『笑顔の明日へ』  


春盛りだというのに、クルルミクを去る朝は肌寒かった。
ケープを羽織っていても底冷えし、見送り人や馬車を引く馬も皆、真っ白な息を吐いていた。

「はうう〜、アリスさん、お元気で〜」

目をウルませているのは、酒場で冒険者の記録を付けていたパーラだ。
気弱でドジな娘だったけれど、精神的に追い詰められて取り乱していた自分に対して、とても親身になってくれた。
この数日間、彼女には随分励まされたものだ。

「色々あって大変だったが、折角助かった身だ。もう自分から捨てるマネするんじゃねえぞ」

と、力強い口調で諭すのは、元冒険者にして酒場のマスターのぺぺ。
迷宮から救出された自分を暖かく迎え入れ、市民の好奇の目からも盾になってくれた人だ。
この人が作ってくれた暖かなシチューの味は、冷え切っていた心に染み渡るようだった。

ホント、色んな人に支えられて生きているんだなと、今更ながら実感する。
探索を中断して救出に尽力してくれたウィルカ、フィアナ、ムーンストナ、マリル。
陵辱の余韻と周囲の視線の厳しさに耐え切れず、自ら絶ちかけた命を繋ぎ止めてくれたメリッサ。
有形無形の手助けをしてくれた多くの冒険者達。そして――――

「馬車、そろそろ発車するよ、アリス」

単身騎士団を飛び出して、救いに来てくれたフィル。
この世で一番大好きな人。
この人がいたから、こうして光溢れる世界に返ってこれた。
おぼつかない身体を支えてくれる腕と胸が温かくて心地よい……。

「……あ。ぺぺさん」
「なんだ、嬢ちゃん?」
「あの……ウィルカ達やメリッサに伝えてくれませんか? アタシがとても感謝していた、って」

心の中でどれだけ感謝してもし足りない。
今のこの率直な気持ちを、お世話になったみんなに伝えて欲しい……。

「……そいつは自分の口で伝えるんだな」

だが、ペペは人生の先輩として、アリスに諭すのだった。

「時間が掛かったっていい。立ち直った姿を見せて、直接言うんだ。
 それがあいつらに対する誠意ってもんだろ?」
「そう、ですね……」

心からの感謝の気持ちは誰かに伝えてもらうものじゃなく、自分で伝えるもの。
そんな当たり前の事も分かってなかった。

「さ、アリス。足元危ないから、気を付けて」

待ちくたびれたように馬車馬が軽く嘶き、フィルが肩を抱き寄せてエスコートする。
もう一度、ぺぺとパーラに深く頭を下げると、アリスはふらつく身体をフィルに支えられて馬車に乗り込んだ。
木製の扉が閉まり、見送る二人の姿は見えなくなった。
そして、堅いソファーに腰を下ろすと、馬車はゆっくりと走り始めた。

小窓から見えるクルルミクの街並み。
日が昇って間もない事もあって、街は眠ったように静かだ。
舗装された路上を走る馬車の轍の音だけが、フィルの肩に寄り添うアリスの耳に聞こえてくる。

これで、クルルミクともお別れかぁ……。

結局、何も果たせなかった。
国からの出向任務も、義憤心から参加したワイズマン討伐も。
栄光ある黒騎士としての名誉も、剣士としての誇りや自信も、何もかも失ってしまった。
一生忘れる事ができない心の疵が残った。

だが、その中で、確かに得られたものもあった。
それは、今後の人生を生きる上で何より大切なもの――

街並みを駆ける馬車の中で、フィルの手を握り締めながらアリスは呟いた。

「思い出したくない…………辛い思い出がいっぱいの街だったよ……」
「うん……」

フィルは戸惑いがちに相槌を打ち、アリスの手を強く握り返した。
袖から覗くアリスの腕は衰弱してやせ細り、手首には生々しい傷跡が残っている。
錯乱の末に、自暴自棄になって自ら作った傷だ。
この傷も一生消える事はないだろう。

「でもね――また会いたいって思う人に、大勢出会った。――そんな街だったよ」

それでも、最後に生きる気力を得られたのは、傍らで支えてくれるフィルの愛情と、クルルミクで出会ったかけがえのない仲間達のおかげだった。

また、いつか会えるよね……。みんな……。

小窓から流れ行く外の景色を見つめながら、アリスは涙していた。




こうして、黒騎士アリスはクルルミクを去っていった――――


月日は流れ――春が過ぎて、夏がやってきた。
クルルミクから帰国したアリスは、地方の資産家であるフィルの実家の別荘に招かれ、フィルと二人三脚でリハビリの日々を送っていた。

「はあっ!」
「せーい!」

鮮やかな緑の芝に覆われた中庭に鳴り響く木剣の音。

「どんどんいくよ。付いて来れるかい、アリス!」
「当然っ、まだまだ全然余裕だって! フィルの方こそ、アタシの動きに付いて来れるの?」
「そりゃ、僕だって昔の僕じゃないさ。前よりずっとずっと強くなったさ!」

少年と少女は木剣を打ち合いながら語り合う。
並みの剣士なら付いて来れない速度だが、若輩ながら黒騎士の称号を持つ二人には、余裕の速度だ。
玉のような汗を飛び散らせながらも、互いに軽口が付いて出る。

当初は、四六時中フィルに付き添ってもらう事で辛うじて精神の安定が取れていたアリスだったが、この数ヶ月間で精神状態は大分安定した。
まだベッドの中では悪夢にうなされる事もあるが、日常生活においては持ち前の明るさをかなり取り戻していた。
救出直後の危機的状況を考えれば、驚異的に早い立ち直りだ。
献身的なフィルの介護の成果だったが、クルルミクの事件を知ってなお迎え入れてくれたフィルの家族の人柄によるところも大きい。

ややあって、アリスは息切れして木剣を下ろした。
傷病生活を送ってきた為、流石にまだ体力面で付いていくのが厳しいらしい。
小刻みな息を吐きながら、フィルににかっと笑いかける。

