ANYWHERE OUT OF THE WORLD



パノラマが十二歳で入学したのは、修道院のような女子校だった。
テンプル魔術学院、という。良家の子女ばかり集めながら、お嬢さま学校というわけでもなく、厳正な試験の結果ぬきんでた魔力をもつと認められたものにのみ高い魔法教育を施すという、きわめつきのエリート校である。

カラン、カラン

時計台の鐘の音が鳴った。
堅牢な壁。
冷たい石畳。
かげなどどこにもないのに、校舎内はなぜかいつも膚寒かった。
庭の噴水が音もなく水をあげている。
ひとけのない渡り廊下に、足音が鳴りひびく。
黒い、喪服を思わせる陰鬱ないろの制服の袖から、白蝋のような白い手がのぞいた。
時が止まったかのごとき殺風景な風景の中で、パノラマは一輪の毒々しい花のようだった。

魔法の腕さえたてば、学院内では治外法権だ。それをいいことに、パノラマはあいもかわらず周囲にパノラマゾーンをはりめぐらし、したい放題。
完全におのれの世界に没頭し、魔道書に頬ずりしながら語りかけ、たまにうふふと領解しかねる笑みを浮べて、ろくに返事もしないパノラマに苛立つ教師もあったが、その圧倒的な魔法の冴えのまえにみな沈黙した。
しかし、他の生徒たちの場合は、そんなふうには済まされない。パノラマの優秀さはかえって他生徒の嫉妬を誘い、周囲に同調しようとする意志の片鱗すらみせぬパノラマは、彼女らの歪んだ破壊衝動の恰好のえじきだった。

放課後、いっしょに教室掃除をしていた数名の生徒が、とつぜん、パノラマの手足をしっかりと押さえつけ、身体の自由を奪う。
「なにをする! 離せ」
ひくく穏やかな声で、パノラマがいった。昏くにごった眼が女生徒たちをねめつける。けれども、パノラマの正面に立った少女はひるまない。
「あれー、いたのかって顔だね」
「なにを云っている」
「あたしはね、そのあんたの、周りがいてもいなくてもかまわないって顔が気に食わないんだよ!」
「私の考えていることがよく判ったな」
心底驚いたふうにパノラマがいった。そのことばが余計、女生徒たちを逆上させる。
「ありのままの自分をさらけ出すのは、至極自然なこと・・・。おかしいのはお前達の方だろう?」
脇に立っていたひとりが、雑巾をよごれで濁った水に漬け、しぼりもしないで持ってきた。しずくが、パノラマが拭いたばかりの床にしたたり落ちる。
「ばかなことはよせ。手間がふえるだけ──」
「うるさい」
女生徒が、ぬれた雑巾をパノラマの頭に押しつけた。濁ったしずくがパノラマの顔に、うなじに、肩にしたたり、びしょぬれにする。臭い水が口の中にはいった。ぺっぺっと水を吐き出そうとすると、女生徒たちは笑いながら、こんどはパノラマの口に雑巾を押し込んだ。これには、さしものパノラマもたまらない。長時間おさえつけられていると、気が遠くなりかかる。なぜ自分がこんなことをされるのか──このときになってもなお、パノラマにはそれが理解できなかった。
「そこで、なにをやってるの」
ふいに、がらんとした教室に聞きなれない女の声が響いた。きれいなテナーだ。
「あ、ルディ様」
パノラマの口を押さえていた少女が、あわてて手にもった雑巾を後ろにかくし、教室の入り口をふりむいた。他の少女たちも、パノラマの身体から手をはなす。
この少女たちが様づけするくらいだから、よほどランクの高い魔道士なのだろうとかってに推測して、パノラマも目をうごかすと、教室の入り口に、背の高い、ショートカットの少女が立っているのが見えた。
一見すると、少年と見まちがえそうだ。
でも、ひとをハッとさせるような、うつくしい少女だった。
周囲の少女たちがしだいに女っぽさを獲得してゆくなかで、稀にみる清廉さと中性的な魅力を保っている。
少女は、驚くほどの速さで向ってきて、首謀格の女生徒の頬をぱんっと叩いた。
「ボクはね、君たちが弱いものいじめをしているのを見ると、虫唾がはしるんだよ。このあいだもそういって、注意したばかりじゃないか。またやってるの。そんなことばかりしていると、もう絶交だよ」
「ごめんなさい、ルディ様」
パノラマをあれだけ高飛車に責めたてていた少女が、ルディの前ではすっかりしおらしくなってしまった。とくに「絶交」とひとこといったときの、あの動揺。このルディという少女には、いったいどんな魔力があるというのだろうか。チャーム(魅了)の魔法、ということばが脳裏に浮かんだ。
「大丈夫かい」
ルディがパノラマを気遣い、自分のハンカチでぬれそぼったパノラマの身体を拭く。他の少女たちが「そんなこと、わたしが・・・」と言いかけるのを手で制し、うるさそうに、はやく散るようにと命じた。少女たちは不満げにパノラマたちのほうを何度もふりかえりながら、しぶしぶその場を去っていった。
「可愛いね・・・アンティークドールみたい」
パノラマを拭きながら、ルディが目を細めてつぶやく。
「愚弄するのか」
「そんなことないよ。褒めただけ」
頭を撫でられる。仕草のいちいちが気に障った。
「じっとして。ほら、こんなに濡れてる」
ルディの手を振り払おうと、パノラマが腕を上げると、ルディがやさしくたしなめた。
「これじゃ、服、脱がないとね」
フリルの付いたドレスの釦(ボタン)を、一つ一つはずしていく。


