裏切りの少女と棒キャンディ
<1>
「いいよ、そのコ、連れてっちゃって」
無情な一言。仲間だと信じていた相手の、裏切りの瞬間。
冷たい玄室の床の上で、切り裂かれた心の傷が広がっていくのを感じた。
「やめてっ、離してっ・・・! だれが、あんたなんかにっ・・!」
「どうする? また助けでも叫ぶか!? 3回も人様に助けられてるんだもんなぁ!? ヒャッハッハッハ!!」
剥される服。男たちの臭い息。肌の上を這い回る太い指。
「チッ……邪魔が入ったか…!」
現れた天の助け。他の冒険者たちによる救出。だが。
「……え、そんな……」
玄室にめぼしいものがないとわかると、自分を無視して先に行ってしまった冒険者たち。
迷宮の奥で、身ぐるみも剥がれ、粗末な地図しかなく、一人で帰ることになった自分。
「ははは……なんなんだろ、これ」
それまで信じてきた何かが。
「……世の中、こんなものなんだ」
音を立てて崩れ落ちる。
「はは、はははは……」
力ない笑いが洞窟に木霊する。
「はははは……ははははははははははははははは―――」
<2>
目が覚めた。
どうやらまた、あの時のことを夢見ていたらしい。
「……っく」
上半身を起こして頭を振る。最悪の気分は、夢から覚めても消えてくれない。
仲間だと信じていたクリオに裏切られ、ならず者に売り渡されてからというもの、眠れば必ずあの日のことを夢に見た。
いつまでも晴れてくれない悪夢。
「いい加減に、してよね……」
眠れない夜ばかり続いている。悪夢は確実にフェリルの心を蝕んでいた。
友人も、今のフェリルには近づいてこなくなった。
――あんたさ、目つき悪くなったよ。
あの日を境に変わってしまったと、皆が言う。
「仕方ないじゃない……。私が、悪いんじゃないよ……」
心の奥底から吹き上がる黒い感情。こんなことは初めてだった。
その黒い感情のままに行動するのは間違いだと、フェリルは知っている。
だから必死にこらえた。けれど、こらえきれぬ暗い感情の断片が、どうしても外に溢れてしまうのだ。
「……どうしたらいいの、フレシア。私が、私でなくなっちゃう……」
組んだ腕に爪を立て、ギリッと引く。痛み。痛みは少しだけ、暗い感情を和らげてくれた。滲む血。フェリルの体は自分で引っ掻いた傷だらけだった。
「今夜も、眠れない。……また、するしか……」
布団をまくり、自分の下半身を見つめる。汗ばんだ肌。柔らかな腰を締める白いショーツ。
指先を伸ばし、布地の上から、自分の秘所に触れた。
「ん……っ」
触れただけで走る心地よい痺れ。毎夜繰り返す儀式のはじまり。指先で布地ごしにスリットをなぞり、小さな肉豆を何度もこする。
「はっ……ふっ……」
(私……なんで、こんな風になっちゃったんだろ……)
黒い感情を抑えきれず、日に日に溜まるストレスから逃れるため、そして一時の安らかな眠りを手にするため、フェリルはいつしか毎晩自分の秘所に手を伸ばすようになっていた。
「はっ…ああっ…はあっ……!」
ベッドの上に放られたショーツ。湿った音。秘所に埋まる自分の指が意思を離れて勝手に動く。
「ああっ……ふぅっ……くぅんっ…!!」
高まっていく情動。白く明滅し始める脳内。絶頂が近いことを感じ、フェリルは指の動きを早め―――。
かたん……
音がした。
「……っ!!」
フェリルはばっと布団を被り、上半身を起こして部屋の扉を見る。
扉はいつの間にか半開きになっており、その先には廊下にへたりと座り込み、呆然とフェリルを見つめている半獣人の少女。
「………タンちゃん」
名前を呼ぶと、少女はびくりと身を震わせた。
フェリルはベッドから降り、下半身を晒したまま部屋の少女の元へとゆっくり歩みよる。
近づくフェリルを見つめるタンの目が、微かに恐怖を湛える。
「あ…ふぇ、フェリル。ご、ごめんね! タン、その……」