「はっ、はあ……。やるわね、フィル。前よりっ、相当腕、上げてるじゃない!?」
「アリスこそ、体調が万全じゃないのにそれだけ動けるんだから……やっぱり凄いよ!」
「ま、アタシは天才だからね」
「出た、アリス節。あはは、アリスにはやっぱりそういう笑顔が一番似合ってるよ」
「ありがと、フィル。フィルにそう言ってもらえるのが一番嬉しいよ」

屈託ない笑顔のアリスとフィル。
一しきり笑い合うと、二人はまた、鍛錬を開始した。
小気味良い木剣のリズムが人里離れた別荘地に響き渡る。

己を見失うほどの陵辱に曝されたアリスだったが、いつしか、再び剣を取る決意を抱くようになっていた。
アリスが剣を取る理由は二つ。

一つは、本当の笑顔を取り戻したかったから。
フィルの隣で、対等に笑い合える自分になりたい――
自分の本質は剣士だから、胸を張って笑うには、やはり剣士に戻る事が必要だと思ったのだ。

もう一つは、クルルミクで探索を共にした仲間達の為。
自分は運良く戻ってこれたが、仲間はギルドに捕まり、性奴隷として売られていった。
帰国と入れ違いの出来事だったと、後に風の噂で聞くこととなった。
自分を救ってくれた仲間のために、今度は自分が力になりたい――
そして、あの時言えなかった感謝の気持ちをこの口で伝えたい。
そう思い、再び剣士の道を走り始めていた。

だが、剣術の腕は取り戻せても、剣士の心は簡単には取り戻せなかった。

「甘いって、フィル!」
「えっ、うそ!?」

フェイントからの一撃を見破り、受け流し様に切り返すアリス。
鎌風のような矢継ぎ早の連撃を繰り出し、瞬く間にフィルを防戦一方に追いやっていく。

「これで終わりっ!」

そして、がら空きになった胴に寸止めの一撃を放つが――――

「まだだッ!!」
「ぁ……」

強烈な気迫を浴びてまともに硬直してしまう。
弱々しい声が上がったかと思うと、手にしていた木剣をあっさりと弾き飛ばされた。
おまけにバランスを崩して尻餅まで付いてしまった。
呆気ないほどの逆転負け。

「わ、ごめっ……つい! アリス、大丈夫かい!?」
「う、うん……。平気、ちょっと痺れただけだから」

慌てて駆け寄ってきたフィルに、痺れる右手を振りながら笑い返すが、その表情はどこか硬い。

「ホント、フィルは強くなったよ。もうアタシじゃちょっと敵わないかも」
「そんな事ないよ。まだ身体が慣れてないだけで、慣れればもっといい動きできるって」
「うん、でもフィルは男だから……。本気になった男の人の逞しさには、太刀打ちできないもん……」
「アリス……」

口ごもるように呟くアリスは浮かない顔をしていた。

明るさを取り戻したといっても、陵辱の記憶までが消えたわけではない。
人生観を根底から覆されるほど凄惨な出来事だったのだ。
アリスに投げかける影はやはり大きい。
ならず者の執拗なまでの強姦と調教で、男性の"力"に対する恐怖心を本能的に植えつけられてしまっていた。
信頼するフィルに対してさえ、いざ男性の気迫を向けられると萎縮してしまう。

それは剣士として、致命的な弱点だった。
その事をアリス自身、薄々と自覚していた。
自分は男には敵わないように作り変えられてしまった、と。
だから今はまだ、本当の笑顔を取り戻したとは言えない。

「ねえ、フィル、覚えてる? アタシがクルルミクに向かう前の晩のこと……」

唐突に、アリスはフィルを見上げて囁いた。
フィルは微笑を浮かべてこくりと頷いた。

「言ったよね、アタシより強くなったら考えてもいいって」

そして一拍――心臓のドキドキが止まらない。

「……アタシはもう、フィルのものだよ」

胸の高鳴りは最高潮だった。
顔が熱くなっているのが自分でも良く分かる。
不意に、フィルが空いたもう一方の手で、肩を抱き寄せてきた。

「あ……」

顔と顔の距離が一気に近くなる。
ほんの一押しすれば触れ合いそうな位置に、フィルの唇が迫ってきた。
ならず者達に肉欲を覚え込まされた身体だが、フィルと直面するこの感情は、単純な肉欲では割り切れない。
これが恋愛感情なんだと、最近になって理解できるようになってきた。

見た目より、案外逞しいよね、フィルって……。

普段接してる時は割と友達感覚で、おっとりしてるから気付きにくいけど、手や背中を支える掌は自分よりずっと大きい。胸板もイメージより遥かにガッシリしてる。
この半年の間に、少年は大きく成長していた。
抱き締められると、彼の成長が実感として伝わってくる。

一月の性奴隷生活で、身体はすっかり男に服従する悦びを覚えてしまった。
一方で、心は男への服従に対する恐怖心の連続だった。
心と身体の不一致がアリスを苦しめていた。
でも――

フィルにだったら、アタシ、支配されたい……。

それはある種、歪んだ感情なのかもしれない。
でも、身も心も全面的にフィルが支配してくれるなら、これ程の幸せはないと思う。
そんな事を想いながら、アリスは潤んだ瞳をそっと閉じる。

次の瞬間、愛しい人の唇が触れて二人は――――

「あらあら、仲良いわね。二人とも」

唐突に現れた女性の声に、二人は弾かれたように飛び上がった。

「母さん……」
「お、おば様ぁ……」

二者二様の声に、フィルの母親ステラがころころと笑った。

「うふふ、お邪魔だったかしら?」
「おっ、お邪魔って事はないですけど、いいムードだったなあって、ア、アタシなに言ってるんだろ……!」
「まあまあ」

顔を赤くして戸惑うアリスを、ステラは楽しそうにからかう。
ステラはフィルに似た温和でおっとりした女性で、傍にいると不思議と安らげる人だ。
傷心のアリスも心温かく迎え入れ、人里離れた高原の別荘地を静養先として提供しただけでなく、医師から使用人まで女性で揃えるなど、事細かな配慮をしてくれた。

