「あひぃッ、ひいぃいッ!」

女の嬌声が精臭漂う狭い洞内の一室にこだまする。
凛々しかった瞳には、既に恍惚とした光が浮かんでいた。
一突きごとに、確実に天国への階段を昇らされている。

漆黒の髪を振り乱しながら、必死に迫り来る快感の波に抗い続けていたが、もはや鍛え抜かれた精神も限界に近い。
次に大波が押し寄せてきたら、確実に堕ちてしまうだろう。
だが、男は飽くまで容赦ない。

「そらそら、どうした! さっきまでの減らず口はどこ行ったんだ!?」

女の腰を肉棒で縫い付けながら、獣のように突き入れ、罵声を浴びせる。
技もなにもない力任せの性交だが、男の肉棒はとにかく太すぎた。
一突きごとに、女が纏った理性の鎧が剥がれ落ちていく。

「ひぃあッ!? ひいぃッ、あひいいいい!!!」
「ははっ、弄られるようなやり方じゃ、感じねーんじゃなかったのか!?」

悦楽の声を噛み殺せない女を、男がせせら笑う。

「あはぁッ! だってこんなの、激しすぎてッ! 激しすぎてッ!!! もうダメッ!! もうダメええッ!!!!」

とうとう女は屈服の言葉を口にした。
ほんの小一時間前の気丈な言葉が嘘のようだ。
どんなに強気を保とうが、本気になった男の責めには抗う術がない。股間を打たれる灼熱の肉塊の前に、女はハッキリとそう悟らされていた。

女の瞳から急速に意志の光が消えていく。
あとはもう、ひたすら快感の波に飲まれていくだけ。
やがて、彼女の意識は、底なしの沼に堕ちていった。




「ボスッ! 大変ですぜ!」

けたたましくドアが開け放たれ、小太りの男が飛び込んできた。
血相を変えた様子で、脂汗の絶えない全身からは汗がすっかり引いている。

「ちっ、たく……なんの用だよ?」

お楽しみを邪魔されて、つまらなそうに舌打ちしたが、ただ事ではない部下の様子を見ては、取り合わないわけにもいかない。
男――ヴァルガーは渋々腰のストロークを止め、女を解放した。
結合部分から白濁液がどぷっと零れ、女はぐったり倒れ伏す。

「それが……その、なんてったらいいか……敵襲でして!」

しどろもどろ答える小太りの男の言葉は、要領を得ない。
使えねーと常々思っていたが、報告一つ満足に出来ね―のかこの馬鹿共は。
ヴァルガーは苛立ちを隠せない声で問い返す。

「で、数はどれくらいなんだ?」
「その………………二人、です」

言い難そうに、小太りの男が呟いた。

「二人だぁ? ばっか野郎! んなもん、テメーらで何とかできるだろ。んなツマンねー事で、わざわざ俺様の手を煩わせるんじゃねえ!」

百五十人もの雁首揃えて、たった二人の襲撃も指示を仰がなきゃ処理できねーのか。
どんだけ使えねーんだテメーらは!
思わず本音が口を突きかけたが、喉の上まで出かかった言葉を何とか抑える。

「それが、ただもんじゃねーんです、アイツら! 特に女の方! 瞬く間に切り伏せられて……もう半数近く! 俺達じゃとても手に負えません!」

部下の形相は必死だ。どうやら、部下達の手に負えないというのは本当らしい。
たった二人の襲撃に、百五十人がかりで手に負えないというのはどう考えても眉唾、集団催眠でも見たか、そうでなければ誇大妄想だろうが、一団を束ねるものとして見過ごすわけにいくまい。
もし本当に、少人数の襲撃に蹂躙されたとあっちゃ、周辺一帯に悪名を轟かせる盗賊団『毒牙』の面子に関わるし、下手をすりゃ部下から突き上げを喰う。