少女の前に立ち、フェリルは見下ろす。
半獣人の少女、タン。離れていった友達の中で、以前と変わらずにフェリルに接してくる少女。
その手には棒キャンディ。以前、一緒にお祭りで買ったものと同じ。
「そのキャンディは何?」
「あ……ええと、フェリル最近眠れないって言ってたから、甘いもの食べたら、気分が楽になるかもって……」
そんなわけがないだろう。キャンディ舐めたくらいで治るようなことなら、こんなに悩んだりするものか。賢者の力が使えるくせに、そんな簡単なこともわからないのか。
溢れそうになる黒い感情をぐっとこらえる。
タンはきっと、自分が今のフェリルに何ができるか必死に考えたのだ。だから、彼女に怒りをぶつけるのは筋違いだ。
できるだけ穏やかに話しかける。
「……残念だけど、キャンディはちょっと食べたい気分じゃないや」
「そ、そう……」
タンの狼耳がしゅんと垂れる。
「そ、それなら何か飲み物、とか買ってこようか? 欲しいものとか……」
うざったいな。こんな時間に押しかけて、何言ってるんだろう。いつもいつも付きまとって。今だって人のこと覗いてたくせに。
こらえる。
それだけタンは心配してくれているということなんだろう。これだけ気にかけてくれるのは、彼女だけだ。
穏やかに話しかける。
「いらない」
穏やかに言うつもりが、言葉に棘があった。タンがびくりと震える。
「あ……でも、フェリル」
やめろ。もう何も言うな。イライラしてるのがわからないのか。これ以上変なこと言ったら。
「何か、タンにできることない、かな。フェリル、困ってる。タン、何かしたいから、だから……」
いい加減にしろ。何もできないくせに。今更何を言ってるんだ。助けてくれなかったじゃないか。あの時、助けにきてくれなかったじゃないか。
「やめて、タンちゃん。私もう……」
自慰行為を途中でやめたせいか、頭がぼんやりして理性の歯止めが効かなくなっているのを感じる。目の前の少女に対して、黒いものが膨れ上がってくる。
このままでは止まらない。
「でも、フェリル。タン、見てられないよ」
「いや、だからさ……」
「腕、そんなに傷つけて、食事だって、ロクに食べないで……」
うるさい。
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい―――。
「だから、タンに何かできること……」
「いらないって言ってるじゃない!!」
大声が、宿の廊下を奮わせた。タンが目を見開き、硬直する。
「……ふぇ、り……」
「………………」
溢れてしまった黒い感情。一度溢れてしまえば、それらは容赦なく目の前の少女に向かっていく。
そうか。そんなに役に立ちたいか。じゃあ、何かで楽しませてもらおうかな。そういえば、さっきいいところで邪魔されたっけ。どうせ最後までしなきゃ眠れないけど、それならいっそ巻き込んで―――。
「そ、そう……。ごめん、ね。フェリル……」
打ちひしがれた様子で立ち上がり、うつむいたまま背を向けて帰ろうとするタンの腕を、フェリルが掴んだ。
「え、フェリル?」
振り返ったタンは目を見張る。フェリルの目が、まるで。
「タンちゃん、何かできることって言ったね」
まるで獲物を見つけた、獣のような目で。
「それじゃあさ―――」
タンは、逃げられない。
「今夜の間、私と遊んでくれるかな?」
フェリルの心のどこか奥で鳴り響く警報。
だが、止まらない。もう黒い感情は止まらない。
<3>
「あ、いやああっ、フェリル……やあ…っ」
軋むベッドの上でタンの身体が跳ねる。生まれたままの白い体が、窓から差し込む月光によって妖しく照らされる。
「静かに。人が来ちゃうよ」
白い体を上から押さえつけるフェリル。タンよりは幾分か柔らかさを含んだ裸体が淫らに蠢く。
(私……何してるの……?)