『自分の家だと思って、気兼ねなく心と身体を癒して頂戴。及ばずながら、出来る限り力になるわ』

ベッドの中で頭を撫でられながら掛けられた優しい言葉は、今も温もりと共に心に残っている。

「お茶を入れたから一息入れないか誘いに来たのだけれど、二人きりの方が良かったかしら? うふふふ」

察しの良さそうな微笑を浮かべながら、息子と、将来娘になるかもしれない少女を、ステラはティータイムに招待する。

「あっ、えーと……じゃ、じゃあアタシ、用意手伝ってきますね! おば様!!」

アリスはこれ以上ないほど顔を真っ赤にさせて、慌てて、屋敷へと駆けていった。
モロに動揺が隠せないらしく、蝶番が掛かった中庭の扉に正面衝突した。

「ふふふ、可愛らしくていい娘ね。アリスさんは」
「うん。ホント、僕もそう思うよ。すごく」

屋敷に駆け込んでいくアリスの背中を目で追いながら、母子は顔を見合わせて笑っていた。


赤レンガと緑の芝で彩られたテラスのテーブルで過ごす午後のティータイム。
今日はステラ特製のシフォンケーキに、ウェナハカンから取り寄せた茶葉を使ったレモンティーだ。
シフォンケーキの甘い匂いとレモンティーの豊かな香りが緑溢れるテラスを包み込み、三人は談笑を楽しんでいた。

「それでね、おば様。フィルってば、一時間も待ちぼうけだったのよ」
「それはアリスが間違えやすい場所にしたからだろ。
 寮からの距離だって同じ位だし、名前似てるから聞き違えるんだって!」
「でも、一時間も待ったら普通、場所違いを疑うじゃない」
「アリスだって一時間経ってようやく見に来るんだから一緒だよ!」
「アタシの方が正しい場所だったんだから、当然でしょ。離れた隙に遅れてきたら馬鹿みたいじゃない」

舌戦になりかかっているのは、騎士団生活に慣れ出したとある休日の出来事だ。
明日付き合ってくれる?とアリスに誘われて、デートだと勘違いして精一杯おめかしして出かけたフィルだったが、待ち合わせ場所の聞き違いで一時間の待ちぼうけ。おまけに張り切った割に、ただの荷物持ちだったという。
フィルにしてみれば散々な一日だったが、今にして思えばいい思い出だ。

いつ果てるとも知れない言い合いを、ステラは微笑ましそうに見つめている。

「でも、あの店のスパゲッティは絶品だったでしょ?」
「うん、それは同感。アリスなんか、二皿も食べてたもんね」
「こーらー、フィル! どうしてそういう事言うのよ、もうー!」
「でも事実じゃん。『ここのミートスパゲッティはいけてるから、頼んでみなさいよ』って僕の分まで勝手に頼んで、僕の分まで食べちゃってさ」
「フィールー!!」

立ち上がって思わずフィルの頬をつね上げるアリス。
が、はっとステラの視線に気が付いて、アハハハ、と硬い笑いで慌てて手を引っ込める。

「でも、本当、ここに来た頃と比べると、見違えるように元気になったわね」

じゃれ合いが一段落したところで、ステラが穏やかに話しかけてきた。

「そう、ですね……ホントに」

釣られるように微笑を浮かべながら、数ヶ月前の自分を思い返した。

あの頃は精神的に不安定で、自ら命を絶つほどの危機的状況からは脱していたものの、恐慌状態だった。
手が白くなるほどフィルの手を握り続け、ベッドの脇で見守るフィルにすがり続けていた。
眠る時もフィルの温もりを求め、それでも夜ごと激しくうなされて何度も目を覚ます。その度に、フィルに慰めてもらう。
そんな毎日の連続だった。

その頃の様子と比べると、今のアリスの笑顔はほとんど奇跡に近い。

「息子が手紙でいつも話していた通りだわ。太陽のように明るくて、元気で」
「そんな……。アタシはそんな出来た娘じゃないです。みんなにすがりっぱなしで……。特にフィルにはいつも支えてもらってばかりで……」
「そんな事ないわ。息子もね、あなたと出会って随分変わったのよ。
 騎士団に入る前は内向的で、一人で王都でやっていけるか心配していたのだけど、あなたに出会って別人のように見違えたわ」
「そうでしょうか。アタシにはよく分かりません。今回の事件では、自分の弱い所ばかり教えられたから……」
「もっと自信を持っていいのよ。あなたは人に勇気を与える力を持っている娘よ。息子に勇気を与えたようにね」
「……はい!」

ステラの言葉に、アリスは照れくさそうに頬を赤らめた。
フィルには一方的に守られてばかりだと思っていたから、自分が勇気を与えていたなんて思いもしなかった。
もし本当に、自分がフィルを変えたのだとしたら、そんな自分が誇らしくなってくる。

「息子の事、よろしくお願いしますね」
「あ、はい……!」

言って、アリスは顔を赤くした。答えてからその意味に思い当たったようだ。

「うふふ、孫の顔はいつ頃見られるのかしらねえ」
「って、おば様ぁ……。まだそんな、早いですって!」

反論するアリスは耳の先まで真っ赤だった。




穏やかな昼下がりを過ごしていると、アリス達の下に珍しく来客が訪れた。
人里離れた高原にわざわざやってくる者はそう多くない。
アリスが静養に訪れて以来、賄いや係りつけの女医を除けば来客は数えるほどだ。

「えへへ、久しぶり〜、アリス♪」

突然すぎる可愛らしい声に、アリスは思わず目を丸くした。

「ま、マリル!!?」
「元気してた〜。うわっ、美味しそうなもの食べてるね〜。いいなあ、ボクも食べたい〜!」

見知った猫の獣人の少女はじゃれるようにアリスに纏わり付いたかと思いきや、テーブルのシフォンケーキに目を付けて、目をキラキラと輝かせる。
「お皿に取ってあげるわね」と、ステラが微笑むと、「やった〜! わ〜い♪」と今度はステラにじゃれ付き始めた。
相変わらず甘えるのが好きで、掴み所がない。

