それは、冒険者フェリルが恩人であるフレシアと別れ、魔術師イルビットと共に旅をしていた頃の話である。



<1>

「はぁっ…はぁっ……」

 フェリルは薄暗い路地裏を息を切らせて走っていた。銀色の髪が風になびく。
 すぐ後ろからは複数の男たちの足音。こちらとの差は縮まる一方だ。

「はぁっ……はぁっ……っ!?」

 角を曲がったところで、正面から別の男たちが来るのが見えた。こちらの姿を見つけると、ニヤけた笑いを浮かべながら迫ってくる。
 正面と後ろからの挟み撃ち。やむを得ず、唯一の逃げ場である横の通路へ飛び込む。

(これ、誘い込まれてる……!)

 気がつけば人通りの多い通りからは離れる一方だ。それこそが男たちの狙いなのだろう。

(落ち付け、落ち着かなきゃ。このままじゃ、捕まっちゃう)

 走りづめでフェリルの体力はそろそろ限界が近く、状況は絶望的になるばかり。
 滴る汗を拭い、必死に現状打破の方法を考えながら、頭の片隅に何故こんなことになったのかという思いがよぎる。


 油断はしていないつもりだった。
 イルビットが知り合いの冒険者の一人と会うために立ち寄ったこの街。裏通りや街外れの廃屋街に近寄らなければ治安の良い街だとは聞いたが、それでもフェリルは一応の緊張は欠かさなかった。
 以前、ならず者たちに二度も襲われかけてからというもの、フェリルの危険に対する警戒心は並の冒険者よりずっと強い。実際、この街でも宿でのプライベートな時間以外は全てイルビットと共に行動し、一人になることは極力避けていた。

 だが十分に気をつけていても、不測の事態は起きるものだった。
 かつてフェリルは、先輩の冒険者であり恩人でもあるフレシアに教わったことがある。

  ―――いいかい、フェリル。人間ってのは、恐ろしく油断しやすいものなのさ。
  いくら警戒してたって何処かに隙はできちまう。
  目の前の敵を警戒すれば、その分、周囲の状況の変化に対し鈍くなる。
  警戒心は、盾さ。そして盾を向けていない方向が、そいつの隙だ。
  経験を積めば盾の数は増やせる。だが、隙間なく盾を構えられる人間はどこにもいない―――。

 確かに暗闇や一人になることは避けていた。だがまさか、白昼堂々襲われるとは思っていなかった。
 フェリルの人生において三度目となるならず者の襲撃は、真昼間の大通りにて行われたのである。

 人ごみの中で、フェリルは何時の間にかイルビットとはぐれていることに気がついた。そして、明らかに不穏な気配を持つ男たちが雑踏をかき分けて自分に近づきつつあることも。
 それは不意打ちだった。だから、判断を誤ってしまった。
 咄嗟に、路地裏へ逃げ込んでしまったのである。

 その結果が―――。

「もう逃げ場はねぇよ、お嬢ちゃん」

 この通りである。

「ぜぇっ……ぜぇっ……」

 肩で荒く息をつきながら、フェリルは周囲を見渡した。
 広間だった。周囲を石壁で囲まれている。
 行き止まり。これ以上は、逃げられない。

(10人……20人……30人……いや、もっといる。なんで、こんなに大勢が……!)

 フェリルは非力な分を思考の力で補うタイプの冒険者である。
 だがその思考をもってしても、この状況を打破する案は浮かばない。

「よぉ、久しぶりだなぁ。覚えてるかい」

 そんなフェリルに声をかけてくる男がいた。
 顔に大きなよぎり傷を持つ体格の良い男である。

「あなたは………っ」

 その傷で歪んだ顔は忘れようもない。
 かつてフェリルを二度襲ったならず者たちの頭目だった男。

「おっと、そういやまだ一度も名乗ってなかったっけか。俺はナーブって言うんだ。覚えておきな」
「あなた、フレシアに倒されたはずじゃ……」
「そう簡単に死んでたまるかよ。まだまだこの世に未練があるんでな。例えば、大した力もないくせに二度も犯し損ねたガキのこととかよ」

 その歪んだ顔が引きつるような笑みを浮かべている。
 フェリルは背筋がぞっと寒気立つのを感じた。

「昼間っからあんな場所で襲ってきたのも、あなたの指図ってこと?」
「ヒヒッ。お前の元気な姿を見かけたら、こらえきれなくなっちまってなぁ。ま、たまたま俺の新しい縄張りに来ちまった運を呪いな。なぁに、ここにいるヤツは優しい男揃いさ。たっぷり可愛がってやる」

 下品な笑いがあちこちから漏れ、フェリルを包囲する輪は徐々に狭まってくる。
 フェリルは圧されて下がるが、すぐに背中が石壁にぶつかった。

(こ、こんなの…こんなのないよっ。せっかくフレシアが命がけで守ってくれた体なのに…!)

