あたしは泣いてた。
木の枝に座り込んで、みっともなく。
「ひっく、ひっく…」
半分人間の身体がとてもイヤに思える。
考えると涙が次から次へと出てくる。
泣いても母さんを困らせるだけなのに。
「神…、…ん……ます。…くは………ん…えに…」
どこからか声が聞こえた。
(あいつら…今日は追いかけてきたの…?)
あたしはおっかなびっくりとまわりを見る。
少し先に花束を足下に置いてしゃがんでいるおじさんがいた。
(よかった…違う…)
おじさんの声は聞こえるのにとぎれとぎれでよく分からない。
気になったあたしは木からおりておじさんに近づく。
「どうか、どうか僕に…」
そこで喋るのを止めて、こっちへふり向いた。
悲しそうな横顔、脅えた顔、放心した顔。
おじさんの顔はくるくると変わる。
あたしはとりあえず笑ってみた。放心した顔が面白かったのもあるけど…。
無言のおじさんと無言のあたし。
「おじさん、だれ?」
何も言ってくれないので自分から話しかけてみる。
「え、えと、その…」
「おじさん、名無し?」
「ああ、いや、僕の名前はカイルだけど…」
「ふーん…変な名前」
おじさんはちょっとだけ笑った。
「君の名前はなんて言うのかな?」
「あたしは……ラーフ」
名前を言うといつもその意味の通りに笑われるので、ちょっとだけどもってしまった。
けれどもおじさんは嬉しそうな顔で、
「ラーフちゃんか…、良い名前だね」
あたしの名前を褒めてくれた。
初めての経験に涙がこぼれる。
「えっ!? 僕、何かまずいこと言った? ご、ごめん」
声が出なかったのでただ首を横にふる。
「そっか…、ごめんね」
おじさんは言いながら優しく頭をなでてくれる。
あたしはまたみっともなく泣き続けた。

それから…。
泣きやんだあたしとおじさん…カイルは色々な話をした。

「おじさんって森の外から来たの?」
「ん? そうだよ向こうの街からちょっと野暮用でね」
「ふーん…森じゃなくても食べていけるんだ…」
「僕にとっては逆に森に籠もってて退屈で死なないのが不思議だけど…」
おじさんはちょっとおどけて見せた。

「えっ!? おじさんって人間なの?」
「あれ? 気づいてなかった? 俺ってそんなに美形かな?」
「ううん、そうじゃなくってあたし人間を見るのは初めてだから、そう言えばお耳が丸いね」
「ああ、うん…そうだよ…あはは」
おじさんは肩を落として言った。

「ラーフちゃん、おじさんって呼ぶのは止めない? まあ、三十路前はおじさんかもしれないけどさ…」
「うーん………じゃあ、カイル!」
「………まあ、いいか…」
「うん、呼びやすくていい感じ♪ これからはカイルって呼ぶね」
カイルは嬉しそうな悲しそうなよく分からない顔になった。

「そう言えばラーフちゃんのお母さんはどんな人なの?」
「え!? 母さん? うーん…人をからかうのが好きだよ」
「そ、そうなんだ…何か意外…」
「あたしもよくからかわれるんだよ〜、意地悪だしー」
「そっか…まあ元気で良かったよ」
「良くないよ〜、ちょっとは弱って軽口減らしてほしいー」
あたしはしばらく母さんの悪口を言い続けた。

「ねね、その腰に差してるのなーに?」
「ああ、これね。一応、旅をしてるから護身用の武器さ」
「長いのと短いのがあるね」
「長いので相手を倒して、短いので自分の身を守る。二刀流ってヤツさ。…かっこよくない?」
「うーん…カイルには似合ってないかな…」
「…実は…みんなからもそう言われてるんだ…」
カイルは大げさに落ち込んでしまった。

「ねね、人間ってエルフをいじ……ちょっと分けて扱ったりするの?」
「うーん…色々だけど…やっぱりちょっと嫌ってる人が多いかな…」
「そっか…どっちも一緒なんだ…」
「………」
カイルは無言であたしの頭を優しくなでてくれる。

