<壊れた心をひきずって>  その6 −『片目のデュミナス3』−  byMORIGUMA 物悲しい笛の音が、風に乗って広がっていく。 黒い服を着た少女が、銀の小さな横笛を、 歩きながら、鳴らしていた。 白髪に近い髪、 病的なまでに白い肌、 かすかなそばかすが、かわいらしい鼻に散っていた。 ウオオオオオオオオ 巨大な吼え声が、大気をふるわせる。 バサッ、バサッ、 羽音がいくつも空を舞う。 歩きながら、少女は微笑んだ。 友達の声、温かい熱、 彼女の一番好きな、魔獣『スフィンクス』。 数メートルもある巨大な魔獣が、 彼女の周囲に集まり、ごろごろ喉を鳴らす。 ライオンの身体に、老人の顔、 白い大きな羽で、少女を包むように歩きながら。 胸元に輝く、邪神の聖印、 それを握り、祈りながら、 銀の笛は、妖しい調べを鳴らし、スフィンクスたちを引き連れていく。 「ひいっ、いやだあっ、はなせえええっ!」 絶叫する男の頭を、 細い万力のような形の器具が、四方から締め上げる。 「いでえええっ、いでえええええええっ。」 輝くような笑みを浮かべる青年と、 細くたおやかな少女が、 赤く光る長い針を、悲鳴を上げる男の後頭部の一点に、 極めて正確に差し込んでいく。 強力な呪力を込め、長い針を深く根元まで押し込んでいく。 締め上げられた男の意識が途切れる。 「やっと静かになりましたわ。」 「ああ、みんなこんな風に静かだと助かるんだが。」 青年のひたいに、無数の汗の粒が光っている。 少女がそれを優しくぬぐう。 「まだ235人目ですわ、もっともっと、聖印のしもべを作らないと。」 「うん、同じ集団を名乗り、我々の聖印に絶対服従のならず者、 まだまだ増やさねばならない。がんばるぞ、ルディア。」 「ええ、でも人をまとめるレベルのならず者は、集めるのも大変。」 「だからこそ、確実に施術をせねばな。」 次の犠牲者が、悲鳴を上げながら、運び込まれてきた。 声の響きは、ここが深い洞窟の奥だという事だけを告げていた。 そして、洞窟のさらに奥、 真の闇の中に、巨大な祭壇が築かれていた。 漆黒の法衣に身を包み、 細い背の高い女性が、一心に祈り続けていた。 すでに一週間、一滴の水も飲まず、 何一つ口にせず、一心不乱に祈り続けていた。 人の限界を超え、高みへ、己の祈りをひたすらささげる。 アルム・ウト=ウィタル。 闇の中から、もう一人の姿が、その様子を見ていた。 足音を低め、祭壇の空気を乱さぬよう、 その人物としては、最大限の注意を払いながら、 闇から抜け出た。 心配そうな顔をしたマーラが、迎えに来ていた。 「ハデス様、アルム様は?」 ハデスは、唇を一文字に結んだまま、首を振った。 今、命がけで神に祈りをささげているアルムに、 誰も、何もする事はできない。 そして、誰も、何もしてはならない。 「近寄るんじゃねえぞ。ものすごい闇の波動が渦を巻いてる。 あたしなら、なんとか干渉をまぬがれるが、 お前たちでも、3秒ともたない。」 「はい・・・」 「よし、しけた面はここまでだ。いくぞ。」 「本当に、来るのでしょうか?」 楽しげに、ハデスが笑った。 「ああ、来るな。間違いなく『レイラ』なら来る。」 夜がふけ、シリウスの目と呼ばれる星が昇る頃、 密かな足音が、10あまりの群れに別れ、棄民街の外れへ向かっていた。 全員、武器や鎧のかどに黒い布を巻きつけ、 足音をひそめ、音を立てぬよう進んでいた。 先頭に立つのは、盗賊王のあだ名を持つトレビと、 その子飼いの部下6名。 他の9人も、自分の子飼いや義兄弟、仲間を引き連れ、 100人近い人数になっていた。 どいつもこいつも、戦争のプロばかり。 