<陥穽>

「それでも、あのクソ真面目な割りにドジな賢者殿は、失われて良い人など一人もいません、と本気で言い張って、誰であれ助けに行くんだろうな・・・。折角無事に帰れそうだっていうのに」
 珍しくオニヘイが遠い目をして呟いた。
「はい?何か言いましたかい?」
 部下の一人が、怪訝そうな顔をして振り返る。
「あ?いや、何でもない。ちょっと、考え事をしていただけだ」
 彼の下には、プールでずぶ濡れになりつつも、コトネたちは無事に地上に戻ってきそうだという報告が既に入っている。いつものオニヘイであれば「ちっ」と舌打ちをして、捕縛の機会を逸した事を悔しがりそうなものであったが、今日の彼はいつもと少しだけ違っていたのかもしれない。
「おい、コトネちゃんが余計にケガしてないか、風邪でもひいていないか、しっかり報告しろよ!」
 やや大きな声で指示を出すと、男は席を立ち、自分の店を後にしていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい」
 ちなみにフォルテは、泳げない。
 というか、泳がなければならないような状況に陥ったのは今回が初めてだったかもしれない。
 ・・・まあ、その生まれ育ちを考えれば、当然かもしれないが。
「もう・・・仕方ないなあ・・・」
 どちらかというとフォルテよりも重傷の筈のコトネにまで慰められては立つ瀬がない。
 それでも、ケガの為泳げないコトネをしっかりと支えて彼女をなるべく水につけないようにしたのは、彼女の腕力を考えれば上出来だったかもしれない。無論、浮力、という目に見えない力も働いていたが。
 鎧をつけているセルビナやセレニウス、コトネに比べると、普通の服を着ている彼女は、水に濡れる前と後では随分と印象が変わる。・・・有体に言えば、しっかりとメリハリのある身体のラインが浮き出てしまっていたが、それを鑑賞する者は周囲に幸いにもいない・・・らしい。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 本人は、全然その事に気付かず、魔法の力で火を起こし、真っ青な顔をしているコトネの身体をさすりながら、何とか暖めようと必死になっている。
「麻痺している身では罠が見抜けないのも仕方ない。まあ、プールで良かった」
「そんなに慌てていないで、貴女も火にあたらないと風邪をひきますよ」
 年長組二人は、火にあたりながらフォルテに声をかけた。
「もうすぐ街だ。街についたら、すぐ治るさ」
 相変わらずセルビナの判断は冷静である。
「貴女は、コトネさんの事になると見境がなくなる事がありますね。・・・何かトラウマでも?」
「!?」
 神官戦士の言葉は、紫の賢者を一瞬にして現実に引き戻していた。
「どうですか?コトネさんは知っているようですけれども、そろそろ年長者にもお話されたらどうですか?少しは楽になるのではないですか??」
 それは、決して詮索ではない。いつも彼女が辛そうな表情をしていて、そんな彼女をコトネがまた辛そうな表情で見ているのが不憫だっただけだ。・・・もっとも、そうでも言わないと、コトネはともかく、フォルテが濡れた身体を火の側に寄せなかったからというのもあったが・・・。
「・・・・・・・・・・・」
「話してみたら?私も知っている事と知らない事があるし。折角みんなで頑張ってきたんだから、打ち明けてみたら?」
 逡巡する賢者の背を、コトネの明るい声が後押しする。
「いつも考え事しながら歩くから、たまにドジを踏むんだ。言ってみな」
 セルビナの声は優しかった。
「そ、そうですね。今まで散々ご迷惑をおかけしてきましたから・・・」
 軽く凍えた身体を震わせ、フォルテはパーティーの仲間たちを見回した。
 全員、大切な仲間である。
 沢山、沢山迷惑をかけてきたけれども、その度に助けてくれた仲間である。
 何度、自分の身を犠牲にして助けてくれただろう。
 何度、その武器を振るい、助けてくれただろう。
「えっと・・・」


 彼女の本当の身分は、内親王・・・。
 母は父との熱愛の末結ばれた正妃だったが身体が弱く、最初は子に恵まれなかった。そんな母を尻目に、やがて父は側室に子供
を産ませた・・・。それが姉内親王。