「そう言えばその花は何なの?」
「これかい…えーと、実はラーフちゃんへのプレゼントなんだよ」
「うそつきー、さっき会ったばかりなのに用意できないはずだよ〜」
「まあまあ、折角だし記念に貰っておくれよ」
「仕方ないから貰ってあげるね、くすくす」
あたしは何だか笑い出してしまった。

「あまり遅くなるとお母さんが心配するんじゃない?」
「実はもうそろそろやばいかも…」
「そう言うことはもっと早く言わないと、駄目だよ」
「だって…カイルともっとお話したいんだもん」
「それはまた今度ね、今日はもう帰ってお母さんを安心させてあげなさい」
「え!? また会ってくれるの? いついつ?」
「うーん…流石に日参するわけにも行かないし、そうだね…一週間後にここで落ち合うのでいい?」
「うんうん、OKだよ……えっとそれで一週間ってどれだけ…?」
「ん…エルフは週は使わないんだっけ…7日後だよ」
「うん、分かったよ。7日後だね。絶対だよ、忘れちゃ駄目だよ!」
「はいはい、分かったから、今日はもう帰りなさい、日が暮れてしまうよ」
カイルに押されて立ち上がらさせられる。
「そうそう、それとみんなには人間と話してた事は言っちゃ駄目だよ」
「はーい」
それくらいは分かってる。特に母さんに言うとやばそうだし。
「素直でよろしい、絶対に口外しないこと。それじゃ、また7日後に」
あたしはしぶしぶと歩き始め、何度も振り返っては、
「言わないからちゃんと来るんだよー!」
言い続けカイルの姿が見えなくなるまで繰り返した。


7日後…一週間後?
木の枝に足を引っかけて逆さまのままカイルを待つ。
「来た! カイルー、ここだよ〜」
まわりを見渡していたカイルがふり向き、
「おう、約束通り、って、危ない、降りろ!」
「はーい」
あたしは足を伸ばしておりる。もとい、落ちる。
カイルが受け止めようと走ってくるけどもちろん間に合わない。
半回転。きれいに着地。
「やっほー、カイル、久しぶり〜♪」
「……心臓に悪いことをするんじゃない……」
疲れた顔で重々しく言ってくる。
「これくらい平気だって」
「ラーフが平気でも僕の心臓に悪い…今度からは止めて…」
「仕方ないなぁ…」
「頼むよ…ホントに…」
なさけない顔をするカイル。
「ねえ、かわりに一つ頼んでいーい?」
「何だかイヤな予感がするんだけど…」
「そんなに大した事じゃないって」
あたしは出来るだけ明るく言って内心の緊張を隠した。
ばれてなきゃいいんだけど…。
「それで一体何なのかな?」
「そのごしんよーの武器の使い方を教えて欲しいな〜、って♪」
「……ラーフ、いじめっ子をこれで倒そうなんて考えちゃ駄目だ」
「その短いのは身を守るために使うんでしょ?」
「そうだけど…」
「あたし、自分の身くらいは守れるようになって母さんの心配を減らしたいの」
「……ラーフちゃんはまだ8歳なのに大人だね…」
「うん、そうよ、苦労をしてるから大人びてるの♪」
カイルは黙って悩み始めてしまった。
「それで人を叩いたりはしないから、さ。お願いってばー」
たぶんだけど…。
「実は最近、怖いんだ…いつか他のヤツらにいじめ倒されちゃんじゃないかって…」
実際のところ物理攻撃をかけてくるヤツはいないんだけど…。
「それにカイルみたいにかっこいい二刀流使いになってみたいし♪」
内心、似合ってないなー、って思ってるけど…。
「仕方がないな…でも絶対に人に向かって振るっちゃ駄目だよ」
どれかの言葉がきいたらしくカイルは教える気になってくれたみたい。
「うんうん、大丈夫だよ♪」
「ホントかな…まあいいや、とりあえずちゃんと使えるようになるまでは携帯させないからね」
「えー」
「危険そうだな…やっぱり止めておこうか…」
「ウソウソ、ちゃんと使えるようになるまでは持ち歩きませんー」
慌てて言いつくろう。
「あと、あんまり長時間、練習すると危険だから1日1時間くらいしか練習させないからね」
「はーい」
むしろこれは好都合♪
「何にせよ今日は無理だね、来週…じゃない7日後にラーフちゃん用のを持ってくるから練習はそれからね」
「可愛いのにしてね♪」
カイルは何やら疲れた顔をになった。
「…はいはい、何とか選んでみるよ…」
「楽しみ〜♪ どんなのかな〜♪」
「あまり期待されても困るけど…」
困った顔をしてるけど、どこか嬉しそう。
あたしが嬉しいからそう見えるのかな?
「さて、と…今日は僕が旅してきた国々の話でもしようかな…聞きたい?」
「うん! 聞きたい〜♪」
あたしはカイルの話をゆっくり聞くために座り込む。
「よいしょっと、じゃあ話そうか。この大陸にはラドラン以外にも国があってね…」
こうしてあたしのくつろぎの時間が始まる。

