<痛み>


「すみません・・・すみません」
「もういいから、もう少しおとなしくしててくれないか?」
「しゃべらない方が良いですよ。血は止まってますけど、内臓にもダメージがいっている筈。本当は貴女が自分で治せれば良いんですけど・・・」
「・・・ごめんなさい」
「だから、もう喋るなって」
 ・・・・・・・・・・
 ぐったりとしたフォルテを背負うセルビナには、肌越しに彼女の弱々しい鼓動が感じられるだけに、心配のあまりついつい言葉が荒くなる。
 セレニウスが応急処置を施したが、彼女の鳩尾に禍々しく広がる紫色のシミは、手練れの神官戦士をもっても消す事はできない。彼女に出来る事は、そっとその背中に手を
添えて、少しでも移動の負担を和らげるだけ・・・。
 そんな中、コトネだけは泣き腫らした目はそのままで、黙々と自分に出来る事を全うすべく、先頭に立ってパーティーを出口へと導いていた。


 あの階には、あんな化け物は出なかった筈。
 だが、アレは出現した。
 すぐに撤退を判断した彼女の決断は正しかった筈。
 自分の弱さを知っているだけに、パーティーのメンバーがこれ以上傷つく前での、撤退の決断。
 いつもパーティーの最後尾にいる彼女には、彼我の実力差を把握するや否や、すぐに逃走を指示していた。
 もしかしたら、<それ>はこのパーティーを組んで以来、いつも控えめな彼女が初めてパーティーに下した「命令」だったかもしれない。
 一目散にその場から退散するパーティーたち。
 そして、パーティーの面々から「肝心なトコロでたまにハズす」と揶揄されてきた彼女が、軽く足をもつれさせたのも、運命の悪戯だったのかもしれない。
 獲物を見つけ、咆哮を上げる化け物。
「馬鹿っっっ!」
 必殺の一撃が飛んできた時、最後尾にいた彼女が、モンスターとパーティーの間に両手を広げて立つ。
「ダメだよ、リーダーっ!」
 !!!
 セルビナとコトネが叫んだその瞬間、華奢な賢者の身体はモンスターの一撃に吹き飛んでいた。
 ・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・ 
 確かに、彼女がモンスターの一撃を全身で受けた事によって他のメンバーへのダメージはなかった。
 だが。
「馬鹿が」
 ピクリとも動かない彼女の胸に手を当てるセレニウスの表情が、必死になっている。
 何とか安全なトコロまで逃げ込み、抱えてきたフォルテを床に降ろすが、全く何の反応も見せず、閉じられた睫毛はゆらめきもしなかった。
「こいつは、馬鹿だ」
 セルビナが悪態をつきながら周囲を警戒する中、コトネがフォルテの衣服を破き、傷を改める。
「ヒドい・・・」
 そこだけが、禍々しい青紫色に染まり、真っ白な肌と残酷なコントラストを描いていた。
「死んじゃうの?大丈夫だよね?ねえ?」
 コトネが、すがりつきたいのを必死にガマンしながら、軽戦士と神官戦士の顔を交互に見遣る。
「・・・こいつが、自分で自分を治せればいいんだが・・・やっぱり馬鹿だ」
「静かにっ。・・・もう少し・・・もう少し・・・」
 セレニウスが鋭く二人を制し、集中力を高め、あらん限りの力を振り絞る
 ・・・ピクリ。
 セレニウスの掌の下で、フォルテの身体が微かに反応した。
「あ・・・」
 思わず、コトネが叫ぶと、セレニウスが疲れた表情でパーティーを見回した。全身全霊を込めた治療の反動だろう。その表情は青白かった。
「地上に戻りましょう。これ以上は、自分の力では無理です」
「わかった。戻る」
 セルビナが決断を下し、フォルテの身体を背負う。
 ・・・・・・・・・・・。
 ふと、セルビナの身体が、軽く硬直したように思えたのは、コトネやセレニウスの錯覚だっただろうか。
「・・・軽い・・・」
「え?」
 ふと漏らしたセルビナの言葉に、涙で顔をくしゃくしゃにしたコトネが聞き返す、無愛想にセルビナは言葉を継いだ。
「何でもない。急いで出口に向かおう。本当に死んじまう」

