『終わらない悪夢、その結末』  


耳を劈く怒号と罵声。
見渡す限り、一面に、凶悪な形相を浮かべた男の顔。
野卑な声が飛び交い、薄明かりに照らされた玄室内は、暴動じみた熱狂に包まれていた。

「おらっ、どうしたアリス!? まだ勝負は付いてねーぞ!」
「やああ、もうアタシの負けだから……認めるから許してよぉ……」
「るせえッ! 勝負は中出しするまで続くんだよッ!!」

泣きじゃくって敗北を宣言するアリスに罵声を浴びせながら、ならず者は骨太の指で、マンぐり返しで剥き出しの股間を、乱暴に弄繰り回してくる。
ピチャピチャと淫靡な水音が膣を叩き、アリスの顔面に飛び散った粘液が降り掛かる。

「おらーっ、分かってんのかー! 50連敗したら、俺ら全員との乱交が待ってんだぜー!!」
「それが嫌なら、ちったあ抵抗したらどうなんだ、あぁー!?」
「ひああっ、あっ、あああ……」

遠巻きに囲むギャラリーのならず者達が冷やかすような野次を飛ばしてくるが、アリスは小刻みにか細い嬌声を上げるだけで、もはや抵抗する気力もない。
なすがままに、性器を弄繰り回され、黒騎士の衣装から露出した乳房を弄ばれている。

『ブラックナイツの天才少女に挑むバトル』という名目の強姦ショーはこれで50戦目。
最初の頃こそ、気力を振り絞って模造刀を振っていたアリスだったが、三戦、四戦と続く内に気力は萎え、一方的な強姦ショーに変わってしまった。
いまや、ショーツを脱がされては、犯され、ショーツを履き直されては、即脱がされてまた犯され、の繰り返し。
バトルの名を借りた完全な強姦と化している。

「あぁあ、やああああ……」

無防備に曝け出した股間に剛直を叩き込まれ、アリスは絶望的な声を上げた。
圧し掛かってくる男の太腕に黒手袋に包まれた手の平を当てて、押し返そうとするが、まるっきり力が入らず、形ばかりの抵抗にしかならない。

リズミカルに響く性器の触れ合う音。
男の力強いストロークで膣壁を押し退けられ、望まぬ淫らなハーモニーが奏でられる。

「はっ、おらアリス! 強者に足ぐらい絡めたらどうなんだッ!?」
「は、はい……」

マウントポジションからならず者に高圧的に頬を引っ叩かれ、アリスは泣きながら、ブーツに包まれた足をならず者の腰に絡ませる。
完全な受け入れ姿勢が整ってしまったアリスの唇を貪りながら、ならず者は勝ち誇ったように強引な挿入を繰り返していく。

「ううっ、んぢゅっ……んぷ、ちゅっ……」

恋人さながらの惨めな態勢での強姦にも、アリスには大人しく受け入れる事しかできない。
歯向かった所で、力でねじ伏せられて強姦されるだけだし、下手な反抗で怒らせでもしたら、より凄惨な陵辱が待っている。
剣士としての気概をへし折られたアリスに出来る事といえば、ひたすら哀願の言葉を発するくらいだ。

「出すぞ、出すぞ!!!」
「やあっ、待って! 中はおねがッ……」

キスの唾液の糸を引きながらアリスは懇願するが、ならず者は問答無用でラストスパートを突き入れてくる。
首を振りたくリ拒絶を露にするが、意思とは裏腹に、身体は完全にならず者に屈服してしまっている。
両手はならず者の太腕を握り締め、両足はならず者の腰にしがみ付き、熱々の精液が注がれるのを待つばかりだ。

「ああああああああああああッ!!!!!!」

かすれた絶叫と共に、灼熱の奔流がなみなみと膣内の奥に注がれた。
本日、50回目の膣内射精。
処女喪失からの通算は、もう数え切れない。

「ぁ……あ……」

ならず者の制圧から解放され、糸の切れた人形のように身体を投げ出すアリス。
その膣口から、ぶっ濃い白濁液が流れ出る。

余韻に浸る間もなく、無数の影が差し掛かってきた。

「これで50連敗確定だな!」
「へっへ、それじゃあ、お待ちかねの罰ゲームといくかあ!」
「あぁ……や、やぁぁ…………」

嫌らしい顔を浮かべたならず者の集団を見上げたアリスは、捕食を待つ小動物のような、か弱いため息を漏らした。
強姦の次は輪姦。
これからまた、何十人もの精を受けなければならないのか。

無骨な手が何本も伸びてきて、剥き出しの股間を押し広げられる。
掴まれた手の平に、灼熱の肉棒を握らされる。

「お、なんだコイツ、マンコ、ピクピクさせてるじゃねえか!」
「はっ、まだ食い足りねえんだろ、このド淫乱が!」

心無い罵声を浴びせられながら、喉の奥にも剛直をねじ込まれる。
反論の間すら与えられない。

「ケツこっち向けろ。ケツ穴は俺が使ってやる!」
「俺は膝の裏でも使ってやるか。こいつの太腿、張りがあってイケるからなあ!」
「おらっ、アリス、テメーも少しは動いたらどうなんだ!!」

