『とある冒険者達の一夜』 「……もうこれ以上の追手は来ないだろう」 刀についた血を振り払うと、心を落ち着かせる為に大きく息をはいた。 周りには土気色の肌になったならず者が多数に転がっている。 今更、人を何人殺そうとも何の感慨も湧かない。 しかし、普段は暗殺を生業とする自分にとって、この光景は決して気分が良いものではなかった。 むせかえるような血の匂いも、あまり好きではない…… だが、それは口元を覆うマスクのおかげで、幾分かはマシに思えた。 「結局、残ったのはそれがしだけか」 少しでも身体を休める為に、壁に背を預けてその場に腰を下ろした。 そして腕や足に走る無数の切り傷を、手早く止血していく。 傷口を布で縛るだけだが、血を失えば判断力や体力の低下に繋がる。 回復はしないが、次の行動に差し支える可能性は残らず消し去る。 小さい頃より徹底して教え込まれた事を、確実にこなす。 それこそ無意識で出来るほどに慣れた作業だった。 「さて……これからどうするべきか」 止血作業を行いながら、次の行動に思考を走らせる。 パーティーを組んでいた、エレシェ、ジキル、ルビエラは敵に捕縛された。 これがもし任務だったなら、自陣に戻るのが最善の選択だろう。 迷宮はまだ半分も攻略していない。 自分一人で、目標であるワイズナーを討つ事はどう考えても不可能だった。 「なら、何を迷う事がある」 戻るべきだと頭では答えが出ている。 しかし、それを心が止めるのだ。 また仲間を見捨てるのかという思いが、決断を鈍らせる。 「あいつらが、仲間……? ふん、何をバカな事を考えているのか」 この迷宮を解く為だけに集まった、見知らぬ他人同士…… 仲間と言うにはあまりにも頼りない関係だった。 事実、自分達は一人のパーティーメンバーを見殺しにしている。 それも仕方が無かったとは言え、今更仲間意識を出すとは虫がいい話だった。 「これから戻ってパーティーの組み直しだな。あいつらは……運が悪かったのだ」 自分に言い聞かせるようにして迷いを断ち切る。 残りの体力から考えても、町まで帰れるかどうかは分からない状況だ。 おぼこではないが、下卑た男達に身体を許すほど落ちぶれてもいない。 一刻も早く、ここを抜け出る事が最優先だと思った。 「さて行くか」 ゆっくりと立ち上がると同時に、覚えのある道を歩み始める。 自分の力を使うに価する人間を探す旅を、こんな場所で終わらせてなるものか。 自分の立てるわずかな足音だけが、迷宮の中に響いていく。 そろそろ、例の場所に行き着くはずだった。 「さて――」 少しだけずれていたマスクを元に戻し、そっと刀の柄に手を置いた。 そして神経を極限にまで張りつめ、足音と気配を一瞬にして消し去る。 この階にいる冒険者がほとんどいないせいか……周りは静寂に包まれていた。 だからこそ、わずかな音が何倍にもなって響いてくる。 モンスター達の荒い呼吸や、羽音……下衆な笑い声も…… 「参るか」 壁の影の中を走るようにして、目標の場所まで一気に駆けていく。 残された体力を考えれば、無駄な戦闘を行う余裕は無い。 ぼんやりと立っていたモンスターの脇を、気付かれる事無く抜けていった。 お荷物がいれば別だが…… 一人ならば、これくらいの障害は地面に落ちている石ころにも劣るモノだった。 そして――徐々に声が聞き取れる距離まで近づいていく。 聞こえる声からすると、相手は30前後といった所だろうか。 本来なら、もう少し慎重にタイミングと機会を窺う所なのだが…… 「鎌は返せっ! それはっ、それは私の――……くそっ!」 どこかで聞いた覚えのある声が微妙に震えている。 躊躇している暇はなさそうだった…… ならば――― ダンッ!! 勢いよく扉を蹴り開けて、腰に携えた鞘から刀を抜く。 その場にいた全員の目が、一斉に自分の方に向けられた。 「てめえ……さっきの!?」 「遅い……!!」 何事かと騒ぎ出す男達に向かって、迷いも無く一気に疾走していく。 向こうはまだ自体が飲み込めず、浮き足立っている状況だ。 