<偶然と大入道と勘違い>

「なにっ?」
 風呂に入っていた坊主頭の男は、くつろいだ表情から一転して、大きな眼に刃の光を湛えて報告者を睨みすえた。湯船から見える肩幅、盛り上がった筋肉から、尋常ではない肉体の持ち主と容易に想像出来る男であった。
「殿下が生きておられる?そして、それを見た者がいる、ということか?」
「お寛ぎの所とは思いましたが、事が事だけに・・・」
 ザバッッ
 鍛え上げられた巨体が浴槽から立ち上がる。
 幾多の戦場を駆け巡った筋骨隆々たる肉体には、無数の傷跡が走っている。そして、もし彼の背後に立つ者が居れば、戦神、というタイトルが付いた彫像のような背に、傷は一つとしてない事に気付いたかもしれない。
「その者の背後関係は?」
「ただの流れの商人でございます」
「何故、その情報が耳に入った?」
 慣れた様子でタオルを差し出した報告者は顔を伏せたまま淀みなく答える。
「偶然、でごさいます。かの国から商品を仕入れ、当国で商う行商人が、かの地の市場での騒動を買い物客に語ったのです。幸いにも、その買い物客が私であったのです」
「すぐに、会う」
 浴衣を身に纏っただけの姿で、大股で男は歩き出す。
「殿下の耳には入っておらぬな?・・・その話を周辺で聞いていた可能性のある者は?」
「・・・その時店にいた者は、全て理由をつけて当家に収容しております。他に噂が流れる恐れはないかと」
「うむ」
 ギラリ、と。
 凄まじい眼光が閃き、そのまま重大な情報を持ってきたかもしれない哀れな行商人が控える間に、珍しく男やや早足で向かったのであった。



「いつも、すみませんねぇ・・・。差し上げられる御代も何もないのに・・・」
 捻じ曲がった腰の老婆が、拝まんばかりに華奢な白い手を握り伏し拝む。
「いえ。そんなことはどうか・・・。こちらこそ、あんな騒動を起こしてしまった罪滅ぼしでしているだけですから、どうかお気になさらずに。はい、次の方、どうぞ」
 市場の裏手。
 粗末な椅子に腰掛け、ボロボロの日よけ傘の下で彼女は次の来客を笑顔で迎えた。
「どう、されましたか?」
 明らかに栄養が不足している風情の少年が、青白い顔で咳き込んでいる。
「あ、あのさぁ・・こ、ここにくれば、タダで治してくれるからって・・・」
 彼女の顔を見た瞬間、まだ幼さの残る頬に軽く朱がのぼり、口ごもるのを見ても、彼女は笑いもせずに生真面目な顔で少年を手招きした。
「タダ、じゃないですよ?」
 悪戯っぽい顔で少年の顔を覗き込むと、完全にその頬が赤面する。
「な、なんだよ!?」
 思わず反抗的な態度を取る少年を、彼女は賢者の笑みで受け流す。
「私の言う事をちゃんと聞く。これが守れないなら、治してあげません」
 熱い少年の額に、ひんやりとした手が当てられる。
 薄い食器以外持った事がないような・・・この市場や酒場には決してありえない柔らかな手・・・。時が時であれば、決して少年のような市井の者に差し出される筈のない手・・・。
「うわっ」
「じっとしていて下さい」
 思わず立ち上がりかけた少年を、優しい声で座らせる。
「う〜ん・・・もう少し早くココに来て頂ければ良かったんですけど・・・」
 軽く目を閉じ、癒しの聖句を呟く。
 じんわりと彼女の白い手が熱を帯びるとともに、少年の身体から熱が取り除かれていく。
「熱って、本当は身体の中を消毒する為にあるので完全に抜くと逆に毒なんですけれども・・・。あ
とは・・・」
 栄養のあるモノを食べて、ゆっくり休んで、と言い掛けて、彼女は口をつぐんだ。
 ココにいる者たちは全て貧しく、その日、その日を生きていくのに精一杯なのだ。
 この少年とて、何人かは知らないが、誰かを養う為に懸命に生きて、働き、そして身体を壊したに違いないのだ。そして、彼女は、彼ら全てを満腹にする術は持たず、また、出来たとしても「施し」が彼らのプライドを傷つけることをよく理解していた。
「この葉をお渡しします。これと同じ葉は大抵、あの丘の中腹に生えているので、自分で取ってきて
、それを毎日細かく千切って噛んでください。苦いですけれども、我慢してくださいね。で、宿題はこの葉を毎日私のところに持ってくることです」
 軽く睨むが、どういうワケか少年はプイ、と目を逸らす。
「ちゃんと毎日持ってきてくださいね。似たような葉を勝手に食べると、逆に毒になるんですから」
 やんちゃな弟を諭すような眼差しであった。
「毎日?面度くせぇよ」
「言う事を聞く、と約束したでしょう?」
 厳密に言えば約束などしていなかったが、少年は何となく頷く。
 少年が毎日その葉を彼女のトコロに届け、毎日彼女の目の前でその葉を噛めば、とりあえず熱の病は治るハズ・・・。少年の自尊心を傷つけず、場合によってはそれを少年が市場で売ることで、彼の生計の助けになるかもしれない・・・。少なくとも賢者のお墨付きであるし、これくらいなら、あの貧相・・・もとい、苦労の影が
忍ばれる町長も大目に見てくれるだろう。
「いつも御苦労さまです」
「ああ、町長さん・・・。いらっしゃったんですか」
 彼女がこの前の騒動のお詫びに、街にいる間はココで無料で診療所を開きたい、と相談した時、髪の毛が生える魔法はないか?と真顔で聞いたのがこの町長であった。・・・無論、そんな都合の良い魔法はなかったが。
「あれくらいであれば、ギルドにも抵触しません。もっとも繁盛するようでしたら、ギルドに加入しなければならないですが」
 カツラを気にする町長を、彼女は巧妙に気付かないフリをして、罪のない笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。きっとあの子も喜ぶでしょう」
「戦争が長引き、腕の良い医者は皆、前線に駆りだされています。むしろ、こちらから御礼したいほどです。それに、こんな粗末な椅子に座り、傘とも呼べぬ代物の下でされなくても・・・」
「皆、懸命に生きているのです。私の診療に施設は必要ありません。薬草は自分で探しますし、迷宮に潜るおかげで、とりあえず衣食住の心配はないですから、これで充分です」
 列を作る病人、けが人を見遣る眼差しは、いつもと変わらぬ眼差しであった。
「失礼ながら・・・何故、貴女のような方が命や貞操の危機を犯してまで迷宮に潜るのか謎ですな。冒険者、と呼ばれる連中のように金や名誉を欲しているわけでもなさそうですし、そのような身分に自分を貶める必要もないかと・・・」
「失礼ながら、あの方々を貶めるのはどうかお止め下さい。彼女たちは様々な理由を持ちながらも、この国の為に危険な迷宮に潜る勇者でいらっしゃいます。ロウ、カオス、ニュートラルの性癖の違いはあれど・・・。むしろ、あの方々のように確たる目的のない私は・・・」
 何となく仲間を侮辱されたように思った黒曜の眼差しがキツいそれとなった事に、町長は気付いただろうか・・・。望んで迷宮に入ったわけではない彼女ではあったが、仲間たちは、いつしか、かけがえのない存在になっていたのだ。己の武器が、迷宮で人を傷つけるのを許せない、屈託のない笑顔を浮かべる少女。ぶっきらぼう
で、突き放したような物言いをするが、誰よりも戦いの経験豊富でパーティーをサポートする軽戦士、そして、いつも冷静で、パーティーの中で最も正しい判断を下してくれる神官戦士・・・。
「失礼しました。皆、お待ちのようですので・・・」
 ニコリ、と笑う眼差しの奥で、懊悩が漂っていたことに気付いた者は、誰もいなかった。