マリルは盗賊と忍者の技能を持つ猫の獣人で、アリスの戦線離脱と入れ替わりにパーティに加わった少女だ。
直接アリスとパーティを組んだ経験はないが、アリス救出の際にフィルやウィルカ達に協力し、互いに見知った仲だ。
アリスの帰国と前後して性奴堕ちしていったパーティメンバーの中でも、彼女だけは難を逃れ、ワイズマン騒動後は踊り娘として気ままな旅を続けていた。

「まさかアナタが訪ねてくるとは思わなかったわ。あの時は本当にありがと――」
「おかわり〜♪」
「はいはい」
「って、聞いてないね」

マリルはシフォンケーキとの格闘に夢中で、アリスの言葉など全く耳に入っていないようだ。
やれやれ、と呆れたように顔を見合わせるアリスとフィル。

「でも、急にマリルが来るなんて、何かあったのかな?」

と、怒涛の勢いのマリルの食べっぷりを眺めていると、今度は背中から聞き覚えのある声が掛かった。

「久しぶりだな、二人とも。アリス、元気そうで何よりだ」
「えっ、あ、団長!? お久しぶりです!」

振り向くと、そこには二人の上司である黒騎士団長ヨシュア=バーンベルトが立っていた。
年の頃は五十過ぎ。大陸有数の実力者と謳われ、雷のように鋭い眼光をした男だ。

「なんだマリルはもうこっちに来てたのか。せわしない娘だな」
「え、団長はマリルとご一緒だったのですか!?」
「うむ、一週間ほど前に騎士団を訪ねてきてな。
 屯所の前で駄々をこねとったもんだから問いただしてみたら、クルルミクの事件での知り合いだというではないか。
 お前にどうしても伝えたい用があるというから連れてきたのだが……」
「ご〜ちそうさまっ!」

事情を説明するヨシュアの言葉を遮って、マリルはシフォンケーキのクリームを口元にべとつかせて、またアリスにじゃれ付いてきた。
本当、外見そのまま子猫のような娘だ。
「今、団長と話してるからちょっと待ってて」といっても聞きやしない。一方にまくし立ててくる。

「いや、構わんよ。君の口から話してあげなさい」
「ねえねえアリス〜。リーダーを助けに行こうよ〜!」

子猫のように飛び回りながら舌っ足らずに話すマリルの言葉は、思いがけないものだった。


調った調度品、清潔なベッド――恵まれているが自由がない檻籠の中で、ウィルカがいつも願っていたのは、離れ離れになってしまった仲間の幸せだった。

仲間達との別れは、何の前触れもなくやってきた。
"魔封じの迷宮"の名を持つ龍神の迷宮7階――魔法の力を封じられたフロアーで、ウィルカは全くの無力だった。
襲い掛かってきた魔物にもどうする事もできず、辛うじて撃退したものの、仲間の半数が戦闘不能。
息を吐く間もなく襲撃してきたハイウェイマンズギルドの手によって、パーティは壊滅した。
ウィルカ自身、マリルと共に逃げ出していく最中、二度目の襲撃でならず者に捕獲された。
それ以来、仲間達の消息は分からない。

囚われの身となった薄暗い玄室で、ならず者に犯され、再生する処女膜を何度でも突き破られた。
神降ろしの巫女の力など、理不尽な暴力の前には何の役にも立たなかった。
激しい陵辱の末、ウィルカは奴隷宣言した。

『みんな……アリス……ちゃん……ごめん……』

憔悴して最後に呟いた言葉が、今も耳朶に残っている。

魔法の力を束縛する奴隷用の鉄首輪を填められて、連れて行かれたのは、女冒険者を競りにかける奴隷オークション会場。
そこでウィルカはある貴族の男性に買われた。
クルルミク王家と遠縁の地方貴族で、王家転覆を目論んでいると噂される人物だった。

その貴族は、ウィルカの不老不死に目を付けていたらしい。
不老不死の娘を孕ませる事によって、永遠の命を持った子供が生まれてくる――貴族はそんな妄想を抱いていたのだ。

永遠の命を持った子は、やがて世界を支配する王となる。
ベッドの中で、貴族の男は熱っぽくそう語っていた。
ウィルカはそのための媒介だった。

こうして、ウィルカの性奴隷生活は始まった。

貴族のベッドで、あるいは調教器具を集めた地下室で、様々なシチュエーションで夜ごと男の精を受ける毎日。
通じがないのは毒だ、と言っては男の前で強制的に排泄させられ、君の喘ぐ姿は可愛らしい、と言っては赤子の玩具にイボがついたような器具に乗せられ。
男は紳士面を被った変態だった。

それでも、まだ自分は随分マシな方だろう。
毎夜の変態プレイさえ我慢すれば、人並みの待遇を与えられ、食事も睡眠もしっかり採らせてもらえてる。
離別した仲間に比べれば、よっぽど恵まれた環境に違いない。

一番大切な人は、目を覆う境遇に置かれていた。
休む間もない調教という名の陵辱の連続。
自信も、誇りも、名誉も、根こそぎ剥ぎ取られ、人格さえ否定された悪夢の連鎖の果てに、太陽のような輝きを失ってしまっていた。

アリスちゃん……。

ウィルカは心の中で、一番大切な少女の名前を呟いた。
人を愛する本当の気持ちを教えてくれた娘は、今頃どうしてるだろうか。
向日葵のような笑顔が、今も瞼の裏側に焼き付いている。

眩いばかりの輝きを、無事、取り戻しただろうか。
自信に満ち溢れた颯爽とした後姿が、今も脳裏を駆け回っている。

フィルさんに支えられて、幸せな日々を過ごしてるのかな。
黒騎士の少年と寄り添う姿を想像すると、まだちょっと心の中が痛む。

でも、アリスちゃんが幸せでいてくれたら、報われる気持ちがする。
結局、何もなす事ができなかった私だけど、アリスちゃんの笑顔だけは取り戻す事ができたから。

アリスちゃん、元気かな……。

窓辺から空を見上げながら、ウィルカは大切な少女の事を想っていた。

ウィルカの首に填められた奴隷用の鉄輪は、実は厳密には、ウィルカ自身の力を封じるものではない。
神降ろしの巫女の力は、奴隷首輪で封じれる代物ではないのだ。
首輪は精神的に拘束しているだけで、力そのものには何の影響も与えない。
つまり、その気になれば、ウィルカはすぐにでも神降ろしの巫女の力を振るうことが出来る。