 でも、その後、母が自分を産む。彼女は正妃の子・・・年下の妹内親王。
 年下ながらも正妃の子か、年上の側室の子か・・・。
 そんな中、母が亡くなる。何故かは知らない。当時、彼女は幼かったから。誰も教えてはくれない。
 そして、側室が正妃に繰り上がる。父は彼女を愛してくれたが、単に亡くなった母の面影を見ていただけだと思う。
 彼女は姉を慕っていたが、姉は何となく冷たかった。姉の取り巻きも・・・。
 唯一人、顔の怖い大入道のような老人は、自分といつも遊んでくれていた。
 ある日、誰かに誘拐される。
 気付けば、ココにいた。
「この試練を乗り越えよ。民の苦しみを救え。父王もそれを望んでいる・・・」
 最初は嫌だった。
 周囲の冒険者たちは、恐怖の対象でしかなかった。
 自分たちを陵辱の対象としか見ない、ならず者たちも怖かった。
 でも、父の望み、と言われれば、仕方がなかった。
 迷宮のせいで苦しんでいる民を見ると、放ってはおけなかった。
 そして、いつの間には、心許せる「仲間」という存在が出来た。
 あそこでは、決して得られなかった存在・・・。
 だから、自分は、生きていられる。
 まだ、ここで。


「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
 セレニウスとコトネは、何とも言えない顔で火を眺めていた。
 フォルテは、微かに震える自分の身体を抱きしめていた。
 そして。
「とりあえず、最低の父親だな。お前の潔癖さも良く分かる」
 居心地の悪い沈黙を突き破ったのはセルビナだった。
「第一に、愛して結婚したんだったら、浮気をするな、だ。どうせ世継ぎがどうのこうのと言われたんだろうが、浮気は浮気だ。第二に、その後正妻に子を生ませたら、それがしかも女の子だったら、どれだけややこしくなるか考えもしなかったトコロが阿呆だ」
 多分、軽戦士はフォルテを慰めようとしてくれているのだろう。
 言葉はキツいが、フォルテの細い肩をポンポン、と叩く。
「貴女のドジ・・・失礼、迂闊なトコロは、ここに放り込まれた後の伝言を、父君からのものと信じて疑わないトコロですね」
 神官戦士が、うんうん、と頷きながら言葉を継いだ。
「貴女ような人間が、何でココにいるのかずっと不思議でしたけれども・・・そんな言葉を頼りにするほど、貴女は父君を愛していらっしゃるんですね」
「・・・そう・・・ですね」
 何となく、引っかかるものを感じながらも、フォルテはセレニウスの言葉に頷いた。 あれだけ母を愛していた父が、母でない女性と子供を作った事は彼女の心に深い傷を作っていたが、それでも父を嫌いになれなかったのは真実であった。改めて神官戦士に指摘されると、何となく温かいものが胸に湧く。
「でも、いいじゃん。本当のお姉ちゃんはフォルテに冷たかったかもしれないけど、私は優しくしてあげるし、フォルテも私には優しいから」
 屈託のない顔でコトネが笑う。
 火にあたったのと、フォルテが懸命に全身をさすったからか、その顔には血色が戻ってきていた。
「私は、フォルテと会えてよかったし、セレニウスさんやセルビナさんとも会えて良かったよ!ずっと一緒に居たいと思っているよ!!」
「え、ええ・・・」
 不意に、賢者の瞳から泪が溢れ出てくる。
「あらあら」
 セレニウスが苦笑を浮かべながら立ち上がる。
「とりあえず、ここまで来れば、多少ドジを踏んでも大丈夫。戻れますよ」
「ああ。まずは街に戻って、体勢を整えないとな。久しぶりの街で情報収集もしないとな」
 二人の年長者の言葉に、フォルテは泪を拭い、コトネがやや足元はもつれさせてはいたが、しっかりと立ち上がる。
「さあ、もうすぐだ。泣いている暇はないぞ」
「は、はい」
 身体は麻痺していたが、胸の奥は何となく暖かかった。
「じゃあ、行くよ」
 リーダーであるコトネの言葉と共に、パーティーはその場を後にし、もう一度歩き始めていた・・・。



「手兵をかの国に潜り込ませたそうだな」
「・・・・・・・・・・」
 父君が同じとは言え、母君が違うだけで、ここまで印象が違うものか・・・。
 彼女の前に伺候した時、いつも同じ思いが老いた猛将の胸に去来する。丸坊主の頭は深く下げられたまま、注意深くその視線は