「……しゃーねえ。面倒だが、出張ってやるか」

使えない部下に辟易としながらも、小さくため息をつくと、ヴァルガーは床に脱ぎ捨てたズボンを拾い上げるのだった。




銀光が虚空に迸る。
一閃――漢が音を立てて崩れ落ちた。
振り向きざま斬り上げた鋭い太刀筋が、武器を持った男の腕を斬り飛ばす。

「ま、天才のアタシに掛かれば、ざっとこんなもんよね!」

黒衣の少女は軽く腕を振るい、刃に付いた血を振り払う。
少女が手にしているのは、異国風の片刃の剣だ。カタナと呼ばれるその剣の刃は、鋼を鍛えて研ぎ澄まされ、並みの防具など物ともしない。

「さっ、次はどいつ? ジャンジャン掛かってきなさい!」
「おおい、アリスー! 遊んでないで手を貸してくれよー!」

舞台上のヒロインの如く立ち回りを繰り広げる黒衣の少女に向かって、相棒の黒衣の少年は息を切らせて声を上げる。少女と違い、荒れくれの剣を打ち払うので手一杯で、振り向く余裕もないらしい。

「なに言ってんのよ、フィル。アンタも男でしょ! それくらいの人数、ちゃちゃっと片付けて来なさいよ!」
「む、無茶言うなあ、アリス! こっちは十人も相手してるんだぞ!」
「甘い! アタシの相手は二十人よ! でも、動きがトロすぎてあくびが出そうだけど……ね!」

軽口を叩きながらも、アリスの動きにはまるで無駄がない。迫り来る二筋の銀光を、一筋は僅かに身をよじらせる事で紙一重でかわし、もう一筋を右手のカタナで軌道を逸らしながら、がら空きになった鳩尾に、柄の一撃を叩き込む。
二十人近い人数に取り囲まれながらも、アリスは全く余裕だ。息一つ切らさず、かすり傷一つない。せいぜい、黒衣の端に切れ目が入っている程度だ。
十人余を相手に息も絶え絶えのフィルとは対照的である。

「くっ、くそう! なんなんだよこのアマ! 舐めやがって!」
「いつまでも調子に乗ってんじゃねえ! 俺たち『毒牙』の恐ろしさを思い知らせてやる!」
「あー、はいはい。いくらでも思い知らせて頂戴。……アタシの動きが捉えられたらね」

と、今度はカタナを振りもしない。軽く身を沈めただけだ。それだけで襲い来る荒れくれを自滅させた。

「ま、力だけのバカじゃ、一生かかっても捉えられないと思うけどね。……ほら、どったの? カモンカモン」

ちょいちょいと空いてる左の人差し指で、残った荒れくれを挑発する。

「ア、アリスぅー!」

何やってんだよーと言わんばかりに、フィルは声を張り上げた。




「……ありゃあ、ブラックナイツじゃねえか!」

黒衣の少年少女の姿を見て、ヴァルガーは目を細めた。

「ブラックナイツって……あの近衛と並ぶ、王国最強のっすか!?」

ヴァルガーに付き従う小太りの男は、驚愕の声を上げた。
ブラックナイツの俗称で知られる『黒騎士団』の名を知らぬ者は、この大陸に居ない。
騎士の国と謳われた王国でも、国王直属の近衛騎士団と並び称される――こと戦闘能力においては近衛以上と言われる精鋭騎士団だ。
徹底的な実力主義を敷き、団員一人の戦闘能力は一般騎士十人分に匹敵すると言われているほどだ。

「けどよボス、ありゃあ小僧と小娘じゃないですか? そんな奴があのブラックナイツにいるんですかい?」

黒騎士団と言えば、家柄身分を問わず、実力のみで採用されるため、二十歳で入団できれば早い方だ。
だが、目の前の少年少女はどう見ても、十代半ば。そんな年齢でブラックナイツの称号が得られる者がいるのか。
小太りの男が口にしたのは率直な疑問だった。