菊門をこじ開ける熱くて堅い衝撃。
ブーツを脱ぎ捨てられ、太腿と膝で灼熱の肉棒をサンドイッチさせられる。
黒騎士を衣装を引き千切られて、露出した肌に、甲高い張り手を受けた。

「お、こいつ、急に締め付けがキツくなったぜ!」
「なんだあ、スパンキングで感じるマゾかあッ!!」
『(ちっ、ちがっ! そんなんじゃ……感じてなんか!)』
「はっ、気持ちいいんなら、もっとしてやるぜ! そらそらあ!!」

肉棒を頬張らされて、言い訳も出来ないアリスの背に、次々と、面白半分のスパンキングが加えられていく。

『(お願いッ、もうヤメてえッ!!!)』

狂気の光を浮かべ、地獄の亡者のように群がってくるならず者達。
身体中の穴という穴、自慢にしていた乳房、金糸のようにサラサラな髪、黒手袋に覆われた暖かな手――全身のいたるところが、好き放題に使われていく。

『(嫌……嫌ああああああああああああッ!!!!!!)』

口ごもって叫ぶ事も出来ない心の中で、アリスは魂も張り裂けんばかりの絶叫をあげた。





「――はっ!?」

気が付くと、アリスは清潔なベッドの中に横たわっていた。
視界に飛び込む天井の木目。
シーツを包む日の温もりが鼻腔をくすぐった。

「……ゆ……め……?」

息荒く呟きながら、懸命に現実を認識しようとする。
混乱した頭がハッキリしてくると、『それ』は夢だったと分かった。
全身から噴き出した汗で、薄手のネグリジェがぐっしょり濡れている。

「アリス、大丈夫かい? 随分うなされていたけど……」

銀髪の少年フィルが心配そうにアリスの顔を覗き込んできた。
海のように青い瞳が不安げに揺れている。
ハイウェイマンズギルドの手に落ちたアリスを助ける為、単身騎士団を飛び出してきた黒騎士の同僚だ。

「フィル……」

そう――フィルと、龍神の迷宮を探索した仲間のウィルカ達に助け出されて、アリスの長い長い悪夢は、ようやく終わったのだ。

だが、心の中では、未だ悪夢は終わっていない。
今も、目を閉じるだけで、瞼の裏にならず者達の凶悪な顔が浮かんでくる。
幻聴となって、野卑た笑い声や罵声が聞こえてくる。
荒々しい手や肉棒の感触が、絶え間なく、ネグリジェの下の素肌に纏わりついてくる。
凄惨な陵辱の記憶は消せない刻印として、アリスの全身に刻み込まれていた。

「アリス、まだ熱下がらないみたい――」
「嫌あッ!!!!」

汗ばんだ額に手を当てて熱を計ろうとするフィルを、アリスは発作的に押し退けた。
犯される――瞬間、身体が警鐘を鳴らした。
フィルにそんなつもりない事は百も承知なのに、全力で拒絶してしまう。

「ごっ、ごめん……」
「ううん、いいよ。今のは……僕が悪かったから、気にしないで」

我に返って謝るアリスを、フィルは慰めるが、戸惑いを隠せない様子で歯切れが悪い。

フィルの手を、ならず者の手と混同するなんて。最低だ、アタシ……。
アリスの気持ちがまた沈み込んだ。
安堵したのは、地獄から生還した時だけで、ずっと陰鬱な状態が続いている。

「それよりアリス、何か少し食べたらどうだい? 体力付けないと、熱も下がらないよ」

淀んだ空気を払拭するように、フィルはベッド脇のテーブルからトレイを取ると、アリスの前に差し出した。

「ほら、ペペさん特製のシチューだよ」
「いらない……」

フィルは優しく笑いかけるが、アリスは俯くだけで、口元に差し出したシチューを掬ったスプーンを見向きもしない。

とても食べる気になんかなれない。
食欲は湧かないし、見てるだけで気持ち悪くなる。
普段なら食欲をそそるはずの匂いが、ゴミ溜めの腐臭に感じられるのだ。
シチューの白くてドロっとした感じが、ならず者の精液と被って見えてくる。

『どうだ、俺様の精液をぶっ掛けたエサは、美味いだろぉ? ……おらっ、なに嫌がってんだ! 喰えッ!!!』

また、幻聴が聞こえてきた。
眼前に浮かんだ幻影を追い払うように、アリスは小さく身震いした。

もう嫌だ、こんなの……。
男の人の怖さは身に染みて分かったから、いい加減、解放して……。

「そう言って、昨日も何も食べなかったじゃないか。そんなんじゃ、いつまで経っても良くならないよ」
「食べたくないもんは、食べたくないもん……!」

心配そうに咎めるフィルに、アリスは駄々っ子のように首を横に振って、食事を押し退けた。

なんで、こんな風になっちゃったんだろう……。
いつも元気で、強気で、前向きで――そんな自分が自慢だったのに、今は全くの正反対だ。
卑屈で、癇癪持ちで、後ろ向きで、どうしようもなく情けない。
こんな自分、自分じゃない。フィルに愛してもらう資格ないよ。