あっという間に胸が露わになり、ルディはまだ稚い乳首に舌を這わせた。
「ひゃうっ」
感じたことのない感覚に、パノラマは思わずおかしな声をあげた。
「な、なにをする」
「しらないんだ」
少女の眼が、あやしくひかった。
「なにが・・・」
「こうゆうこと」
ルディはまだ誰も手をふれたことのない花園へと手を伸ばした。固く閉じた割れ目をなぞると、パノラマの身体は敏感に反応する。ふれる場所を少し変えるだけでパノラマの反応は微妙にちがい、それが面白くてルディは手で、口で、音楽を奏でるようにパノラマのうなじや胸、肩、魚のようにしろいお腹やヴァギナを愛撫し、パノラマのあえぎを引き出した。ルディは巧みに、じょじょにパノラマのなきごえをよりはりつめた、切ないものに変えていった。鼓動がどくどくと鳴る。パノラマはルディの楽器になり、生まれて初めてのアクメに達した。陰裂を舐めていたルディの舌を、愛液とはちがう、刺激臭の、すこし苦くて塩辛い液体が濡らした。ルディはなにもいわず、小さな胸をはげしく動悸させているパノラマの出したその液体を、丁寧に舐めとった。
「どう、気持ちよかった?」
「はあ・・・はあ・・・いったい・・・はあ、何をした」
「ぜんぜんわかんないの」
「ぜんぜん」
パノラマは鸚鵡返しに繰り返した。全身がだるい。いまは、何も考えたくない。
「くす、可愛いね、キミは」
「莫迦にするな」
「いいよ、いろいろ教えてあげる」