だが、ウィルカの心は折れていた。
折れた心では、首輪の拘束は破れない。

"力"を失ったウィルカは無力だった。
鳥篭の中の小鳥のように、大切な仲間達の事を想い続けるしかできない。
そして、また一日が過ぎていく――――


黒騎士の衣装に身を通すのは、何ヶ月ぶりだろうか。

黒い長手袋を填めながら、アリスは昔の自分を思い返していた。
電光石火の如くカタナを振るい、押し寄せる集団を打ち払う。
少女黒騎士といえば、羨望と憧憬の対象で、装束は栄光の象徴だった。

だが、軽装の黒衣とショートマントに身を包んだ颯爽とした出で立ちは、今のアリスにすれば、男達の劣情を駆り立てる陵辱の衣装でしかない。
長手袋とブーツだけ残し全裸に剥かれた姿で日夜犯され続けたし、わざわざ黒騎士衣装のレプリカに着替えさせられて犯されもした。
手袋に覆われた掌を見ているだけで、染み付いた精液の幻覚が浮かんでくる。
指先の震えが止まらない。

これは試練だった。自分が本当の笑顔を取り戻す為には避ける事ができない。
立ち直った姿で、お世話になった仲間達に感謝の気持ちを伝える――その為には、黒騎士としての自分に打ち勝たなければならなかった。

お守り用の短刀を、ベルト越しに腰の後ろ側に差す。
それはかつての愛刀で、折れ曲がった刃からウィルカが作り、腰に差していた護身刀だ。
肌身離さず持っていたが性奴調教の折に取り上げられ、裏のルートを巡ってマリルからアリスに手渡されたものだ。
この護身刀を自分自身の手でウィルカに渡したい――アリスは強い決意を抱いていた。

「アリス……。本当に大丈夫かい?」

震えの止まらない肩を抱いて、フィルが心配そうに声をかけた。
フィルも今は黒騎士として黒衣に身を包んでいる。

「ん、大丈夫……。ありがと、フィル」
「危なくなったら、すぐ、僕の後ろに隠れるんだよ。キミは絶対に、僕が守るから」
「うん……!」

軽く抱擁し、アリスは新たな愛刀を腰に佩いた。

この一件は私事だが、形式的には騎士団の公務という事になっていた。
クルルミク王国との共同作戦の名目で、派遣された騎士という肩書きだ。

グラッセンとの戦争やワイズマン事件で多くの人材を失ったクルルミク王国にしてみれば、戦力を割くことなく自国の不穏分子を押さえたかった。
一方で黒騎士団団長のヨシュアは、有望な部下の復帰の機会を望んでいた。
そして、たまたま反乱を企てていた地方貴族がウィルカを性奴隷として囲っていた。
その辺の事情がマリルに情報を流す形となった。
真相は飛んだ茶番だが、その辺の事情はどうでも良かった。

大切な仲間の消息が判明し、自らの手で救うチャンスが与えられた。
アリスにはそれで充分だった。


合図と共にアリスは飛び出し、裏手の扉から館内に駆け込んでいく。
後に続くのはフィルとマリル。

張り詰めた空気で、手袋とマントの隙間から覗く二の腕がビリビリと震えている。
こんなに重たい実戦は初めてだ。
不安と緊張が胸の内を駆け巡っている。

「なんだ今の音は!?」
「表門の方からしたぞ! 襲撃か!?」

踏み込んだ時には喚声が飛び交い、靴の音がけたたましく行き交っていた。
第一陣の強襲で、既に館内は混乱状態だった。
謀反を企てている噂だけあって、兵士の数はやはり相当多いらしい。

「今の内だよ、二人とも〜!」

マリルの言葉に頷き、三人は騒然とする通路を小走りに駆け抜けていく。
ウィルカの正確な所在は分かっていないが、館の本丸部分、本館の最深部だろう。
とにかく上へ、奥へ、進んでいけばいい。




「あっ、貴様! 侵入者か!!」

突き当りの角を曲がったところで、運悪く兵士の集団と鉢合わせした。
小ホールとなっている一廓にたむろしていたのは、十人ほどの男達。いずれも体格自慢の傭兵崩れだ。

「お、なんだ女じゃねえか!」
「こいつはいい。丁度、女日照りの日々で退屈してたとこだ」

男達はアリスを見るなり、好色な笑みを浮かべて、胸の谷間や太腿を値踏みするように見つめてきた。
ねっとりとした視姦に、カタナを握る黒手袋の内側が汗ばんでくる。

「けどよ、王国軍が襲撃してるそうじゃねえか」
「構わねえさ。いざとなりゃ、逃げてから犯ったっていいんだ」

傭兵崩れの男達は場慣れしてるようで、捕まえた後の算段を話しながら、唇の端を歪めてにじり寄ってくる。
圧倒的な体格差が筋肉を誇示して迫ってくる。

男達の凶悪な顔つきを見た途端、ウィルカを助けると決意した先ほどまでの強い意思は、粉塵になって消し飛んでしまった。
心が萎縮してしまい、一瞬で諦念に支配されてしまう。

どうしよう……。こんな大きな人……。
腕力が違いすぎるよ……。

現実化してきた強姦の恐怖に、身体の震えが止まらない。

ならず者の嘲笑が耳鳴りのように頭に鳴り響いてくる。
引き倒されて犯される光景ばかり何度もフラッシュバックする。
どう足掻いても、男達に敵うビジョンが浮かばない。
いくら頭の中でシミュレートしても、押し倒されて、ひん剥かれて、灼けるような肉棒をねじ込まれる結果しか出てこない。

アタシなんかじゃ、やっぱり男の人に敵わないんだ……。

男の筋力にかかれば、身のこなしなんて何の役にも立たない。
敏捷性で勝っていようが、一度捕まってしまえばオシマイだ。
力比べに持ち込まれてしまえば、非力な女の身では何も出来ない。
待ってるのは一方的な陵辱だけ。

アリスは金縛りに遭ったように身動きできなかった。
みね打ちしてくる男の動きは、余裕でかわせそうなくらいスローなのに、腰が引けてしまって指先一本動かせない。
全身に植えつけられた男に対する恐怖心の前に、全面的に屈してしまっていた。

『アリス、危ない!!』

呪縛を解いたのは、少年の一声だった。
黒衣が男との間に割り込んできて、ロングソードを一閃した。

「フィル……!?」
「アリス、下がって! キミを傷つけさせたりしない!!」

叫んで、フィルはロングソードを構える。
男達の視線から隠すように立ち塞がるフィルの後姿は、今まで一番頼もしかった。

そうだ、アタシにはフィルが付いてる!
恐れる事なんてないんだ!