「じゃあ、なんだったら食べるんだい?」

フィルは小さくため息を吐くと、シチューを掬ったスプーンを下げながら、聞いてきた。
愛想付かされて当然の態度なのに、フィルは辛抱強い。
それに比べてアタシは……。

「…………梨が食べたい……」

暫く考え込んでから、アリスはポツリと呟いた。

「梨って……それはちょっと季節外れじゃ――」

今はまだ四月の半ば過ぎ、春真っ盛りだ。
梨の季節にはどう考えても早く、去年の梨も一年近く前になる。
クルルミクが王国の首都だといっても、これだけ季節が違えば、市場に出回っていないだろう。

「でも、梨が食べたいんだもん……! 梨だったら食べる。他は食べたくない……」

言葉に出したら、余計、食べたくなってきた。
ワガママなのは分かっている。
でも、瑞々しい感触を口に含めば、この荒んだ気持ちを、洗い流してくれるかも知れない。
そんな気がする。

『おらっ、とっとと咥えろ!!』
『なに反抗してんだ、ああ!?』
『テメーは情けねえ泣きっ面か、無様なアヘ顔を晒してりゃあいいんだよッ!!』

亡霊のように纏わり付くならず者の声が、また、頭の中でこだました。

ヤメテ……。ユルシテ…………。
オネガイダカラ、モウ、ハナシテ…………。

アリスは頭を振るが、心に巣食うならず者の幻影は決して消える事はない。


「……本当に良かったのかい? あの娘の傍に付いててやらなくて」

薄暗い迷宮の通路を先導するムーンストナが、唐突に、ウィルカに話しかけてきた。

ウィルカパーティは、救出したアリスを地上に送り届けた後、再び龍神の迷宮へと戻っていった。
先行するパーティは既に最下層近くに到達しており、ウィルカ達は大幅に出遅れていた。
本来なら、探索速度を上げて、一気に深層部まで潜りたい所だったが、肝心のパーティリーダーのウィルカの足取りが重い。
この調子では、先行パーティに追いつくのはいつになる事か。追いつく前に"王家の聖櫃"を占拠するワイズマンは倒されてしまいそうだ。

「うん……」

俯き加減で、小さく頷くウィルカ。
その表情は、横目で振り返るムーンストナからは窺い知れない。

静寂が広がり、床を踏みしめる数対の靴音だけが、通路に響き渡る。

「……でも、私のは恋だから…………アリスちゃんの力になってあげられないよ……」

長い沈黙の後、ウィルカは躊躇いがちに言葉を紡いだ。

「……アリスちゃんはね、今、自分を見失っているの……」

誰に向かってとなく淡々と話すウィルカの脳裏に、合わせ鏡を挟んで、二人のアリスの姿が浮かぶ。
一人は、天真爛漫で、颯爽として、全身から溢れ返らんばかりの自信を漲らせていた、在りし日のアリス。
もう一人は、心の闇に閉ざされて、迷い子のように孤独に泣き続けている、現在のアリス。
度重なる陵辱で、16年の人生で培ってきた自分という存在を徹底的に否定されたアリスに残ったのは、空虚な抜け殻だった。
人一倍自分に自信を持っていたアリスだけに、支えを失った反動は、人一倍大きかったのだろう。

「それだったら、尚の事、アリスの傍にいた方が良かったんじゃないのかい?」
「ううん、私じゃダメなの……。私がアリスちゃんを想う気持ちは、恋だから……」

ウィルカは寂しそうに同じ言葉を繰り返した。

恋は求めるもの――好きな人に、してもらいたい、という欲求心。
愛は与えるもの――好きな人に、してあげたい、という献身性。
大地母神に仕える巫女だった頃、先輩の巫女が恋愛について語った言葉を、ウィルカは思い出していた。
人を好きになった経験がないので、その言葉の意味はずっと分からなかったが、最近、分かりかけてきた気がする。

思い返してみれば、私はずっと、アリスちゃんの偶像を追いかけていた。
初めて会った時以来、私もあんな風になりたい、もっと傍にいたい、私を見て欲しいなあ――自分の事ばかり考えていた。
眩しい所にだけ目を向けて、陰に潜む弱さや脆さを見ようとせず、一方的に憧れていた。

フィルさんと出会った時、自分の気持ちは求めるだけだったと気が付いた。

「……そんな私が傍に付いていたら、きっと、余計にアリスちゃんを傷つけてしまう……。
 アリスちゃんが今欲しいのは、憧憬じゃなくて、傷ついた心を支える愛情だから……」
「そうか……」

考え込むように深く頷いたのは、パーティ内でもっとも付き合いが長いフィアナだった。

「だがな、ウィルカよ。私はそなたが抱いているその気持ちは、紛れもなく、愛だと思うぞ?」
「――えっ?」

ウィルカは冷や水を打たれたように目を瞬かせた。

「そなたは言ったであろう。与えるのが愛だと。
 アリスが立ち直る事を望むその気持ちは、決して、求めているが故のものではないと、私は思うがな」
「そう、かな?」
「私も、アンタはアリスを求めているだけじゃないと思うよ。だって、あの娘が必要としている気持ちを分かっているじゃないか」
「あっ……」
「うー、ボクは難しい話は良く分かんないけど、リーダーはいつも優しくて暖かいよぉ?」

