龍神の迷宮六階。“暗黒の迷宮”と呼ばれるエリア。
 私――レイラ・シュヴァイツァーは再びこのフロアへと足を踏み入れていた。光苔や松明などが全く存在しない、一面全てが黒の世界。そこへハルヒとカテリーナが魔力が生み出した光が辺りを照らし、僅かながら視界が確保され、やっと歩けるほどの暗闇の世界。それがこの“暗黒の迷宮”であった。
「罠ですわね」
 どれだけ歩いただろうか。しばらくして賢者であるカテリーナが、光源に照らされた異質な物体を見ながらそう告げた。
 それは見覚えのある罠。忌々しい、忘れたくても忘れられない忌まわしい罠。
「生命体専用テレポーター……だな」
 そうポツリと呟くと、私は彼女らに悟られないように一番後ろでそれをじっと眺めていた。眺めているだけで、色々な記憶が脳裏に甦り、身体が自然と震えていく。
 かつてこの罠によって私とカリスト、リリス、フィーネの四人は全員裸にされたところをモンスターに襲われ、さらにならず者に襲撃されて捕縛された。私は凌辱されつつも何とか脱出。そして、また捕縛され今度は救出された。そこまではまだ良かった。
 街へ帰還し、何とか彼女たちを助けに戻ろうとした矢先、三人が性奴として売られたという事実を知った。その瞬間、私の中で“何か”が壊れた。私の、私のせいで――三人は戻れない世界へと堕とされてしまったのだから。全てが手遅れになってしまっていた。
 そこから今までとは“何か”が違う歯車が、私の中で動き始めた。
 最初は死のうとも考えた。何よりも自分自身の無力さが許せなかったからだ。だが、散々泣いた挙句、右目を贖罪の為に斬り、残りの身体を復讐の為に残すことにした。こんな私をカリストが見たら何と言うだろうか。
『バカだね』
 きっとそう言うに違いない。だが、それでもいい。
 あの出来事以来、私は他人と必要以上に関係を深めようという気にはならなかった。それ故に新たに加入したパーティでも、リーダーであるリムネシアやハルヒの事も別段深く知りたいとも思わなかった。むしろ、知ろうともしなかった。幸いカテリーナは他人に対して無関心のようで、私にとっては都合がいいと言えば都合が良かったかもしれない。無関心になれば、彼女たちがどうなろうと私の知ったことではない。逆に彼女たちも、私の事などどうでもいい、と思っていてくれた方が楽なのだ。
 “どうでもいい”。他人との関係をそう考えるように自分の思考を切り替えたことは、人としては最低かもしれない。彼女――リムネシアが聞いたら激怒して、パーティから私を追い出すかもしれない。だが、それでもいい。そうすれば、私は彼女たちとは関係なくならず者たちを始末していくだけのことになるだけだから。
 しばらくすると、光源に気づいたハイウェイマンズギルドの連中がドタドタと統制の取れていない足音を発てて近づいてくるのがはっきりと解った。相変わらず、静かにするということができない連中だ。
 目の前に現れた連中は、私たちを見るや否や、私以外のメンバーを取り囲もうとしていた。むしろ、私など目に入っていない様子だった。他の三人の知名度――特にハルヒなどはギルド員を数多く始末していることを考えれば至極当然だったかも知れない。多くのならず者どもを始末し復讐することこそ、今の私の目的であるだけに、私に向かってくる人数の少なさに思わず舌打ちをする。私に向かってきた連中はたった六人と少ない。だが、幸か不幸かその中に見覚えのある顔が居た。あのとき――私が玄室に囚われていた際に居たならず者の一人だ。隻眼に傷だらけと、無駄に特徴が多かっただけに、やけに記憶に残っている。
 そいつ以外の五人を屠ると、私はわざと誘き寄せるように薄闇の中へと身体を下げていく。そして、パーティの三人が戦っている場からやや離れた場所へと誘い込むと足を払い、思い切り岩壁に叩き付けて剣の切っ先を男の首筋へと当てた。
「久しぶりだな」
「ひひ、あのときの女か。まだ売られずに居たのか。運のいいヤツめ」
 こいつも私の事を覚えていたのか。
 辛うじて視認できる視界の中、男は下卑た笑みを浮かべながら私を見上げている。己の立場も弁えずこう言う言葉が吐けるからこそ、クズなのかもしれない。
「カリストたちはどこへ売られた? 答えろ」
「はん、俺が知るわけないだろ。俺たちはあくまでもヤるのが専門なんでな」
「そうか」
 男の答えに、私は温度のない声で呟いた。
「ならば死ね……役立たず」
 直後、隻眼の男は断末魔の悲鳴すら上げる暇も無く、男の首と胴体が永遠の別れをする。“役立たず”――まさに、あのときの自分と同じ状況の言葉を奴らに浴びせることで、私は逃避しているのかもしれない。それでもいい。惨めに生き延びたとしても、一人でも多く連中を殺せるのならば。そして、運良く彼女たちの情報を得られることができるならば――
 私は剣についた血糊を振り落とすと、鞘へと納めて彼女らの元へと戻る。どうやらあちらも早々に片付いていたようだ。人数がそれなりに多かった為か、私が場を離れていた事を三人とも気づいていない様子だった。
 いつも通りの襲撃の後、三人から離れて休んでいると、上のフロアで助けたエルフの女性から預けられた狼が、私の周りを歩きながら小さく鳴いて心配そうに私の事を見上げていた。狼は本来群れを成して行動する動物だという。一人離れている私を心配してくれているのだろうか。それとも、ただの慰めなのか。
「何でもない。何でもないさ」
 そう言いながら、私は狼の頭を軽く抱き寄せ撫でると、狼は気持ちよさそうに目を閉じて懐いてくれた。人に優しくしたり、される資格などもはや私にはない。だが、この一時だけでも安堵感を与えてくれたこの子には感謝せねばなるまい。
 もう、私にとってワイズマンなどどうでもいい。
 ハイウェイマンズギルドのボスが捕らわれるか、この身が奴らの手によって堕とされるその日まで、私はただひたすら斬り続ける。ただ……それだけだ。