「いや、いる……!」

ヴァルガーは固唾を呑んだ。
そう、弱冠十五歳で黒騎士団に入団した天才少女を、ヴァルガーは知っている。もう一年も前になるが、近隣諸国でも随分話題になったものだ。
――最年少ブラックナイツ誕生。
本来、その栄冠を手にする筈だった少年。そして、その栄冠を手にした少女の逸話を。

眼前で大立ち回りを繰り広げる、銀の髪の少年と、金の髪の少女は、その二人に違いない。
少年の名は、フィル=アーヴェイン。そして少女の名は、確か……。

「アリシア=ラディリス……!」
「はっ?」
「いや、なんでもねえ!」

だが、アレが本当にブラックナイツの二人だとしたら、百五十人もの人数が蹂躙されるのも頷ける。
なんせつい二週間ほど前にも、『毒牙』の数倍の規模を誇る一団が、数人のブラックナイツに壊滅させられたってほどだ。
真っ向からやり合って勝てるはずがない。

だが、見たところ、少女に比べて、少年はかなり腕が落ちるようだ。
無論、ブラックナイツだけあって人並みはずれた技量を持っているが、十人余の部下の相手で手一杯。単騎『毒牙』を壊滅させるほどの力はないだろう。

「となると、あの小娘を、なんとかできりゃあ――」

呟くヴァルガーの瞳が、昏く光った。
よく見りゃ、いかにも生意気そうなじゃじゃ馬娘だ。自分に勝てる奴はいないとばかりの増長した立ち振る舞い。
ああいう調子付いたメスガキをひん剥いて、突っ込んで、泣き叫ばせた挙句、羞恥の渦に叩き込んで、屈服させるのも一興だ。
オマケにブラックナイツで、噂の天才少女とくりゃあ。

ヴァルガーは異常なまでのサディストだった。
ひいひい泣きながら、バックで犯され、四つん這いでアジト中を引き回される黒騎士少女の痴態を思い浮かべると、思わず舌なめずりしていた。

「……ボス?」
「ん、ああ」

ヴァルガーは我に返って振り返ると、小太りの男になにやら指示を出した。




「ふふん、どったの? もう来ないわけ?」

安い挑発だが、荒れくれ達は一歩も動けない。
なにしろ、一度間合に足を踏み入れたが最後、刃に吸い寄せられるようにして、斬り倒されるのだ。
周囲を取り囲んでの波状攻撃もまるで通用しなかった。
半径一メートル半の領域は、カタナが織り成す死の結界だった。
男達は自然と後ずさる。

「なーら、今度はアタシから行くわよ」

と、軽快なステップを踏み、アリスは集団に飛び込んでいく。

「く、うあああああッ!」

瞬時に間合を詰められた男は半狂乱して得物を振り回すが、そんな単純な攻撃が当たるはずもない。
一気に懐に入られ、強烈な突きをもらった。

「げはあっ!」
「急所は外しといてあげたから、感謝しなさいよね。……あ、その後のことは知んないけど。どーせアンタ達、死刑だから」

そして、すり抜け様、少女はカタナを返すと、更に四人の戦闘力を奪った。
圧倒的な技量の差の前に、荒れくれ達はとうとう蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。

「ったくどいつもこいつも情けねえ! 今度は俺様が相手だ!」

風を切る轟音と共に名乗りを上げたのは、『毒牙』の頭目、ヴァルガーだ。
アリスの背丈ほどある巨大なバスターソードを横薙ぎに、アリスのいた空間を薙ぎ払う。

「へえ、今までのヤツらより、ちょっとは出来そうじゃない」

バク宙で横薙ぎをかわし、着地したアリスは不敵な笑みを浮かべた。
身長156センチの小柄なアリスに対し、ヴァルガーの身長は2メートル以上ある。
大人と子供ほどの差だが、アリスは飽くまで余裕だった。

戦いというのは、腕力が強い方が勝つわけじゃない。腕力は一要素にすぎず、技や身のこなし、総合的な技量で勝るものが勝つのだ。
アリスは腕力こそ劣っていたが、技や身のこなしでは段違いに上をいっていた。