ムーンストナが言葉を繋ぎ、会話に入っていけず周りをウロウロしていたマリルも、甘えるように見上げてにっこり笑った。

そうか……。
この気持ちが愛情なんだ……。

神降ろしの巫女として、永遠に生き続ける宿命を背負ったウィルカは、本当の意味で、人を愛する気持ちを知らなかった。
人それ自体を慈しむ事はあっても、その感情をたった一人の個人に向けた事は無かった。

自分の中に芽生えたこの感情が、単なる憧憬ではなく、人を愛し、慈しむ気持ちだと理解したウィルカは、心の中が暖かくなるのを感じた。
今すぐには、心の中の整理はできないかも知れないけど、次にアリスちゃんと会った時には、きっと、心の底から笑う事が出来る――そんな気がした。


明るい昼の日差しが、真っ白なベッドの上を柔らかく照らしていた。
開け放たれた窓辺からは、爽やかな春風が心地よい花の香りを運んでくる。

宿場を兼ねる『ドワーフの酒蔵亭』でも、もっとも景観が良いその部屋は、主人のペペが特別に用意したのだが、傷ついたアリスの心は、芳しい花の香りでも、美しい眺めでも、癒す事はできない。

人通りの多い界隈に接しているだけあって、窓を開けていると、自然街の噂話が聞こえてくる。
憚りない会話に、時折、アリスはシーツに顔を埋めて肩を震わせ、それを見るたび、フィルは立ち上がり、無言のままそっと窓を閉じる。

これ以上、アタシを虐めないで……。
もう、放っておいてよ……。

ワイズマン騒動の真っ只中なので、街の噂は、迷宮に挑む女冒険者の動向で持ちきりだ。
ゴルゴダスやヒネモスを倒した有名パーティの賢者の性奴堕ちや、寝ぼけ眼の神官戦士率いるパーティの最下層到達など、討伐に関係する情報はベッドの中にいても飛び込んでくる。

その中には、迷宮から救出されたアリスの話題も混じっていた。
性奴堕ちした女冒険者の大半は、どこ知らぬ場所へ売られていく為、無事クルルミクに戻ってくるケースは非常に稀である。
その事だけでもひとニュースなのだが、間の悪いことに、アリスには先日のスキャンダルがあった。
街中を裸で引き立てられ、市民の前で晒した数々の痴態は、アリスのイメージを失墜させるのに充分だった。

だいぶ沈静化したとはいえ、その一件は、心無い住民の間で、未だに面白おかしく噂されている。

『見たかよ、あの表情! クソ漏らしながら、完全にイッてたぜ!!』
『よく人前であんな事出来るよなー。頭おかしいんじゃねえ?』

その時の光景が思い浮かび、蔑む声が幻聴となって聞こえてくる。
ヤメてッ、と心の中で叫んでも、頭の中の住民は容赦なく罵声を浴びせてくる。

「アリス……」

掛ける言葉なく、表情を曇らせるフィルの眼差しに、心がズキズキ痛む。
あの日の出来事は、フィルにも一部始終知られてしまった。
フィルにだけは絶対知られたくなかったのに……。

『うわっ、こんな所で、ならず者とやるのかぁ!?』
『潔癖が聞いて呆れるぜ……』
『マン汁ペチャ付かせてる音がここまで聞こえてくるぜ。ありゃ変態だろ!』

子宮を貫くヴァルガーの肉棒の感触と、乳房を揉まれる力強い手付きが、生々しく蘇ってくる。
幻聴を肯定するかのように、股間から染み出す愛液がしっとりとネグリジェを濡らしていく。

アタシ、淫乱なんかじゃないのに、どうして……。

浅ましくなってしまった自分の身体が口惜しくて、アリスはシーツをぎゅっと掴んで嗚咽する。

不意に、ドアをノックする音が聞こえた。
ドアノブを回す音が鳴って、甲冑の金属音が近づいてくる。

「……メリッサ……?」

泣き腫れた顔を上げると、全身鎧に身を包んだ長身の女戦士の姿があった。
アリス同様、ワイズマン討伐に名を連ねた神官戦士のメリッサだ。
とある事件で知り合った間柄で、迷宮内では顔を合わせる事がなかったが、賞金首の捕縛など、活躍の噂は事欠かない。
その眼差しは、今も凛とした輝きが宿っていた。
堕ちた者と、そうではない者の違いか。
今のアリスには、彼女が手が届かない遠い存在に見える。

「……アリス、貴女が無事、戻ってきたと報告を受けて、見舞いに来たのですが……」

逡巡した後、メリッサは躊躇いがちに切り出した。
率直な彼女にしては、珍しく言葉を濁している。
変わり果てたアリスの姿を目の当たりにして、掛ける言葉が浮かばなかったらしい。

