「苛烈なる炎よ、我が命に従いて……我が敵を撃て!」

 濃密な魔力が集い、呪文によって形をなす奇跡。その名を魔術という。
 奇跡といっても体系化された技術であり、その使い手は数多く、使い手達は魔術師と呼ばれる。

「え、え? えぇぇぇぇ!?」

 魔力が膨れ上がり、なんだかとっても不味い気配が満ちる。
 少女の驚きの声と共に魔力はその制御を離れて暴走して無作為に破壊を撒き散らす。

 少女の名をメアといった。あと1〜2年後には『暁の弟子』と呼ばれる事となる見習い魔術師であった。








「まったく、なんで火炎系の呪文で爆裂系になるんですか」

 コツンとメアの頭を叩きながら呆れたように溜息を吐く20代半ば程の壮麗な男性。

「にゅ、にゅぅぅ……そんなのこっちが聞きたいなの、お師匠様ぁ」

 小突くかれた頭を軽く押さえて涙目で男性を見上げる。
 そうお師匠様。この男性こそが魔術に関わるものなら一度はその名を聞くだろう大賢者『暁の大導師』である。
 見た目こそは若いが軽く100歳は超えるとも噂される程の人物であり、その実力は伝説の域に足を踏み入れているとも言われてる。
 ちなみに『暁の大導師』という名は有名だが本名はまったく知られていない。唯一の弟子であるメアでさえ本名を知らないぐらいなのだ。

 そんな凄い人物とメアが知り合ったのはまったくの偶然といえる。
 片田舎の貧村に生まれ育ったメアの生活は苦しかった。朝から晩まで幼い女の子でありながら畑仕事や山菜・薬草取りをさせられて、そのうえご飯は満足に食べれない。正直、メアがその状態で生き残ったのは運がよかったといえる。事実、メアと同世代の子供は過労と栄養失調で死んでいたのだから。
 それでもメアは両親の事が好きだった。物心ついた時からこの生活を続けていた為にその苦しい生活に疑問はなく、また唯一の心の拠り所は両親であった。
 そんな生活をなんとか続けていたが凶作で村が更に貧しくなるとメアはいの一番に山奥に口減らしの為に捨てられた。
 山奥を一人泣きながらメアは彷徨い、もう駄目だと挫けて倒れていた所をその山の向こうに立ち寄ろうとしていた『暁の大導師』が偶然にも発見して保護したのだ。
 もっとも、当初は『暁の大導師』はメアの事を街に連れて行ってそこで別れるつもりだった。だが、『暁の大導師』はメアに秘められた100年に一人生まれるか生まれないかという魔術の才能に気付き、そのまま弟子として引き取る事とした。
 この辺には『暁の大導師』が今まで後継者に相応しい人物に出会えなかったという事情もあるらしいが詳しくは省略する。


――閑話休題


「魔力は十分過ぎる程にある、魔術を直感で理解する感覚もある……それでなんでこうなるんですか」

 いや、理由は分かっている。つまりは呪文に織り込まれた術式を正しく理解していないのだ。此処での理解は感覚の問題ではなく知識の問題にあたる。
 分かり易くいうと1+1=2という計算式を識らないということだ。それでも1個のリンゴがあるところにもう一個のリンゴを足せばリンゴが2個になるというのは理解している。
 同じ事だろうと人は言うかもしれないが、魔術を使う者にとってこの差は酷く大きい。結果は理解しているのに過程を理解していない、それ故その結果に持っていこうと無理やり過程を作り出すので結果も変わってしまう。
 例を挙げるならば○+△=2という式の空白を無理やり埋めようとして、例えば2+5=7という式を作ってしまうのだ。それによって想定した結果と違うので魔術を制御できずに暴走する。
 ただし、それでメアに才能が無いのかと問われれば否だ。結果を理解する直感は才能に大きく依存する、その才能をメアは誰もが羨むレベルで持っている。惜しむべきは生まれる場所を間違えたところだろう。