ルディがこの学院内ではちょっとしたアイドルだった。まあ、わからないでもない。不思議な魅力を持った少女だということは、パノラマも認める。
しかし、出自については意外と不明なところが多かった。学院の理事長が後見をしているなどと、まことしやかな噂も流れていた。
あの日以来、パノラマはルディと頻繁に逢っていたが、その点について問いただすようなことはしなかった。パノラマには関係のないことだ。ルディも、パノラマの家や家族のことなど、なにも聞かない。
「でもまさか、キミの方からやって来るなんてね」
裏庭の繁みの中で、ルディはパノラマの未発達な性器をやさしく舌でなぞりながら、囁いた。
「あれは──」
パノラマ自身にも、よくわからない衝動。
ルディと別れた翌日、パノラマは自分からルディの教室をさぐりあて、放課後に訪ねたのだった。まだ生徒たちが残る教室で、ただでさえみなの注目を浴びているルディに声をかけるのは、勇気が要った。
考えてみれば、自分から何かしようとしたことなど、これまでなかったのに。
「好奇心? キミって意外とえっちな娘だったんだね」
ルディが笑う。
パノラマはルディに指示されるまま、繁みの中に立ち、スカートの裾を両手で持ちあげて、ルディの前で下腹部をあらわにさせられていた。
「羞かしい?」
パノラマがうなずく。
「でも、自分からやってるんだよ」
そのとおりだった。すすんでルディに逢い、命令に従っている、そんな自分が信じられない。
「ふふ、少し毛が生えてるね」
恥丘の上に、淡く繁るうぶ毛に鼻をうずめ、ルディはなめらかな、その感触を楽しむ。しだいに、パノラマの息が荒くなってきた。
「ねえ、自分でしたことある?」
パノラマはふるふると首を振った。
「じゃあ、教えてあげる。こうして──」
パノラマの小さな手を持ち、下腹部に押しあてさせる。
「ただ押してるだけじゃ、だめ。中に指を入れるの」
パノラマはルディの言うとおりにしながら、くっ、と低くうめいた。
「そうそう……そうやってね、上の方に突起があるでしょう。そこの皮をむいて擦るの」「ひんっ」
「強くしちゃだめだよ。やさしく、やさしくね」
パノラマは、一心不乱に没頭している。白い指が愛液にまみれ、ねばついた糸をひいていた。
「くすっ、びしょびしょだね」
ルディがまた、パノラマの性器に唇をあてた。
がさっ、と背後の繁みが鳴る。パノラマは、その一瞬でわれにかえったが、ルディの舌の愛撫でまたも快楽の波におぼれていった。
「ルディ様──」
ルディの背後で、声がした。まだ稚い、泣きそうな少女の声だ。
しかし、ルディはまだふりむかない。
「なんで、こんなやつと──」
「ボクがだれとしようと勝手じゃないか」
ルディはふりむかずに言った。
「ひどい」
金色の巻き毛の、大きな目をした、かわいらしい少女だった。
「もう、あたしには飽きちゃったんですか」
べそをかいている。あどけない。
ルディは答えなかった。
「ゆるさない。ゆるさないんだから、ぜったい──」
少女の剣幕に気圧されているパノラマを涙目で睨みつけながら、少女はふたたび繁みの中に姿を消した。
「なんだったんだろうね、アレ」
ルディが愛撫をつづけながら言った。パノラマは複雑な気持だった。

茜色の陽射しが、まじりけのない氷のように澄んだ窓硝子から、斜めにさしこんでいた。パノラマは、教室の机に両手を縛りつけられ、逃げることのできない状態で、まわりを何人もの女生徒にとりかこまれている。
制服のスカートと下着を奪われ、下半身をおおうものは何もない。
彼女らの中心にいるのは、昼休みに裏庭でであった少女だった。
「なんであんたみたいなのにルディ様がご執心なのよ」
凍てつくような視線でパノラマを射抜きながら、少女が言った。
とげとげした物言いの中に、拗ねたような、甘えるような響きがふくまれていた。
仔猫みたいだ。
「少し痛い目にあわせてやらないとね」
少女がにこりともせずに言った。パノラマの下腹部の唇にみずから指をふれ、おしひろげた。内部のピンク色がちろりとのぞく。
「や・・・め・・」
「恥ずかしいの? あんたみたいのでも」
横で、仲間の少女たちがパノラマの鞄を広げている。
「いっぱい、鉛筆はいってるね」
ペンケースの蓋をあけながら、言った。
「それにぜんぶ、よく尖らしてある」
「見るな」
パノラマが叫ぶ。
「一本、貸してよ」
少女が、なにか思いついたように言った。
少女は、おしひろげた陰門に鉛筆の先端をあてた。陰門の粘膜がゆっくりと細い棒を先から呑みこんでいく。
パノラマはびっくりして、一瞬、抵抗もできずにかたまってしまった。
「一本くらいなら、痛くないでしょう」
答えられない。
「でも、何本はいるかしら」
硬直して動けないパノラマの性器に、女生徒たちが次々と手にもった鉛筆をさしこんでいった。
「二本・・・三本・・・四本・・・・・・すごい、七本もはいっちゃった」
「鉛筆、もうないよ」
女生徒が、パノラマのペンケースの中を見ながら言う。
「でも、まだはいりそうだよね」
「もう・・・ゆるして」
パノラマが耐え切れずに涙をながした。
「だーめ。二度とルディ様に近づかないようにしてやるんだから」
「あたしの鉛筆、あるよ」
「あんたのちっとも尖ってないじゃない」
言われた女生徒は、不服そうに頬をふくらませた。
「このコンパスなんか、よくない?」
ペンケースを漁っていた少女が言った。
「はいるかな」
鉛筆の束がさしこまれた横の隙間をむりにこじあけ、コンパスの針の先をおもむろに挿れてゆく。
パノラマの膚に、大粒の汗が浮く。
「はいっちゃった、すごいすごい」
少女は無邪気によろこんでいた。
こんな状況なのに、パノラマはその笑顔に思わず、かわいいな、と思ってしまう。
「鉛筆、削ってきたよ」
さっきの少女が駆けてきて、一ダースばかりのよく削られた鉛筆をみなに見せた。
「この定規もはいりそうだよね」
少女たちは、嬉々として話しあっている。まるで、お昼になにを食べようかと相談でもしているみたいに。
パノラマは声も出なかった。