どこにこれだけの戦力がいたんだ?。 部隊の中心にいるレイラは、あきれながら周りを見渡した。 「一人じゃあ戦えねえ、アネゴが教えてくれたことですよ。」 鉄弓のヘルティが、疑問の視線に小声で答えた。 「そうだったな・・・」 後ろには目は無い、そう言ってしごいた事があった。 仲間を作らなければ、戦場ではすぐ死ぬのだ。 だが、同時にそれだけの者たちを、巻き込んでしまった事を、 早くもレイラは後悔していた。 「アネゴアネゴ、追加報酬、期待してますぜ。」 「ふざけるな、こ・・・ううっ!」 十人全員、いっせいに拳を作ると、 人差し指と中指の間から親指を・・・・。 「こ、このドスケベどもっ、後で覚えてろっ!!」 一晩中嬲られ尽くした上に、 朝いきなり縛られて、バックから立て続けに昼まで、 正直、腰が立ってるのが不思議だ。 小声で真っ赤になるレイラに、全員声を立てずに笑っていた。 『まったく・・・あたしに穴奴隷にでもなれってのかよ。』 まあ、生きて帰れたなら、それでもかまわないけど。 ・・・・って、ナニかんがえてんだあたしは。 ジュッと女の愛液が、わななくように噴き出し、 唾液がごくりと喉を鳴らした。 あわてて口元をぬぐってしまい、 目ざとい剣魔のジューキが、 「アネゴ、よだれよだれ。」 さらにからかわれまくり、穴があったら入りたいような気分だった。 水浴びをしたのは昼過ぎ、 未だに身体中から精液のにおいがする。 まあ、あそこまで晒してしまうと、 もう隠しようもないわけで、当分全員のおもちゃだろうな。 責任のドつぼにはまるより、 先の穴奴隷の生活を想像する方が、はるかにマシだった。 気が軽くなった証拠に、 前方に潜む気配を真っ先に捉えた。 ヒュッ 口笛が、トレビの部隊を緊張させた。 だが、一瞬遅い。  ウオオオオオオオオオオオオッ 凄まじい雄叫びが、大気をゆるがし、 盗賊の部隊を金縛りにする。 「ヤバイッ!」 腹にためていた気で、身体を襲う恐怖の波動を跳ね返し、 レイラはダッシュをかけた。 3メートルを超えるライオンの巨躯、 光る目を持つ老人の顔、 魔獣スフィンクスの吼え声は、激しい恐怖や混乱を引き起こす。 7名の盗賊部隊は、即座にその顎に飲まれた。 トレビの腹が悪夢のような牙に食いつかれる。 「このケダモノがあああっ!」 胴から心臓まで喰らい破られるのと、 トレビの両手から、4本の黒い短剣が飛ぶのは同時だった。  グワアアアアアアアッ 4頭のスフィンクスが、目玉をえぐられ、 同時に身体を痙攣させて血反吐を吐いた。 猛毒の短剣は、魔獣といえどひとたまりもなかった。 「チッ」 闇の奥から、かすかに舌うちが聞こえた。 レイラの灼熱する長剣が、獲物に喰らいついた浅ましい顔を両断した。 もう一頭が、鉄弓に、長槍に、ハンマーにずたずたにされる。 笛の音とともに、残りのスフィンクスがさっと消えた。 「逃がすなっ!」 トレビのうつろな顔を片目に焼付け、 レイラは、スフィンクスを追った。 両翼に鉄壁のルドンと、盾使いガッツの部隊が回る。 襲撃をして逃げる敵は、待ち伏せをからめる事が多い。 左右から、声を上げながら数十人の一団が湧き出す。 槍などの長い武器を持ち、側面から突き崩すのだ。 だが、構えていたルドンとガッツに、 やすやすと防がれ、逆に叩きのめされていく。 『なんだ?、手ごたえがない??。』 急に周囲が明るくなり、 炎が恐ろしいスピードで駆け回る。 その辺一体に、無数の燃焼剤が撒き散らされていて、 夜の闇にまぎれていたのだ。 煙が息を殺し、炎が一瞬の判断を鈍らせる。 「いひいいいっ!」 「なっ、なんだっ??!」 ならず者らしい連中は、とたんにうろたえ騒ぎ、 戦いすら止めて逃げ出そうとする。 