『世の中そんなに甘くない』 by MORIGUMA  『冒険』 その言葉は甘く、刺激的な香りに満ちている。 憧れや、想像の羽を伸ばし、自分の何かをつかむために、 誰もが旅へ、冒険へ向おうと思う時がある。  だが、『世の中そんなに甘くない』。  歩き出してみればすぐに分かる。 道には、小銭一枚、パン一切れすら落ちていない。 昼の太陽は暑く、夜の闇は怖くて寒い。 三日歩いても、光景は変わらず、まだふるさとの山がそこに見える。  歯を食いしばりながら歩いても、 10日目には、痛かった足が張れ、路銀すら乏しさを感じる。 第一、どこの何者とも分からない人間に、 大事な仕事や用事を頼む変わり者は、ほとんどいない。  野良仕事などを手伝って、わずかにご飯を食べさせてもらえたら、 幸運と言わなければならない。 「ふーん、仕事が欲しいのか?」  恰幅のいい商人のオヤジは、フェリルのほこりにまみれた様子を見ながら、 首をかしげた。 「はいっ、がんばりますから、お願いします。」 「ふん」 気乗り薄な様子だったが、ついて来いと手をわずかに動かした。 もし、ぼーっとしてついて来ない様子なら、即それで縁が切れる。 あわててフェリルは走り出した。 「おい、コイツに仕事をさせてみろ」 銀髪をきっちり上げた、きつい顔をしたメイド長が、 『また気まぐれを』 と、いわんばかりの顔をする。 「あんたかい、ちょっと仕事をしてオマンマ食いたいってのは。」 恐ろしくトゲのある口調に、フェリルはびくっとする。 だが、空腹も限界に来ていた。 「ふ、ふつつかものですが、よろしくお願いします。」 必死に頭を下げるフェリルに、メイド長は鼻を鳴らして顎をしゃくる。 小部屋の一つに連れてこられ、服を全部脱ぐように指示される。 おびえながらも、おずおずと脱ぐ体は、かなりやせていた。 「これに着替えるんだよ。荷物や服は全部私が預かっておく。 変な気を起こしたら、裸でたたき出すからね!。」 屈辱とくやしさで泣きそうになったが、 それでも、必死にこらえて、ごわごわするメイド服を身につけた。 「あたしはメイド長、グライルだよ。 グライルさんと呼ぶんだ。 あんたはフェリル、同じメイドは名前のみ。 あたしの上はコック長、その上が執事、上のものはみな『さん』づけで呼ぶこと。 お館様は、名前を呼んではならない。必ず『お館様』と呼ぶこと。」 怒涛のように、説明が続く。 『うわ〜、とんでもない所にきちゃったよおおっ』 階級と序列、あいさつから時間割り、食事の仕方、 恐ろしく厳しい決まりが整然と並べられた。 鬼軍曹よろしく、メイド長は一点でも聞きそこなうと『何聞いてんだい!!』 そして、一通り連れまわし、それぞれにあいさつをさせた。 「頭の下げ方が甘い、あいまいすぎるっ!」 「声がちいさいっ!」 「きょろきょろするなっ!」 ふらふらになりながら、ようやく一通りの紹介が終わると、 「まだ今日は正式な仕事はないからね、これを裏のゴミ捨てに埋めてきな。」 お館さまのテーブルのゴミ、というか傷んだ果物だった。 よく見ると、少しだけカビが生えてる。 フェリルは、赤くなりながら、ほとんど芯だけを埋めた。 朝の5時に、起床。 庭の掃除や、ゴミ片付けなどが最初の仕事だが、 フェリルが必死におきても、必ずメイド長が先にいた。 「遅いっ!」 そして一つの仕事がようやく終わる頃に、 「何をぐずぐずしてんだい、片付ける用意を同時にしないと、 次の仕事が間に合わないよ!」 ただ、フェリルもやる以上は必死だった。 目端も利き、動きも俊敏である。 