インターミッション:リラとクラウディア


 空にはちぢれ雲が絨毯のように広がり、ところどころから晴天が顔を覗かせている。快晴とは言わないが、空を駆けるには十分すぎるぐらいに穏やかな天気だった。いたずらな風も無く、竜もまたこういった日は普段よりも機嫌が良い。
 普段ならばルーラー<龍神>に感謝し、喜び勇んで空を駆ける。それがクラウディアにとって日課のような物でもあった。
 だが先日から自身につきまとう複雑な感情が、クラウディアを地へと縛り付ける結果となっていた。


「気に……いらぬ。どうしてあんな小娘なぞ竜騎士として推薦したのか……」
 その言葉を口にしたのは、何回目だっただろうか?
 自分でもその回数をかぞえるのはとうに億劫になるぐらいに、幾度も繰り返す。決まってその内容は、ルーラーの神託によって新たに竜騎士として一人の少女を迎えた事に対する不満だった。
 聞けば、竜騎士として推薦された彼女は騎士の家系という訳でも無く、街中で有名なパン屋の娘だと聞かされている。それも王侯貴族を相手とするような料理人といった存在ではなく、街中の市民を相手に商売をしているらしい。
 調べれば調べるほど、竜騎士という誇りある自分達と肩を並べて戦うのにふさわしいとは思えない相手だ。
 ルーラーの神託を疑うつもりは無いが、かといって今回の登用に関しては同時に納得がいかない。いくらなんでも、実力的にも立場的にも、とても相応しいとは思えない。
「クラウ隊長。まだそんな事を、おっしゃり続けているのですか?」
 隣を歩くシュリが、そう呼びかけてくる。どうして彼女は今回のそんな神託を受け入れる事が出来るのか、そこが私には理解できない。
「あぁそうだ、何度でも言う。私には未だに納得が出来ない、どうしてパン屋の娘ごときが竜騎士になったのか。竜騎士とはもっと、誇りあるものであろう。それをなんだ、我らのプライドを小麦粉にでもまぶすと言うのか」
 一息にそう言葉を吐き出しながら、改めて新人に対する怒りと悔しさが自身の中に満ちているという事を痛感する。
「クラウ隊長がそうお考えになるのは理解できますが、グラッセンとの戦においてやはり戦力補強は重要です。それに……」
「だったらそんな新人なんぞ、ディアーナの隊に入れればいいだろうに!」
「ですがクラウ隊長、ウチの隊は先日にスキーマを失いました。欠けた彼女の戦力を補う為にも人員の補充は妥当な所だと思うのですが」
 それは間違いなく正論だった。
 グラッセンとの戦いは決して容易な物ではなく、一騎当千を誇る竜騎士とて必ずしも無敗という訳ではない。スキーマは罠にはめられ突出していた事で孤立しかけていた自分達の隊を逃がす為、しんがりを務め竜騎士の誇りに殉じた。
「本当に惜しい人材を失ってしまったな、ウチは」
 スキーマと直接会話をした回数は、そんなに多くは無かった。彼女は無口で淡々と物事をこなし、実戦においても目立った活躍をするようなタイプではない。実力も極端に目立つ訳でもなく、模擬戦闘においても隊の中であまり強くなかった。
 だが、その意思と誇りは強く、他を生かす為に自らを犠牲にするという強い信念は隊の中で一番だったかもしれない。
 もっともその事に気が付いたのは、スキーマを失った時だったのだが。
 彼女の精神的資質に早く気が付いていれば、また違った結果を迎えた乃佳もしれないと思う。しかしそれは今さら望んでもせんなき事でもある。
「理屈ではわかってるんだ、理屈ではな。だが……」
 先日、神託によって竜騎士の一員として迎えた少女。彼女はまだ年齢も若いというのもあるが……。
『リラ・ライラックと申します。親しみを込めてリラちゃん、あるいはリラちーと読んで下さいませ。若輩者ながら、お力になれたらと思います』
 どこか媚びるような女性めいた仕草と、明るく軽い口調。その時にした礼も、格式張った本来のモノではなく、平民同士の間でしか通用しないような平素なモノだった。
 いわゆる、礼儀知らずというにも程があるレベルだ。
「竜騎士とはもっと礼節にのっとり、しかるべき教養と義侠を持ってなるべきモノだ。あのような向上心も正義感もいささか欠けてるようなのでは、困る」
 言うなればどこか軽いのだ、リラは。それが本人の資質と素養による物か、パン屋という育ちがそうさせるのかはわからないが。アレが竜騎士にふさわしいとは、とてもじゃないが思えない。
「可愛いですよ、彼女。それに竜騎士としての実力に関しても申し分ないかと」
「竜騎士はマスコットではない。我が国の誇りであり、象徴なのだ。それをただの偶像崇拝みたいな物に貶める訳にはいかない……っ」
 どこかズレているシュリの言葉に、私はさらに苛立ちを覚える。彼女は確か文官の出だったというあたりが、そう寛容にさせるというのだろうか。
 何故、そういった半端な物を受け入れる事が出来るのかが理解出来ない。
 改めてその認識のズレを痛感しながらも、今はただこの苦い現実を噛みしめる。それが私に出来るすべてだった。
 だからこの時はまだ、リラは私にとって苛立ちの対象でしか無かったのだ。



