「世界」とは意外に脆いものだ。

 例えば破壊神と呼ばれる存在が一柱でも目覚めれば、それに対抗できる神が地上にいない以上、世界は確実に崩壊する。

 そしてごく少数ではあるが、それを願う者も確かにいるのだ。

 彼らの言い分は様々だったが、レギンレイヴは聖騎士として、同時に人としても、それを受け入れるわけにはいかなかった。

 彼女は今、重鎧に身を包み、モーニングスターを携えて、ザツライ分教のとある聖堂内で、一人の襲撃者と向き合っている。

 襲撃者の名はフォウ・"マッド"・ディスアピーア。

 かつてレギンレイヴと共に戦い、また彼女が心から愛した男性である。

 だが現在の彼は、世界を消滅させようと目論む集団「ヴァニッシュメンツ」の一員だ。

 今回、聖堂を襲ったのも、地下に安置されている宝珠を狙っての事であり、その宝珠には破壊伸の封印の一つが隠されている。

 もし彼を通せば、破壊紳を抑える力は一気に弱くなってしまうだろう。

「ドウシテも、どいてはクレナイのですネ?」

 フォウマッドは平和的ともいえる笑みを浮かべながら、仁王立ちするレギンレイヴに問うた。
 レギンレイヴは頷く。

「当然だ。……貴様こそどうして世界を滅ぼそうとする? 聖ザツライに騙されていたとはいえ、貴様はこれまでも正義を信じて戦ってきたではないか?」

「分りませんカ? 私の行っている事コソが正義なのですヨ。この世ノ半分は悪、本気デそれを消し去ろうとすれバ、世界そのものを消し去るしかないでショウ」

「ならば罪のない多くの人達はどうなる。彼らの命まで、お前は奪おうとしているのだぞ」

「仕方ノない事デス。善の本質ハ自己犠牲。真ニ正しき者達は、喜んで尊い犠牲となってくれるはずデス」

「貴様は……」

 フォウマッドの言葉にレギンレイヴはうめくしかなかった。

 無論、そこに正しさを認めたからではない。

 信じるものに裏切られ、破綻した論理にすがるしかない彼が、哀れでならなかったのである。

「ムダな事はおやめなサイ。アナタが私に勝てナイ事は、スデに実証済みでしょう?」

 軽い口調で言うフォウマッドに、レギンレイヴは一瞬だが、端正な顔を歪めた。

 ザツライ正教を抜けた時、彼女は正教の刺客として現れたフォウマッドに敗れた事があるのだ。

 そのままレギンレイヴは捕らえられ……聖ザツライや彼の取り巻き達に陵辱の限りを尽くされた。

 来る日も来る日も、汚らしい子種を口や胎内、果ては菊門にまで注ぎ込まれ……。

 救出された今も、悪夢にうなされる夜が多い。

 しかし、レギンレイヴはもう負けるわけにはいかなかった。

 彼女が倒れれば、世界は破滅に一歩近づく事になる。

 世界を守り、そして今度こそフォウマッドを救う。

 揺るぎない決意を込めて、レギンレイヴは愛用の鎖鉄球を構えた。

「ヤレヤレ……仕方ありませんネ。アナタも結局は、悪に属する者ダッタという事ですカ」

 フォウマッドも得物である巨大な十字架に神力を込める。

 両者は同時に動いた。

 鉄球が風を裂いて飛び、フォウマッドは間合いを詰めつつ、紙一重でそれをかわす。

 以前は、そのまま反撃を受けて、レギンレイヴの敗北となった。

 だが、同じ過ちは繰り返さない。

 レギンレイヴは自分の勢いを殺すことなく、鋼の鎧に包まれた肩を低くした。

 力強く踏みこみ、フォウマッドに体当たりを食らわせる。

「オォッ!?」

 フォウマッドはそれを十字架で受けとめたが、衝撃全てを消し去る事などできない。

 ズザッと後ろに下がり、辛うじて踏みこたえた。

 その隙に、レギンレイヴは体勢を戻して、鉄球を手許に引き寄せる。