フィルの声を聞いた途端、急に身体が軽くなった。

思いっきり戦えばいい。危ない時にはフォローしてくれる人がいるんだから!

「この野郎、よくもー!」
「任せて!」

横手から猛然と斬りかかる男の前に凛然と飛び出し、アリスは力一杯カタナを振るった。
振り下ろす白刃を裂帛の気合で斬り飛ばした。

「おおおおおおおっ!!」

雄叫びを上げて突き出してきた槍も受け流し、懐に飛び込んで一閃。
目にも止まらぬ太刀筋が、瞬く間に小ホールの男達を切り倒していく。

ようやく、なにかが吹っ切れた。
肌に纏わり付く重圧はまだ完全に消えないけど、長いトンネルを抜けた気がした。

「アリス、無理しなくていいよ。僕が君の分も戦うから!」
「ううん、もう大丈夫。アタシも戦える! 心配かけてゴメン!」

親指を突き出して、アリスは元気に笑った。
とびきりの笑顔に、フィルもとびきりの笑顔を返した。

忘れちゃいけない。
フィル、ウィルカ、フィアナ、ムーンストナ、マリル、メリッサ、パーラ、ぺぺさん――多くの人がアタシを支えてくれてるって事を。

小ホールの奥には二手の階段が続いている。どちらも上の階に続く昇り階段だ。

「ボクは右の階段昇るからっ、アリス達は左の階段よろしく〜!」
「オッケー、マリル!!」

今までの緊張が嘘のように、アリスは身体に羽が生えた勢いで階段を駆け上っていく。


「あ……。なんだろう、今の音?」

階下の喚声は少しずつ大きく、近づいてくる。
ときおり轟音が鳴って、部屋の中が大きく揺れる。
何か起きているのは確かだったが、鳥籠のような部屋の中からでは、外の様子は窺い知れない。

「私、これからどうなるんだろ……」

不安げにウィルカは左腰を触る。
大地母神の力に頼ってきたウィルカは元来、あまり勘がいい方ではない。
だが、館内で起こってるこの状況が異常である事くらい認識できた。

今のウィルカは主人に飼われる愛玩動物でしかない。
仮に貴族の男が倒されたところで、今度は略奪した者が所有者になるだけだ。

性奴隷の心得は、嫌というほどならず者達に教えられた。
繰り返し処女膜を引き裂かれながら、お前はただの道具だ、永遠の処女という商品だ、と焼印を押すように仕込まれた。
簡単に抗えるなら墜ちたりしない。
理不尽な暴力が、今もウィルカを恐怖に縛り付けている。

でも――
"私"の中にはまだ何かが燻っていた。
それは"勇気"というには余りにもちっぽけだが、冒険者の意思の残滓が折れた心を揺り動かしている。

「きゃっ!?」

爆発音と共に、足元が大きく揺れた。

バランスを崩しても、左手は無意識の内に腰の横を触っていた。
そこは今はないけど、お守り刀を差していた場所だ。
龍神の迷宮では、挫けそうになる度、刀の柄を触って勇気を貰っていた。

私は、半年前の私とは違うんだ……!

龍神の迷宮に挑む前の自分は逃げ出してばかりだった。
不老不死を得て村にいられなくなり、逃げるように村を飛び出して、流浪する先々でも人々に奇異な目を向けられる度に逃げ出して。
そんな自分が龍神の迷宮の探索で少しずつ変わっていった。
かけがえのない仲間と泣いて笑って、大切な気持ちを知って、自分の殻から飛び出す勇気を手に入れる事が出来た。

ほんの少しでいい。新しい自分に変わる勇気を……!!

心の中のお守り刀を握り締めて顔を上げると、爆発の衝撃でか、いつもは外側から鍵を掛けられている部屋のドアが開いていた。


館内はますます戦火が広がっていた。
奥に進むほど、傭兵崩れやならず者の数は増えてきたが、もうアリスは恐れたりしない。
力一杯カタナを握り締め、迷わず突き進んでいく。

「でも、魔物まで襲ってくるなんて思わなかったな。グライズペンギンに、レインボーバブル。今のはシェルビーストだろ」
「反乱を計画してるくらいだから、用意周到なんでしょ。でも、今のアタシ達には敵じゃない。でしょ?」
「ああ、そうだね!」

と、物陰から飛び掛ってきたウッドボーイの木製弾をかわしながらアリスが片腕を切り落とすと、フィルが顔面を突き壊してトドメを刺す。

最深部まではあと一息。
貴族の館は三つの別館と本館で構築されており、防波堤のように囲まれた本館はさらに外周部分と本丸に分かれる三層構造だ。
外周部分と本丸を結ぶのは、数本の渡り廊下だけ。
そこを通らなければ、ウィルカがいる本丸には辿り着けない。

