山に挟まれたある小国。代々伝えられてきた秘宝の魔法アイテム、 そして天然の要塞でかろうじて侵略の歴史から免れてきた平和な国。そこにはある有名な王女がいた。 その王女はおよそ王女らしからぬ王女であったと言う。 じっとしていると言う事を知らず、言動は常に呆楽的。それは自室でも貴人が集まる席であろうが変わる事はない。 ことあるごとに問題を起こしては城を抜け出し、その度に懸賞付きの御触書が回るため国内外にも顔や名前が知れ渡ってしまっていた。 王女の名はハルヒ。人は彼女を馬鹿王女と蔑み嘲笑った。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― その国の王は既に数十人の御子を成し、それでもなお無計画に子を作り続けていた。 それは王妃の命が尽きるまで続き、その命と引き換えに産まれたのがハルヒであった。 末子のハルヒには事実上の継承権は存在せず、産まれた時から王族としての扱いは望めるはずもない。 加えてその生来の素行。王の子でありながら陸に上がった魚の様に跳ね回る姿は周囲の人間の眉をひそませ、人を遠ざけた。 6歳の時。外国の会食に呼ばれた帰り道。ハルヒは自らとさほど年の変わらない幼い少女を拾う。 おそらくどこからか逃げてきたのだろう、白い肌にはあちこちに赤く腫れ上がった腫傷が痛々しく浮かんでいた。 本来こうした何らかの火種を抱えた人間は関わる事無く見捨てていくのが世の常である。 しかし、いくら他人とは言え自らと変わらぬ年頃の傷ついた少女を見捨ててゆけるほどハルヒは懸命ではなかった。 ハルヒは素性の分からぬ少女を城に招き入れた挙句、少女に行く当てがないと聞くと周囲の反対を押し切りそのまま自分の側仕にしてしまう。 こうして出自の分からぬ者を城内に入れたハルヒを白い目で見る者がさらに増えた。 さて、件の少女、名をあやめと言った。 その少女。言動、所作、身体能力からも何らかの訓練を受けてきた人間である事は誰の目から見ても明白であったが、 そんなあやめを暖かく城内へ迎えて入れてくれたハルヒに対し、 あやめは全身全霊を持って忠義を尽くす事を固く誓い、恩義に報いるべくその日よりハルヒの側から一時も離れようとしなかった。 城内に友人はおろか、親しい人間もいなかったハルヒにとってもまた彼女は救いであったが、 あやめから聞かされる外の世界の話は城内しか知らぬハルヒにはまぶし過ぎた。これにより一つの弊害が発生する。 7歳の頃から始まる城からの度重なる脱走。興味の眼が外の世界へ向いてしまったハルヒは幾度も無く城外への脱出を試みる。 日常において王族としての扱いは受けれなかったハルヒだがそれでも王にとってはかわいい末娘だった。 脱走の度に懸賞のかかった御触書が廻り、賞金目当てのゴロツキをにぎわせたが、 短くて2、3日。長くても一週間の逃亡劇に終止符を打つのはいつも側仕のあやめであった。 とはいえ、幾度となく繰り返される脱走に自分の責任を感じたあやめはどうにかしてハルヒの興味を城内に止めるべく思案する。 絵画、乗馬、彫刻。あやめの出来うる範疇で見つけて来た娯楽。その中でハルヒのもっとも興味を惹いたのは絵本だった。 いつも跳ね馬のように暴れ回るハルヒもあやめが絵本を読んで聞かせるとまるで別人の様に静かに聞き入り大人しくなる。 あやめはハルヒを飽きさせぬように各地から色んな絵本を集め、 とりたててハルヒはその中でも怪物を倒した英雄の物語。「勇者」の物語を強く好んであやめに何度も読むようせがんだ。 それからしばらくハルヒの逃走癖は影を潜め,自室であやめの読む絵本を静かに聞き入るのがハルヒの日課となる。 ハルヒとあやめ。こうして二人は臣下でありながらまるで姉妹のように関係を深めていく。 8歳の時。その日は退屈な式典の日。 いつもながらに苦痛な公務。文字通り王族の端くれでしかないハルヒではあったが、 その日は海外からの来賓も多く出席しており、他の兄姉だけでは手が足りずやむなくその場に駆り出された。 