もう一人の内親王から逸らされている。
「これだから、武骨者は・・・」
 確かに美しい女性ではあったが、そこには周囲を寄せ付けない「何か」が漂っていた。
「もっとも、今まで、生き残っているとは思わなかった。あの忌々しい母親譲りの魔力は健在、というわけだな」
 だが、その言葉の裏に潜んだ「毒」を聞きとがめ、思わず丸坊主が頭を上げる。
「何の為に、あの地に放り込んだのやら・・・」
 何がおかしいのか、紫の賢者の義姉にあたる女性は、美しい声で笑った。
 だが、その黒の瞳・・・姉と妹の唯一の共通点は、父と同じその瞳だけだっだ・・・は決して笑わず、注意深く坊主頭を見つめている・・・いつも、その瞳に笑みを浮かべる義妹とはあまりにも異なる笑い・・・。その笑いは、歴戦の勇者でもある男を思わず不安に陥れる。
「かの迷宮を作ったのは、かの国の王族たち。そして伝え聞く、国の命で<あれ>に挑んだ冒険者たちの末路・・・。あるのかないのか知れぬ真実。あの国の弟王子は善良が取り得の無害な代物だと聞く・・・我が国と似ておるな。そして、起こった戦争・・・。経験浅い弟を補佐し、勇敢に国難にあたる王女・・・」
 その言葉の裏には、隠しようのないトゲが潜まれている。
 唇が笑っているだけに、余計に残酷な響きが際立つ事を、彼女は知っているのだろうか・・・。
「そして、義侠心厚い一国の内親王が<自らの意思>で、他国の民の為に迷宮に挑み、その処女を散らし、性奴隷に堕ちる・・・」
「殿下!!」
 思わず、大入道が口を開いた。・・・その毒は、聞き流すにはあんまりな内容であったのだ。
「だが・・・その迷宮、喧伝される危機が、真実でなかったら・・・どうじゃ?」
「!」
 しかし、大入道の紅潮した顔は、思いもよらぬ内親王の言葉に一気に冷め果てる。
「義妹は、何を考えているかは知らぬが律儀に迷宮に挑んでおるそうな。どうせ、無理に連れ戻され、国に乱を呼ぶくらいなら自害する、ぐらいの事は言われたのであろう?」
「・・・・・・・・・・」
「その迷宮・・・かの危機が、あの国の自作自演であったとしたら・・・?自国の内親王が、お忍びとは言え、他国の危機に同情し、迷宮に飛び込み・・・あえなく無残な最期を遂げる・・・。そして、その迷宮が、事もあろうに、かの国の一部の者が己の利益の為に仕組んだものであれば・・・?心優しき内親王を失った陛下をは
じめ臣下一同、国民皆激怒し、その矛先をドコに向けるか・・・」
「殿下・・・」
 妖艶な笑みを浮かべる姉内親王を見る大入道の目が張り裂けんばかりに見開かれ、握り締めた拳が震える。
 何故、あれほど彼女を愛している陛下が、無理矢理にでも彼女を連れ戻そうとしないのかが、ずっと不思議であった。
 何故、隠密行動とは言え、手兵を動かした自分に対して、姉内親王が何も言わないのかが、ずっと謎であった。
「・・・殿下・・・」
 この美しくも残酷な姉内親王は、何を見ていたのだろうか・・・。
 強引な拉致の結果とは言え・・・いや、むしろ強引な拉致であったからこそ、自分が国に戻れば乱が起こる事を知る聡明で心優しい義妹が、放り込まれた先の国難に目を背ける訳もない。あの拉致を、妹内親王の悲劇的な末路で覆い隠し、その責を他国になすりつけ、それを声高に喧伝し、侵攻の口実とするのか・・・。
「あの迷宮が、真実、自作自演であろうがなかろうが、誰の思惑のものであっても実際には構わん。理屈は後からついてくる・・・。必要なのは尤もらしい大義名
分のみ。・・・兵の用意をしておくのだな。この話は、先程父上には申し上げておいた。・・・無論、非常に御立腹であった」
 もう一度、姉内親王は笑った。
「唯一人がましいと言われた王女も、好都合な事に行方不明と聞く。・・・宣戦布告、出兵の準備は・・・一週間ほど掛かるか?」
「御意・・・」
 やり場のない怒りに苛まれながら老将は平伏した。
「それまで・・・あれが生きていればいいな。死んでいたら、父上は悲しむ・・・。かの国との全面戦争になるな」
 むしろ楽しそうに姉内親王は、もう一度笑った。
「その際には、弔い合戦だ。せいぜい、励むがよい」
「・・・・・・・・・・・」
 美しい姉内親王は、楽しげに言い捨てると、返事を待たずに、その踵を返したのであった・・・。