「・・・・・・・・・・・・・」
 行商人の話を聞き終えた男は、じっと腕組みをしたまま動かなかった。
 風の魔法。癒しの魔法。
 その言動。
 その容姿。
「その者の髪の色は?」
 側近が、平伏する行商人に尋ねる。
「む、紫でございます。め、珍しい透けるような薄い紫が印象的で・・・」
「聞かれた事だけに答えろ」
「へ、へい!」
 有無を言わさず、彼のような者が入れる筈もない屋敷に連れ込まれた行商人が震えながら答える。
目の前に腰掛ける男の顔を見てはならぬ、とキツく申しつけられなくても、その威風辺りを払う存在感は、目をあわせなくても男の心臓は鷲づかみにされていた。
「瞳の色は?」
「と、遠くからしか見てないので分からないんですが・・・黒かったかと」
「・・・殿下・・・そのようなトコロに・・・御労しい・・・」
 行商人の前に座ってから、初めて巨躯の男が言葉を発した。
 搾り出すような、悲痛な声であった。
 むしろ怒りのあまり、その形相は鬼のようになっていたが、平伏している行商人は幸いにも気付かない。・・・幸いにも。
「むしろ、敢えてかの国の薄汚い迷宮あたりに身を潜められているのやもしれません。下手に繁華街に出れば・・・」
「消息が絶えて久しく、一体ドコの悪魔の差し金でその様なトコロに放り込まれてしまったのか」
「やはり・・・かの殿下の差し金かと?」
 側近が、怒りで顔面を朱に染めた男の耳元で囁く。
「・・・手練の兵を50程集めよ。領土侵犯も構わん。俺が責任を取る。騎士団の面目にかけて、殿下を救い連れ戻せ。・・・無論、かの国には気付かれぬようにな」
 食いしばった歯の間から、ギシギシと歯軋りの音が響く。
「殿下と騒動を起こした男は如何されますか?」
「どうも、街の破壊から復興までの期間が早すぎて匂う。その男の差し金か・・・。殿下の正体に気付いていて、事を荒立てぬように、という配慮であったとしても、敵か味方か分からぬ」
 ・・・全くそんな事はないのだが、そんな事を彼らが知る由もない。
 推測の半分は合っているが、半分は全然違う。・・・そもそも前提が違うので無理はないが。
 その男が「誰」の為に街を修繕したのかを想像するには、あまりにも材料が少なすぎた。
「周囲にあやしげなならず者もいた、との話ですから・・・」
「もっとも、我らも汚い仕事に冒険者というならず者を雇う事もある」
 ・・・彼女が聞いたら柳眉をしかめそうであったが、そんな事を彼らが知る由もない。
「事を荒立てたくはない。その男が気付いていて、我らに何ら行動を起こさないのも解せないが・・・」
 ・・・だから、全然違うのだが、無論、そんな事を彼らが知るワケもない。
「気付いているか確認しろ。気付いていたら、面倒だから斬れ。気付いていなければ・・・その時の判断は任せる」
 ・・・武器商人の少女が聞いたら、それこそ顔を真っ赤にして怒りそうなセリフであったが、無論彼らがそんな事を知るワケもない。
「御意。・・・では、この者たちは・・・」
 分かりきった問いを側近は男にした。
「斬れ。全員だ。この事、決して外に漏らしてはならぬ」
「御意」
 屋敷に招かれた行商人、そして、その店を訪れていた者たちが屋敷から出る所を見た者はいなかったが、誰も彼らが屋敷に入る所を見た者はおらず、無論、出て来ない事を気にする者は皆無であった・・・。