「そんなデカイだけの代物を振り回したって、当たらなければ……ほら、もう隙ができた!」

強烈な斬撃は足元を砕くが、いくら威力が有ろうが、当たらなければ意味がない。大振りの一撃をかわすと同時に、アリスは懐に飛び込んだ。

「……っと、やるじゃん!」

だが、ヴァルガーもただの力任せではない。ガントレットを身に着けた肘打ちで、アリスを牽制する。
大振りの隙を、ガントレットで防御し、カバーするのがスタイルらしい。

「はっ、こしゃくなテメーのやる事なんざ、読めてんだよ! これが男のパワーって奴だ!」

バスターソードを頭上で振り回すと、遠心力で振り下ろした。
砕かれて飛び散る岩の破片と、ガントレットの堅固な守りが、一撃を加える隙を与えない。
力攻めをメインとしつつも、小技で防御もしっかり固める。
一団を統べる頭目だけあって、侮れない相手だ。
圧倒的なリーチとパワーの前に、次第にアリスは壁際に追い込まれていった。

「けど、もう弱点見つけちゃったのよねー」

しかし、アリスは焦り一つ見せていない。澄ました余裕の表情のまま、ヴァルガーの攻撃をかわし続ける。
一撃、二撃、三撃、四――

「甘いッ!」

刹那、アリスは跳んだ。
横薙ぎの攻撃を下がるのでも、屈むのでもなく、宙空に。バスターソードの腹を踏み台にして。

「いくらガントレットで防御できるって言っても、振り回してる最中じゃ、どーしようもないわよね!」

不敵な笑みを浮かべ、無防備になったヴァルガーの肩口に向かって、カタナを振り下ろした。

が、ヴァルガーは唇の端を歪めていた。
横薙ぎの隙は先刻承知だった。

テメーがテメーの弱点知らねーとでも思ったのかよ。つーか誘ったんだよ。
並みの奴ならバスターソードの刃を踏み台に斬りかかるなんざできねーだろうが、こしゃくなこのメスガキなら狙ってくると思ったぜ。
だが、それはこっちにとっても絶好のチャンスなんだよ。
いくら身のこなしが速いっつっても、攻撃に転ずる瞬間なら確実に捉えられる。
……へ、背中ががら空きだぜ!

ヴァルガーの視線は、アリスの背後の空間を射抜いていた。

「ッ!?」

不審な視線に気付き、横目で振り向いたアリスの動きが硬直する。

物陰から、一条の黒鉄が飛び出していた。
ヴァルガーは小太りの部下に命じ、このタイミングで鉄鞭を打たせていたのだ。
アリスが無防備な姿を曝す、必殺の一撃の瞬間を狙って。

このタイミングなら、いかなブラックナイツの天才だろうとかわせまい。
巻きついた鉄鞭が、黒衣の少女の肢体を地に引きずり落とす。
そうしちまえば、もうこっちのもんだ。
力比べにさえ持ち込んじまえば、100%こっちの勝ちだ。
その後は、うひひひっ、たっぷり可愛がってやるぜえ――!?

「にいいいいいッ!!!?」

だが、眦を開いたのはヴァルガーだった。
鉄鞭は、アリスに巻き付く直前で、飛来したロングソードに弾き飛ばされたのだ。

「うげあっ!!!」

肩口から勢いよく鮮血が噴き出した。
地に落ちた巨大なバスターソードが、ガシャンと金属音を立てる。

「……ふうっ、一丁上がりーっと」

軽やかに着地を決めたアリスは、ヴァルガーが膝を付くのを確認すると、大きく息をつき、カタナを鞘に収めた。

「も、もうアリスー。油断大敵だよー!」

息を切らせながらフィルが駆け寄ってきた。
その手に握られていたはずのロングソードが無くなっている。刹那の窮地を救ったのはどうやら彼のようだ。

「う、うるさいわねー。アレは……そう、相手に花を持たせてあげただけよ! カッコよくかわすとこだったんだから、余計な事しないでよね!」

言い訳じみた反論をするアリスだが、不意を付かれていた事は本人も自覚しているだけに、流石に歯切れが悪い。

「二週間前の盗賊退治の時も同じ事言ってたよね。確か。あの時も似たようなシチュエーションだった気がするんだけど」
「うっ、それは……」
「っていうかさ、本当は、別働隊の到着を待って突入する手筈じゃなかったのかい?」