そこに勝機を見いだすしか、自分に残された道はなかった。 「はぁっ―――!」 肺の奥まで空気を取り込み、短く息を吐き出す。 薄暗い部屋の中に、二本の白刃が閃いた。 それと同時に、刃が肉に食い込む感触が手にずっしりと伝わってくる。 そのまま、手を勢いよく引き下ろし、次の目標に視線を移す。 驚愕に凍りついた男の首筋を狙い、また刀を振る。 この大多数を相手に、いちいち生死を確認している暇は無い。 自分が幾度と無く経験した、命を奪った時の感触を信じるまでだった。 「一人で、乗り込んできた!?」 「ふざけやがってぇっ!!」 仲間を殺された怒りに、男達が一斉に動き出す。 武器を取ろうとする者、自分を押さえ込もうと飛び掛ってくる者……反応は様々だ。 だが、魔道士ならともかく、自分を素手で捕らえようなど…… まさに混乱している証拠に他ならない。 重心を落とし、一足飛びで入り口付近まで下がる。 「なっ――!!」 目標を失った男達の手が虚しく、自分がさっきまでいた場所を通り過ぎる。 相手から見れば、急に姿が消えたように見えただろう。 俊敏性が生命線のくの一を、図体ばかりでかい男達が捕まえられるものか。 その隙を狙って、今度は男達の手を狙って刀を振り下ろした。 「ぐわぁあああっ!!」 絶叫と共に、男達の手が血飛沫を上げて床を転がっていく。 一撃必殺が理想だが、人間は意外としぶとい生き物だ。 急所を狙っても、わずかにそれれば生き残る場合もある。 生き物と戦う時に必要な要素は二つ…… 命を確実に奪うか、戦意を喪失させるだけの傷を負わせる事。 今まで集団の暴力で幅を利かせてきた男達に、噛み付いてまで襲ってくるという闘争本能があるワケがない。 命を奪われるという恐怖と、腕を失った事実に男は呆然となり…… 次には悲鳴を上げて、壁際まで醜く後ずさりする。 こうなれば、殺したも同然だ……後は余裕を見て、蟻を指で潰すように命を奪えばいい。 「うぎゃぁああっ―――!!」 素手で襲い掛かってくるという愚かな選択をした男達を残らず斬り殺し、大きく息を吐き出す。 一息で10人……まあ、及第点といった所だろう。 「てめえ、よくも仲間を……!」 「並みの犯され方じゃ、すまねえぞ……命乞いするほど徹底的に……」 「御託は並び終えたか? それならさっさと来い、下郎ども」 こちらが驚くほど単純な挑発に乗り、男達が怒号と共に襲い掛かってくる。 その手には剣や斧と、様々な武器が握られているが……まったく恐怖心など無い。 「「うわぁああああっ!!」」 「しっ――!」 武器を振り上げて走り寄ってくる男に向かって、またもその懐深くに足を踏み入れる。 向こうはその反応に戸惑い、振り上げた腕をそのままに、躊躇するようにして固まった。 残念ながら、数の暴力を恐れるほど甘い場数を踏んできたワケじゃない。 それに、向こうには自分を殺す気がないのだ…… 殺気の感じられない攻撃の、何を恐れろと言うのか。 そんな馬鹿げた事を考えるから――命を失う事になる。 「―――っ!!」 気合の一声を発して腰を捻りこみ、独楽のように回転しながら刀を振る。 遠心力がついた一撃は構えた剣を弾き、次の刀で隙を見せた箇所に刀を突き刺す。 そのまま殺した男に背中を預けると、今度は脇にいた男に向かっていく。 後はその繰り返しだった。 槍があるなら、男もろともに串刺しにも出来るが……剣や斧ではそうもいかない。 剣で突き刺そうが、防具をつけた男の身体を突き通した時には、そこに自分の姿はない。 「ちぃっ……!」 戦況が不利だと悟ったのか、数人の男達が部屋の扉に向かっていく。 まずい――増援を呼ばれたら持ち堪えられない。 「逃がすかっ!」 「そいつは、こっちの台詞だよっ!!」 「くっ!?」 進行を邪魔するようにして、残っていた男達が入り口の扉を固める。 どうあっても……自分を逃がさないつもりらしい。 「それがしでも、さすがにきついか……」 少しでも休憩をとる為に、男達との間合いを大きく広げる。 