<キオク>

<キオク>

 好きな色は何?と聞かれて返事に困った。
 世の理(ことわり)を解する賢者である筈の彼女が、困ったような表情で首を傾げる仕草は何処か脆く儚い。
 行きたいトコロは何処?と聞かれて、分からなかった。
 すぐに返事が出来ずに、困ったような表情を深める彼女を、仲間たちは優しく笑った。
 本当は、好きな色が無いのではなく、好きな色という質問が上手く理解できなかったのだ。
 好きな服の色は淡青色だし、好きな薔薇の花の色は深紅・・・。好きな空の色は蒼で、好きな建物の色は白亜・・・。
 嫌いな色があるのではなく、好きな色の組み合わせがあるだけ。
 なりたいのは、優しい人。
 なりたいのは、誰かを守れる人。
 いつも、次の日にはもっと素晴らしい出来事があるような気がしている。
 ずっと辛い日々ばかりだったけど、明日になれば・・・次の月には。
 今度出会う人、今度ご飯を食べに行くトコロは、そして、次の恋は。
 だから。
 季節といえば、いつもいつも、いつだって次に来る季節が一番好き。
 春なら夏、夏なら秋、秋なら冬、そして、冬なら春・・・。
 彼女の黒曜の瞳は、いつもいつも、次の季節を眺めていたに違いない。


(ごめんなさい・・・ごめんなさい)
 迷宮の最下層である10階。
 彼女は、自身に襲いかかる未体験の仕打ちに翻弄され、激しい陵辱に喘いでいたが、その柔らかな心を蝕んでいたのは自らへの
仕打ちだけではなく、目の前に繰り広げられる仲間たちの苦しみ・・・。
(ごめんなさい・・・あの時、罠にちゃんと気付いていれば・・・)
 いつも陰日向にパーティーを支え、口は悪かったが自分たちをフォローしてくれていたセルビナ。
 献身的にパーティーの為にその身を犠牲にし、時に心身の傷を癒してくれたセレニウス。
 そして、いつの間にか愛する妹のような存在になつていたコトネ。
 彼女はそんな仲間たちに、ただひたすら心の中で詫びていた。
 自分のせいで・・・。
 自分が、あの時・・・。
 そんな自らを責める想いは、着実に賢者の心を蝕んでいく・・・。
 そして、ならず者たちは、平等にその牙を獲物たちに向けていた。
(一日・・・一日だけ耐えろ。そうすれば、必ず助けに来る)
 影のリーダーであるセルビナもまた、激しい陵辱に耐えながら必死に紫の賢者を探していた。
 初めて会った時から、こんな迷宮に何でこんなのがウロウロしているのか、と怪訝に思ったものだ。
 賢者としての才能は疑うべくもないものであったが、どう考えても「場違い」な存在であった。
 案の定、ならず者たちは花に引き寄せられる虫の如く彼女に引き寄せられ、相手をしたならず者たちは、他のパーティーの面々
一人ひとりのほぼ倍・・・。
(せめて・・・半日だけ耐えろ)
 歴戦の軽戦士は、決して強くない賢者のことをよく理解っていたのかもしれない。
 その身体も、心も、脆すぎる彼女にとって、自らの陵辱と、仲間たちの陵辱を目の当たりにするショックは・・・。
 ・・・そして、わずか半日。
 紫の賢者の心は砕かれ、ならず者たちの手によって堕ちたのである・・・。


「馬鹿が」
 彼女は何度かそう言ってきたかもしれないが、その言葉はもう賢者の耳には届いていない。
 紫の髪は相変わらず美しかったが、閉ざされた黒曜の瞳は、もう、何も写さない。
「・・・・・・」
 殉死したかのように、隣で倒れ伏した若者の手に握られたのは、一通の密書。
 拾い上げたセレニウスが軽く目を通すと、深い溜息をつき、無言でセルビナに渡す。
 神官戦士は、伝える言葉、唱えるべき言葉も知らず、ただ、その静かな顔を見ているしかない。
「なるほどな・・・」
 密書は、彼女の祖国で起こった政変が簡潔に記されていた。
 若者は彼女がそれを読んだ時、どのような反応を示すかを知っていて届けたのか、それとも・・・?
「自分を犯した男が、姉を犯して、祖国を乗っ取った、か・・・」
 彼女の父には、愛していた正妻がいた。
 しかし、世継ぎ問題で周囲に促されたか、側室を迎え子供を生ませる・・・それが姉内親王。
 だが、その後、父は正妻との間にも子をもうける・・・それが妹内親王・・・彼女・・・。
 そんな父の姿が、彼女の過剰なまでの潔癖症を育んだのは言うまでもない。
 それでも、彼女は、父も、姉も・・・愛していたのだ。
 だからこそ、文句一つ言わず、陰謀で放り込まれた迷宮探索にも励んでいたのだ。
 いつかきっと、心から笑って会える日が来る。
 いつか、きっと。
 次に会う時には。
 いつか、帰れる時には。
 そんな姉・・・国・・・。
 自らの陵辱と、仲間たちへの陵辱で無理矢理堕とされた心・・・。
 彼女が自害を何度となく図ったのも無理はなかった。
 そして、辛うじてバランスを取っていた彼女の心の箍を外すには充分すぎる、一通の密書・・・。
 彼女が愛していたコトネは、部屋にはいない。
「・・・馬鹿が・・・」
 不意に、激しくセルビナが唇を噛み締めた。
 微かにその肩が震えるのを、かける言葉もなくセレニウスが見つめる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 眠るように横たわる賢者を前に、二人はただ黙ってその静かな顔をいつまでも見つめていた・・・。


「好きな季節、ですか?」
 彼女は透き通る風のような笑顔を向けた。
 ふわり、と風が紫の髪を揺らし、花のような香りが匂いたつ。
「そうですね・・・今は・・・秋、ですね」
「今は?」
「今の夏も好きですけど、夏の終わり・・・哀しいくらいの秋風が吹いて、冬の準備をしているような・・・。色とりどりに染まる木々の葉・・・一つの命が終わって、次の命を育む準備をしているような・・・」
「そんなものかな?」
「はい。・・・そおいうものです」
 好きな季節はいつ?と聞かれた時、心弱き賢者は、いつも精一杯真摯に応えていた。
 いつもいつも、次に来る季節が好きだ、と。
 彼女は、常に従順に運命を受け入れ、文句一つ言わず、その瞳には優しい微笑みを浮かべて、その定めに身を任せていた。どんなに辛い時も、誰かと目が合った時には自然と笑みが浮かんでいた。
 もしかしたら、彼女は初めて、定めに身を任せず、自分で自分の歩く道を決めたのかもしれない。
「・・・いつも、次の日にはもっと素晴らしい出来事があるような気がしているんです。
 ずっと辛い日々ばかりだったですけど、明日になれば・・・次の月には・・・
 今度出会う人、今度ご飯を食べに行くトコロは、そして、次の恋は・・・
 だから。
 季節といえば、いつもいつも、いつだって次に来る季節が一番好きです。
 春なら夏、夏なら秋、秋なら冬、そして、冬なら春・・・」

 もう、彼女の黒曜の瞳が次の季節を眺めることも、その紫の髪が風に揺れることは永遠になかった・・・。