いつも通りの型式に飽き、ハルヒはあくびを噛み殺し退屈そうに空を眺めていると、突如何かが日差しを遮った。 日差しを遮る黒い影。それは鳥というにはあまりに大きく、雲というにはあまりに速く、魔物と呼ぶにはあまりに神々し過ぎた。 それは竜と呼ばれる生き物。その迫力に圧倒されるハルヒの目にさらに信じられない物が飛び込んでくる。 竜の上の人。その竜を軽やかに操る人間の姿……竜騎士と呼ばれる人間の姿。 日輪の中、わずかな手の動きで竜はその巨大な体を翻す。 その動きに見とれながらハルヒは甲冑の中で動く長い髪に気付く。よく見れば騎士は端正な顔立ちの女性であった。 おそらくハルヒと同じく式典という物に退屈を覚えているのだろう。 竜に乗った女性は無表情なまま地上の貴人たちには目もくれぬまま竜と共に空を飛ぶ。 嬉しそうに目を輝かせるハルヒに後ろからそっとあやめが耳打ちする。 「あれはクルルミクの竜騎士ですよ、ハルヒ様」 クルルミク。竜騎士。二つの単語と目前の光景は輝きを増してハルヒの心に強く刻みこまれた。 そして、ハルヒの中で竜騎士とある人物像が重なっていく。 「勇者さまだ…」 夜、ハルヒは自室に帰っても興奮した様子で何度も何度も竜騎士は勇者様だ、とあやめに熱っぽく語った。 クルルミクも情勢が逼迫した影響で急遽竜騎士は帰ってしまい残念ながら対面は果たせなかったが、 その日を境に人生を漠然と生きてきたハルヒの中で大きな変化が起きた。 しかし、それから数ヶ月後、幼いハルヒはとんでもない過ちを犯してしまう。 その城にはいくつか、代々伝えられてきた魔法のアイテムが飾られていた。その中の一つ「魔鏡鎧」 それは数ある伝来の魔具の中でも特に眼を引く強力な装備であったが、その鎧は一度着れば二度と外れないという呪い付き。 その解呪の古文書も十数年前に盗賊に盗まれ行方知れずとなっている。 結果、文字通りお飾りとして城内に飾られていたが、それでも国の重要な家宝である事に代わりはなかった。 ある日、ハルヒは事もあろうかそれを持ち出し、クルルミクへ逃げ出そうとした。 当然途中で衛兵に見つかったがハルヒはかまわず魔鏡鎧を抱えたまま走り続け、ついには見張りの塔の屋上まで逃げていく。 ハルヒは考えた。こんな強力な鎧が城内に眠らせ、ただの飾りにしてしまい勇者の手に渡らないようにする事を罪だ、と。 なんとしてもこの鎧をあの勇者様の元に届けるのだ。他愛のない子供の考えではあったが手に持っているのは曲がりなりにも国の宝。 周囲の衛兵は必死の形相でハルヒに迫ったが頑として手放そうとしない。 そこにようやくあやめが現れ、ハルヒを制止すべく語りかけた瞬間、ハルヒの緊張の糸が切れた。 あやめの短い悲鳴と共に魔鏡鎧はハルヒの小さな腕の中でバランスを崩し、大きな音を立てて地面に落ちる。 慌ててハルヒが拾い上げると、魔鏡鎧の左の肩当てが音もなく鎧から分離する。 ハルヒの顔からサーっと血の気が引き、魔鏡鎧の肩当てを手に震えだした時にはもう全てが遅かった。 常日頃、ハルヒの逃亡癖に頭を痛めていた国王もついには堪忍袋の緒が切れてしまった。 ハルヒは実の父から散々口汚く罵られた後、城から追い出され、個室ではあるが一般兵卒と同じ殺風景な部屋へ住む事を余儀なくされる。 この事件を境に、ついには城内の肉親ですらもハルヒの味方では無くなった。 以前の部屋と違い、些末で薄暗く、寒風の吹く狭い自分の部屋。 ハルヒは魔鏡鎧の肩当てを握りながら三日三晩、一睡もすることなく延々と泣き続けた。 あやめは慰める言葉も無くただ黙ってハルヒの泣き声を聞き続けたが、 いつまでも泣き続けるハルヒに耐えきれず、ハルヒの好きな絵本を黙々と読んで聞かせた。 絵本の中の勇者はいつも人気者。どんな怪物も退ける勇者のまわりにはいつも感謝する人がいっぱい。 