そこには……全裸になったエレシェとジキルがいて、まるで寄り添うようにして座っていた。 「あ、あんた……どうして、戻ってきたの?」 エレシェが信じられないという目で、自分を見上げていた。 当然の反応と疑問だろう…… 「さてね……」 今は喋る体力すら惜しい。 視線でならず者達を牽制しながら、呼吸を整える。 ダメージこそなかったものの…… 手足には疲労感が蓄積し、傷口を縛った布からは血が滲み出していた。 戦闘が長引けば長引くほど、こちらが不利になるのは明白だった。 「それでも……それがしが一人でやるしかない、か」 刀を再び構え直すと同時に、通路の方から大勢の男達の声が聞こえてくる。 何人来ようが、自分のする事は決まっている。 柄を握っていた指に力を込めると、再び大きく息を吸い込み…… 鼻息を荒くして待つ男達の中に駆けていった。 「はぁ……はぁっ! はぁっ!!」 肺が痛いほどに激しく凝縮し、心臓が脈打つ音さえ聞こえてくる。 マスクを顎下まで降ろすと、少しでも酸素を取り込もうと何度も深呼吸をした。 「すごっ! あんた、こんなに強かったんだ」 壁際で小さくなっていたエレシェが、感心と安堵の表情を浮かべて話し掛けてくる。 相変わらず、ジキルの方は無表情で何を考えているか分からないが……喜んでいるように見えた。 「そう、だな……それがしも少々驚いている」 部屋内には50……いや、60近い男達の屍が転がっていた。 くの一で一日にこれだけの人数を、しかも白兵戦で殺したとは前代未聞だろう。 苦笑と共に、自嘲の念が込み上げてくる。 我ながら大胆を通り越して、無謀とも言える救出劇をよくこなせたものだ。 「んっ……」 さっきとは比べものにならないほどの濃い血臭に、頭の奥がズキンと痛む。 暗殺以外にも、いやというほど嗅いできた匂いだ。 大勢の仲間達が処刑される所、あるいは致命傷をおってまで伝えてくれた報告。 それらの光景を、小さい頃から当たり前のように見てきた。 組織の道具として忍びは存在する。 それは当然の事実だが、その道具にだって命はあるし意思もある。 使い捨ての道具のように扱われる為に、自分達は物心ついた時から訓練に明け暮れていたワケではない。 「どうかしたの……?」 「いや、何でもない……」 少しだけ、昔の感傷に囚われていたようだ。 頭を軽く振って気持ちを入れ替えると、マスクで再び口元を隠した。 「では行くか」 二人の縄を切ると、早速通路の方の気配を探る。 「今の所、大丈夫のようだ。だが、他の連中がいつ気付くとも限らん。早く出るぞ」 「……ねえ、あんた本当にカオス側の人間? 逆欺瞞持ちとかじゃなくて?」 「言ってる意味がよく分からん……何が言いたい」 「意外といい奴じゃないと思ってさ」 いい奴か……感謝されていると思うべきなのだろうか。 自分でも正直な所、何故ここに来たのかよく分からない。 一人で脱出するより、こいつらを救出した方が良いと考え直したのか…… 目の前で見捨てていった仲間に対する、贖罪のつもりなのか。 いずれにせよ、自己満足、偽善といったろくでもない理由だろう。 助けたからと言って、こいつらに感謝される事ではない。 「礼などいらぬ……全く不甲斐ない奴らだ」 それだけを言い残して、さっさと監禁玄室を後にする。 「わぁっ! ちょっと待って! 外法忍者は超外道!」 「……(あせあせ)」 置いていかれると思ったのか、二人が慌てた様子で後から付いてくる。 そんな声を聞いて、マスクの下にある口がわずかに緩んだ。 どうせこいつらとも、今回限りの縁だろうが…… 形ばかりとは言え、自分の仲間になったのだ。 それなら、この力を使ってやれるだけの事はやってやろう。 その結果どうなろうと、悔いだけは残らないように…… 「大声を出すな。気付かれるだろう」 後ろを振り向き、二人が来るのをしばらく待ってやる。 『哀れ』としか言えない格好で近寄ってくる二人を見ながら…… 少しだけ込み上げてきた暖かい感情を、胸の奥に仕舞いこんだ。