フェリルの心の中で自問する声。熱に浮かされた頭。眠りも取らず、解消されないストレスを抱え続けた果ての暴走。
目の前で、知っている少女が襲われている。
誰に? 私に。
なんで? わからない。
「ふふ……なんだ。覗きながら感じていたんだ?」
タンの花弁にフェリルの指先がそっと埋まり、かき混ぜる。微かに淫らな水音がした。タンがびくりと奮え、潤んだ目でフェリルを見つめる。
「こ、こんな…っ……こんなことが、したいの、フェリル…?」
(違う、私は、こんなことしたいんじゃ……)
「そうだよ。タンちゃんがとっても可愛いから、こうして遊びたい気分なんだ」
心の声に相反した、言葉と、手と、指先と、舌。
小さな胸を揉みしだき、桜色の乳首をつまんでこすり、秘所をかき混ぜて蜜を溢れさせ、そっと柔らかい唇に口付ける。
「あ……っ」
「キス……はじめて?」
「う……んっ……」
「私もだよ」
再び、今度は深く口付けする。歯の隙間に強引に舌をねじ入れる。
「んんっ!?」
本で読んだことのあるディープキス。
柔らかい舌と舌が絡み合い、タンの、フェリルの、頭の中を溶かしていく。
(こんなの……変……なんで、女の子同士で……)
「ぷは……っ」
糸を引いて離れる舌と舌。
そのまま舌をタンの首筋にひたりとつけ、なぞる。同時に指先がいっそう強く胸に、秘所に、愛撫を加える。
「ひ……あっ……」
唇に、胸に、腕に、脚に、その熱い蜜壷に、口付ける。タンの全身をフェリルの狂気が染めていく。
壊れちゃえ。
壊れちゃえ、私みたいに。
「あっ……ああっ……ふぇ、りる……」
熱に浮かされた、タンの声。一緒に過ごしていたときには想像もしなかった、親友の悦楽の喘ぎ。
「ああ…なんか…なんかぁ……」
とろけたタンの目。その目を見て、ぞくりと背筋に走る甘い痺れ。
壊れてほしくなかったものを、自分の手で壊している背徳の快感。
「いいよ……ほら、いっちゃいなよっ」
「ひ…ああっ…んああああっ!」
簡単に昇りつめる少女。だがまだ終わらない。こんなことで終わらせてやるものか。
もっと、もっと、もっと、もっと―――。
(私……タンちゃんに、何してるの……?)
加熱し続ける行為は止まらない。
部屋に満ちていく熱気。立ち込める淫靡な香り。いっそう荒くなっていく二つの息。お互いの体液で淫らに濡れた、二人の少女。
(私、タンちゃんに、何させてるの……?)
