今まで感じた事がない恐怖心に、指先が震えていた。 行き止まりに追い込まれ、背後には剥き出しの岩が退路を完全に遮断している。 そして、アタシの目の前には、下卑た笑みを張り付かせた醜悪な男達がいた。 「もう後がないぜ、アリスちゃん? ふははははっ!!」 「お仲間も、助けてくれるヤツもいないぜ? 観念したらどうだい」 「ふざけるな! あんた達なんか一人で充分よ!」 荒い呼吸を無理やり飲み込み、大声で自分を鼓舞する。 一人一人の腕前は一般兵士以下……とるに足らない雑魚だ。 どれだけ集団で来ようと、一気に襲いかかれる人数は知れている。 こんな男達は、今まで何百と切り捨ててきた。 なのに、どうしてアタシは怯えているのか……理解ができなかった。 「どけどけ!! 前をあけろよ、雑魚どもが!」 目の前にいる男達の後ろからドスの利いた声が上がる。 そして、ならず者を押し飛ばすようにして、一人の大柄な男が前に出てきた。 手には巨大なバスターソードを持ち、身体についた無数の傷が潜り抜けてきた修羅場の激しさを物語る。 明らかに、今までの男達とは違う実力者だと一目で分かった。 「久しぶりだな、アリスちゃんよぉ」 「……? 誰よ、あんた……」 アタシの事を知っている口ぶりだが、まったく覚えがない。 というより、今までこういう男達は何人も見てきたので一々覚えていないという方が正しかった。 だが、その男はアタシの答えに憤慨する所か、愉快そうに口端を吊り上げた。 「くっ……ははははは!! 覚えてねえのか。まあいい……俺はヴァルガー、お前のご主人様になる男だ」 「はあ?? 頭でもおかしいの、あんた」 あまりにも間抜けな言葉を聞いて、アタシは苦笑しながらこめかみを人差し指で押さえた。 半分は本気、もう半分は挑発の意味を込めた仕草に対して…… ヴァルガーと名乗った男は何の反応も示さなかった。 ただ、じっとアタシを……全身を舐めまわすような、汚らわしい視線で見つめている。 これだから、この手の輩は…… 「その目……やめてくれない。おぞましくて鳥肌が立つわ」 「おやおや。怒らせちまったか? そりゃあ、すまない事をしたな」 「くっ……!」 先に挑発しておきながら、アタシが逆上してどうする。 ざわめく心を抑えようとしたその瞬間、ヴァルガーは手に持った剣を大きく振り上げた。 「おぉおおおおおおっ!!」 鼓膜どころか、ダンジョンすら震わせるほどの怒声を上げて、突っ込んできた。 大柄な男が突撃してくる様はそれだけで迫力があり、周りの男達は目を見開いて竦み上がっている。 しかし、そんな脅しがアタシに通用するはずがない。 今の会話で動揺したとみて、突っ込んできたのだろうが……それは甘すぎる考えだ。 アタシは瞬時に抜刀すると、重心を低く落として中腰に構える。 アタシとヴァルガーの間合いは一気に狭まり、向こうの剣戟の範囲内に入った。 「だっ!!」 「ふっ――!!」 おたがいに短く息を吐き出し、アタシは自分から前に飛び込んだ。 時として体格の大きさは絶望的な差を生み出すが、それは単純なぶつかり合いになればの話。 アタシは上から振り下ろされるバスターソードに剣を軽く当てると、そのまま半身を捻って真横に受け流す。 金属が擦れる甲高い音を立てて、反りが入った剣の上を巨大な刃が滑り落ちていく。 「ちぃいいっ!?」 渾身の一撃を受け流されて、ヴァルガーの身体が前のめりになる。 アタシはそのまま剣を滑らせると、前進しながらがら空きになった腹を狙う。 白刃が弧を描いて、ヴァルガーに迫っていく。 勝った! そう確信した瞬間――― 奇妙な違和感が掌から伝わり、刃の軌跡が半ばほどで途切れる。 「なっ!?」 目の前の光景に、驚愕の声が漏れた。 そこには狂気に目を光らせたヴァルガーの顔があった。 「おらぁあああっ!!」 