<口論>


「聞き捨てならねえなあ、今のセリフ」
「??」
 不意に一人の酔客がフォルテの背後に立った。
「何だって?」
「何よ?」
 その荒れた口調と、妙な立ち居振る舞いから、思わずセルビナとコトネが席を立つ。
 ここは宿屋についている酒場。
 時間が半端なせいだろうか。客は少なく、コトネパーティーと、数人の酔客がいるだけだ。
「どうされたんですか?」
 さり気なく椅子をフォルテの方にずらしながら、男を刺激しないようにセレニウスが声を掛けるが、酔った男には聞く素振りもない。むしろ困惑したように自分を見上げるフォルテの表情に、男の濁った目が段々血走ってきているようにすら見える。
「お前等、捕われの王女殿下を差し置いて、そこらの冒険者どもを先に助けようっていうのか?」
「いえ・・・別にそういう事を申し上げたのではなくて・・・」
 こういう時、むしろフォルテのような人間が口を開くと、大体ややこしくなるものだ。
 愛国者を気取る酔漢は、益々目を充血させて、また一歩フォルテに迫る。
「失われて良い人は一人もいないだって?王女殿下と、報酬に目が眩んだ冒険者どもを一緒にするなんざ、正気の沙汰じゃねえぞ!」
「だから、フォルテはそういう事を言っているんじゃないんだってば!」
 コトネが豊かな胸を張って男を見上げて叫ぶが、如何せん迫力不足は否めない。
「国を思い身を危うくされた王女殿下を最優先にお助けするのが、お前等の使命ってもんじゃねえのか?どうせ報酬で釣られたん
だろうが!?」
「王女殿下は確かに失われて良い方ではないです。でも、迷宮に挑む人一人ひとりもまた、同じ人なんですよ?何故、その方々を捨て置けるのですか?」
 経験豊富なセレニウスに言わせれば、男の戯言にいちいち生真面目に応対する必要はないのだが、育ちの成せる技か、賢者は律儀に男の言葉に応え・・・そしてますます男の苛立ちを強めている。天然、と言うべきか、今まで人の悪意に晒された事が少ないというか・・・。
「うるせえ、お前の物の言い様を聞いているとイライラすんだよ。どうせ、性奴隷になって喜んでる奴もいるようなお仲間だろうが。冒険者風情が、さっさと王女殿下を助けに行けってんだ」
「今の御言葉・・・本気ですか?」
 無論、男がフォルテの出自など知る由もない。
 案の定、男は激高して一歩フォルテの方に踏み出したが、いつもと違う賢者の眼差しがその脚を止めさせた。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
 真っ直ぐに黒曜の瞳が男の顔を見上げ、目を逸らす事を許さない。
 いつも柔らかい微笑みが浮かぶ瞳は、怖いくらいに澄んで、男の顔を鏡のように映し出す。
(うわ・・・もしかして・・・フォルテが・・・怒ってる??)
 思わずコトネがフォルテの顔を覗きこむくらい、その表情は真剣であった。
 彼女の喜怒哀楽は、大体分かりやすいものであったが、そおいえば彼女が「怒っている」ように見えるのは初めてだったかもしれない。一応、彼女も迷宮で修羅場を潜った歴戦の賢者である。普段は人当たりよくニコニコしている彼女が、そおいう表情をすると、不意に近寄りがたいオーラが立ち上るような錯覚を覚えた。
(・・・やっぱり・・・怒ってる・・・相当・・・)
 彼女にとって、自分ではなく「仲間」が辱められる事が、もっとも深いタブーであった。
 王族であれ、市井の者であれ、彼女にとっては、誰一人失って良い存在ではない。
 そして、みんな彼女のそんな性格をよく知っている。
「・・・だったら、貴女がさっさと行けば宜しいのではないですか?」
 しばらく二人の遣り取りを黙って聞いていたセレニウスが、氷のように冷たい声で言い放った。
 いつも冷静な神官戦士が、このような物の言い様をすることも珍しい。
「偉そうに人に指図するくらいなら、まずお前が行ってこい。自分は安全なトコロでふんぞり返って、言いたい事言ってる奴の方が虫唾が走る」
「な、な、な・・・」
 畳み掛けるようにセルビナが言うと、男の顔が真っ青になり、またすぐに真っ赤になる。
 握り締めた拳がわなわなと振るえ、ぎょろりとした目がパーティーを睨みつける。
「何よ?」
 一歩も引かずにコトネが睨み返す。
 間に入る形になったフォルテが、困ったような表情で男とパーティーを見比べ、何とか間を取ろうと口を開きかけるが、生来の押しの弱さ故か、何も言えずにまた黙り込んだ。
 ・・・居心地の悪い沈黙が男を包む。
「う、うるせえ!!!!!」
 そして、完全に追い詰められた男が・・・理性を失った男が取る道は大概は一つ。
 一番弱そうな相手に狙いを定めて、男の腕力に物を言わせる事。
「お前等、薄汚い冒険者のくせに王女を侮辱しやがって・・・!」
 無論、相手は決まっている。
 一番、組みし易いように見えたから、彼女に難癖をつけたのだ。
「お前が・・・っ!!!」
 ドガッッッッッッツツ!!!!
 フォルテに殴りかかろうとした男の脚を、素早くコトネが払おうとするよりも早く。
 一人の男の拳が、酔漢の頭を一撃で凹ませていた。・・・比喩でも何でもなく。
「・・・オニヘイ・・・さん??」
「おっちゃん!!」
 誰に気付かれることもなく、男の背後に近寄り、一撃で沈めたのはオニヘイであった。
 この男が腕力を振るうのを目前にするのは初めてであったが、オニヘイの凄まじい一撃は男を完全に失神させている。
「カスが・・・。俺の商品に手を・・・あわわ・・・」
「あ・・・ありがとうございました」
 オニヘイの手には、巨大な花束。
 どうやら、コトネのお見舞いに来たらしい。
「ふん」
 セルビナとセレニウスが、オニヘイに一瞥をくれると、黙って席を離れる。
 二人にとって、オニヘイは年少組の二人に悪影響を与える「悪い大人」そのものである。
 そして何よりも。
 ・・・歴戦の二人が男を取り押さえようと動くよりも早く、オニヘイは動いていた。
 その事実を冷静に見定めていたのは、年長組の二人だけであっただろう。
 とりあえず、助けてもらった事は助けてもらったので、今日のトコロは大目に見るつもりになったらしい。
 黙って年長組は二階に立ち去った。
「いちいち真面目だねえ・・・。こおいうのは相手にしないに限る」
 ピクリとも動かない男をオニヘイが蹴っ飛ばす。
 セルビナやセレニウスが自分を警戒している事を、オニヘイはよく分かっている。
 そして、フォルテも、多分自分を警戒しているのだろう、ということも・・・。
 それでも、律儀に頭を下げる賢者をオニヘイは複雑な目で眺める。
 ・・・本当は、この女がココにいる事自体が色々な意味でリスクなんだが・・・。
 だから、堕ちたらすぐ買い取れるように手配したのだ。無論、コトネの為、というのも半分はあるが。
 自分の正体が、ドコまでバレているのか気付いていない鈍感さは、多分天然のものに違いなかった。
「コトネちゃん!元気になったかい!?」
 だが、オニヘイはそんな内心の計算はおくびにも出さずに、満面の笑みで愛する少女に花束を差し出したのであった。

 ・・・コトネパーティーが迷宮に再び挑む、数日前の些細な出来事であった。