「きもち、いい……? ふぇりる……」
「んっ……いいよ、タン、ちゃっ……」
いつしかタンもまた、虚ろな顔でフェリルへの愛撫を始めていた。その小さな舌が、腕や体につけられた傷をなぞる。まるでその傷を癒そうとするかのように。
「いたかった、よね……ふぇりる。ごめんね……ごめん、ね…」
「ん……っ、なんで、タンちゃんが、あやまるの…」
自分でつけた傷だ。タンがあやまる必要は無い。
ひどいことをしてるのも自分だ。タンがあやまる道理は無い。
「ごめんね……ごめんね……」
にも関わらず、少女はあやまり、傷を舐める。自分のせいだとでも言うように。
小柄な体。肩の上で切った髪。誰かに少し似た面影の少女が、何度も、何度も、許しを請う。
「あやまらないで……あやまらないでよっ!」
ベッドの上に押さえつける。
あやまって欲しくなんかなかった。今更あやまられたってどうしろというのか。私に、私を売ったあなたを許せというのか。
「あんなことをしたあなたを、許せるはずがないじゃない!」
フェリルの瞳はタンを写さず、他の誰かを見つめている。
許せない誰かを。許したかったけど、許せなくなってしまった誰かを。
好きになれたはずだった、好きだったはずの誰かを。
「うう、うううう……っ」
「いいよ……フェリルの……好きなようにしちゃって……」
何かを見透かした微笑みと、涙を浮かべてタンが言う。その顔が、フェリルには、
――いいよ、そのコ、連れてっちゃって――
「タンで遊んで……気が済むまで」
「う……ううううああああああああああああああっ!!」
フェリルは自分が泣いていることにも気づかず、目の前の少女を蹂躙していった―――。
<4>
昼の日差しが、窓から差し込んで部屋を照らしている。
目が覚めたフェリルは、自分は熟睡していたことに気がついた。
「………………」
何が起きたのかは、自覚していた。
部屋に満ちた狂宴の残り香。脱ぎ散らかされた服。耳の奥に残っている、悲痛な喘ぎ。
そして。
すぐ隣に横たわる、無惨に陵辱された半獣人の少女。
ぐしゃぐしゃになった髪、痛めつけられた白い体。乾いた唇が、微かに開いた。
「フェリル……」
眠るフェリルをずっと見守っていたらしい。
疲れ果てた顔に微笑みを浮かべて、声をかけてくる。
「よかった……。よく寝れた、みたいだね……」
目の前が滲んだ。溢れてくるものをこらえられない。
昨夜は黒い感情を止められず、そして今は涙を止められなかった。
「た、タンちゃん……私……私ぃ……」
ぼろぼろと涙を零すフェリルの頭を、そっとタンが抱きしめる。
「フェリル。誰だって、心が痛くてどうしようもないときはあるよ」
「でも、ひどいことした。私っ…ひどいことしたっ!!」
越えてはいけない一線を越えた。
裏切ってしまった。大切な友人を。
もう戻らない、壊れてしまった何か。
「平気だよ。タン、フェリルの友達だから。全然、平気だよ……」
泣きじゃくるフェリルの頭を、タンの手が優しく撫でた。穏やかな顔。
「また、眠って。そうすれば、もっと元気になれるよ、きっと……」
母の胸に抱かれたような安堵が、ゆっくりとフェリルを包んでいく。
少しずつ落ち付いていく呼吸。久しく覚えていなかった心地よい睡魔。閉じていく瞼。
近頃では全くなかった安らいだ気持ちの中で、フェリルはやがて眠りについた。
<5>
再び目が覚めると、朝だった。
どうやら今度は丸一日近く眠っていたらしい。
睡眠不足だったことが嘘のように、すっきりと頭が冴えている。
「………………」
いつの間にか服を着せられていた。ベッドも整えられ、体も拭われて清潔にされていた。
「タンちゃん………」
タンの姿はもう部屋の中にはなかった。
代わりに、テーブルに三本の棒キャンディが置いてあった。
「………………」
お腹がすいていた。
なんとなく、包装紙を剥して舐めてみる。
じわりと心地よい甘さが舌を溶かした。
「……美味しい、な。これ」
舐め続ける。二人で祭をまわった記憶が蘇ってきた。
楽しかった日々。もう、あのときの二人には戻れない。
「タンちゃん。これ、やっぱり、美味しいよ……」
フェリルは頬に熱いものが流れるままに、キャンディを舐め続けていた。
現実は残酷で、壊れてしまったものは戻らない。
フェリルはもう以前と同じフェリルではない。
それでも、変わらないものもあったと信じたかった。そして、いつかまた、昔と同じように笑える日がくるのなら。
そのときはまた、一緒にキャンディを食べようと思う。
フェリルと、タンと、そして、そのときにはきっと許せているであろう、彼女と一緒に―――。
3/20。フェリル、カオス化記念。
クリオさんがちょっと酷い人みたいですが、彼女にも彼女なりの悲しい想いがあったようです。