 男たちの手が自分に向かって伸ばされる。
 すかさず剣を抜き放ち威嚇するが、まるで効果はない。

(ど、どうしよう。どうし……)

 混乱する頭には何も浮かばない。滲み始めた視界の中、傷で歪んだ顔が迫り―――。
 フェリルにとって三度目の危機を救う人物が現れたのはそのときだった。

「あなたが、フェリル?」

 少し舌足らずな響きのある声が聞こえた。
 見れば広間の入口に一人の少女が立っている。
 年はフェリルより少し下だろうか。黒を基調とした魔術師用のローブを身に纏っている。
 東洋の人形のような白い肌と黒い髪。髪の間から覗く銀の狼耳。獣人の少女だった。
 奇妙なことに、奴隷が身につけるような黒金の手枷と首輪をはめている。

「なんだ? どっかの奴隷が紛れ込んだか……?」

 男たちの好奇の視線を気にも止めず、少女はフェリルの風体をまじまじと眺めて、一人でうんうんと頷く。

「ん、やっぱり、フェリルだね。イルビット、探してたよ」
「え……あなたは、だれ? あ、いや、それより、危険だよ。来ちゃだめ!」

 目の前の少女が何者なのか、何故イルビットを知っているのかよりも、フェリルはまず少女の身が気がかりだった。この少女を目の前の男たちが放っておくとは思えない。
 そしてフェリルの警告も時すでに遅く、

「なんでもいいじゃねぇか。こいつも一緒にヤっちまおうぜ」
「だな。ガキだが、よく見りゃこいつも結構な上玉だぜ」

 あっという間に少女は包囲され、逃げ場を失っていた。
 だが少女は一向に動じた様子がない。それどころか、

「イルビットに、探してって、頼まれた。フェリル、助けにきた」

 そう言ってのけた。

「え、ええっ、私、を……?」

 その場にいる全員が呆気に取られた。
 一瞬遅れて、どっと男たちが笑い出す。

「なんだこのガキ、頭おかしいのか?」
「はは、いいじゃねぇか。多少イっちまってても、あっちの具合は変わらねぇだろ」

 誰も彼も目の前の少女にそんな力があるとは思わなかったし、フェリルもまたそうだった。
 だが次の瞬間。

「呪文、再生」

 魔術の心得のあるフェリルは、突如として少女を中心に巨大な魔力が動くのを察知した。
 今まで感じたこともない膨大な魔力が一瞬にして集約されていく。
 広場に響くは、朗々たる少女の詠唱。

「『唸れ 唸れ 風精の輪舞 巻き上げ 貫き 叩きつけよ!』」

 刹那、広間に暴風が吹き荒れた。

「うおあああああああっ!?」
「ぐああああああああああ!!」

 少女の周囲にいた男たちが吹き飛ばされ、壁に、地面に叩きつけられる。
 風が吹いたのはわずかな間だけだった。
 だがそれだけの間で、40人近くいた男たちは、一瞬でその半数が大地に伏せていた。

(こ、こんな強力な魔法を、あんなワンフレーズの詠唱で……)

 呆気に取られるフェリル。運良く魔法を逃れた男たちはもっと呆気に取られていた。

「な、なんじゃこりゃ……」

 男たちに向かって、少女が口を開く。

「『性欲の狼を放し飼いにする者は、その背に乗って奈落に落ちる』」

 先ほどまでの舌ったらずな口調とは打って変わった落ち着いた響き。

「『だが愚行は時として他者の利となる。感謝するべきかな?』」

 男たちは声もなく、得体の知れないものを見る目を少女に向けている。
 当の少女は自分の口から出た言葉に首をかしげながら、

「ん。よくわからないけど、ゆだんたいてき、って意味、だと思う」

 と、元の口調で言い、

「まだ、やる?」
「…………………」

 男たちは無言で倒れていた仲間を助け起こすと、脱兎の勢いで逃げ出していった。

「あ、逃げ足早いなー……」

 後に残されたのは少女とフェリル。
 呆然として、座り込んでいたフェリルに、少女は近づいて手を差し伸べた。

「立てる?」
「あ、あなた、一体……?」

 差し出された手を握りながら、フェリルは目の前の少女に尋ねた。
 その問いに、少女は微笑みを浮かべて、

「タン。フェリルと同じ、冒険者だよ」



<2>

「彼女が、俺がこの街で会う予定だった冒険者だ」

 宿に帰ってきて事情を問うと、イルビットはしれっと言ってのけた。
 えええっ、とフェリルが驚くのへ、

「この街の用事というのは他でもなくな、彼女の力をお前に見せたかったんだ。見聞を深めるのに良いと思ってな。あんな状況で早速、彼女の中の賢者の力を借りることになるとは思わなかったが……」
「? 彼女の中の、賢者?」
「ああ、うん」

 イルビットはふと神妙な顔になって言った。

「タン嬢が隠していないから話すが………彼女はある魔法実験の被験者、らしい」
「魔法実験……?」
「体の中に賢者の知識を埋め込まれていて、いつでも引き出すことができる。本人には理解できない高度な呪文も行使することができるんだ。あの路地裏でお前の居場所を見つけたのも、彼女の中の賢者の探知魔法の力だろう」

 すなわち、とイルビットは付け加える。

「彼女は普通の少女であると同時に、実力ある賢者でもあるというわけだ―――」


 その後イルビットはならず者たちの件を街の自警団に報告しに出かけた。本当はフェリルが行くべきだったが、少女の初心者冒険者より魔術師のイルビットの方が話を聞いてもらえるから、とのこと。
 イルビットはタンに「フェリルと共にいてやってくれ」と頼んでいった。確かにまた彼等が襲ってきても、タンが傍にいるなら撃退するのはたやすいだろう。
 少しだけ、歯がゆい。
 同じ冒険者だというのに、守ってもらわなければいけないということが。

(仕方ないよね。私が弱いのは事実なんだし)

 そんなことを自室の椅子に座って考えながら、

(あ、そうだ。お礼言わなくちゃ……)

 ふと思い当たり、机を挟んで正面に座るタンに、

「あの、さっきは、ありがとう」
「……?」

 おそるおそる言うと、タンは首をかしげた。

「その、私を、助けてくれて」
「気にしなくて、大丈夫」

 タンが答える。この少女の表情はあまり変わらないので、その感情を計りにくい。

(……私よりも小さい子なのに)

 一見、ちょっと変わった風体はしているものの、そこいらの年下の少女と違いはないように見える。
 だが先ほど目の当たりにした通り、タンは間違いなく一流の力を持っている。
 そんな少女を前にして、フェリルは軽く気後れしていた。