ヴァルガーの片手が腰に回されて、もう一方の手で前足を駆られる。 バランスを崩したアタシの身体に体当たりすると、ヴァルガーは勢いを止めず、さらに前進してくる。 まずいと思う暇すらなく、周りの光景が歪み…… ―――ドガッッ!!! 「ごほっ!!」 後ろの壁に背中を叩きつけられていた。 それと合わせて、ヴァルガーの身体が腹にめり込んでくる。 肺から残らず空気が搾り取られ、視界が痛みと苦しさに明暗する。 「かはっ……うくっ……」 「戦いはお上品な技だけで決まるワケじゃねえんだぜ、小娘」 壁にもたれかかりながら、崩れ落ちるアタシを…… ヴァルガーは勝ち誇った笑みを浮かべて、悠然と見下ろしていた。 この男は腹を薙ごうとした剣に向かって、自分から突っ込んできたのだ。 結果として、振ろうとした腕が伸びきらず、剣は腹筋に突き刺さった状態で止まった。 無謀とも言える突撃を何の躊躇も無く出来た事…… 一歩間違えれば、命を失うという策を実行できた度胸が信じられない。 こんな下衆な男達に、そんな事が出来るなんて…… 「兄貴! 大丈夫ですかい!?」 「ああ、ちと痛いが……こんな傷ぐらい、アジトに戻ればすぐに直るからな」 「何かあったら大変ですぜ。縛っておくくらいはしておかないと」 「うるせえ、うるせえ! いいつってんだろうが!」 後ろに控えていた男達の足音が聞こえてくる。 その時になって、アタシはようやく気付いた…… どうして、アタシがこいつらに恐怖していたのかが。 王国にいた時のアタシは、言わば狩人であり、山賊達は獲物に相当する。 獲物に対して警戒する事はあっても、恐怖する狩人などいるワケがない。 何かあれば周りのみんなが助けてくれる、そんな信頼感が少なからずあった。 でも、ここにいるアタシは狩人でもなければ、周りに黒騎士団のみんなもいない。 だが、こいつらは大勢の味方がいれば、多少の無茶も許される環境にいる。 いつの間にか、アタシは狩られる側に立っていたんだ…… 「さて、観念したかい。アリスよぉ」 前髪を掴まれ、無理やり顔を上げさせられる。 殴りつけたくなるほど、むかつく笑みを浮かべた男達の顔が見えるが…… アタシの手は痺れたように動かず、力無く剣が指の隙間から零れ落ちていった。 あれから……何日経っただろうか。 あの日から、アタシの全てが奪われた。 誇り、名誉、時間、純潔…… およそ考え付く限りのモノを取られたアタシは今、暗闇の中を歩かされていた。 分厚い生地の目隠しをつけられ、後ろ手に縛られている。 「何、ゆっくり歩いてんだよ! もっとキリキリ歩きやがれ」 「あうっ!」 後ろから声が聞こえて、お尻を強く蹴り飛ばされる。 昔のアタシだったら、大声で反論していただろうけど、もうそんな気力が沸いてこない。 今日からアタシは、高値で買い取ったヤツの奴隷に成り下がるらしい。 奴隷商人らしき男がその後も嬉々とした声で、何か言っていたが……どうでも良かった。 黒衣にマントを着させられ、身体中の傷を直して処女膜を再生したアタシは、ほぼ元通りになった。 だけど、心についた傷は再生するはずもなく、もう何もないはずなのに股下に妙な違和感がある。 こうやって吸っている息ですら、あのむせ返るほどの匂い…… 精液の匂いが混じっているように思えてしまう。 もう、アタシは元のアリスには戻れない。 「よし。ついたぞ」 短い言葉と共に目隠しが取られる。 アタシの目の前には、ぽっかりと岩をくりぬいたような穴が開いていた。 小さなたいまつが一定間隔で灯ってはいるものの、中はどこまでも暗闇が続いていて…… まるで奈落の底まで続いているような錯覚に襲われた。 「やっ、いやだ……」 言いようの無い不安感と恐怖心から、アタシはその場に立ち止まろうと抵抗を試みる。 だが、それも奴隷商人が手に持った縄を引くだけで、無意識のうちに足は動いてしまう。 