壁に刺さったロングソードを抜きながら、フィルは疲れ果てた表情でため息を漏らした。

そもそも、二人に与えられた任務は盗賊団のアジトの偵察だったのだ。
同僚のブラックナイツが別ルートでこちらに向かっているところで、合流後、夜を待って突入するのが本来の計画だったのだ。
ところが、アリスが待ちきれず飛び出していってしまった為、止めようとしたフィルと二人で強行突入となってしまったのだ。

「いっ、いいじゃない、別に! ちゃんと殲滅したんだから、結果オーライ、なにも問題ないでしょ!」
「問題大有り。一網打尽にする筈が、かなりの人数に逃げられたじゃないか。また団長に大目玉食らうよ。……まったく僕まで巻き込まないでくれよ」
「けど、アンタだって麓の村で聞いたでしょ。ここの盗賊団の悪行を。救援を待ってる間も、捕まった人はずっと苦しんでるのよ。放っとけるわけないじゃない!」
「ん、まあ……その辺は同感だけど。でも逃がしちゃったら、また同じ事を繰り返すから、元の木阿弥だよ」
「大丈夫。アイツらゴキブリみたいなもんだから、頭を潰せば、大人しくなるって」
「いや、ゴキブリは頭潰しても死なないと思うけど……」

坊ちゃん育ちのおっとりとした口調の割に、いちいちツッコミが厳しい。
基本的に温和なフィルだが、アリスにだけは歯に衣を着せない物言いをする。軽口を叩ける間柄の証拠であるが。

黒騎士団入団以来の付き合いだから、もう一年近くになる。
入団当初こそ衝突もあったが、歳が近い唯一の団員ということもあり、いくつか任務を共にする内に、やがて気心知れる相棒となった。

ともしてみれば、『最年少黒騎士』の栄冠を掠め取った少女に対しては嫉妬心が生じるものだが、概ね良好な関係が築き上げられたのは、少年の人柄によるところが大きい。よく言えば心が広いが、ありていに言えばお人よしなのだ。
無鉄砲に突き進んでいく少女を愚痴りながらもサポートするのは、そんな彼の性格の表れだ。
もっとも、彼にしてみれば、少女をサポートするのは性格だけが理由ではないわけだが。

「とにかく、なんだっけ……あー、名前は聞かなかった気がするけど、あのデカブツの頭目を縛り上げたら、任務完了ね」
「って、とっくにいなくなってるんだけど、あいつ」
「うっそ!?」

冷ややかなフィルの言葉に、アリスは頓狂な声を上げた。




ヴァルガーは血が止まらない肩を抑えながら、急な傾斜の山道を滑り落ちていく。

くそう! あのメスガキめえ!
痛みが止まらねえ!

言い合っている隙を突き、なんとか逃げ出したが、こんな屈辱は初めてだった。
これまで築き上げてきた全てをあんな小娘に奪われ、無様にも逃げ出すハメになるなんて。
できることなら、今すぐ押し倒して、犯して犯して犯し抜いてやりたい。

行き場のない衝動に駆られたが、まともじゃとても太刀打ちできないし、何より今はこの場を離れるのが先決だ。

だが……ッ!
絶対、このままじゃ終わらせねえ!
必ず復讐してやる!
再び力をこの手にし、俺様の恐ろしさを、あの糞生意気なメスの身体中に刻み込んでやる!
俺が全てを奪われたように、今度は俺がアイツの全てを奪ってやる!

二度とこしゃくな態度が取れないように、ズタボロになるまで犯し抜き、泣きじゃくって懇願しても犯し続け、徹底的に壊し、堕とし、女として生まれた事を、心の底から後悔させてやる!

