も知っているだろう。此処を通過する条件は───メンバー全員がロウフルで在る事。
 ニュートラルが居ては、力尽くでしか通過条件が成り立たないのだ。
「……悪かったわね」
 彼女は憮然とした様子で杖を構えた。
「別に、気にする事では無いさ。少なくとも我々の目的は一緒なのだから」
 これは本心からの言葉。
 だって私は感謝しているんだ。
 君が此処に居なければ、私が邪悪なる者だとバレてしまったかも知れないだろう?
「我は善を司る聖霊。龍神の試練を受けし者よ、汝は真に善なる者か? 真に善なる国作りを行える、と確約できるか?」
 敵は全部殺せ。それで一時の安息を得られる。けれど味方も敵に成る事が在る。
 ならばそう云う時は先手を打って殺せ。しかし敵はそう簡単には無くならない。
 だから怯えながら暮らせ。されどそれを繰り返せ。それが幸せを掴むと云う事だ。

「出来ません」



 こうして私は、私にとっての難所を一つやり過ごした。
 変装している時より、素を晒している時。
 誰かに真実を理解して欲しいと願う時より、嘘を吐く時の方が活き活きとしているな。
 水道管から漏れ出た水面に映った顔を見て、そんな事を思った。
「これ」
「Cコインだな」
 オナーに渡された硬化を、一目見て断言する。
 以前同じ物を鑑定した事が在ると云う、それだけの理由だ。
「私とミレイラ、あの聖霊と戦うの二回目なんだけどさ」
 私とオナーも二回目だな。
「どうしてあの聖霊は、ずっとあそこに居続けるのかな。そして同じ問いを繰り返し、冒険者と戦い続けるのかな」
 ユミルが、不思議そうに訊ねて来る。
「それは多分、赤いサソリと一緒だ」
 寓話を思い出しながら、私は答えた。
「赤いサソリ?」
「昔々、或る処に赤いサソリと緑色のカエルが居ました。サソリは川の向こう岸に渡りたかったのですが、泳ぐ事が出来ません」
「……なるほど、ね」
 ミレイラはこの寓話を知っているらしく、一人頷く。気にせず私は続けた。
「サソリはカエルにこう云いました。俺を背中に乗せて、向こう岸まで連れてってくれないか?」
「うん。それで?」
「カエルは云いました。お前、泳いでる最中に僕を刺し殺す積もりだろう」
 さて、そろそろ休憩を摂るべきか。
「サソリは嗤って答えます。そんな事する訳無いだろう、お前が死んだら俺も溺れ死ぬんだぞ」
「まあ、泳げないんだからそうだよね」
「サソリの話に納得したカエルは、サソリを乗せて川を渡ります。しかし、サソリは川の真ん中辺りでカエルの背中を刺しました」
 ユミルが、驚いたような顔でこちらを見つめて来る。
「カエルは沈みながら、サソリに問います。どうしてこんな事をした。僕が死ねば、君も溺れ死ぬんじゃないのか。それに対し、サソリはこう答えました」
 そこで暫く間を開けてみる。
 沈黙に耐えかねたように、ユミルは続きを促して来た。
「賢者の謎掛けだ。どうしても答えが気になったら、ミレイラに聞いてみるといい。彼女は答えを知っているようだぞ」
「それがあの聖霊の理由だと言われると、今一つ納得したくない部分はあるけれどね」
「……? うー」
 赤いサソリはこう云いました。それが、本能だからさ。
 あの聖霊も、ただ本能に従っただけだろう。誰が植え付けた本能かも考えずに、ね。




 三月二十一日
  ダンジョン生活十四日目。
  階段を降りて四階へ。
  モンスターに遭遇する。ならず者を十四人焼き払う。
  破れた地図を手に入れた。
  四階までの探索が終了したので、一度帰還する事にする。
  他には特筆すべき事項は無し。いつも通り。