「こんなんじゃ、リーダー失格ですね」
 傷ついた賢者が意識を取り戻し、軽く笑う気配が肩越しに感じられたが、敢えてセルビナは何も返事をしない。
 つい先ほど、咳き込んだ彼女の口から溢れた鮮血が、自分の肩にこびりついているのが不快だったからではない。
 いつも元気なコトネも、今は無言でパーティーの先頭に立って、念入りに周囲を哨戒していた。
「悪かったな」
「え?」
 フォルテの口元を綺麗に拭っているセレニウスに聞こえるかもしれない、とは思いつつ、思わず軽戦士の唇から言葉が零れ落ちる。
「あの時・・・」
「・・・いつも、みなさんは前衛で傷ついていらっしゃいます。いつも私は後衛で、そんなみなさんの背中を見ているだけ。これ以上、みなさんが傷つかなくて、本当によかったです」
「・・・・・・・・・・」
 戦闘については経験不足な、賢すぎるかもしれない賢者は、さり気なくセルビナの言葉を遮った。
 思わず、むぅ、と押し黙ってしまうセルビナを見て、セレニウスはこっそりと微笑う。
「出口だよ!」
 いつにも増して、弾むようなコトネの言葉に、パーティー全体にほっ、とした雰囲気が流れる。
「早く、治してもらおうよ」
 一目散に駆け出すコトネを、ケガ人を背負ったセルビナと、それを支えるセレニウスが急ぎ足で追いかけた。


「何だよ、大事な話って」
 しばらく安静にしているように、と言われたフォルテの部屋に呼ばれたセルビナは、仏頂面で賢者に訊ねた。
 大体の用件は分かっている。
「どうか、私をお許し下さい」
 テーブルの上には、几帳面に並べられたアイテムの数々・・・。
 今まで、彼女が持っていたものだ。
「以前も申し上げました。長幼の序、経験、力・・・私には、パーティーを統べる力はありません。今回の件も、自分に出来たのは、この身を敵前に晒す事だけ・・・。それすらも、皆様に御迷惑をおかけする結果となりました」
「・・・・・・・・・・」
 リーダーを代って欲しい、と言われたら、即座に断るつもりだった。
 最初に出会った時から、彼女の細い肩にリーダーという重荷は重すぎる、と思っていたが、それが彼女セルビナなりの人の育て方だったのかもしれない。
 だが。
「・・・お願い、できますよね?」
「・・・仕方ないな」
 彼女を背負った時、そのあまりの軽さを感じた時、セルビナは引き受ける決断をしていたのかもしれない。
「どっちみち、ならず者はお前のトコロに多くいくんだ。負担を減らすに越したことはない」
 それは、長年戦場に居た指揮官としての判断だったのだろうか
「コトネが、可哀想だから、もうそろそろ代わってあげたら?と煩いんだ」
「そう、でしたか」
 顔をしかめるセルビナに、何故かフォルテは満面の笑顔を向けた。
「不束者ですけれども、宜しくお願い致しますね」
「あぁ・・・よく分かっている」
 それは、彼女にしては珍しい、親愛な皮肉だったのだろうか。
 ニヤリ、と笑いかけると、軽戦士は彼女の部屋を出ていったのであった。
「どう、だった?」
「・・・仕方ないから、引き受けてきた」
「良かった〜」
 心配そうに訊ねるコトネが、仏頂面のセルビナの言葉を聞いた瞬間、無邪気な笑顔を浮かべた。
「随分とあっさり引き受けたものですね」
「仕方ないだろう」
「てっきり無碍に断って来るかもしれない、と心配していましたけど・・・杞憂でしたか」
「・・・あの馬鹿がさ・・・すごく、軽かったんだ」
「そうですか」
 セレニウスの問いに対して、無意識に、本当に思ってもいなかった言葉がセルビナの唇からこぼれた。
 そんな軽戦士の言葉に、神官戦士は涼やかな笑みを返す。
「そぉ?結構プロポーションいいから、意外に重いかと思ってたけど・・・」
「そおいう意味じゃない」
 コトネの言葉が、一瞬にして場を和ませる。 
 思わず吹き出す二人を前に、コトネも最初は頬を「むぅ」と膨らませていたが、ややあってその表情も笑顔に変わっていく。
「さあ。フォルテが全快したら、また潜るぞ。今度からは、ビシビシいくからな」
 和みかけた空気を引き締めるかのように、セルビナが声をかけた。
「はいはい」
「うん」
 三者三様。
 今日もまた、冒険が始まろうとしている。
 三者三様の想いを抱きしめて。