「……やっぱり、タン様とか、タンさんとか呼んだほうがいいのかな?」

 思わずぼそりと呟いた言葉はタンにしっかり聞こえてらしい。

「じゆうに、呼んで、いいよ」

 ひょこっと狼耳を動かしながら、タンは言った。その言葉は同年代の少女たちより若干舌ったらずで、そのせいで実際の年齢よりもさらに幼く見える。

「じゃ、じゃあ、タンちゃん、でいいかな?」

 その方が何となく呼びやすかった。

「うん」

 タンはにこりと笑って頷き、

「フェリルのことは、フェリルで、いい?」
「うん。いいよ」

 フェリルもまた頷いた。そうして名前を呼び合うことで、タンに気後れしていた気持ちが少しだけ消えた気がした。



<3>

 他にすることもなかったので、二人は街の中を歩くことにした。勿論、危険な場所やさっきの大通りは避けて。
 活気のある街だ。行きかう人々の喧騒で通りは常に賑やかである。
 折りしも何かの祭の最中らしい。あちらこちらに露店が並んでいた。

「人が一杯だねぇ」
「『クルルミク王国の街では、毎年この時期に龍神への感謝祭が行われる』」
「わっ、た、タンちゃん?」
「……って、賢者は言ってる」

 先ほどからこんな調子で、唐突にタンの口から流れ出る賢者の知識は何度もフェリルを驚かせていた。
 まるで体の中に百科事典があるかのように、タンは様々な知識を即座に引き出してくる。

(すごいなぁ。私にも、こんな力があったなら―――)

 頭に一瞬よぎったそんな思いを、

(あ、だめだめ。タンちゃんはタンちゃん。私は私なんだから)

 慌てて振り払う。
 年が離れていないせいで、何かにつけて冒険者としての力の差を意識してしまう。
 それは要するに、自分に自信がないせいなのだと、フェリルは思った。
 或いは先ほどならず者に襲われたショックが、まだ尾を引いているのかもしれない。

(何か食べて、リフレッシュしようかな)

 そんなことを何気なく思って、 

「キャンディでも食べようか」

 そう隣のタンに声をかけると、彼女はうっと言葉に詰まった。

「? どうしたの、タンちゃん」
「あ。なんでも、ない」

 慌てて首を振るタン。
 不思議に思いつつもフェリルは近くの露店で棒キャンディを二人分買い、片方をタンに渡した。

「このキャンディはクルルミク王国でしか売ってないんだよ。っても、タンちゃんはそんなこと知ってるかな」
「………………」

 キャンディの包装紙を取りはらって一舐めしたところで、

「……え? ちょ、ちょ、ちょっと、タンちゃん?」
「はぐ?」

 タンが包装紙ごとキャンディを噛み砕こうとしていて慌てた。

「これ、紙を取ってから食べるんだよ。それに、噛み砕かずに、舐めて楽しむの」

 確かに綺麗な包装紙に包まれてはいるが、それごとキャンディを食べる人間をフェリルは今まで見たことがなかった。

「え。あ……?」

 そのことを指摘されると、タンは戸惑った顔をする。

「も、もしかして、知らなかった……?」
「…………う、うん」

 どうやらこの少女は、今までずっと紙ごとキャンディを食べていたらしい。
 タンの狼耳がしゅんと垂れる。

「その、タンの、賢者はね……こういうこと、知らないの」
「……ほえ?」

 思わず間抜けな声を出してしまった。

「あ、えと、その、知識を移植するとき、知ってて当たり前の知識は、削られた、から……」

 よほど恥ずかしかったのか、軽く頬を赤らめながら説明するタン。
 どうやら一般常識などのありふれた事柄に関して、タンの中の賢者はほとんど何も知らないらしい。
 だがタン本人がまだ経験の浅い少女であるため、結果としてキャンディ一つの食べ方も知らない賢者が完成してしまったというわけだった。

「なるほどー……」

 納得がいって頷くフェリルに、タンはちょっと俯いたまま、

「タン、やっぱり、変、だよね」

 と呟く。

「ううん。全然変じゃないよ。誰だって最初は知らないんだし」
「……本当?」
「うん。全然変じゃない」

 上目使い気味に見えあげるタンにフェリルは笑顔でそう言った。

(そっか。タンちゃんには、タンちゃんなりの悩みがあるんだ)

 ものすごい力を持っていても、やっぱり悩み事はある。人間なのだから、当たり前だった。
 そう思うと不意に、この年下の賢者の少女に親近感が沸いてきた。

「それじゃ、せっかくだから、色々見てまわろうよ」
「え、でも、タン、お祭りのこと、ぜんぜん知らな……」
「うん。私も知らない。だから、色々経験しちゃおう。私も色んなこと教えてもらったから、お礼にわからないことは知ってる範囲で教えてあげるよ」

 タンの手を引いてフェリルは歩き出す。
 最初は少し戸惑った顔していたタンだったが、

「………うん。ありが、とう」

 やがてそっと微笑むと、フェリルの手を小さくぎゅっと握り返した。



<4>

 日が暮れるまで、フェリルはタンと祭を楽しんだ。
 露店で色とりどりのお菓子を買い、飛び入り歓迎の歌唱大会では下手ながら一曲歌ってみせ、竜の仮装をして楽しむパレードでは、二人で張りぼての竜の胴の中に入って参加した。
 全部、タンには新鮮なことばかりだったらしい。タンが何かに興味を抱くたびに、フェリルはできる限りの知識でもって彼女に説明をした。