 モンスターを殺し。
 ならず者を殺し。
 冒険者が息絶え。
 一体此処で、どれだけの命が失われた事だろうか。
 呪術の一つに、蠱毒と云う手法が在る。
 大きな壺の中に数多の虫や動物を入れ、共食いさせる。
 それはさながら、地獄の縮図。
 壺の中での争いの果て、最後の一匹が現れれば完成。
 それは既に元の虫や動物では無く、強力な呪いそのものと成るのだ。
 時々私は、この龍神の迷宮が壺では無いかと思える時が在る。
 例え生きて出られても、大抵の者がこの迷宮へと帰って来る。
 そして血を流し、涙を流し、心半ばで果てて行く。
 此処は災禍の中心だ。
 ただでさえ、古戦場や断頭台の下にはマンドラゴラが生えると云うのに。
 此処は下手な戦場や処刑場よりも多くの血が流されている。
 この迷宮が、今や大きな壺で在るとするなら───その最奧で待ち受ける者は、既に人間では無いかも知れない。
 いや、確実に人間では無いだろう。
 人で在りながら、人を越えたモノに違いない。
 だからこそ、それは───
私が服従し、隷属するに相応しい存在だろう。
「ねぇねぇ、何でみんなは龍神の迷宮に挑もうって思ったの?」
 ユミルが突然、そんな事を訊ねて来た。
「私はやっぱり、報奨金目当てになるのかな。当然それが、世の中の役に立つことだからってのもあるんだけど」
「私は……」
 ミレイラが、少し躊躇うようにして話し出す。
「私はきっと、負けたくないから……かな」
「何だかミレイラらしい理由だね」
「……どういう意味よ」
 ユミルは悪戯っぽく笑うだけで、それに答えない。
「アタシは生き残るため、だった」
「過去形だな」
 私がそう云うと、オナーは頷く。
「そう、けれど今は多分違う」
「……どんな風に?」
 興味が在ったので、深く訊ねる。
「より善く生き残るため、だと思う」
「オナーらしくて安心したよ」
「どういう意味だかは聞かないでおくよ。けれど、そういうアンタはどうなの?」
 さて、困ったな。どう答えるべきか。
 いや、答えなど決まっていた。
 これは譲りたく無い、私自身の意志だ。
 誰に強制された訳でも無く、私自身が選んだ道。
「赤い洗面器の男」
「……? なにそれ」
 ユミルが訊ねて来る。
「或る日の午後、道を歩いていたら向こうから水のたっぷり入った赤い洗面器を頭に乗せた男が歩いて来た」
 ふと、百日草を供えた男の物語を思い出す。そう云えばアレも、こう云う事だったか。
「男はゆっくりと、その水を零さないようにして歩いていた。私はその様子が気になり、彼に質問してみた。どうして貴方は、赤い洗面器なんか頭に乗せて歩いているのですか? とね。彼は私にこう云った。君には───」
 その時、私達の前に装備の山が現れた。それなりに上質で在るが、今の私達には不要の代物だ。
 だが、その近くに紙切れが落ちていた。
「これ……」
 何だろう、とオナーが続ける前に私は遮って云う。
「地図だな。破れた魔法の地図、だ。それが在るだけで、探索が大分進む」
「レアアイテム、みたいだね」
 今持ってる地図と合わせれば、四階に在る下り階段の位置も解る。
「取り敢えず、もうこの階で探索する意味は無さそうだ。一度帰るとしよう」
 こうして私達は、迷宮の出口を目指す事にした。
「で、その男は何て言ったの?」
「ん、ああ……そうだな。折角だし、これも賢者の謎掛けと云う事にしようか」
「えー。またそれ?」
 不満そうなユミルに、私は意味深な微笑みを返した。
 男はこう云った。君には明かせん、と。赤い洗面器だから、赤洗。 
 真実は述べられず、かと云って嘘も吐きたくない時はそう答えるしか無いだろう?



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