三層構造になってるという事は、襲撃時の侵攻ルートが限定されてるという事だ。
特に外周部分から本丸へは、中庭がないので渡り廊下を通るより他にない。


いよいよ本丸に差し掛からんとした時、突然爆発が起こって足元が崩れ出した。

「フィル!?」

差し伸べる手は僅かに届かず、フィルが瓦礫と共に落下していく。
残されたのはアリス一人。
そして、男の咆哮が轟いた。

「ここで張ってりゃあ、来ると思ったぜ、アリスー!!」
「ヴァルガー!?」

バスターソードを担いで現れたのは、巨漢のならず者ヴァルガー。
龍神の迷宮でアリスを捕え、絶望の闇の底に追いやったあの男だ。

一度はアリスに敗れ、二度目はフィルに斃されたはずが、生きて再びアリスの前に立ち塞がってきた。
右肩に大きな裂傷、わき腹にも大きな裂傷を残して。

「しばらく見ねえ内に、強気な面してるじゃねえか、ええッ!!
 また、調子付いたメスガキの生意気がぶり返したってかあ!?」

吼えて、突進してきたヴァルガーはバスターソードを叩き下ろす。
かわしざまアリスはカタナを振るったが、右腕のガントレットであっさり受け止められる。

「俺様があんだけ男の怖さを仕込んでやったのに、まだ歯向かえるたあ、こりゃあ一から調教のやり直しだなあッ!!」
「くうぅっ……!」

ヴァルガーは恐怖を駆り立てるように、愉悦の表情を見せ付けながら、怒涛の勢いで攻め立ててくる。
アリスは下唇を噛み締め、恐怖に押し流されないように必死に堪えながら抗うが、穴という穴に徹底的に灼き付けられた烙印の記憶は消えない。
悪夢のような日々の光景が眼前をチラつき、大気の震えとなってアリスの肌に降りかかってくる。

動きは明らかに鈍く、反撃の糸口も掴めぬまま、壁際へと追い込まれていく。

「しまった!?」

高く宙を舞い、弾き飛ばされるカタナ。
バスターソードが腋下からショートマントを突き破り、背後の壁に突き刺さる。

「ははははっ、勝負あったなあ!! それじゃあ、またたっぷり楽しませてもらうぜえ!!」

ヴァルガーは勝ち誇り、耳が劈くほどの高笑いを上げた。

武器を失い、壁に縫い付けられた状態で、豪腕の巨漢が迫り来る。
一見して、アリスに勝ち目がないのは明白だった。
またあの時のように着衣を引き裂かれ、終わりのない陵辱の日々が再開する――――かに見えた。

だが、アリスはまだ戦意を失っていなかった。

アタシを支えてくれるみんなの為にも……負けられないッ!!

奮い立たせんばかりに勇気を鼓舞し、強い意志の力が一瞬のチャンスを狙う。
チャンスは一度きり……。

「まずは一発ぶち込んで、俺様の味を思い出させてから、場所を変えて徹底調教だな!!!」

絶対的な勝利を疑いもせず、ヴァルガーが丸太のような腕を胸元に伸ばしてくる。
ギリッと歯軋りし、瞑りかけた目で睨みつけるアリス。

と、その腕に、無数の蔦が絡み付いてきた。

「なっ!!?」

叫ぶウィルカの声が届いた。

『今だよ、アリスちゃん!!』
「ウィルカ!? ナーイス!!」

とっさに後ろに手をやり、アリスは腰の裏側に差した護身刀を引き抜いた。
最後の切り札にして、二人を繋ぐ勇気の証――

「やあああああああッ!!!!」

勢いよく身体をよじらせ、縫い付けられたマントを引き裂いて、ヴァルガーの懐に飛び込む。
ヴァルガーは蔦に絡みつかれて、とっさの防御が取れない。

「ぐはっ!!!」

刀身こそ短いが、鋼を鍛えた鋭利な刃がヴァルガーの心臓を一直線に貫いた。
今度こそ、間違いなく、トドメの一撃。

「あ、アリス……。テメえっ、俺様のペットの分際で……ッ!!」

憎しみの形相を浮かべるが、ヴァルガーの手にもはや力はない。
なおも襲い掛かろうと巨躯を揺り動かすが力入らず、ヴァルガーは……今度こそ完全に斃れた。

「誰が、ペットよ……。アタシはアンタなんかのモノじゃない!」

崩れ落ちたヴァルガーの巨体に向かって、アリスは噛み締めるように言い捨てた。

「アリスちゃん!!」

満面の笑顔を浮かべたウィルカが駆け寄ってきて、アリスの胸に飛び込んできた。

「良かったー。元気になったんだね! うわーい、いつものアリスちゃんだー!」

抱きつくウィルカの首に、奴隷用の鉄輪はなかった。
ピンチのアリスを救わんととっさに力を使った時、ひとりでに外れたのだ。
ウィルカもまた、自分自身に打ち勝っていた。

「ただいま……は、変かな?」
「ううん、お帰りっ、アリスちゃん!!」

子供のように纏わり付きながら、ウィルカは無邪気に笑っている。
龍神の迷宮で探索を共にしていた時にも見たことがない心の底からの笑顔だ。

ニコニコと笑うウィルカに釣られて、アリスも心の底から思いっきり笑った。
夏の青空に咲く向日葵のような、明るさいっぱいの笑顔だ。
性奴隷に墜とされたあの日以来、心の底から笑う事が出来たのは初めてだった。

ようやく、胸を張って笑える日が戻ってきた。





そして数年――――



「ほらほら、切り返しが遅いわよ! 反動を利用して、一気に返す! 悠長にやってたら当たんないわよ!!」

と、黒衣の騎士の一撃を受け流し、手本を見せるアリス。
喉元に木剣を突きつけ、もっと反応を早く、と叱り付ける。

「よし、今度は俺がいくぞ!」

続けざま、別の黒衣の騎士が木剣を大きく振りかぶって挑んでくる。

「ああっ、もうダメダメ!!」

と、いきなりのダメ出し。
切っ先を余裕でかわして、木の刃を横っ腹に押し当てた。

「力に任せるだけじゃダメよ。
 この体格差だから力比べに持ち込みたい気持ちは分かるけど、最初からパワー勝負じゃ捕まんないって。
 力を活かす為には、もっと技とスピードを磨かないと!」

アリスは頭一つ分以上高い同僚を見上げて、堂々と説教する。


あれから半年後、アリスは黒騎士団に正式に戻ってきた。
半年間は旅に出ていたようだが、詳しい事は誰にも話さないので、騎士団員でその間の出来事を知る者はいない。

復帰して暫くすると、同年代の黒騎士が少しずつ増えてきた。
最初はアリスとフィルの二人だけだった若年の黒騎士も、今は両手で数えるほど在籍するようになった。
こうして任務の合間には、若者同士集まって訓練を積んでいる。