しかし、火の勢いは爆発的であり、 突破しようとして、火ダルマになっていく。 ならず者ごと、レイラたちを焼き払うという非道な作戦だった。 「氷霧の陣!」 レイラの号令で、 長槍のブンドが先頭に立ち、部下たちが左右に分かれる。 魔剣士のルブルムと兄弟たちが、長槍に氷霧の魔法をかけた。 白い濃い霧で、こちらの姿を隠す奇襲用の魔法だが、 短時間なら、火炎も防ぐ結界にもなる。 『対魔法剣術』 レイラがある騎士から伝えられた特殊な剣術があった。 彼女は仲間たちとそれを研究し、軍団で効率的に使うすべを編み出していた。 それが彼女たちを、外法軍と呼ぶゆえんだった。 あっさりと、火の罠から抜け出され、 何人かの舌打ちが、どこかで聞こえた。 山すそから回り込む動きを読まれていたことに、 レイラたちは衝撃を受けた。 並みの指揮官であれば、誰かがスパイなのではないかと、 激しい不安に狩られただろう。 「くっくっくっ、さすがハデス・・・こうも読まれてるとはね。」 スパイがいたら、先ほどの火の罠より先に逃げ出している。 何より、彼女が本気で鍛え上げた連中だ。 彼らを疑うぐらいなら、人間を止める。 「罠があるなら、噛み破れ!」 長槍と鉄壁の部隊が組み合わさり、 左右を剣士たちが守り、最後尾をレイラと弓部隊がにらみ、 目的地へ走り出した。 ハデスは間違いなく目的地にいる。 あいつは、そういうやつだと、レイラは確信していた。 事実、邪神の部隊はかなりあわてていた。 これだけの罠を張れば、 一時退却するか、コースを変えると想定し、 移動予測地点にさらにいくつもの罠を仕掛けていた。 だが、直線コースで襲い掛かられては、 薄い守りを一気に破砕される。 いきなり攻守が逆転してしまった。 「導師っ、急ぎ移動してください!。」 指揮官であるマッカートの悲鳴のような声がした。 だが、ハデスはまるで耳でも無いかのように、 でかいヒョウタンを持ち上げ、悠々と酒を注いでいた。 「おい、マッカート。導師様がなぜここにいると思う?。」 ハデスのイスとしてうずくまっているマーラが、 のんびりした声をかけた。 その声が、マッカートの頭の血を下げた。 「我々邪神の牙は、攻撃的集団ではないのか?。」 あっ、とマッカートが顔色を変えた。 立場が変われば、その価値は変貌する。 守りに回れば、邪神の牙は、とたんに弱体化してしまう。 ハデスが逃げれば、軍団は防護に回らざる得ない。 「申し訳ありませんっ!」 指揮官の姿が瞬時に消えた。 「ふん、マーラ。75点だな。」 なかなかいい点だった。 「すまぬ、私の判断ミスだ。」 マッカートが、親友のグレル・ドルンドに頭を下げた。 「いいさ、我もまた邪神の牙の一員。恐れる物など何も無い。」 真っ黒でタイトな服をまとった男は、 短い髪を頭巾に隠した。 少し広い場所に、レイラたちは出た。 急に回りが明るくなる。 『また火か?』 長槍のブンドや魔剣士たちは、その用意をしようとした。 周りが広く、明るくなれば、弓矢の的になりやすい。 鉄弓のヘルティが周囲をにらみつけた。 「ぐっ!」 「な、なんだっ、体がっ。」 足元が、急に頼りなくなり、 体が黒い闇に沈んでいく。 「影使いだよっ!」 さすがにレイラは、この手の魔法のことを知っていた。 ギンッ 足元から突き出された闇の槍を、 灼熱の剣先が弾き飛ばした。 「アネゴ、あぶねええっ!」 双剣のガレが、片方の剣を投げた。 反対側から突き出した槍が、危ういところでそれた。 闇を介し、影から無数の槍先となって本体に襲いかかる影使いは、 夜の戦いでもっとも恐るべき相手だった。 