ハルヒには二つの誇りがあった。 ハルヒの肩には魔法武具「魔鏡鎧」から割れて離れた肩当てが乗っている。 光を喰らうかのように黒く、鈍く輝く様は上等の逸石を連想させる。 鎧としてはもはやただの鉄の鎧と同等と化した肩当てではあったが、ハルヒにとってこれは誇りであった。 ハルヒの手には一本の剣が握られている。 柄の拵えは銀。鞘には高度な文様が刻まれ所持者の格を高め、刃は色もなく輝き、まごうことなく名工の逸品であった。 ハルヒがクルルミクを訪れてすぐさまその報せは彼女の母国にまで飛んだが、父である王は「捨て置いてほしい」と返し、 いつまでも帰ろうとしないハルヒにやむなくクルルミクは冒険者として対応する事となった。 およそ新参の冒険者に与えられるにして過ぎた最高級の武器。それが護身用にと用意されたハルヒの武器である。 ハルヒは一目でこの剣を気に入り、この剣もまたハルヒの誇りとなった。 ハルヒは絵本に出てくる勇者と同じように。上等の剣と鎧に身を包むと不思議と臆病の風がどこかに消えていくように感じた。 こうして、まだ知らぬ迷宮での冒険が希望に満ちた楽しい旅になると盲信にも似た確信を抱く。 ハルヒは未だ真の勇者を知らない。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 話は少し戻って、竜神の迷宮。 地上では既に陽も落ち、人々がその一日を終えようとしているが龍神の迷宮に夜はない。 先頭からディアーナ、リムネシア、ラピス、ハルヒの4人が迷宮を無言で歩いていく。 洞窟の奥からは風が吹き、先頭のディアーナの髪がふわふわとなびいている。 その髪がかからぬ程度の間でリムネシアが忙しなく深緑色の美しい髪を振りながら横を警戒しながら歩くと、 ラピスはヒールの音も立てず、上品な歩き方で静かにその後をついていく。 さらにその後ろのハルヒ。は、なぜか口をへの字に曲げて膨れ面。不服そうにラピスの後ろをついて歩いていた。 ハルヒは大、中、小の不満を抱える。まずは小。 先ほどから漂ってくるこの迷宮の臭い。嗅いだ事のない、何か嫌悪感を抱かせる不愉快な臭いが辺りを覆っている。 これについて同PTのメンバーに無邪気に聞いてみたが芳しい答えは返ってこない。 何か言い含むところがある、あえて明言する事を避けているような。そんな返事であった。 ハルヒはこの対応に自分だけが仲間はずれにされたような苛立ちを覚えた。 そして中。それが今現在の組んでいる隊列である。 このクルルミクでは冒険者達に伝わる定石といえる隊列がある。 有り体に言ってしまえば竜騎士や重戦士など装甲が厚い者は前に。魔術師や賢者など装甲が無く戦闘の苦手な者は後ろへ。 こう言ってしまうと当たり前の話だが、これはそれぞれの職業事に順番が既に決まっており、 信頼で結ばれたバーティーでは常にこの鉄則は守られ続けてきた。 そして、このパーティーにはその守られるべき後者が存在しない。 ディアーナは竜戦士であったし、リムネシアは重戦士。 おかげでラピスとハルヒは共に魔法戦士でありながらも思いがけず後列につく事になる。 両者は同じ職業でどちらが先についても良かったのだが、 ここでは剣の腕に覚えがあった才媛のラピスが前につき、ハルヒは最後列という形に落ち着いた。 定石に沿えば極めて当たり前の話であるが。これがハルヒの不満の原因となった。 最初はこの決定に逆らわず鼻歌を歌いながら探索を続けていたのだが、 扱いは守られるお姫様から何も変わっていない事に気付くと徐々に心にモヤがかかりだす。 剣と魔法。二つを兼ね備えた勇者になるべく魔法戦士になったというのに最後列で守られたまま。 当初思い描いていた冒険との違いに不平不満を持ち、最初は腹に溜めていたが次第にその不満は顔にも浮かび出だした。 ハルヒは凝った体をほぐすように、ぐっと腕を伸ばし、 誰に言うでもなくポツリと,「つまんない」と小さく独り言をつぶやいた。 こうなってしまうと頑として言う事を聞かなくなるのがハルヒの悪いところである。 魔物が来れば我先にと飛び出し、待っているのはディアーナのお説教。 