「フェリルは、すごいね」

 ひとしきり祭の様子を見てまわった後で、タンは言った。

「え、ええっ? いや、タンちゃんの方がずっとすごいと思うよ。あんなに大勢の男たちをやっつけちゃうんだし」
「ううん」

 タンは首を振って言う。

「タンの中の賢者、全然知らなかった。たくさんの、おいしいお菓子のこと。きれいな歌や、たのしいパレードのこと。賢者は、全然教えてくれなかった」

 最初会ったとき、タンはあまり表情を見せなかった。だが今は、家族に対するような親しさをこめた微笑を浮かべていた。

「だから、フェリル、すごいよ。賢者も知らないこと、たくさん知ってる」

 そう言って、キャンディを美味しそうに一舐めする。
 誉められて、フェリルは何だかこそばゆい気分だった。

「……私も、タンちゃんと一緒に祭まわれて、楽しかったな」

 祭の間、まるで、一人の妹ができたような気分だった。
 久しく味わっていなかった祭の楽しさと、それを誰かと共有する温かさ。

「タンちゃん。良かったら、また明日、一緒にお祭りをまわらない?」

 そう提案すると、タンは一もニもなく頷いた。

「うん。タン、またフェリルと一緒に、祭見たい」
「決まりだね」

 二人で笑いあう。
 夕焼け色に染まった通りを、一緒に宿への帰路へとつく。
 祭の前にはあれだけ曇りかけていたフェリルの心は、今はとても晴れやかだった。新しい友人ができた嬉しさ、祭の楽しさが、少しばかりの甘い幸福感をフェリルに与えてくれていた。

 そしてそれが、油断の瞬間だったのだと、後でフェリルは思う。

 帰り道、突然脇道から音もなく数人の男の手が伸び、タンの口を塞ぐと同時に一瞬で脇道へと連れ込んだ。
 少し前を歩いていたフェリルが、タンがいないことに気づいたときには、男たちの気配はその場からなくなっていた。

「……あれ? タンちゃん?」

 徐々に薄闇色に染められていく道の上に、一本の食べかけのキャンディが落ちていた。



<5>

「フェリル! 無事だったか!!」

 宿につくなり、イルビットの焦った声がフェリルを迎えた。

「イルビット。どうしたの、そんなに慌てて」
「自警団に行ったんだがな、あのならず者たちはしばらく前からこの街を騒がせている一味らしい。街の外れは路地裏が迷路みたいになっていてな、そこに婦女子を連れ込んでは暴行をするのが奴等のやり方だ。自警団はこれまでに何度も退治しに向かってるが、迷路みたいな路地裏の構造を把握しきれずに一度返討ちにされて以来、慎重になっていて。それで―――」
「お、落ち付いて、落ちついてイルビット。慌てると説明が長くなる癖が出てるよ?」

 フェリルはイルビットを椅子に座らせ、ひとまず落ち着かせる。

「何が起こったの? まずそれを教えて」
「ああ、うん。つい先ほどまで自警団にいたんだが、報告があって……」

 イルビットは咳払いをして、言葉を続ける。

「フェリルぐらいの年の女の子が、路地裏に連れ込まれたのが目撃されたらしい」
「私と、同じぐらいの―――」

(――――――――っ!?)

 刹那、ぐらり、と視界が傾くのをフェリルは感じた。

「フェリルかと思って焦ったんだが、どうやら違ったようだな。あ、ところでタン嬢はどうし―――」

 その言葉が終わらないうちに、フェリルは走りだした。

「お、おい、フェリル!」
「タンちゃんだ! さらわれたのは、タンちゃんだ!」
「な……いや、だが、彼女ほどの賢者が―――」
「イルビット、自警団の人に連絡をお願い!」
「ま、待てフェリル!! 一人は無茶だ!!」

 宿を飛び出す。
 その女の子がタンだという保証はない。だが、確信があった。

(なんで、なんでもっと早く気づかなかったんだろう!)

 突然いなくなった彼女。落ちていたキャンディ。
 昼間の事件。あの男たちが、タンを恨んでいてもおかしくはない。

(こんなことになるなら、ずっと宿にいれば―――いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない!)

 押し寄せる後悔を、今は考えないようにした。
 夜の街を駆け、昼間の路地裏へ向かう。男たちが行為に及ぶであろう場所は、恐らくあそこだ。
 自分が今、とんでもなく無謀なことをしようとしていることを、フェリルは自覚していた。

(わかってる。これは確かに、私が一人で行ったってどうにかなる状況じゃない)

 ならず者たちが昼間の人数で動いているなら、その数は40人ほど。頑張っても4,5人倒すのが精一杯のフェリルが向かったところで、どうにかなる相手じゃない。

(だけど、こうしてる間にタンちゃんはっ……!)

 今から自警団に連絡しても、遅いのだ。
 集団というのは強力だが、動くのに時間がかかる。一度ならず者たちに撃退されているのなら、十分な人数と体勢を整えてから向かうだろう。
 それだけの時間をかけたなら、間違いなくタンは奴等の餌食になってしまう。
 ただでさえ、彼女が攫われてからもう大分時間が経ってしまっているのだ。

(私のやろうとしてることは、確かに間違い。無謀でしかない。でも―――)

 共に祭をまわったときの、タンの仕草や表情が浮かぶ。

  ――フェリル、すごいよ。賢者も知らないこと、たくさん知ってる――

 本当の妹のように思えた、あの笑顔。
 出会ってから、長い時間を過ごしたわけではない。
 けれど一緒に遊べて、とても楽しかった。

  ――タン、またフェリルと一緒に、祭見たい――

 タンはもう、大切な友人の一人だった。
 今、あの子を見捨ててしまうことが、正しい選択だと言うのなら。

(そんな、そんな正しさ、私はいらない……!)