「…………帰って……」

だが、アリスはメリッサから目線を逸らして、消え入るような声で呟くだけだ。
シーツに顔を埋めて、振り返ろうとしない。

「アリス……!」

フィルは珍しく語気を強くして咎めるが、アリスは弱々しく首を横に振った。
とても直視できない。
メリッサの凛々しい佇まいを見てると、とことん惨めになってくる。
自分がどうしようもなく弱い人間だと、見せ付けられて、胸が張り裂けそうになる。

「アリス、貴女がどれほど辛い目に遭われたかは、私も聞き及んでいます。
 ですが、貴女を助けた方達の為にも、立ち直る努力をするべきなのではありませんか?」

メリッサは神官戦士らしい実直な口調で諭したが、真摯な物言いは、却って劣等感を刺激し、アリスを苛立たせるだけだ。

「アンタに何が分かるのよ! アタシがどんな目に遭ってきたか!
 今も剣を握って戦ってるアンタなんかには分からないッ!!!」

ヒステリックに喚き散らし、シーツの中に潜った。目の前の現実から逃げ出すように。

「……帰って! 早く帰ってよ……!!」
「アリス……」

戸惑うメリッサの声が余計、心に突き刺さる。
腫れ物に触るような気遣いが、膿んでしまった心の傷を抉るのだ。

そんな目で、アタシを見ないで。
フィルと同じだ。
フィルもアタシを、腫れ物に触るような目で見て。
何もかも、嫌になってくる……!

「……分かりました。私は席を外した方が良さそうですね。
 貴女が笑顔を取り戻せる日を待っています。主の加護があらんことを……」

やがて、メリッサは静かに別れの言葉を掛けた。
頭を下げる甲冑音がして、遠ざかっていった。
結局、アリスは最後まで、部屋を後にするメリッサの背中を見なかった。


――静寂が戻ると、また、嘲笑と罵声が頭の中に響き出した。
ならず者と市民の幻影が取り囲み、一斉に侮蔑の言葉を投げかけてくる。

『おっ、なんだ? コイツ、感じてんじゃねーか!』
『ヤダぁ、変態ぃ〜!』
『股間水浸しにして、よく恥ずかしくないよなあ』
『おらっ、咥えろ!! 舌もちゃんと使うんだぞ!』
『チンポ気持ちいいんだろ? 素直に叫んじまえよ!』

――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ!!!!!!!!!

幻聴と纏わり付く手の感触を振り払うように、アリスは狂乱した。
ベッドから転げ落ちんばかりに暴れる肩を、力強い手でフィルが押さえた。

「落ち着きないよ、アリス! もう、キミを傷つける奴らはどこにもいないんだから!!」

悲壮な表情のフィル。
直視できずに、視線を外した。

なんて無様な姿なんだろ……。
自分が情けなくて仕方ない。

「……梨は買ってきてくれたの?」

突き放すように冷たい声でアリスは言った。
ずっと枕元に付いているのだから、買ってるわけないのは当然だ。

「いや……まだ買って、ないけど……」
「ないなら、フィルもどこか行ってよ……!」

今はフィルの顔を見たくない。
いや、違う。
荒んだ自分を見られたくなかった。

自慢に思っていた自分が、いつの間にか、どんどん嫌な自分に変わっていってしまう。
本当に嫌なのは、誰でもない。自分自身だった。

梨が食べたい……。
あの瑞々しさで……この荒んだ気持ちを、洗い流したい……。

アリスは心の中で噛み締めながら、瞼を閉じた。


春といっても、吹きすさぶ風はまだ肌寒い。
まして裸体では鳥肌ものの寒さなのに、群衆に囲まれた身体はすっかり上気していた。
玉のように浮いた汗が乱れ飛ぶ。

「うああああッ!!? ああああああああッ!!!!!」

尖った木の感触が淫核を押し潰し、脳髄の細胞を一片まで灼き尽くす。
悶えれば悶えるほど食い込みが激しくなり、大きく口を開けた淫唇に鋭角が深々と突き刺さってくる。
潤滑液が洪水のように溢れ出ても、焼けるような摩擦は一向に止まらない。

「アレだけ派手にイッたクセして、また嬌声を上げてやがる」
「よっぽど気持ちいいらしいな!」
「やっぱ変態だろ、変態!!!」

それを見た群集が、どっと笑ってアリスを批評する。

両腕は荒縄でキツく縛られ、身動きが取れない。
足首にも数キロの重りが付けられているので、腰を浮かす事ができず、乾いた木片の感触から逃れられない。
移動式の三角木馬に乗せられながら、街中を引き立てられ、アリスは民衆の晒し者にされていた。

「あぁッ、またぁ!? み、見ないでえええええええッ!!!!!」
「お、またお漏らしかあ!? すっかりコイツがお気に入りだなあ、はははッ!!」

ならず者の親玉のヴァルガーが背中に鞭を浴びせながら、内股から染み出して止まらない黄金色の液体を見咎めて、愉悦の表情で揶揄する。

「違うっスよ、ヴァルガーさん。俺のロウソクに感じてんですって!」
「へへ、乳首の先がビンビンだもんなあ! おい、アリス、鞭とロウソクと木馬、どれが一番気持ちいいんだ、言ってみろ!?」