複数の光源がいくつもの影を作り出し、 そのどれかから、次々影の槍が襲う。 槍が、ヘルティの背中を守り、 ハンマーが、隣の盾使いの背後を守った。 並みの軍隊なら、この時点で壊滅している。 だが、それでも何人もの男たちが、貫かれ、絶命した。 「ルドンっ、頭を貸せっ!」 ヘルティが、ルドンの背中を上り、頭に立った。 「うおおおおおおおおおおおっ!」 リリリリリリリリリリリリリリリリリ ヘルティの鉄弓は、非常に小さい。 だが、かわいらしい姿に似合わず、 腕力自慢のルドンですら引けないほどの強弓だった。 それが、弦楽器をかき鳴らすような音を立てた。 神技の弓術が、高みから、全員の背後の闇を射た。 「ぐおぼっ!」 闇の一つから、悲鳴が上がり、 細身の男が、転げ出た。 見事に心臓を貫かれていた。 「アニィっ、ガレあにぃっ」 ガレの背中から、闇の槍の巨大な穂先がが突き抜け、 そして煙を上げて消えていった。 「ガレっ!」 レイラを助けるために、片方の剣を投げた直後だった。 レイラの、口の中に血の味がした。 涙が、今にもふきだしそうになる。 「アネゴ、勝ったら、またやろう、ぜぃ」 ガレは、死相に笑いを浮かべながら、拳を突き出す。 もちろん、親指を拳の中から突き出して。 「ばか・・・」 ガレの声は二度と聞こえなくなった。 死者の弔いはあとでいい。 彼らはいつまでも待ってくれる。  ヒュガッ 強烈な矢の音が、ルルデアの脳髄を断ち割った。 『そ、そん・・・な・・・』 膨大な魔力の封印石を使い、広範囲殲滅呪文を使った彼女も、 対魔法剣術を学んできたレイラと、外法軍には無力だった。 そして、その向こうのがれきに、 ほろ酔いかげんのハデスが、まるで当たり前のように座っていた。 だが、周りに、無数の気配がざわざわと起こりだす。 グルルル、 あのスフィンクスも、どこかに隠れているらしかった。 「レイラの外法軍3割殲滅か、まあまあだな。」 「ハーデーエェェス!」 レイラの片目が、火を噴いていた。 全員の気配が、強烈な殺気となって放射される。 「貴様には、色々説明してもらいたい事がある。」 ギリリリ 弓が、引き絞られ、 魔力を帯びた剣が赤く結界破壊の魔法を表す。 刀剣やメイスが、光る林となって、襲いかかろうと揺れた。 「さあ、ガキども、最後の授業だ。レイラ相手なら文句はねえ。」 でかい胸の間から、グイと引っ張り出した。 きらめく小さなクリスタルの中に、赤い雫が光っていた。 ぎらつくアメジストの瞳に、悪魔のような笑いを浮かべながら、 ハデスは、クリスタルを握りつぶした。 無数の矢が飛び、刀剣やメイスが雪崩を打つように襲いかかった。 「はあ、はあ、はあ・・・・・」 闇の中の祭壇、その巨大な石舞台の上で、 全裸のハデスが、荒い息を上げていた。 白目を剥き、全身をひくつかせ、 今にも息が耐えそうなほど、激しくあえいでいた。 汗にまみれた全身に、闇色の体液がこびりつき、 身体中が燐光に包まれ、あるいは明滅し、 腹部を中心に渦を巻くように光っている。 精神までもレイプされる邪神の暴行に、 意識が明滅し、今にも砕け散りそうにまで追い詰められた。 破滅は即、精神の崩壊。 ハデスでなければ、当の昔に発狂していた。 捕まれた場所から、喰らいつかれた前後の秘所から、 無数の男の気が襲いかかり、 数百の暴徒に暴行強姦されるような衝撃が、 身体の芯まで食い荒らし、陵辱の証を身体の全てにぶちまけ続けて、 三昼夜もの間、ハデスを嬲りつくした。 ・・・・・よくたえた・・・・・・ ハデスの意識が、ようやく戻りかけたころ、 闇から、意味を持つ波動が流れ込む。 言葉に訳すなら、そういう意味だろう。 