仕事が始まった。
まず五人のうち、二人は秘宝の置かれた部屋を仕事をしているフリをしながら重点的に護衛し、残る三人は仕事をしているフリをしながら屋敷中を歩き回ってい警備する。
ただしククルとルメリオがエルザと一緒に護衛をするのを嫌がったので、フィオーネは徹夜で配置のローテーションを考えなくてはならなかった。
エルザは愚痴一つ漏らさず羊皮紙にペンを走らせるそんな彼女の姿を、ずっと眺めていた。
そして翌日。
「眠そうだな」
「誰のせいだと思ってるんですか」
あくびを噛み殺し、フィオーネは落ちそうになる瞼を堪えながらジト目でククルを睨んだ。
最初のコンビはククルとフィオーネだった。ククルはエルザとのコンビを嫌がったが、フィオーネとのコンビには何故か異論を挟まなかった。
そのククルは現在渡されたメイド服に身を包み、両腕を組んで適当に周囲を警戒している。
普通の女性より筋肉質で髪も短いが、それでもメイド服をあまり違和感なく着込んでいるのは流石としか言いようが無い。
ただし、やはり気に入らないのか微妙に仏頂面で『自分、機嫌が悪いですから』というオーラを放出している。
そんな彼女の様子に苦笑しながら、フィオーネは疑問をぶつけてみた。
「どうしてそんなにダークエルフを目の仇にするんですか?」
「それは言わなくちゃならないのか?」
「いえ、話したくないのなら結構です」
「じゃあ、言わない」
「そうですか」
元々答えが返ってくると期待していなかった質問だ。
フィオーネは特に話を続けようとはせずに、もう一度あくびを噛み殺した。
その様子を見て、
「眠いんなら寝ていいぞ」
とククルが申し出る。
フィオーネは意外な提案に驚いて、
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。アタシの我侭に巻き込んじまったこと、流石に罪悪感持ってるんだぜ」
「しかし、今は仕事中です。警備を怠るわけには……」
「どうせ初日からいきなり来やしねぇよ。何かあったら起こしてやるから、寝てな」
そうぶっきらぼうに言い放つククルの顔付きは優しげだった。
フィオーネは数瞬視線を彷徨わせ、ではお願いします、と頷いた。
正直、フィオーネはククルにあまり好印象を持っていなかった。しかし、今のククルは何故か――信じられるような気がした。
身体を壁に預け、目を瞑る。
眠りに落ちる瞬間、人は見かけによらないな、と思った。
フィオーネが目を覚ますと、時間は既に交代間際となっていた。
傍に立っていたククルに礼を述べ、うんと背を伸ばす。完調とは言えないが、それなりに眠気は吹き飛んだ。
引継ぎのためにやってきたルメリオとラキに軽く頭を下げ、部屋を退出する。
ククルが彼女のメイド服姿を見て顎を落としたルメリオの頭をぶん殴った音を背中で聞きながら、フィオーネはエルザを探して長い廊下を歩き出した。
色とりどりの花が咲き乱れる巨大な庭園。
中央に鎮座する天高く水を舞い散らせる噴水。
そんな華やかさとは真逆に、屋敷の裏にある焼却炉付近は手入れがされていないため雑草が伸び放題の無法地帯だった。
ゴミを捨てる目的以外でここに近寄る者はいないため、人気が無く静けさを保っている。
そんな静寂の世界に、エルザ・クラウンは佇んでいた。
日陰の中で目を瞑り、まるで彫刻か何かのように動かない。
高位のエルフは森羅万象と交流を持つことが出来るという。
ならば彼女の身体に流れる妖精族の血が発揮され、木々と対話でもしているのだろうか。
――と。
エルザはゆっくりと目を開いた。
枯れ草を踏む音が彼女の長い耳に飛び込んでくる。
音はゆっくりと接近し、やがてエルザのすぐ隣で止まった。
「サボりとは関心しませんね、エルザ」
視線を向ければ、眉根を寄せたフィオーネの姿。
「あら、見つかってしまったわ」
「よく言いますよ」
フィオーネはエルザの隣に腰を下ろし、大きく息を吐く。
エルザもその場に座り、フィオーネの横顔をじっと眺めた。
「盗賊団は出たのかしら?」
「出てたら大騒ぎになってますよ」