「……そもそも、あなたはこの迷宮で隊列を崩すという事がどれほど危険な事か…」 床に正座させられ、こんこんと言葉が続くもハルヒの耳は素通りしていくのみ。 ハルヒは顔をしかめてディアーナを見上げた。これが大の不満。 当初は憧れであった勇者……竜騎士とPTが組める事に狂喜したハルヒであったが、 自らの奔放な行動に逐一小言を垂れるディアーナは次第に疎ましい存在であるように思えてきた。 (……勇者様は誰にでも優しいはずなのに……なんでこの人はこんなに……) 絶えず説教が出続けるディアーナの唇を見ながらハルヒを小さなため息をつく。 横に置いた剣を見ると、剣はハルヒの視線に答えるように灯火の灯りを写して妖しく揺らいだ。 (…これさえあれば。勇者と同じように剣と鎧があれば、このPTの誰よりも活躍できる。) そして、そこそこに説教を切り上げ冒険を再開した時、当たり前のように事件は起きた。 この迷宮には魔物と闘い弱ったところを狙ってくる、ハイウェイマンズギルドという連中がいる。 個々の戦闘力は大した事はないが数で攻めてくる、冒険者にとっては厄介な相手である。 いつもなら魔物のときと同じく、隊列を組んで混戦にならぬように順番に撃破していくのだがその日は違った。 「あたしに任せて!」 そう叫ぶとハルヒは懲りる事無く、再び前列に飛び出し、隊列を乱した。 制止するディアーナの声が聞こえぬように、かまわずハルヒはそのまま敵に突っ込んでいく。 ハルヒの身勝手な行動に思わず、腕に持つ身の丈ほどの長さの槍にも苛立ちが写る。 隊列を整えれば味方は全てディアーナの後ろに位置し、前に群がる人の固まりは全て敵となる。 遠慮なく一突きに数人を屠り、そのまま薙いでならずもの達をかき混ぜるように固まりを粉砕していく。 運良く槍先から逃れた者はリムネシアが大剣で一刀両断にし、 その余りをラピスとハルヒで仕上げとばかりに仕留めていくのが通例であった。 だが今回はその固まりの中に1人、ハルヒが混じる。 いつもは遠慮なく突き刺すはずのディアーナの槍がわずかに鈍った。 その隙をギルドは見逃さない。一呼吸に雪崩れ込んで均整の取れた隊列を乱しにかかる。 気がつけば分断され、周囲は敵しか見えぬ状態に。 声を荒げてディアーナが仲間の名を叫ぶと男達の声に混じってリムネシアとラピスの声が返って来るがハルヒの声はない。 槍はさらに荒く、焦りの色を浮かべて敵を蹴散らしていく。 ディアーナの額から一雫、汗が滴ると、ギルドの連中はまるで引き波の様に再び迷宮の闇に帰っていった。 周囲を見回すとリムネシアとラピス。互いの安全を確認して一瞬表情が崩れる。 が、そこにハルヒの姿がない事に気付くと再びその表情は曇る。 身勝手なハルヒへの苛立ちか、自らの不甲斐なさへの苛立ちか、短く、ディアーナの口から歯ぎしりが鳴った。 「……やむを得ません。一時態勢を建て直す為に帰還します」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 一方、ハルヒ。 勢いよくギルドの前に飛び出すまでは良かったが、いざ囲まれるとあっけなくその未熟さを露呈し、 特に見せ場もないまま軽々と捕縛され、全身を縄で頑丈に拘束されてしまった。 まるで御輿を運ぶかのように同階の監禁玄室へとまっしぐら。にも関わらずにこやかに笑みを浮かべる。 その様子を気味悪そうに、たまらずならずものの1人が問いかける。 「……なぁ、お姫さんよ。あんた捕まってんだぜ? 理解してんのかい?」 「えへへ〜。あたし知ってるよ。捕まってもカッコイイ勇者様が助けにきてくれるんだよね。」 「……」 さすがにならず者も開いた口が塞がらないようで「もういい」と早々に会話を打ち切り、黙々とハルヒを運ぶ。 クルルミクは竜騎士の国。つまり勇者の国である。勇者は悪人に捕縛された、かよわい少女を見過ごすはずがない。 先ほどまでの勇者志望とは打って変わって、ハルヒの心にはもはや勇者との出会いしか頭にない。嫌が応にも顔が弛む。 と、ふいにならず者達の歩みが止まった。 ハルヒが視線をその先に移すと格子のついた鉄の扉が目に入った。 (うわぁ…雰囲気あるな〜) 感心するハルヒをよそにならず者は手慣れた手つきで扉の鍵を鍵穴に差し込み、ギィと重苦しい音を立てて扉が開く。 