「……という風に迷宮の奥で王様になるんだよ」
「ふーん…変なのー」
何が面白かったのかカイルは微笑む。
「さて、そろそろ時間かな?」
「えー、まだ大丈夫だよー」
精一杯、不満の声を出す。
「はいはい、ワガママを言わないの、あまり遅いとお母さんが心配するよ」
「…ねえ、やっぱりみんなに知られたらカイルは追い払われちゃうの?」
カイルが一瞬だけとても寂しそうな顔をする。そしてすぐに苦笑いになる。
「……そうだね…追い払われるだろうな」
「それじゃあ、見つからないようにしないと駄目だね…」
「すまんな、迷惑かけて」
あたしはブンブンと首を振る。
「そんなこと無い! あたしカイルと一緒だと楽しいもん」
「うん、ありがと…」
カイルが微笑んでくれたのであたしも嬉しくなった。
「それじゃ、母さんに疑われないようにもう帰るね」
もっと話したいけど、見つかって来てくれなくなるのがイヤだから帰ることにする。
「うん、それじゃあまた7日後にね」
あたしは元気よく頷いて森へと駆け出す。
途中、一回だけ振り返り、
「また一週間後にね〜、短いのをちゃんと買ってきてね〜」
そう言って森へと、家へと急いだ。


一週間後。
あたしは木の根本でカイルを待っていた。
(今日は短いのを買ってきてくれるはず…)
でもあたしはカイルに会いたいだけだった。
あたしをバカにせず、同情の目でも見ない人。
「まだかな…」
ただ、会う約束が欲しかった。
「今日もお早いお着きで、お姫様」
「わっ」
いきなり後ろから声をかけられる。カイルだ。
「もう、驚かさないでよー」
「はは、ごめんごめん」
謝りながらカイルは懐から取り出す。
「それよりも…ほら、約束の短剣だよ」
「きれい…」
それはカイルの短いの…短剣よりも一回り小さかった。
でもきらきらしてて、とってもきれいだった。
「気に入って貰えたかな?」
カイルはとても嬉しそう。
「うん、とてもきれい…」
あたしは短剣に見とれたまま。
「手にとって鞘から抜いてみて」
「うん…」
言われるままに手にとって左右に引っ張る。
抜けない。
「ああ、違う違う、ナックルガードを引っ張っても駄目だから」
カイルはこことここ、と言って持つ場所を指さしてくれた。
あたしは言われたとおりに持って引っ張る。
銀のきらめきが太陽の光を反射する。
「黒字に金の模様の鞘に銀の刃。うん、僕のセンスも捨てたものじゃないな」
あたしはただただ見とれていた。
今日から宝物にしようと思った。
「さっきから喋らないけど…もしかして気に入らなかった…?」
あたしは勢いよく首を振った。
「そんなこと無い!」
あたしがきれい、気に入ったを連呼するとカイルはとても嬉しそうだった。

その後。
約束通り、1時間は短剣の使い方を教わって後はいつもの通りお喋りをして別れた。
短剣は危ないからと言って持って行かれたけれど、逆にそれが次また会える保証みたいで嬉しかった。
きっと一週間後も、その次も会える。ずっと会い続けれると思った。


