<勘違い〜山盛りの焼き菓子〜>

「・・・・・・・・・・・」
 ここ数日。
 彼女は宿屋でおとなしく窓の外を眺めていた。
「・・・・・・・・・・」
 黒曜の眼差しが、とりとめもなく風景を眺め、まばたきをして、また、何処か遠くに視線を飛ばす。ふわりと風が吹き、長い紫髪が流れ、軽く手で押さえる。
「・・・・・・・・・・・・もぅ・・・」
 ここ数日。
 周囲の空気が変であった。
 まるで、かつて自分が居た場所のように。
 誰かが見ている。
 誰かが覗いている。
 誰かが勘繰っている。
 そのような空気に敏感すぎたのが、彼女の不幸だったのかもしれない。
「・・・もう、やめてください」
 ふと、その柔らかな唇が動く。部屋には誰もいないのに。
 吐息に乗せたような声は、風の魔法で「そこ」に届いた。
 町民風の身なりをした、目立たない中肉中背の男が、びくっと身体をふるわせるのが見える。
「望んでここに居るのです。罪のない方々を巻き込むのは、もう、やめて下さい。貴方が<どちらの方>かは知りませんが、もう、お帰りください。私は、今のままでいる事が望みなのです」
 自分が診療した人間が何人も死んだ事がショックだった。
 自分に誤りがない、と過信するほど彼女は自惚れることはなかったが、自分を包む空気の変化と、ほぼ同時に起きた「事件」を彼女は容易に結びつけていた。コトネと歩いている時、街の者たちが白い目を自分に向けてくるのと同じくらい、違う視線を感じる・・・。
「お伝えください」
 男がこちらを見た。・・・明らかに、自分が誰かを知らされている表情であった。
「多分、あの方の手の者ですね」
 あちら側の者であれば、暗殺しようと思えば簡単な距離であった。だが、男は恐縮したように視線を地に投げるだけ・・・。人目がなければ、膝まずいていたかもしれない。
 彼女は賢者ではあったが、全能ではない。
 彼女は自分が知っている範囲、知識の中だけで、出来事を推測するしかない。
 彼女の推測は、半分は当たっていたし、半分は外れていた。・・・不幸なことに。
「お帰りください」
 ・・・自分の敵にしろ味方にしろ、彼女が知っている「彼ら」は彼女の思惑など関係なく、彼女の周囲に居る者たちを生ある者、意思ある者としては扱わないだろう。あそこに住む者たちは、自らの手を汚すことなく他人を殺め続けたせいか、どうもそのあたりの感覚が麻痺しているに違いない・・・。コトネの為に尽くすオニヘ
イの方が、よほど人間らしいと思える。
「この国は、戦乱で傷ついています。無用の流血を望みません。どうか、放っておいて下さい。何より、私の側にいてくれる方々・・・あの方々に危害を加えるならば、私は貴方たちも、自分も許しません。自分のせいで誰かが傷つくならば、舌を噛んで死んだ方がマシです。既に、貴方たちは、罪のない病人を殺める罪を・・・」
 明らかに訓練された動きで男が彼女の声が届く範囲から撤退するのと、コトネが部屋に入ってきたのは、ほぼ同時であった。
「あ・・・」
 何となく、いつもの彼女と違うコトに、コトネは敏感に気付いていた。いつも、自分たちより三歩は引いて歩く彼女とは違う彼女・・・でも、何となく、泣き出す寸前のような紫の賢者・・・。
「えっと・・・」
 困ったように首を傾げる仕草が愛らしい。
「あのコト・・・まだ気にしてる?・・・うん、大丈夫だよ。迷宮でもフォルテの回復魔法って全然問題ないでしょ?もしかしたら、死んじゃった人たちは違う原因で死んだかもしれないし・・・」
 両手でようやく持てる大皿に、山のように盛られた手製の焼き菓子が、ホカホカと湯気を立てている。ちょっと無理をして浮かべた笑顔を見たフォルテの眼差しが哀しそうに伏せられると、慌てたようにコトネが駆け寄った。
「もしかしたら、フォルテが無料で診察してることに嫉妬したドコかの闇医者が手を回したのかもしれないし・・・でも、そんなヤツがいたら、絶対に許さないけどね!」
 もしかしたら、コトネも賢者だったのかもしれない。
 彼女の手を握ろうとするが、あいにく両手はお皿で塞がっている。
 困ったような表情を浮かべる少女を見て、黒曜の瞳が潤んだ。
「・・・・・・・・」
 くすり、と。
 賢者が泣き笑いのような表情になる。
「な、なんで笑うの!?」
 心配しながらも、思わず頬を膨らませるコトネを見て、フォルテの笑みがより鮮やかになった。すぅっと、一筋の涙が頬に落ちる。
「いつも、助けてくれてありがとうございます。大好きです。そおいうトコ」
 彼女がコトネに、大好き、と言ったのは、これが初めてだったかもしれない。
「な、な、急にどうしちゃったの??」
 思わず赤くなって口ごもるコトネを、お皿ごとフォルテが軽く抱きしめた。たっぷり陽光を吸った、いい匂いがする。
「心配いりません。診療をやめれば、無用の犠牲者も減るでしょう。やっぱり、私は間違っていたんです。おとなしく、迷宮と宿を往復して、人目につかないようにしていれば良かったんです」
「そ、そんな事ないよ!」
 フォルテの言葉に、自分自身を責める響きを感じ取ったコトネが、憤然と抗議しようと顔を上げると、指呼の間にフォルテの顔があり、もう一度赤面するが、少女は構わず言葉を継いだ。
「絶対に何かの間違いだよ。あんなハゲた町長に分かるわけない。絶対、何か陰謀があるんだよ。あんな手の平返すような事して、絶対に許せない!もし、フォルテを陥れようとしたヤツがいるんだったら、この私が・・・」
「ダメです」
 少女の言葉に顔色を変えた彼女が発した声は、彼女にしては、キツい声だった。
 しなやかな人差し指が、愛らしいコトネの唇に触れる。
「絶対に関わってはダメです。コトネさんは、そおいう事に関わっちゃダメです」
 もし、コトネが「彼ら」・・・彼女が想像する「彼ら」と接触した時、彼らがどういう対応を取るか・・・想像しただけで、気を失わんばかりの衝動がフォルテを襲う。それは半分は彼女の勘違いであったのだが、コトネを失うかもしれないという想像を前にした彼女は、やや冷静さを失っていたのだろう。
「お願いですから、危ないことはしないで・・・。私は、もう、いいんです・・・」
 ぎゅっ、と抱きしめる手に力がこもる。
「・・・フォルテ・・・?」
 目を白黒させながらも、自分を抱きしめる細い身体が、かすかに震えていることに気付く。
「大丈夫?大丈夫だって」
 何度、彼女はそんな言葉をかけ続けただろう。
「えっと・・・そんなに強く力をいれられると・・・折角の焼き菓子が崩れちゃうよ?」
 今までも。
 そして、今も。
「大丈夫?大丈夫だって。・・・ちょっと・・・変だよ?大丈夫?」
 焼き菓子が冷めても尚。
 フォルテはすがりつくようにコトネを抱きしめていた。