中は地の底深い迷宮の通路よりさらに暗く、わずかなロウソクの灯火に壁の位置が分かる程度の明るさしかない。 なによりハルヒを驚かせたのはその臭い。男の精と淫水に焼けた床、壁に散る血しぶき、排泄物。全てが混ざった臭いが鼻を突く。 「あっ」と短く声が出た。迷宮に漂う臭い。それをさらに濃くした、臭いの元。 それがこの部屋である事にハルヒはようやく気が付いた。故に仲間達はあえて明言を避けた。 ならずもの達は一旦縄をほどき、ハルヒを無造作に床に放り投げる。 床はにちゃりと音を立てるほど粘着質で、思わず肌にも鳥肌が全身に走った。 改めて部屋を見渡すと見えぬ闇の中に数十人の男達が自分を凝視している事に気付く。 荒い息づかいで時折聞こえる下卑た笑い声が部屋の中を反響している。 ようやく、ハルヒの心に恐れが芽生えた。 ……ひょっとしたら。助けは来ないのではないか。 ハルヒを必死に首を振り自分の考えを否定する。 「勇者様が困ってる人を見捨てる訳ないもの」と無理に笑顔でその恐怖を取り繕う。 さらに、剣は取り上げられたがまだ肩にはあの肩当てが乗っている。ハルヒはぎゅっと肩当てを握りしめる。 ふいに,目の前に男が立っていた。 身構える間もなく男はハルヒの肩に手を載せる。 嫌な予感がよぎった。だがハルヒは気付かないフリをして微笑み返す。 「…な、なに?」 「はい、お姫さん。脱ぎ脱ぎしような。」 「え……あ……ごめん。服を脱ぐのはちょっと……え!? いや……!」 抵抗する間もなく、ハルヒの服は男の手で音を立てて破かれた。 乳房が覗き、懸命に両腕で隠そうとすると、男は事務的に服と共に周囲に散らばった鎧を回収する。 「…あ、それは。」 「もうお前には必要ないもんだなや。」 「返して! それがないと勇者になれないよ!」 「……これからはそんなもん目指さんでええやろ。肉便器になるんじゃから。」 男はそう言い残すとさっさと闇の中へ消えていった。 必死に追いすがろうとするが自らの裸体へ注がれる男達の視線に気付き、身動きが取れない。 「…あれが、ない…と」 ハルヒの目から大粒の涙が落ちた。 声を荒げて泣けば周囲の人間を刺激する。そう考える思考は残しながら、消え入るような声で泣いた。 「……なんで勇者様,助けに来てくれないの……」 勇者様は困った人をみんな助けてくれる。弱い人を見捨てはしない。良い事をしてる人は勇者様が助けてくれる。 ブツブツと。気でも狂ったのかと周囲のならず者が怪訝な顔を浮かべるほど、念仏でも唱えるようにそう言い続けた。 その念仏がいつまでも続くかに思われたその時、ふいに涙も止めてハルヒは再び黙りこくった。 (……あたし、良い子じゃなかった。) ここに来るまでの事を思い返す。 朝食のお肉を残した。ラピスさんの櫛を勝手に使った。リムネシアさんの武器が面白かったから勝手に触って振り回した。 ディアーナさんのいう事を聞かずに隊列を乱し、結果ここに捕まってしまった。 (……そう、か……あたしが良い子じゃなかったから……ディアーナさんは…) 今頃になって後悔が襲う。なんであの人のいう事を聞けなかったんだろう。 勇者様である竜騎士様。なのになんで……。 「…誰も、あたしを助けてくれない…」 ポツリとこぼれた言葉。それが体を恐怖に染め上げていく。 体が小刻みに震え、目からは再び涙がこぼれる。乳房を隠した両手は知らぬ間に眼前に組んで祈るような形を取った。 (……ごめんなさい。もうお肉残しません。櫛を勝手に使ったりしません。武器も勝手に触りません。だから……だからっ!) 「へへへ、おい。あのハルヒを捕らえたって?」 ハルヒが祈っている間に、部屋の中は数十人のならず者でひしめいていた。 ただでさえギルドの人間を斬りまくったハルヒである。王族の娘を犯せるとあればなおさら人は集まる。 次々と人の気配が増えていく闇。「そろそろ頃合いか」と誰かの声が響いたその時、 監禁玄室の扉が静かに開いた。 差し込む光が闇の中では眩しく、ハルヒは涙で赤くなった目を薄く開けて扉の先を見る。 逆光でよく姿が見えない。うっすらと見えるのは鎧に身を纏う女の姿。 その姿は、まるで絵本で伝え聞く勇者の姿によく似ていた。