王様も勇者に感謝し、娘のお姫様を嫁にもらって勇者様はいつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし、でおわるよくある絵本。 何度も聞いた絵本であったがハルヒの中である一文が耳にとまる。「勇者様は人気者……王様にも感謝される…」 ハルヒは布団の中、泣くのをやめて考える。 勇者様は人気者。ならば。自分が勇者になれば、王様、お父様も、みんなも、私を好きになってくれる。愛してくれる。 勇者になるには、どうしたらいい? 勇者様は強い。どんな怪物にも負けないくらい。強くならなきゃ。 ハルヒはそんな事を考えながらあやめの絵本を読む声を子守唄にようやく眠りにつく。 翌日、ハルヒの日課にあやめとの訓練が加わった。 それからしばらく時が流れ、ハルヒが17の時。 元から血筋により魔法の才に富み、あやめの厳しい修練にも耐えたハルヒはそれなりに魔法戦士としての才能を開花させつつあった。 だが体は成長しても頭はそのまま。町の風評も「馬鹿王女」として定着しており、ハルヒもその風評に違わぬ馬鹿っぷりを維持していた。 しかし、そのバカさも王妃から受け継いだ容姿にその人懐っこさも相まって町の人々には愛嬌として愛された。 また、ハルヒの行動は分かりやすく善であった。困った人間は助け、悪い事をした人間を許さない。 本来王族ならこうした短慮な行動は許されない事だが、庶民にはその善は分かりやすく、次第に受け入れられるようになってきた。 こうしたハルヒの交友関係の広がりを一番近くで見つめていたあやめは、 それを寂しく思う反面、ハルヒが徐々に自分の助力が必要のない人物へと育ちつつある事を感じ取っていた。 その日、珍しくあやめが城へと呼び出された。 実は以前からあやめの有能さに眼をつけていた王は再三あやめを近隣諸国の斥候として国を離れる様に要請していたのだが、 ハルヒから離れる事を嫌ったあやめは何度もこの要請を断り続けていた。 だが、あやめも近年のハルヒの成長を目に当たりにし、ようやくこの頼みを聞き入れる決心をし、王の前に現れた。 斥候として各地を巡ればしばらくハルヒには会えない。その交換条件にあやめが提示したのは任務遂行後のハルヒの宮廷復帰であった。 その翌日、心配させまいとあやめは戦地に赴くのではなく、一時故郷に帰ると伝えハルヒの元を去った。 王とあやめの間に交わされた密約により、あやめが帰ってくる頃にはハルヒは再び城内へ戻れる手筈になっていた。 だが、ハルヒはこのあやめの行動を裏切りと取った。 故郷や行く当てもないあやめがなぜ今さら故郷に帰ると言い出したのか。それは自分を見限ったからだ。ハルヒはそう捉えてしまった。 それから、ハルヒは周囲の者が全て疎ましく感じるようになった。 どんなにいい顔をしていてもいずれ裏切られる。笑顔の底にこうした不安を抱えながらハルヒは悩んだ。 漠然としすぎた不安。その不安から逃げ出すべく、ハルヒは以前から心に秘めていた計画を実行に移す。 ある晩、ハルヒはベッドの下から隠していた木箱を取り出す。 中から出てきたのは魔鏡鎧の肩当て。もう既に魔力は失い、ただの鉄の鎧と化した物である。 それを装着し、ハルヒはそのまま部屋を後にした。 城壁を素早く駆け上がり監視の目をくぐり抜け、初めて一人で町の外へ出ることができたハルヒは大きく深呼吸する。 その格好はかつてハルヒが想い描いた勇者の姿だった。魔鏡鎧を身につけた旅人姿。 目指す先はクルルミク。9年前に見た勇者が住む国。ハルヒの中での勇者の国。 今はその勇者の国も悪い魔法使いの手で苦しめられていると言う。 数年間秘めていた夢。自分は勇者になる。勇者になれば、 勇者だったらお父様は私を嫌いにならなかった。あやめは逃げなかった。みんな私を好きでいてくれた。 ハルヒは一人、勇者に会い、勇者になるべくクルルミクへ目指す。 その先にいかなる闇が待ち受けているとも知らず、馬鹿な王女は旅に出る。