パノラマは手足の自由を奪われ、猿轡をかまされた状態で、教室の隅に放置されていた。まだ性器には鉛筆やら定規やらがさし込まれたまま。
だれも、助けない。
生徒たちはくすくす笑いあい、教師たちは見て見ぬふり。
お昼になると、パノラマのぶんのスープやパンが、頭から浴びせかけられ、少女たちの哄笑が響き渡った。
「まるでゴミみたいね」
あのブロンドの巻き毛の少女が近寄ってきて、パノラマの耳もとで囁いた。
「気分はどう?」
パノラマは何も答えない。昏い瞳で少女を睨みつけるだけだ。
「うふふ、答えられるわけないか」
少女が髪をつかむ。
「ねえ、今日おそわった呪文、おもしろかったよね。魔物の召喚」
少女がぶつぶつと口の中で詠唱をはじめる。
パノラマは眼を見ひらき、腹部の激痛に身をよじりはじめた。
「いま、あんたのお腹ん中じゃ下等な魔物があばれまわってるの。わかる?魔物にお腹を食い破られるってどんな感じかな」
きゃはははははははははははははははははは、と少女が笑う。
「苦しい?ごめんねえ、でもあたし、解呪の法知らないの」
くぐもったうめき声をあげながら、床をのたうちまわるパノラマ。
汚物でも見るような表情で、少女は静かにそれを見つめている。突然、
「うるさい!」
パノラマの腹を蹴り飛ばした。
うぐぅっ
猿轡のあいだから、吐しゃ物があふれる。
「吐くんじゃないわよ。教室が臭くなるじゃない」
パノラマはうめき声を洩らすのみだ。
「まったく、女はこわいねぇ」
はっとして、少女は後ろをふりかえった。
肩幅の広い、がっしりした体格の大男が背後に立っている。
いつのまにかこんなに近づかれていたなんて──
気配も感じなかった。
「あなた、だれ?だいいちここ、男子禁制のはずでしょ」
少女は身構える。
「そんなおっかない顔するなよ」
「すみません。私が呼んだんですよ」
教室の入り口にもうひとり、精悍な顔つきの男がすがたをあらわした。
少女はその男の姿を認めると、これがいちばん、とでも言えそうなとびきりの笑顔で彼をむかえた。
「あなただったの。じゃあいいわ──待ってたのよ」
男のうしろから、ぞろぞろとさらに数名の男たちがはいってくる。
少女の背後に立った大男をふくめて全員、同じ型の制服を着用していた。
「紹介するわね。この人は、あたしがまだここに入学する前に、あたしのお友達としてお母さまが付けてくださったの。いまは隣街のラクルーソン士官学校に通ってるわ。けっこういい男でしょう」
男たちのリーダー格らしい美男子が、少女の身体にうしろから手をまわす。少女はなすがままにさせながら、顔をあげて男が口づけするのを手伝った。
「うっわ。ひでえな、こりゃ」
大男がパノラマに顔を近づけ、顔を顰めた。
「こいつを俺たちに犯れってのかよ」
「そうよ。不満?」
「ああ、ごめんだね。こんなにぼろぼろになっちまったのなんか、犯る気しねーよ。それよりさ、もうひとりのルディとかいう女、あっちの方が興味あるんだけどな」
「な」
男の意想外のことばに、少女の顔から血の気がひく。
「おい・・・俺たちはお嬢さんの頼みで来てるんだぞ。勝手なことは」
「俺も、そっちのルディとかいうやつの方が面白そうだな」
「俺もー」
たしなめようとする男のうしろでも、仲間の男たちが口々に言う。
「じょ、冗談じゃないわ。ルディ様にあんたたちの汚い手で・・・」
「その汚い手にまさぐられてひいひい言ってたのは、だれだよ」
少女はぐっと口をつぐむ。そんな彼女を庇うようにしながら、
「お前たち──」
「俺たちは協力するとは言ったけど、あんたの指図にしたがうとは言ってないぜ。いくらラクルーソンじゃ一、二を争う秀才っていっても、こんなとこでひとりじゃ何もできないだろ」
「そうそう、ルディをおびきだす手引きの方はよろしく頼むぜ、お嬢さま」
少女は、唇をかみしめた。