そして、自分だけではないことにも気づいた。 だれでも、同僚のメイドたちは、ビシビシしごかれていた。 「あの人、身体がいくつあるんだろ・・・?」 「フェリルーっ!」 靴磨きをしていたフェリルは、大急ぎで片付けると、走った。 メイドたちが整列して、お館様のお帰りを迎える。 どちらかと言えば、田舎臭い商人に見えたのだが、 王侯貴族とも渡り合う、大商会の主だったのである。 身なりを整えて、悠然と歩く姿は、恐ろしく威厳があった。 末席のフェリルの前で立ち止まった。 「フェリル、仕事はなれたか?。」 「は、はいっ。」 「食べていくというのが、どんなに大変か、少しは身に染みたか?。」 フェリルの深いところに、その言葉がずしりと突き刺さった。 返事を待たず、お館様は歩き出した。 今の言葉は、質問ではなかった。 フェリルやメイドたちをさとしていたのだ。 生きていくという事、それ自体大変で重要な事なのだと。 そして、フェリルは自分の生き方にも、たずねられていた。 館で働き出して、4ヶ月がたっていた。 「どうだ、あの娘は?」 コトン、象牙に宝石をあしらったチェスの僧侶が、移動した。 「フェリルですか、いい娘だわね。」 館の主の駒に対応して、グライルが兵卒の駒を移動させる。 だが、いつものメイド服ではなく、 絹と宝石そして金をたっぷりとあしらった豪奢なドレスだった。 年も白髪も、彼女の気品を高めるアクセサリーとなり、 茶色の目は、星のようにかがやいていた。 年を取っても、その年を輝きに出来る女性なのである。 「惜しいな」 コトン 「やっぱりそう見える?」 コトン 「ああ、あの目は若い頃のお前にそっくりだ。止めても止まるまい。」 コトン 「笑わすよ。チェックメイト(王手)」 「くあああっ、きついぞおまえ。」 一晩悩みに悩んだ末に、 翌朝、フェリルはグライルへ申し出た。 「長い間お世話になりました。私はまた旅を続けます。」 断固とした意志と、そして深いお礼の気持ちをこめ、 グライルは静かにそれを聞いた。 「ふん、まだまだひよっこだと思ったけど、まあいいだろ。」 フェリルに荷物を返すとき、その剣を抜き放った。 「いいかい、戦う時は、突き3分引き7分。」 シャイッ 瞬時にメイド姿が4メートル前に飛び、 即座に飛び戻った。 飛んだ瞬間に相手を切り、そして飛び戻って剣を戻している。 ほとんど残像しか見えなかった。 フェリルよりもはるかに格上、達人クラスの剣技だ。 「引くことを知らないのはアホのやること。 冒険者は、生きて帰ることが最大の使命と心得な。」 呆然としたまま、フェリルは、意外なほど多くの金を渡され、 館を後にした。 後に、旅の途中で聞いた話では、 その館の夫婦は、かつて凄腕の冒険者で、 今は引退して、大商人として活躍している。 ただ、引退後の奥様は、館の奥にいるのか、 ほとんど見かけることがないのだと言う。 『だれも、お館様の奥様が、メイド長をやってるなんて、 思いもしないよね・・・。』 館での4ヶ月の生活が、 冒険者としての、大きな修行になっていた。 『あんたは運がいいんだ。その運を殺さないようにしなよ。』 最後にグライルが行った言葉が、耳に残っていた。 確かに、たまたまお館様に気づかなければ、 今頃どこかでのたれ死んでいたか、人買いに買われていたか、 わずかな食料のために、身を売るようなことになっていただろう。 だが、運はいつまでも続かない。 運に頼れるほど、世の中そんなに甘くない。 「もっと自分を磨かなきゃね。」 ざく、ざく、ざく 春の日差しが、ようやく温かくなってきていた。 FIN