 走りながら、心の中で叫ぶ。
 かつてフェリルの恩人であるフレシアは、フェリルを助けるため、数十人のならず者たちに巣窟に単身で切り込んだ。
 そして片目と片腕を犠牲にしてまで、フェリルを助け出してくれた。

(今なら、少しだけあの時のあなたの気持ちがわかるよ、フレシア)

 きっと、今、何もせずに諦めてしまったら、自分はもう冒険者フェリルでいられなくなる。
 ただの臆病者フェリルになってしまう。
 だから。

(今度は私が、助ける番なんだ……!)

 自分が以前、そうされたように。
 月明かりの下。あの子がいるであろうあの場所へ。
 フェリルは全力で走っていった。



<6>

 街の外れ。迷路のような路地裏を通りぬけた先にある、石壁に囲まれた広間。
 その空間に、男たちの荒い息と下卑た含み笑いが満ちていた。

「ん……んぅっ……んむーーっ……」

 月の光が照らすのは、石壁に打ち込んだ楔に手錠の鎖を引っかけて吊るされた獣人の少女。
 すでに衣服は全て破り捨てられ、その白すぎる裸体は余すところなく男たちの目に晒されている。

「昼間はよくもやってくれたじゃねぇか、ああ?」
「あのときは不意打ちされたが、要は口を塞いじまえばただのガキなんだろ」

 口に猿轡を噛まされた少女の白い体の上を、男たちの手が、舌が、這いずりまわる。

「んーーっ……んーーーっ…!」

 明らかに怯えの表情を浮かべ身を引こうとするタン。だが男たちに身体を押さえつけられ、ぴくりとも動かすことはできない。
 身動きが取れない上に自信の拠り所であった魔法陣の力を発揮できないことで、タンはかつて味わったことのない恐怖を感じていた。その様子が、男たちの興奮を高めていく。
 小さめの乳房が無茶苦茶に揉みしだかれ、首筋や腹をぬめるような手つきで撫で上げられる。腿の内側を舌がゆっくりと這い上げ、足の指をしゃぶられる。
 嫌悪感に声無き悲鳴を上げる少女を眺めながら、ナーブは満足気に言う。

「ふん。ガキが大人を敵にまわすから、こういう目に会うんだよ。」
 昼間、なんて言ったっけか。ゆだんたいてき?」

 タンの顎をぐいと持ち上げ、耳元で囁くように。

「そっくり返すぜ、お嬢ちゃん。あっちの小娘の前に、まずお前に色々教えこんでやるよ」

 すぐにタンの処女を散らさなかったのは、ナーブの提案である。
 年端もいかない少女相手に翻弄された屈辱は、じっくりと恐怖と苦痛を味あわせることで晴らそうというのだ。
 路地裏のこの場所は街の自警団たちも迷って辿りつけない場所だ。男たちはたっぷりと陵辱を楽しむことができる。
 だから男たちはまず全身をくまなく触り、舐めることで、少女の心を犯していた。

「ん………んぅ……っ………」

 既にタンはぐったりとしつつある。強すぎる恐怖と嫌悪感は、確実に少女の心を壊しつつあった。
 その様子を見て、ナーブは頃合だと判断した。

「さて。そろそろお楽しみというこうか」

 その言葉に、男たちが次々といきり立った物を晒し始める。半ば虚ろになったタンの瞳が、更なる恐怖で微かに震える。
 ナーブの無骨な指先がタンの秘所をまさぐる。

「んっ!……うう……う……」
「濡れてないな。丁度いい。思い切りぶちこんでやろうぜ」
「へへ。どんだけ痛がるかねぇ」

 嗜虐の笑みを浮かべながら男たちが少女に近づく。

「んーーっ……むぐ、ううっ……」

 弱々しく首を振って逃れようとするも、タンの身体を押さえつける汗ばんだ手はびくともしない。その幼さの残る顔にナーブの熱い息が吐きかけられる。

「さあ、せいぜい、楽しく踊ろうぜ……!」
「…………っ……」

 タンのまだ穢れを知らぬ花弁にゆっくりと醜悪なペニスが迫り―――。

「…―――見つけたよ、タンちゃん」

 ナーブにとって四度目となる妨害者は、他ならぬ、彼が過去に三度襲った相手であるフェリルその人であった。



<7>

 どうやらギリギリで間に合ったらしい。場面は今まさに、男たちがタンを犯そうとする直前だった。
 昼間の男たちの様子からして、この広間をそういう場所として使っているのだという予想は見事に当たったようだ。

(ははっ……、なんだか私、物語の主役みたい)

 子供の頃、読み漁った冒険小説。幼い心の中に刻み付けた、彼等の勇姿。たった一人で数十人の悪者に立ち向かう主人公の姿に憧れたものだった。

 今、こうして立ってみて思う。やはり物語と実際の冒険は違うのだと。
 数十人の悪者に対峙するということが、これほどの緊張と恐怖を運んでくるということを、物語は教えてはくれなかった。

「………よく、ここがわかったな?」

 ナーブが、高揚していた表情を押し消して問う。

「昼間、道は覚えたよ。これでもね、物覚えは良いほうなんだ」

 全力疾走で乱れた呼吸を静かに整えながら、言う。
 自分の声が、手足が微かに震えているのがわかった。
 
「そりゃあすげぇ。で、何をしにきた。そんなに震えて、怖がってるのが見え見えだぜ」

 男の言うとおり、今にも逃げ出したいくらい怖かった。けれど、ぐっと腹に力を入れてこらえる。
 かつて同じように数十人を前にしても堂々と立っていたフレシア。フェリルは、彼女の姿を思い出して精一杯の虚勢を張った。

「……その子をね、返して欲しいんだ」

 男たちの中心に目を向ける。そこにはタンが全裸で磔にされ、寒さと恐怖に身を縮こまらせている。

(ごめんね。私を助けたせいで、こんな目に合わせて)