ひとけのない夕暮れどきの裏庭に、ルディは少女の先導でやってきた。
なんの警戒心も抱いていない。
ルディは、隠れていた男たちの手であっさりと地面に組み伏せられた。
学院内には結界が張られ、授業でもちいる特殊な場所以外で強力な破壊力のある魔法は使えないようになっていた。破壊的な力をもった生徒がごろごろいるので、校舎の破壊を防ぐためである。
魔法を使えなければ、いくらルディと言えどもただのひとだ。
何人もいる男たちの前に、なすすべがない。
パノラマの中で、なにかが壊れていくのが感じられた。
目の前で展開される陵辱劇から顔をそむけようとしたが、隣にいた少女の手で無理やりひき戻された。
少女もまた、まなじりに涙を浮かべている。
「あんたのせいだからね」
逆恨みだ、と思う。
しかし、少女がそう言うことで心の均衡を保とうとしているのが痛いほどわかったので、言い返せなかった。
男たちが去ったあと、ようやく縛めを解かれたパノラマは、ルディを助け起こした。
制服をぼろぼろにひき裂かれ、口の中までべっとりと白濁にまみれている。ぐったりとした白い身体が、パノラの肩に重くのしかかってきた。
かける言葉が見つからない。
「ごめんなさい、ルディ様・・・あたし、あたし」
巻き毛の少女が泣き声をあげた。
鬱陶しい。
「まったく」
ルディが、うっすらと目をあけた。
「身体を洗う・・・手伝ってよ。それと、このことはもう言わないで」
ルディの考えていること、思っていることが読めない。
そんなことはいまにはじまったことではないが、パノラマはそのときはっきりと疎外感を感じ、肌がうすら寒くなるようだった。