「ま、それもそうね」
エルザはくすりと笑い、フィオーネから視線を外した。
ややあってポツリと、
「……ごめんなさいね」
「何がですか」
「私のためにいらない苦労を背負い込ませてしまったわ」
「ああ……」
フィオーネは首を振り、
「別に構いません。好きでやってることですから」
「……フィオーネさん、気苦労が耐えないタイプでしょ」
「分かりますか」
二人は笑いあい、同時に空を見上げた。
蒼い空。
白い雲。
鳥たちが舞う、広い世界。
「……慣れていたつもりだったんだけどね。それでも辛くなるときがあるわ」
「はい」
「屋敷のメイドたちがみんな私を見るのよ。いつもならこれっぽっちも気にしないんだけど……やっぱり味方が出来ると弱くなるのかしらね」
あの子達と出会ったときもこんな感じだったなぁ、というつぶやき。
その目は空を見ているのか、それとも……
フィオーネは昨夜、エルザが教会で孤児たちと共に暮らしていると話していたことを思い出した。
配置図を書いている間の休憩中に身の上話を語り合ったのだが、エルザの人生はフィオーネの何倍も過酷だった。
それでいてエルザは不幸に押し潰されること無く、屹然として生き抜いていた。
だが、どんなに強い盾も力を受け続ければビビが入る。
以前は孤児たち、今回はフィオーネという味方を得たことで安心感を得てしまい、それが脆さとなって亀裂を入れてしまったのだろう。
エルザは首を傾け、フィオーネの肩に乗せた。
「ちょっと、ごめんね」
「いえ……」
フィオーネは目を閉じた。
だからエルザの姿は見えなかったが、肩に熱いものが滴り落ちるのを感じ取った。
「護身術を教えてほしい?」
「はい」
時間が経ち、エルザが落ち着くのを見計らってフィオーネは本題に入ることにした。
「私は近・中距離の戦闘はそれなりに修めましたが、武器を失った際の密着戦闘は不慣れです。なので、『瞬拳』と呼ばれるエルザさんに師事願いたいのです」
「別にいいけど……護衛の仕事もあるし、時間はあまり取れないわよ?」
「はい、構いません」
「そう。それじゃあ……」
エルザはにこりと微笑むと、何の予備動作もなしに右手でフィオーネの右手首を掴んだ。
「!?」
フィオーネは反射的に距離を取ろうと身を引く。
だがエルザは瞬時に間合いを詰めてフィオーネの懐に飛び込むと、身体を半回転させて左のエルボーを彼女の鳩尾に軽く当てた。
そのまま右踵をフィオーネの右足の甲に乗せ、同時に首を後ろに曲げる。
エルザの長い髪がフィオーネの顎に触れた……と思ったその瞬間にはエルザは甲に乗せていた右足をフィオーネの左足に絡ませ、掴んだちつかんだままの右手を引っ張って転倒させる。
左手を投げ飛ばされたことも分からず呆然としているフィオーネの右肘に添えたところで、ようやくエルザは動きを止めた。
この間、わずか二秒にも満たない。
ようやく事態を飲み込んで、フィオーネは驚きに目を見開いた。
声を出そうとして、ひゅーひゅーという息しか出ない。
「今のでフィオーネさんは肺を潰され、右足の甲を砕かれ、脳震盪に陥り、右腕を折られているわ」
「……」
「まぁ、流石にこれを出来るようになれとは言わないけどね。……どう? 喰らってみた感想は?」
「……はぁ。武器を振る前に死んでしまいました」
フィオーネの放心した声に、エルザはプッと吹き出した。
「今のは敵を無力化する技だから死にはしないわ。相手を確実に仕留めるならこっち」
そう言って、エルザは握った右拳に見える。
「無手の特徴は武器を使用するのに比べて動作が素早いことよ。だから簡単に先の先も後の先も取ることが出来る。そして最大限に鍛えられた肉体は武器をも超える凶器となる」
ブン、と風を切り裂いて右拳を空に放つ。
「ん〜、残念ね。近くに手頃な岩があったら砕いて見せたのに」
「い、いえ、遠慮しておきます……」
疲れた顔で辞退するフィオーネ。
エルザはそんな彼女の様子に、ついに腹を抱えて大笑いし出した。
こうして、二人は時間を見付けて訓練することになるのだった。