3回目の練習。今日は初めて短剣を振らせて貰えた。
「思ったより軽い…かな?」
「まあ一応、特別製だからね」
「特別?」
カイルはうんうんと頷いた。
「そう。だから値段も高くてね…。間違えても壊さないように」
「はーい」
返事だけは元気なあたし。もし壊れたら頑張って謝ろう。
「さて、とりあえずの目標は真っ直ぐ振ることかな」
「…やっぱりふらついてる…?」
カイルみたいに振れてないのは自分でも分かる。
「でも初めてにしては上出来、上出来」
「う〜、何かバカにされているような…」
「いやいや、そんなこと無いって」
カイルはあたしの不機嫌を感じ取ったのか話題をそらしてくる。
「そ、そうだ、折角だから短剣に名前をつけてみたらどうかな」
「短剣に名前をつけるの? 短剣って呼ぶのじゃだめなの〜?」
「駄目ってわけじゃ無いけど…名前をつけると愛着がわいて練習にも身が入るかな、って」
「うーん……じゃあ、きらきらしてるから『きらきら』♪」
カイルの顔がちょっとだけ引きつったような…。
でも、すぐに笑顔になって頭をなでてくれた。
「うん、綺麗な名前だね。その短剣も気に入ってくれてるよ」
「うん♪」
あたしは上機嫌で短剣…きらきらの練習を続けた。


カイルとの練習も今日で8回目。
きらきらの振りもさまになってきたような気がする。
カイルの木の枝攻撃もヤマが当たれば防げるようになったし。
「それにしても今日は調子がよかったね」
運動の後の休憩でうとうとしながらそんなことを考えているとカイルが声をかけてくれた。
不思議と目がぱっちりとさめる。
「ふっふっふ、もうすぐカイルより強くなっちゃうよ〜」
「いや、流石にそれは…でも5回も防げたのは上出来だよ」
1時間で防げたのが5回…。
まあ増えているのだからいいことにしておく。
「何かご褒美くれる〜?」
「そうだな…よし、短剣の携帯許可をあげよう」
「けいたい?」
「そう、持ち歩いていいってことだよ」
持ち歩く…。
このきれいなきらきらを持ち歩けるのは嬉しい。
でも…。
カイルが持っていてくれないのは絆が少なくなったみたいで悲しい。
「うん…ありがと。見つからない様にするね」
でもお礼だけは言う。カイルがご褒美をくれたんだから。
「一応、念押ししておくけど絶対に人を攻撃しないようにね」
何度も聞かされていることなので思わず頬をふくらませてしまう。
「聞き飽きたよ〜、あたしってそんなに信頼ない?」
「いや…そう言うわけじゃないんだけど…まあ、念には念をいれておかないと…」
「ぶーぶー」
「えーと、ほら、そんな機嫌悪い顔してないで…」
「プンスカ」
「この前のグラッセン帝国の話の続きを話すから…」
「はーい♪」
即座に態度を変えるあたし。
カイルはホッとした顔で話を始めた。


10回目の練習。
「ふっふっふ。更に記録更新だね♪」
木の枝でできたミミズ腫れ満載であたしは勝ち誇った。
「今日は12回か…何だかどんどんうまくなっていく…」
「あたしの実力なら1時間ずっと防ぐのも遠くないかな?」
「そうなったら流石に教えられることは無くなるな…」
その言葉であたしは不安になる。
「えっと…もしかしてそうなったらカイルは旅立っちゃうの…?」
「うーん…そうだね…そこまで成長されたら僕も逃げるように旅立つしかないね」
あたしは目の前が真っ暗になったような気がした。
練習すればするほど、カイルと別れる日が近づいてくる。
「いや、ほら、まだまだ先だから…そんな泣きそうな顔をしない」
カイルに励まされても気分は沈んだまま。
(下手なままだったらカイルはずっといてくれるかな…?)
「よし、じゃあほら、そのときになったら何か一つ言うことを聞いてあげるから、ほら、元気出して」
何でも言うことを聞く。
その言葉であたしの中で秘められていた二つが繋がった。
一つはカイルと一緒にいること。
一つは色々なものを見るため旅をすること。
(カイルと一緒に旅をすればいいんだ!)
「何だか急に元気な顔に…早まったかな…?」
「ふふふ…あたしもうお願いは決めたから♪」
「何だか怖いな…どんな願い事?」
「ひ・み・つ♪ あたしが強くなるのを楽しみにしててね♪」
こういうことは秘密にしておいた方が楽しい気がする。
「さあさあ、そうと決まれば、特訓特訓〜♪」
「そうだね…でも今日はもう1時間したから後は休憩」
「えー」
不満を顔に出してみた。
「えー、じゃないって…。エレギンのフレイムナイツの話は聞きたくないのかな?」
「聞きたい!」
「じゃあ、座ってお話を聞く体制になろうね」
「はーい♪」
お話も楽しみなのであたしは素直にしたがった。