なんの変哲もない日々が続いた。
ルディに言われるまでもなく、事件のことは、パノラマも、あの巻き毛の少女も口にしなかった。
あのとき、パノラマにはなにもできなかった。
男たちを止めることも、ルディを助け出すことも。
ルディとは、あれ以来、あまり逢わなくなった。
その代わり、パノラマへの風当たりは以前ほど強くはなくなったようだ。
忘れようとして忘れられるものでもなかったが、パノラマは意識して事件をなかったことにしようした。
以前にもまして一心に書物を読みふけった。
寮に帰ろうと、うすぐらい廊下を歩いているときも、重い牛革の魔道書を手放さない。
でも、何べん読んでも頭にはいってこなかった。
校舎から寮に渡る渡り廊下にさしかかったとき、外の繁みから妙な声が聞こえた。
しばらく前までのパノラマなら、慣れた快楽の声。でも、いまはなんだか不愉快だった。「だれだ」
繁みをかきわけて、声のする方へとむかった。
無視して通りすぎればいい、と心の中で声がする。
パノラマの目に飛び込んできたのは、信じられないような光景だった。
ルディが、見知らぬ男にのしかかられていた。いや、これは強姦じゃない。男に手足を巻きつけ、みずから腰を振りながら、しきりにルディは男の名を呼んでいた。
「俺を誘うなんて、どうかしてるんじゃねえのか、お前」
男がささやくように言う。
「あのとき、キミだけ優しかったじゃないか」
「そうか?勘違いだろ」
「勘違いでもいいよ。あんたのこと、好きになっちゃったんだから」
男と女はそんな会話を交わしながら、互いにのぼりつめていった。二人とも、パノラマの存在には気づいていない。
「ルディ・・・?」
ようやく、男の方がパノラマに気づき、顔を向けた。
「あれ・・・お前」
パノラマの方でも、このがっしりした体躯の男を思い出した。あのときのラクルーソン士官学校の生徒のひとりだ。
「ルディ・・・これはどういうことだ」
「パノか」
ルディは身体をふきながら言った。
「どうもこうも、好きになった男とえっちしてるだけだよ」
「お前をレイプしたやつだぞ」
ルディは答えない。
パノラマも、そう言いながら己の言葉がむなしく響くのを感じていた。パノラマが許せないのは、そんなことではないのだ。
強くて、健康で、だれに屈することもない──
パノラマの理想像。
「・・・お前だけが・・・唯一の、人間らしい・・・人間だったのに・・・」
「それは、パノの幻想だよ」
ココニイルノハ、モウるでぃジャナイ。
パノラマはくるりと向きを変え、寮の方へ駆けだしていた。
そして、部屋に戻ると鍵を閉め、すすり泣いた。
「何も・・・誰も、信じられない・・・」
手繰り寄せた魔道書をなんの気なしにひらく。
「みんな、消えてしまえばいい」
ひらいた頁が目にはいってきたパノラマは、そうつぶやいていた。

実習で使う魔方陣の中に立つパノラマ。
ここでなら、学院にかけられた結界は効力をもたない。
そこで、複雑な呪文を編み上げてゆく。
いま、パノラマを動かしているのは、怒りと悲しみだった。
そこから生まれた破壊の衝動。
何をこんなにも怒っているのだろう。
それすらも、考えないことにした。
「パノ」
声がした。
「さがしたんだよ」
その人物が、近づいてくる。
「なにしてるの」
ルディがそばに寄ってきても、パノラマは詠唱を止めない。
完了した。
「どうしたの、顔が真青だよ」
ルディが言った。そういえば、息が荒い。ひゅーひゅーと咽喉からしぼりだすようにしないと、うまく呼吸ができなかった。
ゴゴ・・・とかなたで地鳴りのような音がした。
次の瞬間、建物の隅から黒い炎があがり、めらめらと燃え広がった。
うふふ、とパノラマが笑う。
「こうなったら、たとえお前でも止められないぞ。早く逃げるといい。逃げられるものならな」
なにを言っているのだろう、私は。
「パノは、気に入らないものはみんな消しちゃうんだね」
すべてを理解したルディは、少し悲しそうに言った。
「私は、綺麗なものが好きなだけだ」
「ボクは、綺麗なものも汚いものも好きだよ」
ルディの顔をまともに見つめたパノラマの感情に、火がついた。
「消えろ」
ルディの顔の前に手をかざす。
一瞬で、ルディは黒いかげとなって夜闇の中に消えた。
その一瞬が、永遠のように感じられた。
「あ、うあぁ」
ふるえる掌を自分の顔の前にもってくる。
ルディの声はもう聞こえない。
うあぁ、とふたたび声をあげて、パノラマはその場にくずおれた。
周囲の物音や、気づいた教師や生徒たちの悲鳴も、パノラマの耳には届いていない。
「どうして、反撃しなかった」
パノラマは、つぶやいた。
「そ、そうだ。あいつには力がなかったから、消されたんだ。あいつには存在価値がなかったのだ」
膝の上にぽたぽたとしずくが落ちる。壊れたレコードのように、パノラマはぶつぶつとつぶやきつづけた。
「そうだ・・・力こそすべてだ・・・力こそ」
ひゃはははははははははははははははははははははは、とパノラマは壊れたわらいごえをあげた。
目にはいっぱいに涙をためている。
そのときながした涙が、人間らしい最後の涙となった。