「・・・舌を噛むとまで仰せられては・・・」
「・・・・・・・・・・・」
 戻ってきた斥候の言葉に、隊長は天を仰いだ。
 受けた厳命は唯一つ。
 彼女に気付かれずに安全を確保し、街から連れ出すこと。・・・犠牲は問わない。
 肝心の彼女が、彼らの接近に気付き、彼らが近付けば自害すると言い出したのだ。噂で漏れ聞く、貧民街での不自然な連続死と自分たちを関連付けたのだろうが、自らの潔白を証明する術はない。むしろ、彼女の存在に触れた者を残さず抹殺する、という命令も現実に受けている。・・・犠牲は問わない、とは、そういう意味であ
った。
「失敗だ。一旦隊をまとめて帰国する」
 もし万が一、本当に自害でもされれば、自らの命だけでは到底贖えない。
 あっさり見破られた斥候を怒鳴りつけたい気持ちであったが、相手が悪かった、とも素直に思える。
 強攻策を取るには50人という人数は少なすぎたし、隠密行動も、もはや無理である。
「撤退する」
 その判断は、指揮官として素早く、的確であった。
 彼女にとっては、それが幸いであったのか、不幸であったのか・・・。



「いなくなった?」
 その翌日。
 その広い情報網で、オニヘイは異国の軍隊の撤退を既に耳にしていた。
「本当に、一兵残らずいなくなったんだな?」
「耳に入る範囲にはいません」
 ・・・ということは、少なくとも本国に戻ったのだろう。
「何故だ・・・」
 オニヘイは独白すると、遠い異国を見遣った。
 と、そこに側近が爆弾発言を投げる。
「紫の賢者はアレ以来、宿屋に閉じこもっています。コトネさんもずっと一緒ですが・・・」
「なにっっっ???」
 コトネちゃんが・・・コトネちゃんが、あの賢者とずっと一室に篭りっきり・・・。
 瞬時にオニヘイの頭から謎の軍隊の事がすっとぶ。
 あの可愛いコトネちゃんが、あの綺麗な賢者と、一つ屋根の下でずっと・・・
 もしかして・・・あんなコトや・・・そんなコトや・・・
「ずっと・・・二人っきり・・・か?」
 あぁ・・・一体何をしているんだろう???
 思わず二人の姿を想像してみたりする。
「そうみたいですね」
 側近がやや後ずさりするのにも、気付かない。
「コトネちゃんの・・・コトネちゃんの、俺も知らないコトネちゃんを・・・」
 ・・・実際には冷めてちょっと崩れてしまった焼き菓子を食べて、お茶を飲んでいるだけであるが。
「あぁ・・・」
 策が効きすぎて、二人が外を出歩かなくなって良し良し、と思っていたら、実はもっと危険な状況にしてしまったのでわ??
 ・・・そおいうワケはないのだが。
 あぁ・・・一体・・・
「ボス?ボス?」
「あぁ・・・コトネちゃん・・・」
 側近が心配そうにオニヘイの顔を覗きこむが、表と裏・・・その両面の実力者は眉間にシワを寄せて、想像を膨らませているの
みであった・・・。