徹底的に凌辱され、従順する事を覚えさせられた身体は、もう命令を聞いてはくれない。 アタシは徐々に引きずり込まれていく闇を凝視しながら、身体の震えを増していくのを止められなかった。 奴隷商人に連れてこられた場所は、大きな広間になっていた。 アタシの周りには大勢の男達がいて、今にも飛び掛ってきそうなほど目をぎらつかせている。 その様子を見て、おぞましさと共に、思い出したくない最悪の記憶が頭をよぎる。 全てを奪われたあの日、目にした光景と何もかもが同じだった。 押し隠した笑い声も、いやらしい視線も、息がつまるほど臭いこの空気も何もかもが…… 「うっ……くぅっ……」 アタシの他にも、同じようにして連れてこられたらしい何人かの少女が、身を寄せ合うようにして固まっていた。 これから何があるのか、想像するのは決して難しくない。 アタシ達はこれから……また蹂躪されるのだ。 「アタシは、泣かない……泣いてなんか……やるもんか」 諦めにも似た思いとは別に、いつまでも慣れる事の無い屈辱感に胸が張り裂けそうだった。 何度も舌を噛み切って自害しようかとも考えた。 でも、アタシは純潔や尊厳を根こそぎ奪われたとしても、死にたくなかった。 伝えられなかった思いがある……やり遂げたかった事も山のようにある。 こんなワケの分からない終わり方なんて、絶対にいやだった。 その思いが、冒険者の気概を全て奪われたアタシの精神をかろうじて現実に繋ぎ止めていた。 「よぉし! 全員揃ったようだな」 忘れもしないドスの効いた声に、俯いていたアタシはハッと顔を上げた。 申し訳程度に取り付けてあった木の扉が開き、大柄な男が姿を現す。 見忘れるはずもない……その男はヴァルガーだった。 ヴァルガーは歩みを止めて、ゆっくりと周りを見渡すと…… アタシを見つけて、その醜悪な顔を歪ませた。 「いよう、アリス。随分と不景気そうな面だな」 「誰のせいで……!」 カッと頭に血が昇り、我を忘れて立ち上がろうとする。 しかし、休む間もなく凌辱された身体は悲鳴を上げ…… 疲れきっていた足がもつれて、アタシはその場に倒れ込んだ。 「完全に屈服したと聞いてたが……思ったより元気そうじゃねえか」 「おかげさまで、ね」 「そんなに俺様を恋焦がれてくれたのか」 「ええ、あの日から一瞬足りとも忘れなかったわよ……殺してやりたくてね」 「ふはははっ!! 今のお前に出来るならやってみせろよ!」 あからさまな嘲笑を聞いて、腕を縛っていた縄がギリギリと音を立てる。 だが、念入りに縛られた腕の縄は血が止まるほどきつく食い込み、少しも緩まない。 せめてもの抵抗とアタシは顔を上げて、ヴァルガーを睨みつける。 「いいぜ……その生意気な面。それでこそ、大金はたいて買ったかいがあるってもんだ」 アタシの視線を受けて、ヴァルガーは口元を三日月のように鋭利に歪ませる。 「これからお前を俺様専用の肉奴隷にしてやるよ。嬉しいだろう」 「ああ、前に……そんなふざけた事を言ってたわね」 「今度は覚えていてくれたか。嬉しいぜ、アリスちゃんよ」 一歩、また一歩と、ヴァルガーはゆっくりとした足取りでアタシに近づいてきた。 また犯されるという恐怖に身体が勝手に震え出し、恥も外聞も無い悲鳴を上げそうになる。 それを残ったプライドと意地で抑えつけると…… アタシをこんな地獄に叩き込んだ、男の顔を睨み続ける。 「龍神の迷宮ではじっくりと味わう暇もなかったからな。あの時は200をゆうに超える男どもがいやがったし」 「あんた、いたんだ……? 気付きもしなかったわ」 「だから、今度は忘れられないように……たっぷりと可愛がってやるよ」 アタシの目の前にしゃがみこむと、ヴァルガーは無骨な指を伸ばしてくる。 何とかして逃げようと身体を捻った瞬間に…… 上からのしかかるようにして、ヴァルガーがアタシに襲い掛かってきた。