 タンはフェリルに向かって、必死に首を振っていた。その目は逃げて、と伝えている。
 その訴えかけに、フェリルは微笑んで首を振ってみせる。

(今度は、私がタンちゃんを助けるよ)

 フェリルとタンの視線の間にナーブが割り込む。

「生憎と、こいつを帰すのはできない相談だ。ついでに、」

 音もなくフェリルの背後に数人の男たちが回りこみ、退路を塞ぐ。

「お前を帰しちまうのも、できない相談だな。
 呆れちまうぜ。お前の腕で、40人の大の男をどうにかできるとでも思ってたのか」

 勿論、フェリルの腕でこれだけの人数を倒すのは無理である。すでに男たちは新しい玩具をすっかり手中に収めた気でいるのが見てとれた。

「友達だからね」
「…………………あん?」
「友達が困ってたらさ。助けなきゃ」

 そう笑顔で言うフェリルに、タンが小さく息を飲んだ。

「はん。ご立派なことだな。だが、それでてめぇまで捕まっちまうんだからザマぁないぜ」
「どうかな、わからないよ?」
「強がるんじゃねぇよ。時間が勿体ねぇ。おい。こいつをさっさと剥くぞ」

 男たちは明らかにフェリルを侮った調子でにじり寄る。
 それを確認すると、フェリルは大きく息を吸い―――。

「あ!! 屋根の上に誰かいるよ!!!?」

 大声で上を指差した。壁に囲まれた空間にフェリルの声が反響し、わんわんと響き渡る。
 当然ながら、フェリルの指差した先には誰もいない。

「んな」

 男たちが呆気に取られる。何人かは釣られて上を向いたが、ナーブを始めとして場慣れしてる者は見向きもしない。
 むしろ、こんな稚拙な引っかけで何とかなると思われてたことが、男たちの怒りに油を注ぐ結果になった。

「こいつ………あんまりナメてるんじゃねぇぞ!!」

 男たちが一斉にフェリルに襲い掛かる。
 それでよかった。多少間抜けな手段だが、それこそが、フェリルの狙いだったのだから。

  ――いいかい、フェリル。人間ってのは恐ろしく油断しやすい生き物なのさ――

 踏み込みかけたところで、ナーブは気づいた。
 大声を出したことで起きた反響と、男たちの怒号。それらの騒音に紛れて、フェリルが何かを呟いている。

「………っ!?」

  ――いくら警戒してたって何処かに隙はできちまう――

 大声により注意を反らさせるという行動。
 明らかに見え透いた引っかけに隠された意図は二つあった。
 一つは、“反響と男たちの怒号で呪文の詠唱を隠すこと”。

  ――警戒心は、盾さ。そして盾を向けていない方向が、そいつの隙だ――

 そしてもう一つは、“全員の視線をフェリルに向けさせること”である。
 視線を逸らさせようという意図をぶつけられれば、視線を逸らしてやるものかと対抗する心理。
 今、フェリルから目を逸らしている男はいない。
 それこそが、フェリルが待ち望んだ隙だった。

「待て、こいつ何か呪文をっ!」
「喰らえ!!『閃光(フラッシュ)』!!!」

 まばゆい光が広間に炸裂した。

「ぐああああああっ!?」

 強烈な光を一瞬だけ放つ目くらましの魔法。旅の間にイルビットに教わった魔法の一つだった。
 フェリルの実力では呪文の詠唱が長く、昼間では効果が薄いため実戦にはまず使えないが、条件が揃えばこうして活用することもできる。
 闇に目が慣れていた男たちは全員、一瞬で視界を奪われた。
 同時にフェリルは走りだす。

「こ、こいつっ!」

 男の一人が腰に下げていた短剣を引き抜き、振り回す。その刃は、隣にいた別の男に当たった。

「ぎゃあっ!?」
「武器を振り回すな、味方に当たる!」

 ナーブが指示を飛ばす。

「通路を塞げ! 塞いじまえば逃げられねぇ!」

 目を焼いても通路を塞がれてしまえば逃げることはできない。
 だが、それで構わなかった。フェリルは後ろではなく前に向かって走り出していたのである。
 閃光で焼いた視界が回復し始めるまで僅か数秒。その間に。

(―――こっちの不利を、一気にひっくり返す!!)

 この広間に来るまでに、フェリルはこの状況を予測し、たった一つだけ、勝てる手段を見出していた。
 40人もの相手に対し勝つためには、少なくともその半数は余裕で倒せるだけの力が必要だ。そしてそんな力はフェリルにはない。

(けれど、それができる人間なら、ここにいる!)

 男たちがタンの口を塞いで無力化しているのは予想できていた。すぐに陵辱に移るであろう彼等は、そういう手軽な方法を取るだろう。
 だから、そこにチャンスがある。

「タンちゃん!!」

 男たちの間をくぐり抜け、タンの元に辿りついて、猿轡を取り除く。これで、彼女は魔法が使える。

「ぷはっ…。フェ、リル……?」
「タンちゃん、大丈夫?」
「うん。でも、目がまだ……」

 閃光はタンの目も塞いでしまったため、このまま引き返して通路へ逃げ込むのは厳しい。
 それ以前に、悲しきかな、フェリルの身長ではタンを吊るしている楔を今すぐどうにかすることはできない。
 加えて目が見えない状態では、タンはフェリルを巻き込みかねない魔法は使えない。
 だからここが、正念場だった。フェリルは覚悟を決めた。

「くっ…てめぇ、ら…」

 男たちが視界を取り戻し始める。ふらつきながらにじり寄る男たち。
 涼やかな鞘走りの音が響いた。
 フェリルが剣を抜き、動けないタンを守るように立ちはだかったのである。