 もしもメアが魔術師の家に生まれていれば既に将来大魔術師を約束された天才少女として有名になっていてもおかしくはない、それどころか普通の町民に生まれても切欠さえあれば魔術師として大成できたであろう。しかし、現実にはメアが生まれた場所は大人でさえ文字の読み書きも出来ない者が大半の貧村である。当然、魔術とは無縁の土地であった。
 この決定的な知識の欠落がメアの成長の大きな妨げとなっていた。タダでさえ難解な魔導書を漸く看板などに書かれた簡単な単語を読めるようになったメアに理解しろというのは酷であろう。
 更にいうとメアの強大な魔力も成長の妨げの理由の一つである。魔力が大きい為にどうしても制御が難しくなり、小さな結果を出すのに苦労して大きな結果を出そうとする。しかしながら大きな結果を出す過程というのは大概複雑でありメアには理解できないという悪循環である。


「う、うにゅぅぅぅぅ」

 しおしおと小さくなって落ち込む少女。
 誕生日という習慣すらなかった…正確には日々の生活に追われて誕生日など気にする余裕すらない程の貧村生まれであったメアの正確な年齢はわからないが10歳になったかならないかという少女と、それを慰める20代半ばの男性の一見奇妙なこの組み合わせは外から見れば親子といえなくもないだろう。それほどまでに二人の姿は自然に見えた。
 尚、後にメアが自分の誕生日を知らないと知った『暁の大導師』が自分がメアを拾った日を誕生日としたのは蛇足である。

「まぁ、勉強しかないですね」

「う、うにゃぁ………」

 いい顔で微笑ながら宣言する師匠にメアは死刑判決を受けた囚人のような顔をする。
 ポンと手書きの簡単な極々初級の魔導書をメアは手渡されて、ガックリと俯き歩き出す。
 ちょっと行った場所で大きめの樹に寄りかかりながらメアが難しい顔をして本を読み出すのを確認してから真剣な顔になってメアが魔術を暴走させた場所を見つめる。

「これは早々になんとかしないと不味いですね」

 そこには半ば焼け野原と化した一角があるだけである。森の一角、極小規模ながらも空き野が出来てしまった。すぐに『暁の大導師』がシールドを張って被害を抑えたので延焼もせずに純粋に暴走した範囲内での被害で済んだが、それでこれとは末恐ろしい威力である。しかも、それを本人が異常と認識していない、無知であるのと共に師が更に非常識な為にその辺の感覚が少々狂っているのである。
 それに単体攻撃術の多い火炎系よりも範囲攻撃がデフォルトの爆裂系のが当然高位の魔術である。決して魔術を習い始めて一年足らず見習いが火炎系の魔術に失敗して発動するようなものではない。おそらくは大きすぎる魔力によって無理やり威力が高められた結果だろうが近いうちに魔力の大半を封印なり何なりしなければならないと決意する。
 今はまだ自身に被害が及んでいないが、何時暴走した魔力によってメアが危険に晒されるかわかったものではない。
 それに魔力の大半を封印すればこのような大げさで非常識な失敗もなくなるだろうから、極初級の魔術ならすぐに使えるようになるだろうとも考える。

「……ふっ、私も変わったものですね」

 くくっと声を押し殺して苦笑する。
 まさか自分が拾った少女の世話して、尚且つその心配をするなど昔では考えられなかっただろう。
 それも悪くないと思うのがまた不思議でもあった。これもメアの才能の一つであろうかとも愚考するが、そうではないだろうと否定する。
 まったく持って不思議で非常識な少女である。

「なんにせよ、将来が楽しみですね」

 ふと見ると既にメアは樹に寄りかかりながら眠りこけている。
 やれやれと思いながらも、口元が緩むのを押さえられずに可愛い我が弟子の下に歩き出す。
 何時の日か、この少女が師を追い越して一人旅立つ時が来るだろう。それ程の才をその小さな身体に秘めているのだから。




 ただ今はまだ、この平穏な日々が続く事を願って――――