彼女は不幸だったか?それとも幸運だったのか?それはわからない。しかし彼女は幸せであると自分では思っているらしい。

彼女が生まれたのはとある寂れた寒村。これと言って何もなく、痩せた土地を必死で耕して、僅かな農作物で収穫して、それを売って生計を立てるそんな寂れた村で、そのような家庭であった、だが彼女の家庭は普通ではなかった。
邪教と呼べばまだ聞こえがいい、邪とは言え教義があってそこに人が集まれば宗教だ、それが善か悪かは宗教であるという事でかなり中和される、例え善であってもその善である為に大量に人が死んだりする。

しかし彼女の家庭の場合は、唯一の肉親である彼女の母親が絶対的にその神を信仰していただけである。
ただでさえ寂れた寒村であり、更に怪しげな邪教に被れている家、そんな家が村八部にされるのは当然の結果。
彼女の母親は良かった、信仰という縋るものがあったから、しかし幼い彼女には縋る者はなく
家を出れば子供に石を投げられ、大人には悪魔の子と罵られ、老人には気味悪がられる、そういう村人の行動は全て母親のせいなのだ、縋れる筈の母親に縋れない、それは地獄であり、そして絶望である。

彼女には父親はいなかった、母親曰く
「貴方は我が神との間に授かった神の子なのよ?だからね…今にあの憎ったらしい異教徒共も、貴方に奇跡が舞い降りれば、全て灰燼に帰す事が出来るのだからね?早く大きくなってね?私の可愛い可愛い…宝物…」

彼女には名前もなかった。名前は母親が付けるのではなく、いずれ時がくれば父親である神がつけてくれると言うのだ。

幼い彼女には母親が絶対であったし、村人達からの酷い仕打ちも耐えるしかなかった。

「あくまー!あくまのこー!あっちいけよっ!」
「なんて気味が悪い…こっちによるんじゃないよっ!悪魔の子めっ!」
「てめぇが来ると家の商品が腐っちまう!さっさと失せろっ!この悪魔めっ!」

村人の反応は酷いように見える、夜な夜な奇声をあげて怪しげな儀式を行う、母親の行動をを考えれば自然であると言える。
その狂人である母親が、神との間の子などと呼んでいる子供が悪魔の子でなくてなんだというのか?

しかし、彼女にとっては村人が一方的に自分を苛めているようにしか感じられなかった、幼子の間に酷い行いばかりされて育った彼女は、人を、いや母親が言う異教徒を憎むようになって行った。そして少しずつ少しずつ、母親が言う狂気の教えと言う物を理解し始める、それはおぞましく、そして冒涜的な教えだった

「我が神は何時か…星辰の位置が揃った時に光臨なされて、全ての異教徒共を発狂させて滅ぼし、塵芥と化して新しい素晴らしい世界を創造なさるの…だからね?その日が来るまで私たちは、異教徒達を少しでも減らしておくのよ、それが我が神の願い、我が神は我々のその姿を見て愉悦を感じてくださるの…母さんはね?体が弱いから…そういうことが出来なくて…せめて我が神にその体を差し出したのよ…その結果が貴方なの…だからね?我が神の代行者となって貴方は異教徒を殺して!殺して!殺して!殺して!そして我が神への供物に捧げるの…とっても素敵でしょう?」

そう言って、端正に整ったその美しい顔をぐにゃりと歪ませて笑うのだった。

彼女はそれが正しいと信じた、しかし時が来るまでは彼女は名前のない唯の幼子、その時を今か、今かと村人を憎み続けてその憎しみを熟成させて10年、彼女は18歳になっていた。

その日、村は沸いていた。村人達が彼女と母親を売り渡そうと、異端審問官を呼んでいたのだが、今までずっと放置されていた、ここがあまりにも大都市から離れた寒村であり交通の便も悪く、今の今まで後回しにされていたからである。
近隣の王国ではとある一神教が布教されており、その教えに背く物は厳しい拷問の末、大抵は途中で根を上げてしてもいない罪を認めるか、途中で死んでしまうかどちらかだった。まさに魔女狩りである、普通の魔女狩りと違うのは彼女の母親は正真正銘の邪教の徒であり、魔女であるということだが。

しかし何十人もの兵士達に引っ立てられ、村人の前で柱に括り付けられ、鞭打ちの拷問にかけれた母親は、既に狂っており、意味不明の言葉を喚くばかりであった、同様に引っ立てられた娘はまだ子供であり、母親のそんな姿を見れば従うであろうと、その光景を一緒に見せられていた、娘も母親同様端正な顔であったため、同行していたロードの目に留まったというのも理由ではあるかもしれんが、好色そうなロードの性格から言って屋敷に召し上げた後、手篭めにでもするつもりだったのであろう。

「いあいあ!よぐそとーす!いあいあ!よぐそとーす!千の瞳を持つ神よ!我が願いを聞き届け給え!汝の落とし子である我が宝に光臨されよっ!いあいあ!いあいあ!よぐそとーす!」

筆舌しがたい苦痛を受けている筈なのだが、母親には痛覚がないかの如く、狂ったように邪神への祈りを続ける、そのなにかおぞましい感じがする祈りを聞いていると気が変になってしまいそうで、いい加減拷問官も嫌気が指したようだ、ロードに許しを得ると彼女の処刑を宣言した、これは魔女であるという正統な証拠であると、その場で鉄製の杭が打たれ、それに母親を括り付けると足元に大量の薪がくべられ。そう、魔女狩りでお馴染みの火刑である。