一週間後。
カイルは約束の場所に来なかった。
(きっといつだったかみたいに遅刻…かな?)
(……お〜そ〜い〜)
(折角、こっそり自主特訓したのに…まだかな…)
(………………こない…………)
(…………………………………)
後ろで草がゆれる音がした。
(来た!?)


少し前の時間。カイルは森へと向かっていた。
上機嫌な顔をして、踊り出さんばかりの足取りで。
けれども。
「が…っ…魔法…か…?」
そんな彼を、無情に刺し貫く幾多の風。
身体のの隅から隅までを痛みが支配していく。
(思ったよりも早いが、今日が…裁きの日か…)
カイルの背と地がぶつかり音を立てる。
(しかし…手紙は渡せないかな…)
耐え難い痛みがカイルの精神を浸していく。
(すまんな…ラーフ…別れすら…伝えれそうにない…)
痛みから逃れようとする精神が、減っていく血に弱る身体が。
カイルを徐々に眠りへと誘う。
「ふん…愚かしく、汚らわしい人間め。……因果応報だ…」
眠りを妨げる声は一人の女性から投げ掛けられた。
「君か! ぐっ、が…」
目を見開くカイルを踏みつける。ただし、傷口を避けて。
「このまま殺しても良いが…ミスリルなぞ渡した貴様の間抜けさに免じて」
足を回転させる。捻転が踵を少しだけ沈ませる。
「遺言があれば聞いてやろう」
魔力に敏感なエルフが娘の身に付けるミスリルに気がつかないはずがない。
(でも、まあ…そのお陰で託せる…)
カイルは自分の間抜けさを慰める。
「それじゃあ…ラーフに…ぐっ…手紙を渡して…欲しい」
「どこにある?」
冷ややかな声が投げられる。
「僕の…胸元に…」
女性は無言でカイルから足をどけ、胸元を探る。
強い痛みが無くなったことでカイルの精神は再び闇へと落ちていく。
「それと…ごめん……ホントに……」
瞬間、女性は憤怒の表情を浮かべて手を振り上げる。
カイルはそれを見ることなく、意識を闇に委ねる。
女性は憤怒の表情のまま、けれども呪を唱えることはなく。徒手空拳をカイルに振るうこともなく。
ただただ無言で手紙を探り、そして探り当てた手紙を無造作に開き、読み始める。
「……やっぱり…これじゃあ…無理ね…」
女性はとてもとても嫌な顔でそうポツリと呟くとカイルを放置したまま歩き出す。
トドメを刺すことなく。振り返ることもなく。
女性は次に行くべき場所に、忌まわしき思い出の場所に向かっていく。

あたしは嬉しさを隠して不機嫌な顔のまま振り向き。
「ラーフ、あいつは来ないわよ」
いつもより怖い顔をした母さんがいた。
母さんは懐から折りたたまれた紙を取り出した。
所々にある赤いシミがある。
(あれは…血…? ううん、違う、絶対に違う…)
「あなた宛ての手紙よ」
手渡される。
何がどうなっているのか。
分からないままにあたしは手紙を見た。
『……のお別れになってすまない』
読めない字が歩けれども…お別れの言葉が書いてあるのは分かる。
視界が涙でにじむ。続きが読めない。
(すまない……すまない……すまない……)
読んだ言葉が頭の中で繰り返される。考えがまとまらない。
けれども。
あたしは母さんに聞かなければならない。
とても答えが怖いけれども聞かなければならない。
「母さん……カイルを…殺したの…?」
あまりはっきり言うことは無かったけど母さんは人間を憎んでいた。
たぶんあたしの父親に関係しているのだと思う。
だから…カイルが来ないときも…あのシミを見たときも…。
「安心なさい」
優しい言葉と共に頭をなでられる。
「追い払っただけよ」
「ホント…?」
「母さんを信じなさい、私の可愛い娘…」
母さんの口癖。とても安らいだ気持ちになれる。
「ふふ…流石の私でも娘の友人は殺せないわ」
あたしは安心して、けれども涙は止まらずに母さんの胸に顔を埋める。
「ゆっくり、気の済むまで泣きなさい…」
母さんは言葉を切って優しく抱きしめてくれる。
「たとえ今生で無くとも、別れのときではあるのだから…」
あたしはそのまま日が暮れるまで泣き続けた。


