周囲にはムッとするような血臭が立ち込めていた。
つい先ほどまで、ここは戦場だったのだから無理もない。
剣で切られた者、弓で射られた者、魔法で焼かれた者……
帝国軍に属していた者、共和軍に属していた者……
気の早いカラス達が彼らの亡骸をついばみ始めると、大地に展開する光景はより凄惨なものと化した。
そんな中を、カテリーナは一人歩いている。
身体に密着した皮製の服を着る彼女は、兵士などではない。
そしてスパイでもない。
値打ちのありそうな武器や鎧を見つけて売りさばく戦場泥棒なのだ。
ここ数ヶ月の経験で、カテリーナはどの辺りに値打ち物を持った死体が転がっているか、大体の見当を付けられるようになっていた。
当初は、彼女も自分の行為にかなりの後ろめたさを感じたものだ。
いくら手に入れた金を貧しい人々に配っているとはいえ、結局やっている事は死者の冒涜に他ならない。
だが、ある兵士に犯されたのをきっかけに、カテリーナは考えを改めた。
兵士など、人を傷つけても平気で、むしろそれを楽しむような野蛮人なのだ。
そんな連中になら、こちらだって何をしても構わないだろう。
「さて」と小さくひとりごちながら、カテリーナは周りを見まわした。
転がる死体の数や地理的なものから考えて、たぶんこの辺りに指揮官クラスかそれに近い者の死体があるはずだ。
だが、本格的な物色を始めようとした矢先、彼女は微かな音を聞いた。
それは間違いなく、生きている者の呻き声だった……。
………………
二十分後、カテリーナは深い後悔に捕われていた。
今、彼女の隣には傷ついた帝国軍の青年兵がいる。
正確には脚の骨を砕かれた彼に肩を貸しているのだ。
先ほどの声、あれは彼が洩らしたものだった。
メイスか何かの一撃を食らって気を失い、戦いが終わった後、カテリーナの気配で目を覚ましたのだ。
水を求める彼へ、反射的に自分の水袋を渡したカテリーナは、成り行きで彼を軍の陣地まで運んでやる事になってしまった。
武装している男は重いし、周囲は陰惨そのものだ。
一文の得にもならないのに、軽蔑する兵士を助けている事からも、イライラが募る。
とうとう黙って歩くのに我慢できなくなり、カテリーナはぶっきらぼうに聞いた。
「あなた、名前は何ていうのよ」
本音を言えば、そんなものは知りたくもない。
だが、兵士は至って素直に答えた。
「ん、俺はジョンだよ」
「平凡な名前ね」
「ああ、仲間にもよくそう言われる」
痛みをこらえるような苦笑を、兵士――ジョンは浮べた。
「あんたは? 恩人の名前なのに、聞いてなかったよな」
「……カテリーナよ」
「きれいな名前だな」
「別に。お世辞なんていらないわ」
カテリーナはとげとげしく吐き捨てた。
「お世辞じゃないんだけどなぁ」
困ったようにジョンは呟いたが、それ以上続けようとはしなかった。
再び、沈黙が訪れる。
「…………」
「…………」
「…………ねえ」
結局、カテリーナは口を開いた。
とりあえず、頭の隅をよぎった事をそのまま言葉にする。
「あなたはどうして兵士なんてやってるの」
「……うん……そうだなぁ……」
考えながら、ジョンはポツリポツリと話し始めた。
「俺の故郷の村ってのが、すごく貧しくてさ。いくら畑を耕しても大したものはできないし、暮らしも楽にならない。俺はそこの農家の一つで生まれたんだよ。けど……もう家には子供が二人いた。兄貴と姉貴だけどな。他にオヤジとオフクロがいて……五人の家族が食っていくのはかなり苦しいんだ。……だから俺は兵隊に入った。そうすれば口減らしになるし、うまくいけば仕送りもできる」
その説明はうまいとも、まとまっているとも言えなかったが、なんとなくジョンの人柄は表れているように思えた。
少し意外に感じつつ、それでもカテリーナは、彼が「兵士」である事を、内心で自分に言い聞かせる。
だからつい、次の質問もぶつけてしまった。
「でも、兵士なんて結局人殺しじゃない? 何とも思わないの!?」
「…………」
途端にジョンは押し黙ってしまった。
怒らせただろうか。
もし、相手が暴力を振るおうとしたら、すぐにでも逃げられるように、カテリーナは警戒を強める。
だが、彼はボソリと呟いた。
「…………思う」
「え?」
「一日の戦いが終わるといつも思う。俺は人を殺しちまったんだなって。それで明日は自分が殺されるかもしれないなって」
そこで一旦言葉を切り、間を置いてから続ける。
「でも、戦いに行くと、変わっちまうんだ。殺さなきゃ自分がやられるから……いや、そうじゃない……。頭がカーッとなって、槍で人を刺しても、自分が悪い事をしてるって思えなくなるんだ。やった、俺は強い。そんな事まで考えちまう……」
ジョンは説明しているというよりも、戦場での行為を振り返り、改めて自分自身に怯えているようだった。
本当は朴訥な、ただそれだけの青年なのだろう。
カテリーナは、自分の質問を後悔した。
「……貧しい村の生まれだって言ったわよね。私の家も貧しいの」
彼女の言葉を最後に、二人はもう喋らなかった。
………………
「ここまででいいよ。後は自分だけで行けるから」
目指す陣地が近づき、ジョンはカテリーナに言った。
「ありがとうな」
「……そうね」
頷くカテリーナは、どこか上の空だった。
彼と再び会う事はないだろう。
しかしそれでも、この平凡な青年に生きていて欲しいと、カテリーナは思った。
「じゃあ」と、ジョンは背を向ける。
そして一歩一歩、歩いていく。
彼を見送るうち、言いようのない衝動が湧き起こり、カテリーナは叫んだ。
「待って!」
「ん?」
ジョンが降りかえると、カテリーナは反射的に走りより、キスをしていた。
自分でもなぜなのか分からない。
頭の中がグルグルして、まるで自分の方が唇を奪われたみたいだ。
時間にすればほんの数瞬なのだろう。
だが、ひどく長い間、そうしているような気がした。
顔を離すと、さすがにジョンは目を白黒させていた。
「あ……えぇと……顔、赤いぞ?」
真っ赤な彼にそう言われて、カテリーナも急に顔の火照りを意識する。
「あ、おまじないよ、幸運のおまじないっ! 伝承とかでもよくあるでしょっ!」
しどろもどろに口走り、今度は彼女がきびすを返す。
走り去ろうとしたその耳に、ジョンの声が届いた。
「ありがとうな」
もうカテリーナは返事をしなかった。
………………
やはり、と言うべきか、その後カテリーナがジョンと再会する事はなかった。
戦場泥棒を止める事もなかった。
だが、カテリーナはふとした拍子に、ジョンを思い出す。
そんな時、彼女は決まって呟くのだ。
「……生きてるよね、幸運のおまじないをしてあげたんだからさ」