どこか、満足げな感覚があった。 ・・・・・褒美をやろう・・・・・ 指一本動かせないまま、目を必死にこじ開けて、 そちらを見た。 赤い雫が、宙に浮いていた。 クリスタルが、それを静かに包み込む。 ・・・・・時空神グリニウスの血だ・・・・・ 『んなっ?!』 あまりの驚愕に、全身の疲労すら忘れ、ハデスは裸のまま飛び起きた。 「古代神」にして、エヌヴォア12神がまだ神として世に君臨していた頃、 彼らと対立していた別の神の一人。 『ヒュペリオン』と名づけた『現在』『過去』『未来』三つの分身を持ち、 文字通り時間そのものの神として、時空魔法という現存しない魔法を司る特別な存在だった。 だがしかし、『現在、時空魔法は存在しない』。 それを司る神が存在しないという事だ。 ・・・・・時空神グリニウスが、三つの分身を生み出した時、  偶然、落ちた一粒の血がそれだ・・・・・  クリスタルが砕けた。  空気が震えた。  原初の5つの音階、万物の創生に鳴り響いたという音が、復活する。  ハデスが、消えた。 「な・・・・・っ?!」 全員が足を止め、鉄の矢はむなしく地面に突き刺さった。 「げ!」 「ああ??」 ハデスが右に、左に、前方にいた。 「分身か?」 即座に矢が襲った。 「ちがう!」 水晶球をかざした娘が、緑色の目を見開き、 無数の星の瞬く球体を見つめていた。 邪神の牙の娘は、広い額にびっしりと汗をかいていた。 「ハデス様が、3人いる。」 ハデスを表す赤い三角の印が、3つ同時に現れていた。 水晶球の中では、一切の幻術は通用しない。 『お前らは見てろ、ただひたすら見ていろ。』 導師の絶対の命令に、邪神の牙の若者たちは、 息をのんで、その光景を見ていた。 『α』 『Ω』 『Э』 ハデスの姿がまたたき、 数メートル先に現れた。 一人に襲い掛かろうとした数名が足を止めた。 白熱する火炎球が同時に飛んだ。 鉄壁のルドンが、仲間ごと吹き飛ばされた。 鉄矢が火炎球を打ち抜き、 飛び散る熱塊を、ルブルムが霧氷の膜で無力化する。 レイラの剣が風の刃を生み、火炎球を切断し、さらに左右に吹き散らした。 『$』 『Щ』 『〆』 ハデスがまたたき、 赤と、青と、黒のハデスが別の場所に現れ、 激しい雷撃が、あらゆる方向から襲いかかった。 地面に突き立てられた槍が、避雷針代わりとなり、 部隊のほとんどを守った。 だが、数名が直撃され、黒焦げになった。 『あばよ』 『レイラ』 『終わりだ』 3人のハデスが、同時に振り返った。 空間を飛び回って作った魔方陣が完成した。 その間、わずかに3秒。 レイラたちを中心に、地面から空間にまで及ぶ、 巨大な立体積層魔方陣が光った。 ハデスが炎の柱と化した。 無数の彼女が、レイラたちの周辺を囲み、 炎と化した。 「レイラ、火炎防護を!」 「ちがう、これは、火炎じゃない?!」 手が武器に凍り付いていた。 「見てっ!」 水晶球の映像が、凄まじい変化を起こした。 灼熱する周辺に対して、囲まれた空間が、真っ黒になっていく。 「すべての熱が強奪され、あの炎に変換されていく。」 「絶対熱量ゼロ・・・」 水晶球に浮かぶ計測値が、ものすごい勢いでマイナスに変わる。 「理論値マイナス12万8千、こんな魔法力ありえない!。」 一切が静止していた。 ただ何もなく、変化もなく、 絵を切り取ってそこに立てているかのように。 メイスにすがってたつビッグオーも、 空中に矢を放ったまま静止するヘルティも、 外法軍全員が、あらゆる物理現象、物理法則から切り離され、 静止した時間の中にいた。 だが、無常な時は進みだした。  パキッ  ピシッ エネルギーの流れが、静止した空間を無理やりに犯した。  