「アリスを助けに行かないッ!?」

王国最強と謳われる黒騎士団団長の執務室のデスクが、耳鳴りのような轟音と共に僅かに揺れた。
とある昼下がりの事だった。

「……誰も助けに行かない、とは言っていないだろう。すぐに助けには行けない、と言っただけだ」

黒騎士団長ヨシュア=バーンベルトは、白いものが混じった眉を難しげに顰めたが、その口調はいかにも歯切れが悪い。

「同じじゃないですか! アリスは今、こうしてる間も救いを求めてるんですよ! 僕達が助けに行かなくてどうするんですか!?」

黒衣に銀の髪の少年は、興奮した口調でまくし立て、自らが所属する騎士団の長である男に喰ってかかる。

「だがなあ、フィル。これは団の軍議で決まった事だ。俺一人の一存では早々変えられん」
「アナタがそんな薄情な人だとは思いませんでしたよ! アナタはアリスを自分の娘のように思ってたんじゃないんですか!?」

天才と謳われた少女黒騎士の離脱により、今や最年少となった少年黒騎士フィル=アーヴェンは、憤懣やる方ない表情で、取り付く島もない団長の目をきっと睨みつけた。
だが、雷光の二つ名を持つ、百戦錬磨の男の眼光を直視するには、少年は余りに幼すぎた。
視線を合わせた途端、逆に気圧されて、言葉を詰まらせてしまう。

「……もういいです! 僕は一人でも、アリスを助けに行きますから!」

ややあって、フィル=アーヴェンはデスクに一枚の紙切れを叩きつけて、団長の執務室を後にした。

「――娘のように、か……」

先ほどまでの剣幕が、嘘のように静まり返ったデスクの上で、ヨシュアはひとりごちた。
初めて少女と会った時の事を、今でも思い出す。
少女が史上最年少黒騎士として入団して間もない頃、ちょっとしたきっかけで、剣術の稽古を付ける事となったが、その時の少女の顔が今でも忘れられない。

――団長、いつかアナタにも勝ってみせますからね!

そんな事を言われたのは初めてだった。
雷光のヨシュアといえば、王国内のみならず、大陸中でも最強と謳い上げられる一人で、面と向かって――しかも僅か15歳の少女に言われる事などなかったからだ。
自信に満ち溢れ、どこまでも真っ直ぐに前を見ていた少女だった。

自分の娘も生きていれば、これくらいの歳だなあ……。

ヨシュアは、事故で妻と娘を亡くしていた。
以来、少女を自分の娘のように思っていたのだが。

その少女が出向先のクルルミク王国で、ハイウェイマンズギルドのならず者に捕縛され、性奴隷として売却された報告が入った時は、団内に衝撃が走ったものだ。
すぐに救出に行くべきだという声も少なくなかった。
将来の黒騎士団を背負って立つ少女を失うのは大きな損失であったし、何より、団員が性奴隷にされたとあっては団としての名誉に関わる。
だが、団長としてのヨシュアが下した決断は、救出は行なわない、という事だった。
グラッセンとの抗争は苛烈さを増すばかりで、今はとても、団員の捜索に人員を割く余力がなかったからだ。

とはいえ、全く手を打たなかったわけではない。
かつて、冒険者だった頃のツテを頼り、密かに調査を行なっている。
ある事件で知り合った仁義溢れる傭兵にも、救出依頼しようと思ったが、その傭兵とはまだ連絡が取れていない。

父親代わりの男として、娘のように思っている少女を助け出したいと思う気持ちは、少年と同じだった。
もし、黒騎士団長という人の上に立つ責任ある立場がなければ、すぐにも飛び出していった事だろう。
感情の赴くまま、自由に行動できる少年が羨ましかった。