アリスの髪を鷲掴み、ヴァルガーは群集に言い触らすような大声で、聞いてくる。

「うあぁん!!? あぁんッ!!! うあぁああああうッ!!!!」

連続して押し寄せる快楽の波を押し退けるように、アリスは髪を振り乱して絶叫した。
三種三様の刺激の波状が、目を剥かんばかりに狂わせるのだが、そんな事、間違っても口にしたくない。
全部の刺激が等しく気持ちいいと宣言するようなものだし、それをネタにまた嬲られる。

「おらっ、アリス!! どれが一番気持ちいいかッ、ヴァルガーさんが聞いてんだろ!! とっとと白状しろ、おらー!!!」
「それともこうやって欲しいから、だんまりなのか!? この淫乱ッ!!!!」

口汚く罵りながら、ならず者達は拷問台の木馬を力任せに蹴りつけてくる。
食い込んだ木製の刃が股間を刺激し、更に大量の潤滑液が溢れてくる。
腰を揺すっていないと、とてもじゃないけど堪えきれない。
それでまた、変態だの、淫乱だの、民衆やならず者の罵声が次々に飛んでくる。

「ったく強情なやっちゃなあ。コイツを使いや、ちったあ素直になるかぁ!?」

取り巻きの一人が舌なめずりしながら、ついさっきの公開調教でも使われた特大サイズの浣腸器を持ち出した。
空になった筈のガラス管の中には、またなみなみと薬液が注がれていた。

「そ、それって……待って! 今、そんな事されたら……ッ!!」

青ざめたアリスが反論する間もなく、問答無用に、注入口がお尻の穴に差し込まれる。

「お、また脱糞ショーかぁッ!!」
「実はアイツ、人前でするの、好きなんじゃねえの!?」
「犯られて感じるマゾだから、そうなんだろ。じゃなきゃあ、あの状況で口答えしねえって!」

腸内に薬液を注入されたら、すっかり出し切ったはずなのに、すぐに便意を催してきた。
括約筋を締める余裕などあるわけがなく、ものの十秒も持たないうちに、薄く濁った薬液をぶちまけた。

「嫌あああああああああああああッ!!!!」

追い討ちを掛けるように、都合、三度目の放尿。
前後の二つの穴から垂れ流し状態の排泄物が、木馬の背に擦り付けられた愛液のぬめりを洗い流していく。

「ぁ……はぁ……はあぁ、はぁあ…………」

小刻みに荒い息を吐くアリス。
その視界に映る、嘲笑する市民とならず者の顔。
埋め尽くすほど人がいるのに、誰一人擁護してくれない。

人混みの中には、龍神の迷宮に挑む女冒険者らしき姿も見えた。
女冒険者は冷淡な眼差しでこちらを見ている。
お前はもう剣士じゃなく、堕ちた性奴隷だ――そう言っているようだ。

女冒険者に、黒衣のシルエットが近づいた。
陰に隠れて顔は見えなかったが、歩き方や仕草で、愛しい少年だとすぐ分かった。
少年は振り返らない。
一瞥すらせず、女冒険者と一緒に去っていった――


気が付くと、夕日が差し込んでいた。
窓の外の喧騒が、静まり返った部屋の様子をことさら強調する。

また、ネグリジェは汗でびっしょり濡れていた。
特に内股の部分は水浸しで――――失禁していた。
汗の匂いに混じって、ほのかなアンモニア臭が漂ってくる。

赤ちゃんみたいにおねしょまでして……。
こんなんじゃ…………立ち直れないよ……。

欝な気持ちが、諦めに似た小さなため息を吐き出した。

――そういえば、フィルは……?

いつもなら、すぐに話し掛けてくる少年の声がなかった。
焦燥の念に駆られて、部屋中を見回したが、フィルの姿は何処にもない。

「見捨てられちゃった……のかな?」

アリスは自嘲気味に呟いた。
ずっと気に掛けていてくれたのに、苛立ちに任せて無下もなく拒絶したりしたから、嫌になっても当然だ。
どう考えても自業自得なのに、傍からいなくなると、寂しくて堪らなくなってくる。

――見捨てないでよ、フィル……。
アタシにはアナタしかいないんだから……。

ふらふらと起き上がり、アリスは呆けたように日が落ちかけた部屋を出て行った。




盛況な酒場だが、夕暮れ時のこの時間帯は客足が途絶えるようで、一階の『ドワーフの酒蔵亭』にいたのは、傭兵らしき男三人組と、片隅のテーブルで書き物をするパーラだけだった。
何かの用事でか主人のぺぺも席を外しているらしく、広い店内は殺風景で、下世話な会話で盛り上がっている男達のテーブルが場違いに感じるほどだ。

迷うように降りてきた一階の酒場にも、フィルの姿は見当たらない。

「あ、アリスさん」

半ば放心状態のアリスに気が付いたパーラは、ペンを走らせる手を休めると、小走りで駆け寄って、ふらつくアリスに肩を貸した。

「もう起き上がっても平気なのですかぁ?」
「ねえ、パーラ。フィルはどこに行ったの……?」

アリスの目には大粒の涙が浮かび、泣き崩れそうだった。
全身が小刻みに震えている。

「ええっとですね、フィルさんは今、ぺぺさんと――」
「おいっ、ねーちゃん! 酒だ! 酒持って来いー!!」
「えっ、は、はい――って、私、店員じゃないですぅ! その、ぺぺさんに留守番は任されましたけどぉ……」