パンッ 何かがはじけた。  パパパパパパパパパパパパ 立て続けに、すべての物がはじけた。 岩も、木も、人も、 分子結合を失い、破片と化した。 全てが、無と化す。 邪神の牙の若者たちは、誰一人声もなく立ちすくんだ。 「は・・・で・・・・す・・・」 声がした。 まぎれもない、レイラの声が。 見開かれた数百の目が、その姿をみた。 「そんな・・・・ばかなっ!?」 両足が崩れ、 体中がずたずたに裂けていた。 だが、レイラは死んでいなかった。 一切を無と化す『力』。 理論値マイナス12万8千。 それは、裸の人間が核の直撃を受けたに等しい。 いとおしげに、ハデスはレイラを見た。 「すげえな・・・神代の力を受けて、生きてたか。」 神官戦士のビッグオーが、己の命と引き換えに神の奇跡を祈り、 絶対防御の結界を編んだ。 その結界を取り囲み、ヘルティたちは、 ありったけの力を込めて、炎熱陣を構成し、 自分の身を火炎に変え、究極魔法の力をわずかにそらした。 「あたしは・・・生かして・・・もらえただけ・・・」 凍りついた身体は、身動き一つできない。 流す涙すら、レイラにはこぼせなかった。 「時空神の残された力だ、生き残るのはありえねえ。 絶対防御でも無理だ。 それを、成したのは、おまえたちだけだ。」 「なぜ・・・だ・・・」 なぜ、こんな事を。 『おまえたち』の言葉に、彼女は気力を振り絞った。 それだけが、今のレイラにできる最後の戦い。 アメジストの目が、優しい仲間だった頃の目をして見た。 「おめえはなぜ、そこにいる?。」 なぜ、側近になろうとしたのか。 いつの日か、あの苦しみに決着をつけたかったのか?。 獅子身中の虫となって、いつか獅子の腹を食い破ろうとしたのか?。 「そう・・・だ・・・な・・・。」 「いま、アムルも命をかけてやろうとしている。  そしてオレも。」 細い金の鎖の先に、人の犬歯が下がっていた。 「そう・・・か・・・」 ハデスも、誰かの心を抱えている。 二人は、獅子ならぬ竜の腹を食い破ろうとしていた。 細い、細い、息が漏れた。 闇が、盛り上がった。 盛り上がり、闇色のドレス姿になった。 魔女となったパーラだった。 闇色のドレスに、黒い傘をさして、 ほっそりした娘は、さびしげに笑っていた。 「また一人、逝くのね。」 「いい戦いだった。楽にしてやってくれ。」 細い首がうなずいた。 「心を抱く者よ、暖かき闇に堕ちなさい。デモンズ・ゲート。」 黒い巨大な空間が、口をあけた。 無数の触手が蠢く、底なしの闇に、 レイラの肉体は落ちた。 「うあっ、あっ、ああああ〜〜〜っ!」 ぐずぐずに崩れた体が、 暖かい快楽に取り付かれ、あらゆる傷口から、 触手がもぐりこんできた。 だが、そこには一辺の痛みもなかった。 あるのは、ただ果てしない快楽の波頭のみ。 無数の快楽が、無数の男根が、レイラの体中にのめりこみ、 肌を粘膜とし、肉を膣壁として、 彼女の全てを貫き、嬲り、犯した。 「う、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、!!!!!」 片目が見開かれた 身体が覚えていた 『ヘルティ、ブンド、鉄、ガレ、ルブルム、ビッグオー・・・』 彼女の愛した男たちのそれ、 一晩中、胎内に刻み込んだそれ、 涙が、あふれた。 『おまえたち、そこに、いるのか』 蠢き犯すそれに、 レイラは、何のためらいも無く、 意識の全てを開放した。 温かい闇の中に、彼女の意識のすべては飲み込まれていった。 『意識の崩壊を確認』 『肉体の開放と、同調、極めて高率、  優れた苗床として、吸収されていきます』 3つの暗闇の腕が、そっと何かを引き出してきた。 