今日はあたしの二十歳の誕生日。
「さて、母さん、約束は覚えてるよね…?」
「あら…何だったかしら…? そうそう、お隣のミーアちゃん(3歳、女の子)との交際許可だったわね」
母さんはわざとらしく人差し指をあごにあてたりしながらとぼける。
「本気で言ってるのならぶつよ」
「それは痛そうね…仕方ないからちょっと反撃してしばらくベッド生活に…」
言って詠唱を始める。
「って、娘の晴れがましい旅立ちのときに攻撃魔法!?」
あたしの半ば本気の悲鳴に母さんは詠唱を中断してくれた。
「やあねえ、冗談よ、じょ・う・だ・ん」
「以前、全治一週間のケガを負った記憶があるんだけど…」
「………まあ、それは気分次第ね」
母さんはちょっと気まずそうに言う。
今日のは徹頭徹尾、冗談だったらしい。
「それで話を戻すけど…」
「こんな年老いた母親を一人残して行くなんて…うう…母さんは悲しいわ…」
「エルフなんだから肉体はすこぶる若いでしょうが! 大体、ちょっと出歩けば親戚はワラワラいるでしょ!!」
「どうどう、ラーフ。あんまり精神を荒ぶらせると良くないわよ〜」
「母さんがそうさせてるんでしょ…」
「気にしない、気にしない」
「別れを惜しんでないでさっさと旅立とうかな……」
こんなときでも母さんは変わらない。
それはそれで頭が痛くなるけどちょっとだけ安心する。
あたしを産んだことで周りと軋轢のある母さんを残していくのは少し不安だったから。
「まあ! それは大変、今日のために準備したプレゼントが無駄になってしまうわ」
母さんはどたどたと−足音一つ立てずに走れるくせに−走って取りに行く。
「はい、ラーフちゃん、138歳の誕生日プレゼント!」
「138歳は母さんでしょ…」
こめかみを押さえながら母さんの手元をみる。
一降りの短剣。
「いいの…?」
思わずそんな言葉が口をついた。
母さんはずっと剣を振るうことに反対していたから。
「ふふ…まあ私もラーフちゃんに死なれちゃったら寝覚めが悪いしね」
「またそう言う縁起の悪いことを…」
母さんの表情を見て言葉が途切れてしまう。
とても真剣な顔をしていた。
「必ず生きて帰ってくるのよ、私の可愛い娘」
あたしは強く頷いて。
「うん、5年は色々巡るつもりだけど…でも、絶対に帰ってくる」
真剣に、力を込めて言った。
母さんは…にんまりと笑って。
「いやあ、これで老後の世話をしてくれる人は決定ね。母さん、嬉しいわ」
(こんなときまでオチをつけるのね…)
あたしはもはや言い返す気力もなくうなだれた。
「うふふ…まだまだ精神鍛錬が足りないわよ〜」
結局あたしが出発できたのは3時間後だった。


旅立つ娘を見送って。
「やれやれ、どこまで騙せたことやら…気落ちしてることに気づかれてないといいんだけど」
リーフは独り言をばらまきながら森へと帰る。
手には一降りの短剣。
ラーフから預かった短剣。
「まあ預けられたことだし、掃除してしまっておきましょうか」
歩きながら器用に鞘、ブレード、ナックルガード、グリップと外して分解していく。
ブレードの根本の、普段は鞘に隠れている部分。
彼女はそこに刻みつけられた文字を見つける。
自らの口癖になっているお気に入りの言葉を。
「ふふ…偶然だろうけども…何となく悪くは無い気分ね」
リーフは苦笑いを浮かべた。とても嬉しそうな。
(今なら、許してやってもいいかもね)
もう二度と会うことの無いだろう男の顔を思い浮かべながらリーフは森へと消えていった。