「若いねえ、アイツも……」

そうひとりごちで、ヨシュアはデスクの上の退団届けを、散り散りに破いた。




「……くそっ、あの親父、アリスがどうなってもいいって言うのか!」

フィルは地団太を踏みながら、与えられた団員寮の自室に戻ってきた。
もう旅の準備はできている。
命を受けたら、すぐにでも旅立つつもりだった。
だが、団長の返答はにべもなく、NOだった。
こんな時に守ってやれないで、何が父親代わりだ。
フィルは団長の見識を疑った。

少女と初めて会った時の事を思い出す。
そう……アレは確か、リアベルトの剣術大会で優勝し、最年少で黒騎士としての内定をもらった数日後の事だった。
入団のため、生まれ育った街を離れて、王都にやってきた時、往来の少ない路地の上で少女と出くわしたのだ。
どちらかと言えば内向的な少年にとって、その少女は輝いて見えた。

――丁度いいや。アンタ、半分お願いね!

腰に履いた剣を見て、少女はいきなりそう言ってきた。
何の事だ?と思っていたら、向かい角から、20人近いならず者が凄い剣幕で追いかけてきた。
訳も分からぬまま、ならず者と剣を交える事になったが、少女の剣の腕は、おとぎ話に出てくる戦女神のようだった。
カタナと呼ばれる異国風の片刃剣を振るい、見る見る内に、大人と子供ほども背丈が違うならず者をなぎ倒していく。
僕も周りからは神童と呼ばれていたが、ハッキリ言って、少女は僕とは格が違った。
僕が三人か四人のならず者を倒した時、少女は残り全てのならず者を打ち倒していた。

戦いが終った後、争いの原因を少女に尋ねたが、街人に横暴を行なうならず者の一人をぶちのめしたのが原因らしい。
なんでそんな事をしたんだって聞くと、少女はこともなげに言った。

――許せなかったからよ。

なんて、分かり易い性格なんだろう、と思った。

二度目の出会いは、黒騎士団に入団して最初の任務の時だった。
王都内にはびこる人攫い集団を壊滅するため、先輩の団員とそのアジトを取り囲んだのだが、着いた時には既に騒動が始まっていた。
あの時の少女が人攫いの一味を相手に、ドンパチやっていたのだ。
絶好の機会と見た先輩は、即座に強行突入の指示を下し、人攫い集団は壊滅した。
攫われた娘達も全員無事だった。

――アンタ達の行動が遅すぎるからよ。攫われた娘達は、すぐにも助けて欲しいのよ。分かる?

少女は息巻いて、ズケズケと言ったが、正論だった。
ハッキリとモノが言える少女が羨ましかった。

この事件をきっかけに、少女は最年少で黒騎士に抜擢され、同僚となった。
それ以降、よく任務を共にし、笑い合ったものだ。
僕にないものを多く持ち、太陽のように輝いていた彼女に惹かれるようになったのは、そう遠くなかった。

なかなか自分の気持ちを、ハッキリ言い出す事ができないでいた時、少女のクルルミク出向の話を聞いた。
いても立ってもいられなくなり、夜更けにも関わらず、少女の部屋を訪れた。
止めてみたものの、勿論、少女が聞くはずもない。

嫌な予感がした。
いくら強いといっても、少女はまだ16歳。
抱きしめれば壊れそうなくらい、小柄な少女だ。
そんな少女が欲望渦まくクルルミク王国に出向すると聞いて、不安で一杯になった。
でも、彼女の意志の強い瞳を見たら、それ以上、止められなくなってしまった。

――もっと強引に止めていれば、良かった。
中途半端な言い方じゃなく、ハッキリ、自分の気持ちを伝えて、いかないでくれって。
嫌われたかも知れないけど、もっと強く引き止めてれば、少女が捕らえられ、性奴隷に堕とされる事もなかったかもしれない。

――彼女が性奴隷にされたのは、僕のせいだ!

もう、同じ過ちは二度としない――
取り返すんだ。彼女を……あの笑顔を。

「待ってて、アリス……。僕が、必ず助けるから……!」

フィルは堅く決意し、黒馬の背に乗った。