「おーい、アリスー。そろそろ上がるよー」

訓練場の入り口から、フィルが呼びかけてくる。

「あっ、待っててー。アタシもすぐ上がるからー!」と、返事を返し、
「んじゃ、そういう事で今日はここまで! さっきアタシが言った事、ちゃんと復習しときなさいよ?」

と、ウインク一つ、入り口で待っているフィルの元に駆けていく。
タックルを掛ける勢いで腕を掴むと、二人は仲睦まじく訓練場を後にした。

「畜生、いいよなー。フィルの奴ー」
「あの笑顔とあのスタイルを独り占めだもんなー」

大人になったアリスのスタイルは抜群だ。
自慢の胸は更に一回り大きくなったし、腰つきもすっかり成熟している。
同僚の羨望の的なのだが、当の本人はフィル一筋。恋愛関係では他は見向きもしない。

「あの性格で、ベッドの上じゃアンアン喘ぎまくってるって噂だぜ」
「あー、俺も一度くらい、お熱い関係になってみたいよー」

若騎士達が入団した頃から既に熱々だったとはいえ、ああも大っぴらに見せ付けられると羨ましくて仕方ないらしい。
ため息つきながら、青年になった同僚の黒騎士を恨めしがっていた。




「で、明後日にはエレギンに発つんだって?」
「うん、フィアナが結婚するからって招待状貰ったんだ。彼と仲がいいって聞いてたけど、早いゴールインだよね」

しっかり腕を組みながら、二人は同棲するアパートに寄り添って歩いている。
話題はワイズマン事件でパーティを組んでいたエレギン王女フィアナの事だ。

フィアナは性奴隷に落とされた後、グラッセンに売られる直前に兄王子の密命を受けた騎士の手で助け出されていた。
アリス達がウィルカを救い出したのと、丁度前後する話だ。
その騎士とはずっといい関係が続いており、一度エレギンを訪ねた際、アリスも驚きの熱愛ぶりを披露していたのだが、この度めでたくゴールインしたらしい。

「まあ……フィアナに先を越されるのは、ちょっと悔しいかも」

うんうんと頷きながらも、結婚という単語を改めて意識して、アリスの顔は朱に染まっている。

因みにアリス達はというと、騎士団復帰の時から同棲関係が続いているものの、結婚はまだ先のようだ。
考えていないというより、単にお互い恥ずかしくて切り出せないだけのようだ。
これだけ見せ付けておいて、恥ずかしいも何もないのだが。
まあ、ちょっとしたきっかけがあれば、すぐにでも結びつくだろう。
そのきっかけは案外すぐそこに待ってるのかもしれない。

「暫くは離れ離れだから、今夜はいっぱい楽しも。ねっ?」
「アリス……。キミ、僕を休ませる気、全然ないんだね」

半ば困り顔で肩をすくめるフィルに、アリスはあっけらかんと笑った。

「アハハハ、バイブあるから平気だって! してくれるだけでもアタシは充分だよ!」
「アリス、もうすっかり変態だね」
「フィールー。そういう事言わないでよー。してもらって嬉しいのはフィルだけなんだからー!」

アリスは頬をぷうっと膨らませて反論する。
しかし"変態"というのは、流石にもう自分でも認めているので、あえて否定はしない。

心身ともに立ち直ったアリスだが、一ヶ月間の調教の成果だけは、しっかり身体に残ってしまっていた。
性奴隷として仕込まれた数々の変態プレイを、肉欲が味をしめてしまったらしい。
普通のセックスも勿論するが、アブノーマルなプレイも頻繁にフィルにおねだりする。
その度にフィルは「キミって案外変態だね」と言いつつ、しっかりしてくれる。

アリスにしてみれば、「ベッドの中ではフィルの性奴隷だもん。ご主人様にして貰うのは当然だよ」というのが言い分だ。
ほとんど言い訳だが、それは本心からの気持ちでもあった。

自分はあの時、性奴隷にされて、身も心も墜とされてしまった。
その事実はどうやっても拭いようがないけど、それだったらせめて、この世で一番好きな人だけの性奴隷になりたい、と。

二人の関係は、恋人同士であり、奴隷とご主人様。
そんなちょっぴり複雑な関係だった――――





アリス L-軽戦士性奴隷  凌辱回数:1

竜神の迷宮内でペットとして飼われていたが、少年黒騎士フィルとウィルカPTの手で、精神崩壊直前に救出される。
度重なる陵辱の影響で錯乱状態が続き、一度は自殺を図ったが、汚れ切っても自分を受け入れてくれるフィルと結ばれた事で、精神の安定を取り戻す。

その後、フィルと二人三脚でリハビリの日々を送っていたが、戦いへの恐怖心は拭い去れない。
そんなある日、竜神の迷宮で共に戦った仲間達の行く末を知り、剣を握ることを決意。その戦いの最中、傍らで支えるフィルの存在を実感し、己を取り戻した。

後に、黒騎士団に復帰。
フィルとの熱い恋愛関係は騎士団内でも有名で、プライベートではしきりにフィルを求めている。アリス自身、「アタシはフィルだけの性奴隷だもん」と公言して憚らないとか。


前編から半年以上掛かってしまいましたが、ようやくエピローグ後半を書き上げました。
うまく纏めきれず、ダラ長い展開になってしまいましたが、読んでいただけると幸いです。

思い返してみれば、当初考えていたよりも遥かに長いストーリーになってしまいました。
それでも最後まで完成させられたのは、感想や投稿でご支援くださった皆様のおかげです。
とりわけ16PTとしてご一緒くださったnullA様、アリアリ様、ATM様、DPC様には感謝の言葉もありません。
アリス自身はパーティを組んですぐに墜ちてしまいましたが、メンバーには非常に恵まれていたと常々思います。

また機会があれば、何か書いてみたいと思います。
その際によろしくお願いします。