「フェ、リル……?」

 フェリルは軽戦士ではあるが、前線を張るほど体格も力にも恵まれていない。強い相手なら無理に戦わずに退くタイプだった。これまでずっとそうだったし、これからもそうそう変わらないだろう。
 ましてや相手は40人の男たち。本来ならばまともに戦えない相手だ。
 だが、今は。
 今だけは、ここを一歩も引かないつもりだった。

「呪文、お願いね、タンちゃん。私弱いけど、絶対に守るから」
「フェリルっ……!」

 剣を構える。目の前の男たちは生憎と、タンの復活にも戦意を喪失してはくれないようだった。

「いい加減にしろよ、お前らああああっ!!」

 ナーブが怒りの叫びをあげて突っ込んでくる。他の男たちもそれに続く。

「やられない。絶対に、やられてなんかやらないっ!」

 タンの視力が完全に回復するまでの数秒間。40人の男たちを足止めする。
 それがフェリルに与えられた、今夜最大の正念場。

 手は恐怖に震え、足は今にも崩れおちそうになる。
 それでもフェリルは微笑みすら浮かべ、胸によぎるのはかつてフェリルを救ったフレシアの勇姿。
 彼女に教わった剣を、静かに構えて。

「ああああああああああああっ!!」

 吼える。 
 月光の下。迫りくる男たちへ向かって、フェリルは斬撃を繰り出した―――。



<8>

「この先で間違いないはずだ」

 早朝の路地裏を急ぐ、数十名の人影がある。自警団を引き連れたイルビットである。
 あれから自警団へ駆け込んだイルビットは、事情を説明すると同時に、飛び出していったフェリルの行方を探知魔法で捜していた。
 ようやく自警団の体勢が整い、フェリルの行方を察知したときには、既に夜は明けかけていた。

(思っていたより時間がかかってしまった。無事でいてくれ……!)

 祈る気持ちで急ぐ。
 やがて目標の広間へ辿りつき、イルビットの目に飛び込んできた光景は。

「………これは」

 路地裏の広間。そこに数十人もの男が折り重なって倒れていた。

「……や。遅かったね、イルビット」

 その中心に、一人の少女が立っていた。
 うっすらと朝日が差し込み始めた中。ぼろぼろの体を、剣で支えて。

「……フェリル!?」
「と、とりあえず、タンちゃんを下ろしてあげてくれるかな。疲れて眠ってるけど、このままじゃ風邪ひいちゃ―――」

 そこまで言って、緊張の糸が切れたのであろう。
 フェリルは前のめりに倒れこんだ。

「おい、フェリル! しっかりしろ!!」

 慌てて抱き起こすイルビットに、フェリルは弱弱しい声で、

「イルビット…。私…ちゃんと、タンちゃ…守ったよ……」
「ああ。よくやった! すごいぞ、フェリル」

 その言葉に、フェリルは笑顔を浮かべた。

「ちょっと、疲れちゃった、な……。ごめんね、イルビット。私…先、に……」

 そう言って、その体からがくりと力が抜ける。

「!? フェリル!? フェリルーーーーーーッ!!!!」

 薄れゆく意識の中でフェリルは、思った。

(フレシア。私、ちゃんと守ったよ。ずっとできなかった前衛、初めてできたよ)

 その思いに、遠くにいるはずのフレシアが笑いかけてくれた気がした。
 よくやったね、フェリル、と―――。



<8>

「――で、慌てて医者に運び込んでみれば、外傷はいたって軽傷のみ。単なる疲労でぶっ倒れただけだったと」
「そんなに騒ぐことなかったのに」
「お前が、あんな台詞を言って気絶するからだ!」

 あれから丸一日の間フェリルは眠りこけ、ようやく目覚めたのは次の日の朝。
 真先に視界に飛び込んできたのは、仏頂面で濡れたタオルを絞っているイルビットの姿だった。
 そのままベッドの上で、事件の後について聞いた。

 ならず者たちは、今度こそ自警団が一網打尽にしたらしい。
 フェリルとタンは大いに感謝されたが、下手に名声を高めない方がいいとのイルビットの配慮で、二人の少女の活躍は表に出ることは無かった。

「まったく、無茶をする。次からこんなのは無しだぞ」
「うん。次からは、もっと上手くやるよ」
「いや、だから……まぁ、いい。結果として、お前はタン嬢を助けたんだしな」

 振り返ってみれば、我ながら凄まじい無茶をしたものだと、フェリルは思う。
 危うい賭けの連続だった。どれか一つでも読み違えていれば、こうして平穏な朝を迎えることはできなかっただろう。

「あ、そうだ。タンちゃんは?」
「ああ、無事だよ。ずっと付きっ切りでお前の傍にいたがったが、身体に悪いし部屋に返した。
 今もお前が目覚めるのを待っているんじゃないか」
「そっか。じゃあ、会いに行って来る。……もう、出発の日だしね」

 そう言って、ベッドから起き上がる。
 最初から、この街の滞在は三日だけの予定だった。フェリルとイルビットは今日、次の街へ行かなければいけない。そこで次の仕事の準備に取り掛かる手はずだった。

「……いいのか? 体力もキツいだろうし、まだこの街にいても」
「私の体力なら、もう大丈夫だよ。正直、名残惜しいけれど」

 タンともう一日、祭に行くという約束は残念ながら果たせない。

「私は、冒険者だから。けじめは、しっかりつけないとね」



<9>

 フェリルの目覚めを、タンは心の底から喜んでくれた。

「フェリルっ…!」
「わっっとっと」

 部屋に入るなり、ひしっと抱きついてきたタンを受け止める。

「フェリル…よかった……」
「た、タンちゃん……?」

 タンはぎゅっとフェリルに抱きついたまま、離れない。
 無事なフェリルの姿を見て、ずっとこらえていたものが吹き出したのかもしれなかった。
 まるで親犬にすがりつく子犬のようなタンの様子に、優しい気持ちが沸いて来る。