復讐という名の妄執に囚われながら、ヴァルガーは薄暗くなり始めた山道を滑り落ちていく。




明日からの旅立ちに備えて、身の回りの整理をしていると、突然ドアがノックされた。

「僕だけど、入っていいかい?」

フィルの声だ。夜遅くに少女の部屋を訪ねたためか、声の調子がいつもと違う。

「ん、入っていいわよー」

顔も上げずに答えるアリスの声は、いつも通り、軽い調子だ。
遠慮がちにドアが開き、銀の髪の少年が部屋の中に入ってくる。

「何か用?」

と、アリスは見向きもしない。マイペースなのはいつもの事だが、話しかけてきた相手の顔も見ないのは珍しい。
荷物の量が多くなりすぎた為、減らさなければならないのだ。
整理を終わらせなければ、寝る時間がなくなってしまう。

「いや、その……君がクルルミクに出向するって聞いてね」

何を話せば言いのか。フィルは言葉に迷った。言いたい事は色々ある。だが、面と向かって気持ちを口にするのは中々難しい。

「クルルミクって言えば、グラッセンと戦争状態だっていうじゃないか」
「当たり前でしょ、そんなこと。だからアタシが派遣されるんじゃない」

つまらなさそうに言って、アリスは荷物の中身を引っ張り出した。

王国とグラッセンの対立は、もう十年以上も続いている。
四方に領土を広げる侵略国家グラッセンの野望を阻止すべく、戦っているものの、旗色は決してよくない。
王国が鎮座する北方の侵攻こそままならないが、残る三方への領土拡大の勢いは止まらず、開く国力の前に、王国は徐々に押されていた。
そんな折、グラッセンのクルルミク侵攻の報せが入ったのだ。
クルルミクといえば、良質の飛竜が生息する竜騎士の国だ。もしもグラッセンの手に落ちれば、王国とグラッセンの国力の差は一気に開くだろう。
グラッセンのクルルミク侵攻を見過ごすわけにはいかず、クルルミクのビルゴ王子と協議を重ねた結果、黒騎士団からアリスが派遣されることになったのだ。

別の任務に出ていたフィルがその事を知ったのは、つい先ほどだった。

「分かってるよ。でも僕は君が心配で。グラッセンの捕虜に対する扱いは君も知ってるだろ。クルルミクは対グラッセンの最前線だし」

侵略国家グラッセンの捕虜に対する処遇は苛烈なことで知られている。女であれば、ほぼ例外なく、陵辱の憂き目に遭う。なにしろ敵女兵士への暴行は軍が推奨しているほどなのだ。

「それに、クルルミクには悪名高いハイウェイマンギルドの総本部があるし。君、盗賊の恨み買いまくってて……。この前の、結局捕まらなかった盗賊団の頭目も、クルルミク方面に落ち延びたって話だし」
「あら、アタシの事心配してくれてんの? でも、まず自分の事心配した方がいいんじゃない。アンタ弱いんだからさ。ま、気持ちは受け取ってあげるけど」

あんまりな言い様だが、アリスなりに、フィルの言葉は好意的に受け止めたのだろう。荷物を整理する手を休めて、顔を上げた。
不意に、意地悪く笑うアリスの顔をまともに見て、フィルは赤面して動揺した。

「いや、君が強い事は僕もよく知ってる。でも、君は女の子だから。もし、万が一、グラッセンやギルドの手に落ちたりしたら……」

最悪の事態を想像して、フィルの声は深く沈む。

「やっぱり、今からでも団長に直訴して、派遣役を変えてもらうべきだ。団長だってグラッセンのことは良くわかってる。理由を話せばきっと……」
「アタシはいくわよ。……だって、志願したのはアタシだもん」
「えっ?」