青、澄み切った青、 哀しいまでに輝くしずかに脈動する球体。 意識を食い尽くされ、残った魂の核。 暗闇の腕は、小さな小さな黄金の鳥かごを生み出すと、 そっとその魂を、鳥かごに入れた。 「どうするんだ、それ?」 「さあ、分からないわ。ただ、そのまま放り出すのもかわいそうみたいだし。」 「そうだな・・・」 急に、ざわざわと、闇が動いた。 闇の奥から、さらに濃い闇が、 おぞましいまでの腐臭と瘴気を濃密にあふれさせた。 目玉の無い巨大な頭が、 白くつるりとしたぬっぺらぼうのような顔を突き出す。 針金のように、ピンピンと突き立つ毛が、ざわざわと動いた。 ぬうと、手足が伸び、人の形になった。 頭だけの巨大な白い塊と、手足の生えたウニのような毛玉が、 その場でお辞儀のように動いた。 「お初にお目にかかります、私は目無しにして千里眼のモポニュティ」 「私めは、耳無しにして地獄耳のカーリマジュレィディスと申します」 「めずらしいな、高位の悪魔族かい。」 「まあ、そのような呼び方をなさる者もありますな。」 「なに、我々はジュジュハントグレブズ侯爵様の僕に過ぎませぬ。」 人間の言う悪魔族には、かなり複雑な階級制度があり、 爵位を持つ者は、膨大な軍団を指揮する支配階級に属する。 個々の魔力とは別に、この階級に属する者は、 人間には想像のつかない規模の力を持つ。 「侯爵様は、珍しい魂のコレクターをしておられます。」 「パーラ殿がお持ちのその魂、非常に気になさっておいでなのです。」 「「いかなる代償も、望む限り与えようと、おっしゃっておいでです」」 二人の悪魔が見事にハモッた。 侯爵クラスとなると、これはしゃれにならない。 世界中の富を集める事も、巨大な王国を築く事も、望むままだろう。 ふっと、パーラはわらった。 毛玉のカーリマジュレィディスに、小さな鳥かごを渡した。 「よしなに、とお伝えくださいませ。」 何も、自分に必要なものなど、ありはしないのだから。 二匹の悪魔は、顔色を変えた。 たぶん、人で言う“青ざめた”のだろうとハデスは思った。 「い、い、今なんと?!」 「ば、馬鹿者、耳無しのワシが聞いておるのだぞ。」 明らかに、うろたえていた。 悪魔がうろたえるなど、聞いたことが無い。 「どうしたんだい、いったい?。」 千里眼が汚らしい煙を吐いた。 どうも、ため息らしい。 「侯爵様は、こうおっしゃったのです。 もし、何の代償も求めず『よしなに』と言う女だったら、 その者は、私の第8夫人に迎えねばならぬ、と。」 奇妙に思われるだろうが、 神や悪魔は、己の決め事からは絶対に逃れられない。 特に配偶者や血族に迎えるには、 ある種の特別な縁が決めるのだ。 自分を裏切る事ができるのは、人間の特権なのである。 あきれた顔をして、ハデスはパーラを見た。 パーラは、意外にも驚いた様子は無かった。 「これも、宿命なのかしらね。 私も、もう人の世界にはあまりいられそうにないし。」 パーラは魔女となった後、 次第に増していく力にとまどっていた。 今では、普通の人間ならにらむだけで生命力を吸う事ができる。 抱きしめれば、即座に干からびさせる事もできる。 人里にいる事は、危険極まりない存在になっていた。 「もう少ししたら、まいりますとお伝えいただけますか。」 「我々には、時間はいくらでもございます。 魂はモポニュティが持ってまいります、 パーラ様には私めがおつきしてよろしゅうございますか?。」 同意すると、悪魔は闇に消えた。 暁が迫っていた。 もうすぐ夜が明ける。 パーラは再び闇に消え、 ハデスは、薄闇の中を歩き出した。 FIN