「安心して、タンちゃん。私は、この通り元気だから」

 そっと、タンの頭を撫でる。
 まるで本当に妹のようだった。
 この子を見捨てないで良かったと改めて思い、同時に申し訳なさがこみ上げる。

「ごめんね。私のせいで、酷い目に……」
「大丈夫、だよ」

 目を閉じたまま、静かにタンが言う。

「フェリル、守ってくれたよ。だから、タン、大丈夫、だよ」
「タンちゃん……」

 その言葉で、フェリルは救われた気がした。

「……フェリルの手、あったかい……」

 タンの狼耳が、嬉しそうに身じろぎした。
 二人は少しの間、そうして抱きしめあっていた。


「……それじゃ、フェリル、もう行っちゃうんだね」
「うん……名残惜しいけど」

 タンが落ち着くまで待ってから、フェリルは事情を説明した。
 出発の時間まで、もうあと一時間ほど。やはり祭を廻るほどの余裕はない。
 そこでフェリルはふと思いついた。

「あ、そうだ。タンちゃん。最後に、買い物しようか?」
「買い物?」
「うん。服を、買わなくちゃいけないでしょ」

 タンの冒険用のローブは男たちに破り捨てられてしまっていたため、今は粗末な衣服を身につけていた。

「私が、選んであげるよ。新しい、タンちゃんの服……あ、嫌じゃなければ、だけど」
「全然、嫌じゃない。すごく、嬉しいよ」

 早速、二人は朝の市場へと繰り出した。
 そして、ほぼ一時間後。

「こんな感じでどう?」

 黒が基調のローブに、薄い紫系のケープと腰布を組み合わせ、脚はニーソックスとブーツ。
 ちょっと冒険者としてはお洒落すぎるかな、とフェリルは思ったが、タンは大いに気に入ったらしい。

「ありがとう、フェリル。この服、大事に、する」

 そう言って彼女は、選んでもらった服を大事そうに抱きしめた。



<10>

 街の門のところまで、タンは見送りに来てくれた。早速、新しい服を身に纏っている。

「ふむ。よく似合っているな、タン嬢」
「ありがとう、イルビット」

 嬉しそうにタンが笑う。

「そして……色々、ありがとう、フェリル」
「お礼を言うのはこっちだよ、タンちゃん。お祭……とても楽しかった」
「ん……。タンも、すごく、楽しかったよ」

 空は青く、道の先に連なる山々は鮮やかな緑に染まっている。
 緩やかに吹いていく、風。
 少しばかり、三人は沈黙した。
 それは冒険者たちの間では、よくあること。出会いと、別れ。
 また再会する日を信じて。

「……また会おうね、タンちゃん」
「うん。ぜったい、また会う」

 誓いの握手をかわす。お互いの手の温もりを、しっかりと胸に刻み込んだ。
 そして、名残を振り切るようにして、フェリルは振り返って歩き出す。後ろにイルビットが続き、二人の姿をタンが見送る。
 小さくなっていく二人の背中を、タンはいつまでも見送っていた。彼女の姿を、心に焼き付けるために。


「……良かったのか、フェリル」

 声が届かなくなるほど離れたところまできて、イルビットが口を開いた。

「本当は、仲間に誘いたかったんだろう」
「あはは。正直言うとね、すっごく誘いたかった」

 タンにはあの街で冒険者としての依頼を受ける予定があった。それを差し引きにしても、フェリルはタンと一緒に旅をしてみたいと思った。

「でもね、あんな目に合った後は、しばらく休息が必要だって思う。私が、そうだったし」
「………それだけでは、あるまい?」
「ん……、結局私はまだまだ初心者だもん。今一緒に旅しても、タンちゃんに守られるだけになっちゃうから」

 だからせめて、足を引っ張らないようになってから。
 今よりもっと強くなれたら、今度こそ一緒に旅をしたい。

「……やれやれ。何時の間にか、一人前の意地を張るようになった」
「ん? 何か言った、イルビット?」
「なんでもないさ。さあ、日が暮れる前に次の街へ急ごう」

 こうしてフェリルとタンは別々の道へ進んでいった。
 お互いに、相手の無事と再会を祈って。

 その後しばらくして、彼女たちはとある酒場で再会を果たすのだが、それはまた別の話である。



<???>

「くそったれ… !畜生…! 畜生っ……!!」

 暗い洞窟の中を、一人の男がふらついた足取りで進んでいく。

「あいつら……許さねぇ」

 男の顔には、大きなよぎり傷がある。ナーブだった。
 フェリルとタンに敗北し、仲間が皆捕まっても、ナーブだけは命からがらその場を逃れるのに成功したのである。
 その身体のあちこちは、魔法による火傷と剣創が刻まれて、一歩ごとに激しい痛みを訴えてくる。

「ぐぅっ……はぁっ…はぁっ…」

 その痛みが、男の中の二人の少女に対する憎しみを強く強くかきたてていく。

「もう……もう、手は抜かねぇぞ。次は…次はもう…」

 苦心して作り上げた集団を二度も潰されたことで、男の中で何かが壊れていた。

「フェリルに……タン。待ってろ……いつか必ず……」

 男の向かう先は、龍神の迷宮。ならず者たちが集まっているというその場所に、一旦身を寄せるつもりだった。
 その目に宿るのは、二人の少女に対する暗い情欲の炎。

「俺が…お前たちを、犯して、犯して、犯しぬいてやる! いつか、必ずだ……!!」

 点々と血の跡を残しながら、男の姿は闇に消えていった。