いつも明るいアリスの声が怒りで震えていた。

「グラッセンは……お母様から全てを奪った国だから」
「あっ……」

そう言えば、いつだったか、ジュースを酌み交わしながら聞いたことがある。
彼女が黒騎士団に入団した――戦うその理由。

ウィンディア――
十七年前、グラッセンに滅ぼされた、風の王国の名を冠する小国の名だ。
そこが彼女の祖国だった。

アリスの母親は今は地図上に記載されていない小国の王女だった。
天空の守護者に守られた平和な国だったが、突然のグラッセンの侵攻で、平和はもろくも打ち崩されて、一晩で国は焦土と化した。
アリス直接、祖国の事は知らない。
生まれたのは王国崩壊後だから、当然のことだ。

実の所、王国が滅びなければ、アリスは生まれなかった。
アリスが生を受けたのは、グラッセンの侵攻のお陰とも言える。

だが、グラッセンはアリスが大好きな母親から全てを奪った。
グラッセンを憎む理由はそれで充分だった。
母の悲しい顔を、幼い目で何度も見た事がある。

母にとって、自分は悲しみの産物だった。
それでも、母は一度も恨み言を口にせず、いつも自分に優しい笑顔を向けてくれていた。
隠れ住んでいた森の中の小屋を良く訪れた、とある傭兵が言っていた言葉は今でも覚えている。

『俺は胎ろす事を奨めたが、お前の母は言ったんだ。お腹の中の子供に罪はない、とな』

そんな母親が、アリスは堪らなく好きだった。

だから母の幸せを奪い、悲しませたグラッセンは絶対に許せない。きっとグラッセンを討ち果たしてみせる。
そう誓い、生まれ育った森を後にしたのだ。
それが彼女がこの国を選び、黒騎士となった理由だった。

「どうしても……いくんだね」
「当然。これはチャンスだもん」

アリスは硬く拳を握り締めた。

「僕はそれでも賛成できないけど……でも、止めたって君はいつでも聞かないよね」

フィルは諦めて、大きくため息をついた。
止めても無駄な事は分かっていた。
彼女は常に、自分の意思を貫き通していた。
いつも元気で、振り向くことなく、自分の信じる道を突き進んでいく。
それがアリスという少女なのだ。
そんな彼女の後姿に、彼は自分にないものを感じ、惹かれていた。

「一つだけ、僕と約束してくれ」
「わ、なにっ?」

真顔で、握り拳を鷲掴まれて、アリスは動揺の声を上げた。

「約束してくれ、必ず……無事に戻るって」

真摯な眼差しで、顔を覗き込まれたアリスの頬は僅かに朱に染まった。

「んっ……と」

口を開きかけたが、口ごもる。
言葉が出てこないのだろう。
ややあって、睫をそっと閉じた。肩をなで下ろし、小さく深呼吸する。

そんな彼女の様子を見つめて、フィルはゆっくりと、唇に近づけた。
唇と唇が接近していく。
一瞬が、何分にも感じられる。
胸の高鳴りが場を支配し、何もかもが停止したようだ。
唇が触れ合うその瞬間――

――人差し指が、二人だけの世界に差し込まれた。

「あったり前でしょ。このアタシを誰だと思ってんのよ。天才美少女黒騎士のアリスって言ったら、もう無敵で有名よ。アンタと約束しなくたって、無事に戻ってくるに決まってるでしょ!」

にかっと笑って、それから照れ隠すように、アリスはすぐ背中を向けるのだった。

「ほらほら、アタシは明日早いんだから。もう帰った帰った! 大体、レディの部屋にこんな夜に押しかけて、失礼でしょ!」
「あっ、ああ……」

突然、いつもの調子に戻ったアリスに、フィルは鼻白んだ。
それから、自分が今何をしようとしていたか、はっと我に返ると、赤面して部屋を後にしようとした。
その背中に、アリスの元気な声が掛かった。

「ま、一応約束しといたげるから、アンタも今度会うまでに、少しは強くなってなさいよ。もしアタシ並みに強くなれたら、考えてあげなくないからさ」

それが、アリスの別れぎわの言葉だった。



再び再会の日が訪れるかは、今はまだ分からない。