 隣国との緊張状態が続いているなか、龍騎士の生活はその大半が戦争や戦闘訓練の為に拘束される。それはしごく当然の事であり、現在はその為に龍騎士が存在すると言っても過言では無い。
 だが、朝から晩まで龍騎士の全員が訓練をする訳でも無い。それぞれにプライベートの時間は存在しており、それは新人としてスカウトされたリラにも同様の時間が与えられていた。
 他の騎士達に比べて、龍騎士は特別にその待遇が良い。そもそも龍騎士の半数以上は貴族や聖騎士といった、王国の中でもかなり身分の高い人間が占めている。それであるが故に、龍騎士の宿舎は隊員のそれぞれ一人一人に個室があてがわれていたりする。


「落ち着きません……どうも、こういうのは苦手です」
 クルルミク市街でのパン屋を営んでいる実家との暮らしとは違い、手を伸ばしてもとうてい届きそうにない高さの天井。身体が沈み込むぐらいのベッドと、自分で洗う必要のないシーツ。
 今まで自分を取り巻いていた環境とはまったく違う、文字通り別の世界で生きている人達の暮らし。
 そんな日常では想像もつかなかったような生活に放り込まれた私は、ただ戸惑うしか出来なかった。
 龍騎士としての主な訓練は午前中と午後の二回に分けられており、それ以外の時間は自由に使って良いという事になっている。
 だけど今の私には、そういった自由時間と言われてもピンと来る物が無い。
「もてあましてしまいますよね……」
 ただ、部屋の中にいても何もする事は無い。先日の重戦士をしていた頃は、戦っていない時はパンを焼くとかパンを焼くとかパンを焼くとか。
 時間を持て余すという事が無かったし、とにかくパンを焼いていれば幸せだったりもした。
「そうだ、台所を貸してもらえないか聞いてみる事にしてみます」
 そう口にしながら、名案だと思い両手をポンと叩く。宿舎では食事を作ってくれる人達がいるのだから、当然ながら台所も存在しているはず。
 こういう宿舎で使われている台所だから、もしかしたら自分の家よりもずっと大きな釜とかが使われているのかもしれない。
 想像するだけで、期待に胸が膨らんでしまう。
 軽くそこで腰掛けていたソファを叩くようにして弾みをつけ、私は足取りも軽やかに台所へと向かっていく。
 こうして私が龍騎士として叙勲を受けた最初の戦場は、いつもとは少しばかり様子の違う台所だった。


<つづく……?>