「フゥ、驚きマシタ。前ヨリ強くなっているではありませんカ」

 フォウマッドはレギンレイヴに笑いかけた。

 まるで日常の他愛ない会話を楽しむように。

「ですガ」

 そこから再び動くフォウマッド。

 彼は巨大な十字架を軽々と扱い、連続して突きを放ってきた。

「クッ……ゥ……」

 レギンレイヴの武器は攻撃を受けとめるのには向いていない。

 一回一回が大振りになりがちな分、絶え間ない連撃にも弱かった。

 盾で何とかしのぎながらも、レギンレイヴは二歩、三歩と後ずさる。

 防ぎきれなかった打撃数発は、鎧越しに強い衝撃を伝えてきた。

「私にハ正義がありマス。アナタに負ける事など決してナイのですヨ」

「ツゥッ……!」

 ついに手首を強打され、レギンレイヴは鎖鉄球を落とした。

 何とか、左手に付けた盾を大きく振るって間合いを開くが、武器を失った今、勝敗は明らかである。

(駄目なのか……? 私では彼の目を覚ます事ができないのか?)

 一瞬、心がくじけそうになる。

 それでも、レギンレイヴは自身を奮い立たせた。

(いやっ、まだだ! 今度こそ……今度こそ私は……っ)

 その脳裏に、先ほどのやり取りが一瞬だけ、蘇った。

(そうだ……! 彼を倒す事ができなくても……)

「これでオワリデスッ!」

 フォウマッドが迫る。

 レギンレイヴに迷っている暇はなかった。

「フォウマッド!」

 男の名を呼びながら、レギンレイヴは守りを、そして身にまとう神力を解いた。

「…………!」

 それはフォウマッドにとっても予想外のことだったろう。

 彼の顔が驚きに歪み――それでも突進の勢いは衰える事なく――

 ゴスッ!

 鎧を突き破り、十字架がレギンレイヴの腹部に突き刺さった。

 レギンレイヴは吐血し、己の美しい顔を真っ赤に染め上げた。

 血はフォウマッドにも降り注ぐ。

「目を……覚ましてくれっ!」

 レギンレイヴは消えゆくありったけの神力を拳に込めて、フォウマッドに叩きつけた。

「ウォッ」

 男は大きく揺らぐ。

「どうだ……。これがお前の望む自己犠牲だ……」

 フォウマッドはもう動揺を見せてはいなかった。

 対して、レギンレイヴはもう限界だ。

 目が霞む。

 血が溢れているのに、口内はカラカラだ。

 目の前に死が来ている事がはっきりと分かった。

 それでもレギンレイヴは、最後にはっきりと言い切った。

「今のお前は間違っているんだ……!」

 ………………

「ヴァニッシュメンツ」の後続が、聖堂を守る他の部隊を打ち倒して、決戦の場に着いたとき、フォウマッドは何をするでもなく、ボンヤリと立ち尽くしていた。

 多数の足音が背後から近づいてきているのに、ピクリとも動かない。

「フォウマッド……殿?」

 一団は気圧されるように立ち止まり、それでも一人の男が、恐る恐るフォウマッドに歩み寄った。

「どう……なされたのですか?」

 声をかけられると、フォウマッドはほとんど首だけを動かすようにして、ゆっくりと振りかえった。

「…………」

 虚ろな目に見据えられ、男はギョッとなり一歩退く。

 だが、急にフォウマッドはいつもの笑顔を形作った。

「遅いデスヨ。……サア、封印を壊しに行きまショウ」

 男の反応を気にするでもなく、彼は何事もなかったようにスタスタと歩き出す。

 否、仲間達は気付かなかったが、フォウマッドは決してレギンレイヴの亡骸を見ようとはしなかった。

(私が正しいのデス……私ガ正しいノです……私ガ正シイノデス……私ガ……)

 彼は心の中で延々と繰り返し続けていた。