突然、酔った男達の声が上がり、パーラは慌てふためきながら声を返した。
釣られるようにパーラの視線の先を見上げると、赤ら顔の傭兵と目が合った。

「おやあ? 誰かと思いきや、どっかの淫乱黒騎士のご登場じゃねえですか!」
「恥知らずに、まだクルルミクにいやがったのかよ!」

三人組の傭兵はアリスの顔を見るなり立ち上がり、ガラ悪く息巻きながら、酒瓶を持って近寄ってきた。
俗にカオス傭兵と呼ばれる連中で、酔った勢いでよく横暴を働く街の鼻つまみ者だ。
ならず者が鎧を着たようなもので、住民に手を出しては、よくアリスに懲らしめられたものだ。
よく見れば、どの顔にも見覚えがあった。

「ちょっ、ちょっと、アリスさんは病人で――ひゃっ、何するんですかぁ、ひゃあああ!!?」

酒臭い息を吐きながら絡んでくる男達を身を挺して止めようとするパーラだが、跳ね除けられて、逆にカウンターに激突してしまう。
支えを失ってよろめくアリスの手を、傭兵の一人が掴み取った。

「へへ……」

ネグリジェの隙間から覗く乳房の谷間に目を落として嗤う、赤ら顔の傭兵達。
舌なめずりする嫌らしい顔つきに、またも、脳裏に陵辱の記憶が浮かんできた。
力づくで押し倒されて強引に股を開かされる光景がフラッシュバックする。

「あぁ……やあぁ……」

怯えの色を濃くして腰を引くアリスだが、力強い男の手で掴まれていて、逃れられない。

「おいおい、久しぶりに会ったってのに、ツレねえなあ、アリスちゃんよぉ。俺らに酌でもしてったらどうなんだ?」
「お、なんだこの匂いは? コイツ、ションベン漏らしてんじゃねえか!!」
「そんなに怖がらなくたっていいんだぜ、ガハハハハ!!!」

耳元で大笑いする傭兵三人組の怒号に、アリスは完全に萎縮した。
どう足掻いても敵うイメージが湧いてこないし、昔の経緯があるだけに、何をされるか分からない。
余裕で懲らしめられる相手だった筈が、今は立場が逆転してしまっていた。

「お願い……許して、許してください……」

空いた片手で胸元を隠し、身を丸くしながら許しを請うが、その態度は却って傭兵達の嗜虐心に火を付けてしまう。

「あん? なにが許してなんだ。俺らがなんかしたってのかよ!?」
「それとも俺たちを誘ってるつもりかぁ!?」

ステレオに怒鳴りつけられて、アリスは小さな悲鳴を上げる。
監禁時の調教で、散々罵声を浴びながら犯された為、『恫喝=強姦』と、身体に刷り込まれてしまっていた。
ブルブルと首を横に振るアリスに、案の定、傭兵達はネグリジェから覗く胸に手を伸ばしてきた。

「あ゛あああぁあ……」

必死に庇おうとする腕を押し退けて、傭兵達は我先とばかりに揉みしだく。
乱暴な手付きに、ネグリジェのボタンが弾け飛んで、大きな胸元が露になった。

「ヤメ゛でください……ヤメ゛でください……」
「ぎゃあぎゃあ五月蝿えなあ! テメえが犯られて感じるマゾ女だってのは、とっくに割れてんだよ!! 思ってもねえ事、口にすんなッ!!」

泣き声で哀願するアリスを、傭兵達は口汚く罵って引っ叩く。
傭兵達の指摘を肯定するように、襲われかけているのに、身体は熱く、乳首の先は尖りかけていた。

「ちっ、ちが……アタシそんなのっ、マゾなんかじゃ……」
「だったらなんだよ、この乳首は!? 街のど真ん中で、クソ漏らしたような変態が、気取ってんじゃねえ!!」
「散々ならず者とやっといて、彼氏が来た途端、急にカマトトぶんのかッ!!?」
「彼氏の目の前で、淫乱な本性暴いてやろうか、ええッ!!!」

代わる代わる酒臭い息を吐き掛けられて、言葉のリンチを受ける。
強姦に恐怖心を感じているのは本当だし、好きでならず者と性交したり、人前で痴態を晒したわけじゃない。
嫌悪感しか抱いていない。
それなのに、何故か、股間からは愛液が滲み出てしまう。
男達の言葉を全く否定できないこの身体が恨めしい。

あたしは、身も心も、性奴隷に成り果ててしまったのか……。

「――こらっ、なにをやっとるんだ!!!」

酒場の主人のペペが戻ってきたのは、その時だった。
傭兵三人組が取り囲んで、アリスに性的暴行を加えようとする姿を見て、ペペは大声で一喝した。
ぺぺの怒号で、傭兵達の気が逸れて、腕を掴む手が緩んだ。

「やああッ!!!!」

アリスはとっさに手を振り解くと、思いっきり目の前の傭兵を押し退けた。
そして、ぺぺが止める間もなく、火照った身体をよろめかせて、二階の自室に駆け込んでいった。


――もう嫌! こんな人生!!
みんながみんな、アタシを弄んで! 蔑んで!!
みんなもう、放っておいてよッ!!!