「これより魔女ラヴィア・ウルトリーの処刑と執り行うっ!」

審問官が高らかに宣言すると、村人が歓声を上げ、数人の兵士が薪に火をつけると足元からじわじわっと火が舌を出すように燃え広がって行く。魔女狩りの火刑は一瞬ではなく弱火でとろとろと焼き上げる、少しずつ少しずつ、受刑者により深い苦しみを、という意味が込められているらしい。

「いあ!よぐそとーす!千の瞳を持つ神よっ!我が願いを聞き届けたまえ!この者達に怨嗟の裁きを!我が体を生贄として光臨を!」

母親は狂ったように、そして狂信的にただただ神の光臨だけを叫び続けていた、既に痛覚も何もないのかもしれない。

それを覚めた瞳でただ彼女は見つめていた。

「娘よ?ああはなりたくはあるまい?我が屋敷で側女として置いてやっても構わないがどうだ?」

ロードであるでっぷりと太り脂ぎった男が彼女の顎を掴みそう言ったが…

「寄るな異教徒め、貴様のその醜い体を見ると虫唾が走る、その汚らわしい手を離せ」

凛としたまだ18歳とは思えない大人びた口調で彼女はロードの手を振り払った

「貴様っ!君主様に向かってなんということをっ!」

脇で控えていた兵士が彼女を拘束しようと殺到するが

「判りましたわ、お母様、いあいあよぐそとーす!我に全てを断罪する力をっ!灰は紅蓮に…塵は狂気に…死んだ異教徒だけがいい異教徒ですわ!」

ぶわっ!と彼女の足元から怖気を催す瘴気としか表現できない紫色のオーラのようなものが湧き出すと、殺到して来た兵士を吹き飛ばして、そして怪異は幕を開けた。

「我が名はアルム・ウト=ウィタル!銀の鍵を継承せし!ヨグ=ソトースの敬遠なる使徒なりっ!下がれ下郎!」

彼女、いや名乗ったならばアルムと呼ぼう、アルムがそう高らかに宣言すると地面が紫色の毒々しい色彩に空は真っ赤に染まり世界は変容した、鍵によく似た巨大なハルバードが地面から生えるように、姿を現して、がっ!とそれを握り締めると

「くたばれっ!異教徒!」

アルムの細腕からは想像できない力で巨大なハルバードを横薙ぎに一閃すると、アルムに殺到していた兵士の一団が血飛沫と共に沈み、そして、世界の変容に戸惑いを隠せない村人やロード達は凍ったようにその光景を見つめていた。

「お母様、いえ敬遠ならヨグ・ソトースの使徒たるラヴィア・ウルトリーよっ!我のための糧となりっ!その身を守る鎧となれっ!」

命令するが如くそう言い放つと、焔に包まれて聖句、いや呪句を唱えている母親の元へ駆け寄ると、袈裟斬りに母親を切り裂いて、すると更なる怪異が始まった。

「ああ、やっと時が来たのですね、我が神よ…」

痛みはないのかうっとりと母親がそう言うと、斬りつけられた傷口から空間を切り裂いたかのように裂け目が現れて、母親は吸い込まれて消えた、神の元に召されたとでも言うのか?
いや、その傷口から開かれた裂け目だけは残り、そこから何か形容しがたい漆黒の人の形のような物がぐちゃり、にちゃりっと現実の世界を侵食するかのように現れて。

「有難う、今まで育ててくれて、有難う、我が神の教えを教えてくれて、有難う、我が神との間に私を産んでくれて、そしてさようならお母様、しかし貴方の魂とはいつも一緒です、お母様…」

祈るようにそう呟いて、現出した邪神を象った像のような者に向かって手を差し出して、そしてそれに触れた。

膨大な瘴気が溢れ出して、そこには漆黒の禍々しい鎧を纏ったアルムがそこに居た、その禍々しい姿に、凍りつくように止まっていた時間が動いた、村人は脱兎の如く逃げ出し、残っていた兵士はロードを守るように武器を構え、残りの10人の兵士は果敢にもアルムに突撃をかけた、それが惨劇の発端であるとは知らずに。

「私に挑むの?愚かな異教徒共ね、さようなら、そしてくだらない人生から開放されておめでとう」

大きく振りかぶり、先頭の3人の兵士をハルバードの一閃で血の海に沈め、続けて掛かってきた2人をそのまま回転させたハルバードの持ち手の方で殴り殺し、ここぞとばかりに隙を狙って来た2人は、鎧のブレスト部分についた瞳にぎょろりと睨まれてるとその場で固まり。残った3人はそのあまりアルムの強さに踏鞴を踏んだ。

「さようなら、おめでとう、さようなら、おめでとう、さようなら」

狂ったように2つの挨拶を繰り返しながら、固まった2人と踏鞴を踏んだ3人を血溜まりの新たなる糧へと変えると、ばさりとマントを翻しながら、ロードと残った兵士達更に逃げ出そうとする村人達に振り返り。

「さて、皆様には我が神の生贄となってもらいますわ、今までの行いを悔い改めるとよろしいですわ」

人間、いや獣でさえも発音できないようなおぞましい響きの言葉を唱えると、何百匹もの骸骨の蛇を地面から召還すると
逃げ惑う有象無象へと放った、そして殺戮の宴が始まった・・・・・・・

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漆黒の鎧は朱に染まり、しかしそれは瞬く間に元の漆黒へと戻っていった、変容した世界も戻り、全ての狂気はアルムの体へと吸収され、そこに寂れた寒村などなかったかのように静寂が戻る。

一人の狂った神の使徒が誕生したという事実だけを残して

「さて、我が神の名の下に、異教徒共に裁きの鉄槌を!お母様、ずっとそこで見ていて下さいね」

高らかに叫び、そして自分の鎧の髑髏の部分に小さく語りかけると、廃墟となった寒村を後にして、異教徒狩りの旅へと足を踏み出すのだった。


FIN