頭の中で叫びながら、部屋の中に駆け込むアリス。
ドアを閉めるなり、内鍵をかけて、誰も入れないようにする。

何もかもが嫌になってしまった。
身体に群がる男達、嘲笑する市民、腫れ物に触るような目で見る冒険者。
見るもの全てが汚らしく見えてくる。
何より嫌なのは、そんな風にしか見れなくなった自分だ。
そして、すっかり淫乱になりきったこの身体だ。

頭の中で、男達や、市民や、冒険者の蔑む声が、ぐるぐるぐるぐる、渦を巻いて聞こえてくる。
お前はただの変態だ、卑しい性奴隷だ、と。

何もかも失ってしまった。
貞操も、名誉も、大切な人も!!!

こんな世界で生きていく位なら、蔑まれながら生き続けるくらいならッ――
アタシは、音のない世界に、逝くッ!!!!!!!

テーブルの上に置かれたバケット。
その傍に置かれた備え付けの果物ナイフを掴むと、アリスは感情のまま、手首を切った。

――鮮血が飛んだ。

湧き水のように勢いよく流れ出ていく血液。
徐々に手首が焼けるように痛くなってきた。

だが、その痛みもすぐに感じなくなっていく。

蠢いて止まなかったならず者や市民の幻聴と幻影は、消えていた。
代わりに聞こえてくる、子供たちの笑い声。
窓の外の通りを走る子供たちの声だろうか。
無邪気な、幸せそうな声だ。

アタシにもそんな日があったな。
お母様と二人で暮らしていたあの森の――たまに刀を持った傭兵の人が訪れて――

幸せな日々を思い出すと、今の自分がどうしようもなく惨めに思えてきた。

――でも、それももう、あとほんの僅か……。

こんな惨めな想いは、これ が      さ     い         ご                     

            意識が   
                               薄れ


      ゆ 




                                                   く                         
     















「――なに考えてんだよ、アリスッ!!!!」

目を開けた途端、フィルの本気の張り手が飛んできた。
次に、苦しいばかりの抱擁。

「でも、本当に良かった……。もしこのまま目を覚まさなかったら、僕は……僕は…………」

フィルの瞳から零れる涙が、頬に落ちてきて、とても熱く感じた。
目を落とすと、切った筈の手首には、包帯が巻かれていた。

「アタシ……助かった、の?」
「そうだよ! ぺぺさんがお医者さんを呼んで、メリッサさんが治癒魔法をかけてくれて、みんなのおかげでね!」

みつめて話すフィルの声が、心にズキン、と響く。

「キミは一人じゃないんだ! キミを助けてくれる人は沢山いるんだから……だからもう、こんな真似は止めろ!!」

フィルは怒っていた。泣きながら怒っていた。

「でも……アタシ、こんなに汚れてしまって……もう、フィルとも釣り合わない……」
「なんでそんな風に考えるんだ。僕はキミのことが好きだ。それで充分だろ?」
「……うん。……充分、だよ……。アタシもフィルのこと、大好きだから…………」

泣きじゃくりながら呟くアリスの口に、瑞々しい塊が放り込まれた。

「ほらっ」
「これって……」
「梨だよ。キミが欲しがって聞かなかったから、ぺぺさんの顔で、老舗の業者さんに分けてもらったんだ」
「……それで居なかったの? アタシを見捨てたんじゃなくて?」
「当たり前だろ。僕がキミを見捨てるわけないじゃないか……」

呆れて言葉もないフィル。だが、そのため息には、安堵感がこもっていた。
アリスは涙ぐみながら、ゆっくり、口の中の梨の欠片を咀嚼する。

「……あんまり、美味しくないね……」
「そりゃ、季節外れだからね」

と、率直な感想に、拗ねた声のフィル。

「でも、生きてさえいれば、必ずまた美味しい梨が食べられる。
 キミが笑顔を取り戻せるように、僕がずっと傍に付いてるから、一緒に頑張ろう。なっ?」
「うん……」

抱き締めながら語りかけるフィルの手は、とても暖かかった。
この人を好きになって良かったと、この時ほど、思った瞬間は無かった。

見上げた目と目が合った。
急に高鳴り出す心臓の鼓動。
そっと目を閉じ、ゆっくりと……フィルの唇が触れた。

あの時は恥ずかしくて出来なかった――フィルとの最初のキスだった。
荒みきった心を解していく、暖かくて優しいキス。

アリスの心の闇は、ようやく、白み始めていた……。





アリスエピローグその1。
救出直後のクルルミクを舞台に書いてみました。
時間軸は、リムカ性奴堕ち〜メリッサ&16PT性奴堕ちの間で、丁度メリッサさんは19日に帰還しているので、その日……かな?

まだ続くのですが、パワーを使い果たしてしまったので、後半パートは暫く掛かりそうです(吐血)